第56話 怒れる者

本日で第3章終了です。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


書籍の方もよろしくお願いします。



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 ◆◇◆◇◆ ネブリミア王国 ◆◇◆◇◆


「へっくしょん!」


 イカルズは王宮の廊下で盛大にくしゃみをかました。

 王宮に参宮したのは、実に1ヶ月半ぶり。

 テラスヴァニル王国が血眼になって彼の行方を捜していたにも関わらず、無事帰って来れたのには、理由があった。


「いくら海路への注意が散漫だったとしても、南の海路を使うのは、もうこりごりだな。寒くて仕方がない」


 テラスヴァニル王国からネブリミア王国へは普通、北の山道を通るのがベターである。しかし、イカルズは南へと下り、海路を使って東から回り込み、その後は馬車を乗り継いでテラスヴァニル王国の東側から帰ってきたのだ。


 山をくり抜いた大隧道トンネルがない頃には、テラスヴァニル王国へ行く唯一の手段であり、昔は毎日のように船が出ていたが、今は7日に1回航行している。

 そのため警戒は甘く、テラスヴァニル王国の衛兵たちはイカルズを自国内で取り押さえることができなかったのである。


 イカルズの後ろには、例の部下がいて、ネブリミア王宮に帰ってきてからは、ずっと下を向いている。その顔面は真っ青になっていた。

 時折、「私はなんてことを……」と頭を抱えて、罪の意識に苛まれている。


「まーだ、そんなことを言ってるのかよ。大丈夫だ。バレやしねぇって。あの毒は特別製だ。秘密を知ってるのはオレぐらい。向こうでしょっ引かれたらヤバかったが、ネブリミア王国に帰ってくれば問題ない」


 テラスヴァニル王国とネブリミア王国の間には、犯罪者の受け渡し条約があるものの、かなり厳密な手続きを取らなければならない。この場合、テラスヴァニル王国がイカルズとその部下を捕まえるためには、決定的な証拠の提示が必要になる。

 特に身分や上位職業であれば難しい。これはテラスヴァニル王国の王族も同様である。これは互いの民衆の間では、小さな不満の種になっていた。


 当然、イカルズはわかっている。だから、風邪を引いてでもテラスヴァニルから逃げる必要があったのだ。

 そして、自分の身柄を渡す条件として、使われた毒を特定する必要がある。

 イカルズは使用された毒が特定できないことに、絶対の自信を見せていた。


(まあ、いざとなれば部下こいつを差し出せばいいんだしな。オレは何もやってないし……)


