店主 柿ノ木 富実丸 

 貸本 雨文字堂の店主柿ノ木 富実丸(カキノキ トミマル)はボロボロの屋台自転車を押しながら歩いていた。

「今日はどこに行きましょうかね・・・それとも一旦、家に帰りましょうかね・・」


富実丸は先ほど手に入れた硬貨を指で空中高く指で弾いて戻って来た硬貨を口でキャッチしてそのまま飲み込んだ。

青白い光が富実丸から出て消えた。


「フム、絵・・・これで本に挿絵が描けるかな。これでまた店が繁盛するぞ」

富実丸は嬉しくて口元を綻ばせた。



彼は人の世の者ではない。人の言葉を借りるなら妖怪とか妖とか異界と呼ばれる場所で生まれた。

苗字は縄張りの中にある大事な柿の木から。一族は広大な敷地を縄張りにしている妖の世界でも名家であった。柿は干せば保存食に、旬の季節には腹を満たしてくれる大事な存在だった。そこから苗字をもらい柿ノ木とした。

祖父や祖母もいるが長くなるので割愛する。

父は化狸、母は化狐。兄弟は十五人いて、彼は十三番目に生まれた。

上から壱丸、富士丸、三ツ丸、士郎、五月、緑、七海、八重、九郎、富和、純一、圭、富実丸、俊子、藤五郎。

兄弟の半分は縄張り争い、流行り病によって命を落とした。

富実丸はいつも書物を読んで過ごすおとなしい子だったが、病や縄張り争いで悩み苦しむ家族の様子をその様子をいつも目の当たりにして来た。

その都度、知っている書物の中に解決策はないか、心を和ませるものはないかとより一層読むこと新しいことを知ることに夢中になった。


富実丸が成人して間もなく、優秀で次の一族の長になるであろう次兄の富士丸が隣の縄張りのイタチ共にだまし討ちに遭い、命を落とした。

長男の壱丸は流行り病で幼い頃にすでに亡くなっていたため、実質跡取り候補の富士丸の死に両親の嘆きは尋常ではなかった。

富士丸は食べ物が少ない時にも自分の分を富実丸や他の兄弟に分けてくれるような優しい兄だった。

そんな兄を失った富実丸はショックを受け、自分が変わりにイタチのところに行けばよかったとさめざめ泣いた。

他の兄妹たちも烈火のごとく怒り、イタチ共に敵を取るために人の世から毒や火縄銃を手に入れてくると出かけて行った三男の三ツ丸は行方知らずになった。


こちらの世でも縄張り争いは絶えず、常に他の一族より有利に立ちたいと日々小競り合いを繰り返しが続いていた。

妖術や化かし合いで済んでいるうちはまだよかったが、この百年で状況は大きく変わった。

人の世と通じる扉への通行許可が緩くなり、活発に妖が人の世に渡るようになったのだ。

その結果、こちらの世で人の世の物を使う妖が現れたのだ。

ある時は大量の紙に誹謗中傷、嘘、名誉棄損を書き連ねてあちこちにばらまいて信用を失わせる。

そんなものはまだかわいいもので、小さな火縄銃で邪魔な一族の長を狙う。

大量の毒で一族もろとも命を奪う。大きな火薬玉で家ごと吹きとばす。

縄張り争いというよりは戦争状態に近い状況になりつつあった。


柿ノ木一族は名家だったため、真っ先に狙われた。

隣のイタチ一族、天狗、鬼の一族に囲まれている柿ノ木一族は三方攻めに遭った。

イタチ一族の人の世の武器の威力はすさまじく、あっという間に追い込まれた柿ノ木一族の縄張りは縮小の一途を辿り、大切にしていた柿の木も敢え無く焼失してしまった。

あっという間に縄張りは

ほぼ壊滅状態の一族を救うため、五月、八重はそれぞれ天狗と鬼の一族に嫁に行く羽目になった。

 

 次兄の死・姉たちの輿入れ以降、家があるだけでヨシとしていた富実丸だったが、ある日、焼け焦げた柿の木の下で人の世の本を見つける。

火付けにでも使われたのだろうか。

『雑草図鑑』と題された本と、『(焼けて読めない)増やし方~基礎~』

思いがけず拾って持ち帰り、中を眺めてみると知らない植物、知らない言葉であふれていた。

どちらの本も半分以上焦げていて読むことができなかったが、富実丸の好奇心を刺激するのには十分だった。

縄張り争いの道具を調達する以外に能がないと思っていた人の世の事をもっと知りたいと思うようになった。


そこからの行動は早かった。

兄を探すため、この状況をひっくり返す情報を得るため、食い扶持を減らすため・・・富実丸が家を出て人の世に渡る理由は十分にあった。

父も母も心配こそしたが、止めはしなかった。

それほどまでに追い詰められていたのだろうと思う。

人の世に通じる扉への許可を得るのも腐っても名家なんとか許可証を入手し富実丸は晴れて人の世に行くことができるようになったのである。


 人の世に出て来たのはいいものの、知らないことが沢山あった。

知らない物、知らない言葉、知らない建物・・・。

書物で読んでいたもの、聞いていたもの・・・全く違う。

長屋なんてないし、”びる”とか”まんしょん”とか様々な呼び方の住む家にまぶしい街灯に照明ネオン車の明かり・・・光の数々に食べ物の種類の多さ・・・。


富実丸は何も何も知らない自分に愕然とした。

そして、とにもかくにもこの人の世の暮らしを知ることから始めることにした。

人に化けるのは簡単だったから、あっという間に人に化けた。(服装には相当頭を悩ませた。)

それっぽく人になりすまし、人間の言葉、衣・食・住を学ぶために妖と関わりのあったであろう人間の臭いを辿りその人々から話を聞いてそれを聞き取って紙に書いた。

思ったより妖と関わりを持った人間は多く、話を聞くのは簡単だった。

人間の生活を聞くのは妖と同じところもあり、違うところもあり大変興味深かった。


行商人として人間に妖とのかかわりを本として読ませ勝手ながら代価として術で人の得た知識と経験の一部を硬貨に変えて頂戴することにした。


 人間は富実丸が思っている以上に興味深かった。

助け合うこともあれば、だますこともある。必死になることもあれば、驚くほど怠惰で何もしないこともある。孤独が嫌で、だけど大勢でも疲れて、相反する部分を抱えながらそれでも日々をたくましく生き抜いていた。

自身の充実のため、誰かのため、金のため・・・理由はそれぞれだが日々努力し、自分が力を奪ってもそれを恨む訳でもなく、取り戻そうとまた立ち上がって経験を積みそれ以上の経験を得て行く。


縄張りを広げるため、いかに他の一族を蹴落とし滅ぼすことにしか興味のないあちらの世界が滑稽で情けなく感じた。

人の世は面白い。いつかこちらの世のすべてを、知り尽くしてみたい。

そしてどうにもならない自分たちの一族の世をなんとかしてみたい。

富実丸はそんな気持ちになっていた。


「やはり、いったん家に戻って、この本に”いらすと”を足しましょうかね・・・。」

富実丸はどんな絵にしようかワクワクしながら自転車を押す。

自転車にはまだ乗れない。だが、そう遠くないうちに乗りこなして、”くるま”という鋼の車みたいなやつにしてみたいと富実丸は考える。

知りたいことは山ほどある。


家族には悪いが富実丸はじっくり人の世を巡って行こうと決めている。

貸本 雨文字堂の繁盛はここから続いていくのだ。


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貸本 雨文字堂 くもまつあめ @amef13

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