第4話 サガの罪

 アパートまでの帰り道を並んで歩いた。依然として二人は無言のままだ。グランパからアパートまでの約15分間、れもんは自分のつま先を、サガは並木の街路樹を見つめただ歩く。




 やがてアパートに着いた。ドアの前でサガが立ち止り、




 「さっきも言ったけど本当にありがとう。ご飯美味しかったし、楽しかった」




 とれもんに向き合い言った。れもんはうつむいている。




 「パフェ一つじゃお礼が足りないくらいだよ。今までありがとう」




 最後くらいは笑わないと、そう思いサガはれもんに笑顔をつくった。じゃあ、といい背を向けると、サガの左腕を、れもんががしっと掴んだ。




 「見捨てるの?」




 サガは驚いた。腕を掴まれた強さに。れもんの語気の強さに。




 「何にも話さないで、自分だけ逃げるの?」




 「見捨てるなんて…」




 「さっきだって、お店の人にアルバイトしないかって誘われていたじゃない。お母さんだってサガのことを心配しているし。そうやって自分が関わってきた人たちの前から勝手にいなくなるの?」




 サガはうつむいた。確かに自分は逃げている。




 「ちゃんと話してよ。聞くから。わからないかもしれないけど聞くから、黙ったままいなくならないで」




 れもんはここまで言うと、恥ずかしいのと悲しいのとで顔が赤くなった。かつて10歳の頃から自分が吐き出したくて、それでも吐き出せなかった言葉を、気づくとサガに言っていた。




 少し黙った後、サガは真剣なまなざしで




 「信じられない話かもしれない。それでもいい?」




 と訊ねた。サガのことならどんなことでも受け入れようと、一晩かけて決意したれもんは、頷くだけだった。




 「俺の部屋に来て」




 




 サガの部屋はれもんたちの部屋と、お風呂場、トイレの位置が対称になっているだけで特に変わりはなかった。しかし、冷蔵庫、食器棚、布団一組があるだけで、部屋の中には生活感が無かった。




 サガは冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出すと、一つきりのコップをすすぎ、れもんに差し出した。




 「とりあえず、座って。座布団なくて申し訳ないけど」




 れもんとサガは畳の上に直接座った。畳の部屋はれもんが自宅で自室として使っている部屋である。窓には障子がはまっており、同じ造りなのにどこかサガの部屋の方が古びて見えた。




 「どこから話せばいいか、俺にもわからないけど。とりあえず、俺がどうやって生きてきたかそこから話していこうと思う。長い話になると思う」




 「いいよ。どんなに長くても聞くから」




 学校もサボってしまったし、今更時間を気にすることはない、とれもんは思った。




 ありがとう、とサガは少し微笑んで、食器棚から古いアルバムを取り出した。




 アルバムはとても大きく紙でできている。紙の表紙の上に、透明のフィルムがかかっているが、所々フィルムが浮き、破けている。




 サガは丁寧にページをめくり、れもんに写真を見せた。写真は白黒のフィルムで、まだ四つん這いの子供が映っている。目がびっくりするぐらい大きく、黒い髪は巻き毛だ。そういえば目の前のサガも、柔らかそうな黒い癖毛だ。




 「これが昔の俺。生まれたときはブカレストっていうルーマニアの首都にいた。母もその首都にある大学で働いていた」




 これが母だよ、とサガはページを一枚戻した。そこには女性が大学の学帽をかぶり、手に証書のような筒を持って一人映っていた。




 女性はあまり大きくない瞳をしていた。頬骨が出ていて、どちらかというと男っぽい顔つきだった。




 「似てないのね」




 「自分でも思うよ。誰かに言われたのは初めてだけど」




 サガは懐かしそうに目を細めた。




 「母はルーマニアの農村で暮らす人々を、日本の大学で研究していた。研究のために移住したんだけど、母もまさかこのままルーマニアで暮らすことになろうとは思わなかったんじゃないかな」




 「どうして日本に戻らなかったの?」




 「俺を身ごもったから」




 サガは母の写真からページをすすめ、また新たな写真を見せた。少し成長して3歳ほどになったと思われるサガの写真だった。




 「どういう経緯で、俺の父と知り合ったのかは知らないけど、俺は父の顔を知らないまま育った。それが不自然なことだと思わなかったし、母も俺を一生懸命育ててくれた。それでもだんだんと母は思いつめるようになる」




