第3話 パフェの底が見えるまで
あれから明け方までサガは駅のそばの公園にいた。れもんに血を吸い取る姿を見られ、猫に逃げられてから、サガも住宅街から離れた。
公園の時計は8時を少し過ぎている。登校する学生や、通勤する人々が公園の木々の間から見える。サガは公園の水道で洗い流した、血の付いたシャツの襟を隠すように握りしめた。
今日ほど自分の呪われた体を、疎ましく思うことはなかった。これまでサガの秘密を知る者は、この世に母一人しかいなかった。母が亡き後、自分だけが抱えていた秘密を一番知られたくない形で晒した。
サガはこの町にくるときに決めた決まりを、今にも破りそうだった。自分のために泣くまいと決めて、今泣こうと思い、公園のベンチから空を見上げると、涙は瞳の上でとどまった。
今自分は泣くよりもしなければならないことがある。この町で暮らせないのなら、町を離れる準備をしなければ。
どうしてもサガには生きていく理由があった。母を思うと、のたれ死ぬ日が来るまで、自分から生きることを手放せない。
少し時間が経ってから、アパートに戻ろうと決めた。ベンチの上で、瞼を閉じると、太陽の光が瞼越しに感じられるほど、眩しかった。
公園の時計が10時を過ぎたタイミングで、サガはアパートまで帰った。アパートの二階に上がるため、鉄の錆びた外階段をカンカンと駆け上がる。上がり終え、自室に入ろうとカギをがちゃりと回すと、回したタイミングで勢いよく隣のドアが開いた。
「…びっくりした」
ドアにはれもんがいた。怒っているような、焦っているような表情でサガを見つめる。恰好はいつもの制服姿だ。
「今日学校はどうしたの?」
「休んだ。ずる休み」
サガはきまり悪そうにれもんから視線を外す。なんて言葉をかければよいか、わからなかった。
「あの猫がどうなったか気にならない?」
黙っているサガにれもんが告げる。
「今日学校行く前に、昨日の道に寄ったの。お巡りさんが保護してくれて、動物病院に連れて行かれた。今まで保護された動物は、野良だったら飼い主探しまで動物病院でしてくれるんだって」
サガは目を丸くして、れもんを見つめた。
「それだけ言おうと思って待ってたの。本当にそれだけ」
じゃあ、といって部屋に戻ろうとするれもんの腕を、サガは掴んだ。
「ちょっと付き合ってくれる?」
今度はれもんが目を丸くした。恐る恐る
「どこへ?」と訊ね返す。
サガはれもんを連れてグランパへやって来た。店は平日の開店直後なので、まだだれも客はいない。
「いいねえ。平日の午前中からデートですか」
北がカウンターからにやにやして言う。サガは苦笑いして、北に片手をあげる。れもんは真顔のままぺこりと北に会釈をする。
二人は窓際のテーブル席を選び、座った。
「何か甘いものでも食べない?俺が出すから好きなの選んで」
れもんにメニューを差し出すと、れもんはデザートのメニューからフルーツパフェを選んだ。
注文してからややあって、テーブルにパフェが置かれた。パフェは八重咲のチューリップのように口が広がるグラスに入っていた。缶詰の桃、サクランボ、バナナ、ぶどうが飾られ、生クリームがたっぷり絞られている。
「いただきます」
れもんはパフェを柄の長いスプーンですくい、食べた。かつて父、母と行ったファミレスのパフェのような懐かしい味がした。
サガはコーヒーを頼んで、すすっている。時々カップに口を付ける以外は、よく日の当たる外をぼんやり眺めていた。わざとれもんの方を見ないようにしているようだった。
お互いに一言も話さないまま、パフェを食べた。一口一口食べるごとに、もうサガとはこれきり会うことはないのかもしれないと、れもんは感じた。
食べるごとに、スプーンが底に近づく。食べ終われなければいいのに、と思いながら、れもんは食べすすめた。
「ごちそうさまでした。美味しかった。ありがとう」
パフェの底は古式ゆかしくコーンフレークが入っていた。綺麗に食べ終えると、れもんはサガにお礼を言った。
「これは俺からのお礼なんだ。こっちがありがとうって言わなきゃいけない」
レジで会計をすませると、二人の沈黙にならって黙っていた北がサガに話しかけた。
「日雇いの仕事もいいけど、もしよかったらこの店でバイトしない?給料は安いけど」
サガには願ってもみない話だった。これが昨日までなら、二つ返事ではいと言っていたところだが、今のサガには
「考えてみます」と言うのが精一杯だった。
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