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そうそうキリンハウス。あそこ取り壊したんだよ。先月の真ん中くらいだったかな、業者入ってさ。お前知らなくってもしょうがない、だってわざわざよその建物壊したからって連絡するのもあれだろ? 昔みたく実家住んでたんならさ、ご近所のことだから知らせたかもしれないけど、今俺が住んでんのここだしさ。地区も違うから近所って訳でもないしな。知らなくても困らないことなら知らない方が楽だしさ。
いや、お前が初めてだよ。俺もこないだ越したばかりだからな。仕事しながら荷解きしてたから、先週まで人を呼ぶどころじゃなかったしな。だから、よその部屋あんまり見るなよ。お前呼ぼうってなったからどうにか格好だけつけたとこもあるからさ……使わないとこに
しかし、一戸建て借りて良かったよ。いい年して実家住まいってのも格好つかなかったしな、中古だけども綺麗なもんだろ。伯父さんの紹介だから、安いし広いし気に入ってんの。こうやって兄弟水入らずで飲めるしな。限度はあるけど、窓開けなきゃ騒いだってそうそう聞こえない。安アパートやマンションじゃこうはいかないからな。伯父さんに感謝だよ。医者と不動産屋の親族がいると便利でいい。
ん、キリンハウス、覚えてない? んなわけないよな──はは、すごい顔。そんな首振んなくったって分かるよ。お前昔っから怖いの好きなくせに苦手だったもんな。大丈夫だよ、もう近所でもなんでもないし、そもそも取り壊したんだからさ。
そうそう。窓から首のやたらと伸びた人間が覗くとか、庭の木の影に紛れてどう見ても吊り下がった人っぽい影があるとか。近所の連中ならみんな知ってる、ちゃんとした心霊スポットだったよな。
玄関なんかばきばきにチェーンとか巻いてあるし、裏口も窓も出入りできなくしてあるから、内側にはどっかぶち割らない限り入れない。だからよくある室内で何か見つけた、みたいな話もない。起こることは地味目なくせに、きちんとみんな怖がってた。地味な方だろ? よくあるじゃん怖い話で、心霊スポット突撃したら追いかけられて貧乏くじ係が気ぃ狂うとかさ、祟りでばたばた死んだり人生めちゃくちゃになったりする系。そういうのと比べると、やっぱ地味なんだよなキリンハウス。ビジュアル的には結構嫌だけど、見るだけで済むならマシな方だろ。
まあねえ。
知ってたからな、みんな。
何人吊ってるんだっけ? あー……そっか、弟さんもだったのか。時間差一家心中みたいなもんじゃんな、それだと。妹さんだけ無事なの? それ俺知らなかったけど、そうかお前同級生か。あの年って他でもちょいちょい色々あったからな。目立たないっちゃ目立たなかったんだろうなあ。変な話。
そもそも年寄り連中からしたらさ、家の玄関が鬼門だとかなんかも言ってたけど、あの辺の角っこ自体が良くないみたいなことひそひそしてたじゃん。ほら覚えてない? イツキ伯父さんがさ、婆ちゃんの何回忌だったかで実家に来たとき。親族集めて仏間で宴会やってたろ。そんときにさ、誰だったかが世間話のレールを滑らせてさ。あれすごかったじゃん、寸前までみんなしてざわざわ言ってたのがあっと言う間に静かになってった。朝礼だってあんなにスムーズに静かになんないのにな。俺びっくりして醤油皿に刺身落としたんだよ。おかげで帆立びたびたになっちゃってさ。あんときは確かお前、真っ白な顔して唐揚げ齧ってたよな。訳ありの訳がそんなに怖いもんかね。角っこの訳なんか俺たち生まれる前の話だったじゃん。それこそ豪雪んときに
ん、ちょっと顔赤くなってるな。別にいいんだぞ潰れても。俺んちだからな、ちゃんと面倒見てやるから安心して飲みな。ほらコップ出して。せっかく酒飲むんなら酔うように飲まないと意味がないだろ。
けどさあ、ある意味ちゃんとしてるんだよな、キリンハウス。
嫌そうな顔するなよ、兄ちゃんとお前の思い出の場所だろ……なあ、お前小学生だったっけ。夏休みで両親居なくて暇だった時に探検しようって話になって、玄関先まで行ったはいいけど、どっからかゴンって物音した途端にお前がすっ転んで立てなくなってさ。しょうがないから俺お前のことおんぶして家まで帰って傷とか処置して、親帰って来るまで居間のソファで録画した漫才番組ずっと見てた。覚えてるだろ──そうだよ、お前ぐしゃぐしゃに泣いてるくせに俺のカットバンの貼り方にケチつけてきてさ。お前のせいで進路の方向性が一つ決まったんだよな、あの瞬間。兄ちゃん保健室の先生にだけはなれないなって、分岐が一つ消えたんだよあの時。
でさ、話を戻すけれども。キリンハウスがちゃんとしてるってのはあれよ。ちゃんといわくがあって、なんとなく納得がいくようなことが起こって、そういうものとして成立する。論理があるかどうかはともかくとしてさ、通るような意味がつけられるところがさ、何だろう、納まりがいいだろ。何にもしてないのにいきなり殴られたら嫌だけど、悪いことしてぶん殴られるんならほら、諦めがつく。
殴られてるのか、ねえ。いやほら、そこは比喩だよ。直接殴られてたら警察行くよ。兄ちゃん小物だもの。自力でどうにかできなくなったら何にでも縋るし頼るよ。
そうだね。心配してくれてるんなら──じゃあほら、もう一杯飲んで。踏ん切りがね、つかなかったから。うん──ああいい飲みっぷりだ弱いくせに。
じゃあね、白状するけど。
この家も変なこと起こるって言ったら、お前どうする?