 下を向く部下にくるりと振り返ると、イカルズは肩を叩いた。


「心配するな。何かあったら、オレが守ってやるよ」

「イカルズ課長……」

「さあ、帰るぞ。1ヶ月以上席を空けていたんだ。仕事が山積みになってるだろうよ」


 イカルズは意気揚々と、執務室わがやの扉を開けた。

 さそかし書類の山になっているだろうと思っていたが、そんなことはなく、むしろイカルズが出ていった時よりも、片付いていた。


「はっ?」


 イカルズは執務室の入口の前で立ち止まる。

 部屋を間違えたのかと思ったが、そうでもない。

 しばし呆然と部屋の中を眺めていると、書棚の前で書類をじっと見てる男を発見する。


 目が合うと、男から白い歯がこぼれた。


「やあ、イカルズ。久しぶりだね」

「もしかして、お前――――」

「ラザルさん!」


 明るい声を上げたのは、後ろの部下だった。

 先ほどまで死んだような顔をしていたのに、みるみる生気が戻っていく。

 イカルズの前を横切ると、握手を求めた。イカルズもまた「ラザル」という言葉を聞いて、ハッとなる。地方でたらい回しに合っていたイカルズの同期だった。


 わからないのも無理もない。如何にも坊ちゃんという感じの優男だった男が、すっかり陽に焼けてたくましく生まれ変わっていたからだ。


「ラザル……。お前、なんでこんなところに……」

「いなかったお前は知らないだろうが、また王宮勤務になった」

「王宮勤務??」

「ああ。……魔導局の局長だ」

「は? はあああああああああああああああ???」


 イカルズは反射的に声を上げた。


「驚くだろう。俺も最初驚いたよ。ラグリーズ局長が失脚したという話を聞いた後、陛下から手紙をいただいてね」

「へ、陛下直々に」

「びっくりしたよ。まさか陛下が、名もない南の島で原住民と魚と釣ったり、魔導具の使い方を教えたりしている俺を、魔導局の局長に抜擢するなんてな」

「ま、待て! お前は魔工師ではなかったはずだ。局長は王宮魔工師の中から」

「これを見ろ」


 ラザルは胸のバッジを見せる。

 それは王宮魔工師だけが付けることのできるバッジだった。


「いつの間に……」

「左遷先では仕事があまりなくてな。独学で勉強し始めたら、意外とハマってしまって。昨年こっちに帰ってくるタイミングで、内部受験したんだ。独学だったから、2、3回受けることは覚悟していたんだが、まさか1発で合格するとは思ってもみなかったよ」

「待てよ。王宮魔工師になって1年も経ってないヤツが、局長なんてそんなのありかよ!」

「俺もそう思ったよ。でも、陛下は俺が左遷先で学んだ人脈や知識を職務に役立ててほしい、と仰っていた。製造部長たちも後ろ盾になってくれるというし。応じることに決めたよ。喜んでくれるかい、同期として」

「え? ……あ、ああ。あ、う、うん。……お、おめでとう」


 イカルズはどう反応していいやらわからず、ともかく促されるまま祝意を述べた。


 ラザルは以前イカルズが腰掛けていた椅子に座る。

 局長代理、腰掛けであることはわかっていた。いつか誰かに椅子を譲る日が来ることは覚悟できていた。

 それでも、まさか自分が蹴落としたはずの同期が座るとは思っても見なかった。


「ありがとう。……ああ、そうだ。イカルズの私物はすでに整理させてもらったよ」

「そ、そうか。じゃあ、また課長椅子に戻るのか。その革張りの椅子も、割と気に入っていたんだがな」

「いや、イカルズが戻るのは、そこじゃない」

「はっ? どういうことだ?」

「その理由に答える前に、君に会いたい人がいてね。会ってくれないだろうか。はるばるテラスヴァニルからいらっしゃったのだ」

「テラ――――――。まさか――――」


 テラスヴァニルと聞いて、それまで余裕を見せていたイカルズの顔から血の気が引いていく。反射的に身構え、後ろを振り返ると、その甲斐はあった。

 何故なら、その者は大きな音を立てて扉を開け放ち、執務室に飛び込んできたからだ。


「イカルズ・ドーズ! 会いたかったぜぇ!!」


 踏み込んできたのはブラウマンでもなければ、頭に血を上らせたブラマーたちでもない。


 赤髪に、褐色の肌。炎のような赤い瞳を燃え上がらせた、如何にも野蛮な男だった。サメのような歯をギリギリと食いしばり怒りを漲らせた男の後ろには、テラスヴァニル王国近衛たちが立っている。

 それを見て、イカルズはピンと来た。


「ま、まさか……。あんた――――あなた様は、ぎ、ギンザー王子殿下!!」


 テラスヴァニル王国の第二王子。

 以前、ここに滞在していたシャヒルの兄だ。


「ほう! オレ様を知ってるたあ、博識だなあ。まずは及第点をやろう。でも、お前の臭い口で、オレ様の名前を呼ぶな」

「ひっ! す、すみません。で、でも、なんでテラスヴァニル王国の王族が……」

「そんなこともわからないのか? お前をテラスヴァニル王国に送還し、我が国の法律に則って、刑に処すためだ」

「は、はあ? ……な、なにを仰っているやら?」

「しらばっくれるのか? よーし。良い度胸だ。よく聞け。ここではオレ様はお客様だがな、テラスヴァニル王国では王族はいわば頂点なんだ。神に等しいと言ってやろう。そして法律上な王族に対する偽証は重罪だ。死ぬことはないが、一生マズい飯を食うことになるから、もう少し慎重に喋れよ」