 サガは一度、言葉を止めてから、また語りだした。




 「あるとき母が4歳になった俺にこう言ったんだ。あなたは普通の人間ではない、って」




 れもんも緊張する。サガの声が震えていた。




 「母は俺の唇を持ち上げて、俺の犬歯をむき出しにした。普通の人間はこんな牙は生えていないし、母親から血を貰うこともない」




 サガはれもんをまっすぐ見つめた。




 「あなたにはストリガの血が流れている。あなたの父親がそうだったように」




 大事なことを告白しているらしい、ということはれもんも理解していたが、肝心の言葉の意味がわからなかった。




 「ストリガって何?」




 「ルーマニアに伝わる化け物の名前。確か日本では吸血鬼って呼ばれるはず」




 れもんは混乱した。




 「つまりサガは、吸血鬼のハーフっていうこと?」




 「まあそうなるんだろうね」




 にわかには信じられない話だった。物語の世界に親しんでいるれもんでも、急に受け入れられる話ではない。




 「血がないと生きられなくって、処女の血を求めていて、不老不死っていうあの吸血鬼?」




 「物語の世界ではそうなのかもしれないけど、俺に当てはまるのは血がないと生きられないってことだけだと思う」 




 もう少し、話を続けていい?とサガが寂しそうな顔で言う。れもんは手を上にして、どうぞの仕草をする。




 「俺が大きくなってからも、母から血を貰う生活は続いた。昔は直接貰ってたけど、俺が恥ずかしがるようになってからは、注射器で血を母が採り、それを貰うようになった」




 サガが再び立ち上がり、食器棚から古いビンを持ってきた。




 「これに血を溜めてたんだ。それは母が亡くなるまで続く」




 「だけど、ある日事件が起きた」




 ここでまだサガが語りを止めた。れもんも気を落ち着かせようとコップからお茶を一口飲む。 




 「俺を生んでから、母は俺が人目に付かないよう農村に移り住んだ。母が仕事に行っている間も家にいるように言われて。その頃俺は成長期で、母から血を貰っていても度々倒れるようになった。体の成長に血の量が追い付かなかったんだね。意識を失うこともあった」




 「ある日、事件が起きた。森の中で村の男が亡くなっていた。見つかるのが遅かったから、死体はオオカミに食い荒らされて、死因はわからなかった」




 れもんは少しうつむいた。先ほどからサガの話を聞いていて軽い吐き気がこみあげていた。




 「この事件は小さな村を駆け巡った。当然俺たちが住んでいた家にも聞き込みに警察官が来る。俺はそんなときクローゼットの中に隠れていたよ。だがいつまでもそんな生活を続けるのにも無理があった。何より母は自分の息子が犯人ではないかと、疑っていたから」




 「それは違うんじゃない?」




 れもんは思わず口にした。




 「そうかもしれないけど、俺自身も自分を信じることが出来なかった。意識が無くなっている間に、夢遊病みたいにふらふら森を彷徨って人を襲ったのかもしれないって」




 サガは両手で顔を抑えていた。サガ自身が語ることで、今自分をひどく追いつめているとれもんは感じた。サガの頭を、包んで抱きしめたい衝動に駆られた。




 「というわけで、俺たち親子は逃げるように日本に戻ってきた。日本に戻ってから一度だけ、俺のおじいさんとおばあさんに会ったことがある」




 「どうだった?」




 「孫と娘に会うことが嬉しいって感じではなかった。見るからにルーマニア人の血が流れてる孫を見て、戸惑ってたよ。自分の娘がルーマニア人に孕まされた挙句、未婚で子供産んで戻ってきたことにショックを受けてた」




 れもんは切なかった。れもんは香子の親である祖母、祖父に可愛がられた過去があるが、サガにはそれがない。




 「日本でも二人で暮らすしかなかった。俺たち親子に居場所はなかった。母はその頃研究職をやめていて、スーパーのパートをしていた。母は俺が大きくなるにつれ追いつめられていくみたいだった。化け物の子を産んだ自分を責めるみたいに。俺から見ても精神を病んでいるのははっきりわかった。やがて俺が必要としない量の、血を注射器で抜くようになった。健康に悪いからやめてって言っても、注射器で血を抜く行為をやめてはくれなかった。ある日、母がお風呂に入っていて、なかなか出てこなかった。あんまり長かったから、思わず扉を開けると母が倒れていた。腕から大量の血が出ていた。失血死だった」




 あまりにもサガが淡々と話すので、それが結末だとれもんはしばらく気が付かなかった。




 「それで?その後はどうしたの」




 「警察は精神を病んだ末の自殺ということで、片付けた。家のものも全て売ってしまって、俺はこの町に来たんだ。人生をやり直すために」




 れもんはため息をついた。れもんが知りたいと願ったサガの人生は、他人がずかずか踏み込むべきものではない。サガの寂しそうな微笑みの理由がわかる気がした。




 「一人になって試そうと思ったことがある。自分が血液を断って、どのくらい生きられるか。本当に自分は化け物なのか、母がそう思い込んでいただけで、本当は普通の人間なんじゃないかって」




 「うん」




 「でも無理だった。体が言うことを聞かないんだ。それでも人間の理性で、人を襲うことだけは避けようと頑張った。その結果が昨日みたいな出来事になってしまった」




 「そう」




 「怖いところを見せてしまって、本当にごめん。もうこの町にもいられない」




 「次はどこに行くつもりなの」




 「どこか都会に行こうかな。人に紛れて生きるためには、人の中に隠れるのが一番だからね」




 れもんは全てを話終えたサガが、自分の前から本気でいなくなろうとしていることを悟った。




 「ひとつだけ聞いていい?」




 れもんがサガの話を聞き、一番知りたいことがあった。

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