ほしめぐり

旧星 零

縋るしかない


「では、発表します。最優秀賞は──」


 他人への賞賛を示す、拍手の音が不気味だった。私たちの共通点は、たったひとつしか無いのに。パイプ椅子に腰かける人のほとんどは、選ばれてなどいない。


 文芸部に入ってから知った。文芸の大会があるらしいと。芥川賞とか直木賞とか、色々聞いたことはあるが、作品に優劣を付けるなんて馬鹿げている。

 そんなもの、訊ねなくともわかってしまうんだから。優れているものは、生まれたときから優れている。それは、誰だって突きつけられることじゃないか。わからないはずがないんだ。

 だが、大きくなるにつれズルズルと粘っこくなっていく、ちっぽけな自尊心と虚栄心が、私を動かしてしまった。

 今日ほどに、胸が痛くなる日を知らない。


 名前が、作品が読み上げられていく。私は呼ばれない。

 痛い。ブラウスの中に隠れた心臓が、飛び出していきそうだ。

 拍手は止まない。

 たった数名の、顔の知らない誰かの作品を、他人事のように讃えているのだ。部門によっては、作品の内容すらわからない。惨めさしかなかった。

 作品を提出した。応募条件を満たしていた。私たちは、一様にあの舞台の上に居たはずだった。降りたつもりはない。だけど今、スポットライトの下に居るのは私じゃない。

 幕を下ろす舞台の観客席で、演者を見送ることだけが、私に与えられた役なのか。


「──みなさん、お疲れさまでした。これからも創作に励んでください」


 控えめな音を立て、人の気配がひとり、ひとり減っていく。配られた冊子には、すべての部門の、すべての投稿作品が載っている。それを広げて、頬杖をついた。

 冬休みの書き初めで、お手本そっくりの作品に、花飾りが付けられたように。印刷された作品集には、たしかに優秀と付けられるような作品がいくつもあった。カスタネットを奏でるように、てのひらを叩いた。

 

「おめでとうございます」


 つぶやいたひとり言が、冷やされた空気のなかで白々しく響いた。


 

 私は短歌を作った。

 この行為に、創作という名を冠することが間違いだった。私は思いつくままに、予測変換にしたがって、ことばと言葉をつなげていた。

 審美眼などないが、ことばの無意味さ、無力さはすぐにわかった。投稿する前から、ずっとわかっていた。張り出された掲示を見る度に感じた、あの確信が過った。


 私の歌には、美しさがない。

 美しさも醜さも、それを分けるのは非常に大変だ。醜いと感じることばを詠む度に、ただ心に触れることが怖い。傷痕をなぞるだけだ。美しさは曖昧で、ただ詠むだけでハッとするようなもののことだ。


 選ばれない、つまり負けた。

 いや負けた、というのは相応しくない。ことばの世界において、選ばれることの意味は、その存在に価値があるという一点のみなのだ。

 私の歌は、価値などなかった。ことばを集めることを気にして、三十一の音にはめた。短歌は、はめることが大切なのではない。

 この世界を、三十一で表すことができたとき、それは短歌となっているのだ。


 ただ、己の惨めさと、拍手の音への不気味さとに、呑まれてしまった。──この感情さえ、ことばに換えることはできないのか。無責任にも、己に落胆さえしていた。俯瞰する私と、負に呑まれる私が、別々に存在した。


 壇上に上がったことはない。赤いカーペットの上を歩いたことがない。そんな人が多数を占めるのに、私は苦しい。

 いや、悲しい、悔しい、恥ずかしい。適当な言葉のない焦げついた気持ちが、心をざらざらさせる。

 足が我が家を目指していた。走りたくなくて、とぼとぼ歩きたくなくて、不格好に動いた。

 見栄をはるときは、ためらいなく出かけていけるのに。気持ちが沈むと、いつだって家が恋しくなる。


 文芸部に入ったのは、私が形から入るタイプだからなのかもしれない。文芸部員という型にさえ合えば、何か優れたものが作れる気がしたんだ。しわの寄った、書きかけの原稿用紙をしまう。消しかすがはらりと舞った。

 たとえば、こうして小説を書くために原稿用紙を買ったり、姉からもらったスケッチブックにペットの絵を描いたり。とくに、中学生の頃は美術部に居たから、スケッチブックはよく使った。

 最後のページには、大作を描こうと考えていた。未完成のまま、いまは引き出しの中で眠っている。眠っているのなら、いつか目覚める。と信じて、引き出しを開けずにいる。ここにはきっと、もっと幼い頃に使っていたものさえ、ある。

 そういう、何かしまい込んだものが、いつも我が家に眠っている。気持ちが沈んでいくたびに、その何かを思い出す。


 詩が好きだ。

 ことばを重ねることが好きだ。口ずさむ度に、味の変わるキャンディのように、つらつらとことばを重ねることが好きだ。

 私の詩もまた、意味などなかったと、文芸大会で思い知らされた。詩も、短歌も、俳句も、選ばれなかった。含んだ飴は、溶けていくだけだ。


 題材はなかった。元から何もなかった。欲求だけが掌の上で温められていた。

 いつも、ことばの世界で過ごした後は、悔しさや惨めさがどっと溢れていく。そして名前のない感情が、ぐるぐる廻る。


 私は、選ばれたいわけではない。ただ、一度くらいはこの存在を、認めてほしい。しかし、この世界でそんな欲求は意味がないんだ。美しくないんだ。そのことを、ずっと突きつけられている。これを現実と呼ぶのか。


 スマートフォンで検索した、小説投稿サイト。作品の総数は七十万を超えている。今また、新着の作品によって数が膨らんでいく。誰が書いているかも、どうして書いているのかもわからない。

 だからだろうか。

 たくさんの星が輝くように。この世界は、ひどく眩しい。


 心の中の夜空をのぞいた。現実はまだ日が高かった。夜空には、幼いころに観たプラネタリウムの情景が、映し出されていた。そして帰り道。大きな手に包まれながら、流れ星を探していた。思い出に温度はなくて、綺麗だと感じたことだけが、ずっと心に残っている。

 星空の場面に戻った。

 プラネタリウム館内で、宮沢賢治の唄が流れた。星座が姿を現した。


 あかいめだまのさそり

 ひろげたわしのつばさ

 ひかりのへびのとぐろ


「オリオンは高くうたひ……つゆとしもと」


 泣いた。どうしようもなく泣いた。SNSで何度も目にした、TTの顔文字が、腐ってしまうくらいに。心がかき混ぜられて、ふたたび再生していくような。


「つゆとしもとをおとす」


 むかし見上げたらしい、冬空が頭を過った。目尻は乾かなかった。

 涙の理由はわからなかった。ただ、私にとっての美しさは、あのほしめぐりの中に隠されていると思った。詩も、短歌も、俳句も、ほとんど何もわからない私が、泣いたもの。幾度も思い出すもの。

 それを創り出せるまで、この醜い心に縋るしかない。

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