 ギンザー王子はまくし立てる。

 イカルズが部下や、あるいは立場が下の者にやって来た詰問と同じだ。

 いや、相手は王族。その権力はイカルズの比ではない。

 テラスヴァニル王国に引き渡されれば、その気になれば八つ裂きすることだって可能かもしれない――そんな相手なのだ。


 ブラウマンは時折その容姿から〝死神〟などと揶揄される。

 だが、そんなブラウマンが可愛く見える程、ギンザー王子の怒りは恐ろしいものだった。


「お前、ブラウマンに毒を盛ったよな」

「……い、いいえ」


 かろうじて答えた。

 嘘は言っていない。そもそも毒入りの酒を持っていたのは部下。

 そして、それを飲んだのはブラウマンである。

 ブラウマンがライブ前に高い酒を飲むことは知っていて、その上で部下に酒を持たせたわけだが、それでも自分が毒を盛ったわけではないことだけは、確かだった。


「てめぇが差し入れた酒から毒が検出されてるんだよ」

「な、何のことか……。オレにはさっぱり。部下に聞いてくださいよ」


 怒りに燃えるギンザー王子の瞳が、横で今にも卒倒しそうなイカルズの部下に向けられる。万事休すとばかりに、部下は周囲を見渡すと、かつての上司であったラザルと目があった。


 ラザルは頷くと、部下は途端何かを悟り、ネクタイを整える。


「確かに酒瓶を持っていたのは、私です。ですが、その酒を用意したのは、イカルズ課長です」

「ほ~~~~……。だってよ、イカルズ課長」

「て、てめぇ!」


 イカルズは睨んだが、部下を叱っている場合ではない。

 赤い髪をした死神が迫ると、イカルズは何か見えない手に押されるようにそのまま後ろに退がる。執務室を横切ると、あっという間に壁を背にすることになった。その彼の首の横を、ギンザー王子の張り手が通り過ぎると、ドンッと音が響く。


「や、やっぱりお前じゃねぇか」

「ち、違う! し、失礼だが、ギンザー王子。あなたにはこの国での捜査権がない。今こうしてオレを脅しているのも、立派な犯罪だ。いくら王族でも……」

「黙れ」


 たったそれだけで、饒舌なイカルズが黙ってしまった。

 魔法にかかったのかと思うほど、あっさりとだ。

 それほど、その声には圧迫感があった。


「オレはな。楽しみにしてたんだ。ブラウマンのライブをな」

「え? じゃ、じゃあ……。ブラウマンを呼んだっている王族は……」

「オレ様だよ。なんか文句あるか?」

「い、いえ」

「なのによ。クソ野郎が台無しにした上に、オレ様は国境警備に急ぎの手紙と検問の手配をしなくちゃならなくなった。おかげで楽しみにしていたライブを、最後の8分間しか見ることができなかった。ブラウマンの復活ライブになると思ってた。オレ様そう信じていたんだ。そして、それが事実になり、伝説になった。でも、何故だぁ? そんなライブを見られなかったのは、誰のせいだ!!」

「それはお気の毒に……。ですが、ブラウマンに毒を盛ったのも、殿下が好きなブラウマンのライブよりも職務を取らざる得なかったのも、オレじゃありません」


 イカルズは徹底して否定した。

 たとえ、拷問されても吐く気はなかった。

 ただ1点、ギンザー王子が証拠を提出するまでは……。


「へぇ~。お前、なかなか肝が据わってるな。オレ様の追及を受けて、ここまで認めないヤツは久しぶりだ。ネブリミア王国の課長になっただけはある」

「な、何をするつもりですか?」


 その言葉は自然と吐いて出た。

 事実、ギンザー王子が何か仕掛けようとしていることは明白だからだ。

 しかし、イカルズのスタンスは変わらない。徹底否定だ。


「わかった」


 ギンザー王子は壁から手を離し、そしてイカルズからも離れた。

 これで終わりかと思ったが、ギンザー王子は言った。


「お前、ネスカって知ってるな」

「…………!」


 イカルズの顔は強ばる。


(なんで、テラスヴァニル王国の王族がその名前を知っている?)


