おばあちゃんの火遊び

生津直

おばあちゃんの火遊び


「やっぱ公務員だな。就活も一応するけど」


「千佳ちゃんは堅実だもんねえ」


「もちろん。危ない橋は見てるだけで十分」


「あら、お母さんきっとくしゃみしてるわ」


 母は服飾ビジネスを営んでいる。今は成功しているが、最初の二社は失敗に終わった。三度目の正直、と言えたからいいけど……。


「おばあちゃんもハラハラしたでしょ?」


「そうでもないかな。そこでちゃんと決めるのがお母さんだから。おじいちゃんの血ね」


 祖父はこれまた無鉄砲な人で、酒、博打、女を渡り歩きながら不動産投資にのめり込み、どん底を経て最後にひと財産を築いた。


「おばあちゃん、相当苦労したよね」


「ま、口喧嘩は絶えなかったわね。家庭が大事じゃないの、って何度泣きわめいたか。でも、おじいちゃんたら平然と『山師たる者、失うもんがでかいほど燃えるんさ』だもの」


「いい反面教師だなあ」


「おじいちゃんやお母さんには、ああいう生き方が合ってるのね。性分ってものがあるから、あなたはあなたらしく。いつか冒険したくなったら、そのときにすればいいわ」


「うーん、したくならないと思うけど」


 ほほ、と祖母はおかしそうに肩を揺らす。


「生まれついた星の下から、一歩逸れたくなることもあるわよ。まだまだこれから」


「おばあちゃんは? 逸れたことある?」


 ふふん、と意味深な流し目。


「なになに、もしかして浮気とか?」


「違うわ。去年の日本一周を思い出したの」


 日本一周。それは、就活を控えた私を見て急に終活を思い立った祖母が決行した、本人いわく“死に支度の旅”だ。


「確かに、チャレンジだったよね。その年で一人旅ってだけでもすごいよ」


 しかし、祖母の笑みには見逃せない含み。


「もしかして、一人じゃなかった、とか?」


 ふふふ。ふっふふ。


「うそお! 何? 恋人⁉」


 祖父は数年前に亡くなっている。


「まさか。途中で素敵な人に会っただけよ」


 だけと言いつつ祖母の口元は緩む。問い質すと、少女のように頬を染めて語り出した。四十七都道府県のうち十二県目でのこと。


「ジェットコースターに乗ってみたかったの。これが最初で最後になると思ってね、勇気を出してチケット買って、並んで……」


「ええっ? 遊園地に行ったなんて初耳!」


「でも、あれって年齢制限あるのね。今思えばバカみたい。ちょっと考えればわかるのに。それでしょんぼりしてたらね、近くで同じように肩を落としてる老紳士がいたの」


「うんうん、それで?」


「ここで怯んだら終活がすたると思って、思い切って声をかけたわけ。そしたら案の定」


 同じ時刻に同じ場所で年齢制限に阻まれた二人。すっかり意気投合し、ならばと頭を切り替え、乗れるものを一緒に探した。


「メリーゴーランドとか、ゴーカートとか」


「それ、もうデートじゃん!」


「そんな気分だったわねえ。気がついたら日が暮れてて、最後に観覧車に乗ったの。夜景を眺めながら、彼の事情を聞いたわ」


 余命半年。彼は実に切実な終活中だった。


「バチが当たるわね。あたしったら、こんなに元気なくせに『死に支度』だなんて」


 運命的に出会った八十代の二人は、残りの三十五府県を共に旅した。バスや電車に乗って、食事してお喋りしただけ、と言うが、それを真に受けるほど私も子供じゃない。


「最後の沖縄は二人とも初めてでね。浜辺で夕日を見ながら、お葬式に呼ばれたの。死んだら親族が連絡するから番号を教えてって」


「何か怪しくない? 余命宣告って本当?」


「本当だったのよ。半年後に連絡が来たの」


「……行ったんだ」


「行ったわ。で、腰を抜かしそうになった」


「……なんで?」


「実は、特別な地位のある人だったみたい」


「何、政治家とか?」


 静かに首を振る祖母は、詳しく明かしてはくれそうにない。


「偉い人のお葬式かあ。写真とかある?」


「あるわけないでしょ。持ち物検査されて、携帯は預かられちゃったし」


「もしかしてその人、小指がなかったり?」


 ぶふっ、と祖母がお茶を噴く。図星かよ!


「すごい! おばあちゃん、ヤクザのお葬式に出ちゃったんだ!」


 しぃーっ、と指を立てても、もう遅い。


「お母さんには内緒よ」


「わかってるって」


「そうだ、千佳ちゃんの好きな……」


と出されたのは、いつものどら焼き。


「やったあ! 待ってました!」


「新発売の梅餡もあるの。どっちにする?」


 いたずらっぽく目配せする祖母の意図を、私は察した。迷わず大好物のこし餡に手を伸ばす。


 私に冒険は、まだ早い。






        [了]




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