待て待て。酒飲んで急に動くと目回すぞ。座んなさい。大丈夫俺がいるから。話をもう少し聞いて。ちゃんと話す気はあるから。
変なことっていうのはね、そのままの意味で。色々あるけど、そうだな。
例えばここのテーブル。覚えあるよな、実家の俺の部屋から持ってきたやつ。脚のどれかにお前が貼ったシールの痕がある。
一人暮らしだろ、俺。この机で今みたく飯とか食ってんだよ。んで飯の支度をしてると、気付いたら机に茶碗が二つ並んでるとか、箸が二膳半置いてあったりとかな。二膳半ってのはあれだ、俺の分と、もう一組と、半端の一本。普通に机の上に、不自然じゃない程度に雑然と置いてある。いつも片付けて次はやらねえぞって反省するのに、またやる。
他にも細々したのがあってな。和室の電気は部屋の半分だけ何をどう取り換えても点かないし、雨の日に庭先行ったり来たりしてる足音も聞こえる。二階の部屋に置いた時計は二時十四分で止まったきり、電池を換えても動かない。勝手口のガラスにはたまに薬指が欠けた手痕がついてるし、風呂は夜中の二時を過ぎて入ると──分かった。言いたくないからな。まあ、嫌な目に遭うんだ。とてもな。
いわくつき物件じゃないかって?
そうだな。俺もそう思った。でも違うんだ。
風呂場で結構な目に遭ったからな、伯父さんに聞いたんだよ。けど、伯父さん困った顔してぶんぶん首を振る。誤魔化してるんでも嘘を言ってるんでもなく、本当にいわくがないんだと。
確かに中古物件だからな、以前住んでたやつがどうこう、とか持ち主があれこれ、とかそういうのは思いつく。けどな、みんな何にも問題ない。貸主は仕事も私生活も順風満帆だし、前の住居者は伯父さんとこの紹介で市内に移って元気に生きてる。土地に何かあるかっていっても、それも何にもない。手元の資料引っ繰り返して図書館通って年寄り問い詰めても、いわくどころか噂の一つ、悪口陰口の類も出てこない。
伯父さんも困ってた。けど俺だって困る。せっかくいい物件だと思ったら、理由も因果もないお化け屋敷だったなんて納得がいかない。何よりそんなもの、恐ろしくて仕方がない。
そこで兄ちゃんは考えたわけだ。いわくがなくて怖いんなら、いわくを作っちまえばいいってな。
さっきも言ったろ。理由もなく殴られたらすげえ怖いけど、殴られるだけの理由がちゃんとあったら、諦めがつくわけよ。こういう原因でこんな結果に至ったんなら、じゃあどうしようもないなあってな。キリンハウスはそうだろ? 土地が悪くって、家も建て方があれで、住人がぶら下がったせいで、立派な幽霊屋敷になった。なのにこの家はどうなんだ、何一つそんな理由もないくせに、当然のように薄気味の悪いことばかり仕掛けてくる。そんなもん、兄ちゃんだってたまんないんだよ。
でな、どうせいわくにするんだったらお前がいいと思ってさ。知らんやつや嫌いなもんで妥協するのも嫌なんだ。
だから、な? どうだ、手伝ってくれるか。
そっか。
いや、じゃあしょうがないよな。
無理強いはしないよ。大事なことだもんな、準備とかいるよなそりゃあ……そうだな。兄ちゃんが悪かったよ。ごめんな。
別に気にしてなんかないよ。ただほら、これでもう来ないとかそんなのになったら悲しいから──そうか、そうだよな。いつも何だかんだで分かってくれたもんな、お前はさあ。
大丈夫、今日はもう怖いこと言わない。嘘だよ、全部嘘だからさ。兄ちゃんがお前の嫌がることしたことあったか? ないだろ。ひどいことなんかしないんだよ。今日だってほら、こうやってお前の好物ばっかり揃えてさ。ちゃんと覚えてるんだ、お前のことだったらさ。やめてくれよ、これでもう来ないとか、今日限り他人とか、そういうやつはさ……。
そうか。
ありがとうな。やっぱりお前、優しいなあ。
じゃあ、今日は飲もう。そんで、今日のことはこれきりにして、次に償うからさ──来るときは連絡くれよ。料理とか、布団とか、もうちょっと色々準備とかするからさ、な? 兄ちゃん、お前のこと待ってるから。この家でさ。
※必要な条件が不足しています 目々 @meme2mason
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