 なるべく表情に出さないようにしたが、ギンザー王子にその動揺を悟られたかどうかはわからない。

 そのギンザー王子は話を続ける。


「とある孤島に住む原住民が、狩りをする時に使う痺れ薬のことだ。動物の行動を止める効果がある。もちろん人間にも効くし、容量によっては死に至る可能性もある」

「はあ……。そう、なんですか?」


 イカルズがやはり白を切る。

 感覚がすぅと消えていく。頬を伝う汗すら重く感じる。

 まるで自分がネスカの毒に冒されたかのようだった。


「お前、ここに来る時は王族御用達の御用商人だったんだろ? 王族を喜ばせるために、あちこち国や島を渡り歩いていたそうじゃないか。……ネスカを知った時はその時だろ」


 そう言って、ギンザー王子は後ろの近衛に合図を送る。

 近衛が持ってきたのは、イカルズが部下に預けた酒瓶――――つまり、ブラウマンが飲んだ蒸留酒だった。


「その知識を頭に入れた上で【鑑定】したら、毒がネスカだと判定された。どんな医学書に載っていない毒だ。知っているのは、お前と原住民ぐらいだろ。これでも白を切るか?」

「何故だ!?」


 イカルズは叫んだ。

 執務室の硝子がビリビリと動くほど大きくだ。


「何故、その毒のことを知っている。あの原住民は未開人だ。ほとんどオレたち文明人と交流がない。オレだって、原住民とコンタクトを取るのに時間がかかったのに。なんでテラスヴァニル王国の王族が知ってんだよ!!」


 ついにキレたイカルズは、とうとう本性を見せる。

 しかし、大鬼のギンザー王子に対して、背丈の上でも迫力に劣る。

 精々小鬼という程度であった。


「私だよ。イカルズ……」


 不意に告白したのはラザルだった。


「は? お前が……」

「私もその原住民と接触したんだ。たまたま左遷された土地の近くに彼らが住んでいたんだ。そこで君のことと、ネスカという毒のことも聞いた。それでピンと来たよ。君の周りでは、随分と体調を悪くする人間が多かったようだね。それで職を追われたものもいた。……私もそうだ。君に毒を盛られたことを知らずに、あの日無理して会議に出たばかりに」


 ラザルは目を伏せ、今1度自省する。

 話を聞いて笑ったのは、ギンザー王子だった。


「ははは……。まさに自業自得だな。自分で蹴落とした相手に、回り回って蹴落とされるなんて」


 ギンザー王子は再び近衛たちに合図を送る。

 腰砕けになり、床に座って放心状態のイカルズを立たせた。


「すでに我々は君の引き渡しの書類にサインをしている。国王も了承済みだ。……残念だよ。もし君が真実を話してくれるなら、減刑もお願いできたものを」

「満足かよ、ラザル。オレが犯罪者になることが。嬉しいか?」


 ラザルの話を聞いて、何かイカルズの琴線に触れたらしい。

 顔を上げると、急に声を荒らげる。

 獣のように吠える同期を見て、ラザルは悲しげに首を振った。


「原住民と初めてコンタクトした時、私は殺されそうになったんだ。しかし、その時咄嗟に君の名前をだしたら、彼らは急に友好的になったくれたよ。君には助けられた、間接的だけどね。これはなんか皮肉じゃない。私は本当に感謝してるんだ。君にあって、私になかったものを各地を回って手に入れることができたんだからね」


 イカルズの姿が執務室から消えていく。

 ゆっくりと締まる扉を見ながら、ラザルは呟いた。


「さようなら。私の唯一の同期よ」





 こうしてイカルズ・ドーズはテラスヴァニル王国で服役することになった。

 罪状は殺人未遂、許可されていない毒の使用、さらに王族に対する偽証が加わり、禁固60年の刑が言い渡された。

 さらに王国議会はイカルズが広告塔であったブラウマンさんとの契約を一方的に反故にしたと判断。ネブリミア王国の顔である魔導具の販売に大きな影響を与えたとして、イカルズとその親族に対して損害賠償を求め、直ちに履行された。


 それによって、商家であったドーズ家の悪行が白日の下にさらされ、ドーズ家は滅亡していく。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


ここで一旦クローズさせていただきます。

改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございます。

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まだ書いてみたい話や、続刊などが決まれば続きも更新する予定です。

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王宮錬金術師の私は、隣国の王子に拾われる ~調理魔導具でもふもふおいしい時短レシピ~ 延野 正行 @nobenomasayuki

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