追記

(ご要望いただいたので、字数制限で削った部分の補完と後日談。Twitterに上げたものです。兄が歩けなくなった理由です)


 ***



 勝四郎かつしろう兄さんはそんなに具合がよくねえんべかって? いや、昔よりずうっと良うなりました。

 兄さんが歩けねえのは病気のせいじゃねえんですよお。



 あの日、兄さんは足を痛めちまったんです。拝み屋の息子に殺されかけたでしょお。

 あんとき、気性の荒れえひとだけえ病人なのに随分暴けたみてえで。私が作之治さくのじをおっ剥がしたときにはもう、両の足首が夕べの空みてえに青黒くなっとりました。


 けんど、おっかねえひとだけえ。

 親父さんの死骸と同つかつ穴に死んだ作之治を埋めんとき、兄さんがそんな足で死体を蹴っぱぐってほかしたんです。

 足の骨が嫌な音立てて、よっぽど死人の足みてえに曲がっても、何度も土踏み鳴らして。ありゃあ殺してるみてえだったな。

 何がつっても難しいけんど、自分ん中の神喰かんじきの血ごとほかして埋めちまいてえように見えました。へえから、私も止められんかった。



 けんど、兄さんは鉄みてえなもんで、かっとなるときはすげえんだけど、いっぺん頭が冴えると、とんでもなく落ち着くんです。

 全部事が済んで、私は足が駄目になった兄さんの世話を焼いとりました。いつものことだべ。


 空気がしゃっけえんで襖閉め切って火鉢に鉄瓶かけて、湯気が霧みてえに立ち込めてる夜の部屋を覚えとります。

 私は兄さんの脚の添木を外して、包帯を変えとりました。

「随分よくなったけえ腫れが引きゃあ歩けるんじゃあんべえか」なんつっても兄さんは、私から顔を背けとりました。襖には夜の色が滲みとるだけでした。


 勝四郎兄さんは鉄瓶の湯気に消えちまうくらいの声で「もうよかんべ」つったんです。私は何のことがわからんかった。

豊雄とよお、親父も死んだ。ろくでもねえ拝み屋筋もくたばった。おめえの瘤もなくなって物狂いでもねえ。こんな村も家もほかしてどっか好きなとこ行けや。俺はひとりでどうにかするけえ」


 兄さんはそう言ったんです。

 私は兄さんの世話して生きてくつもりだった。他の生き方なんて知らねえけ。けんど、ひとりでどうにかするなんて言われたら、ほかされたのは私の方だべ。


 あんまりたまげて、私はつい兄さんの脚を掴んだ手に力が入って、逆に曲げちまったんです。

 あっと思ったときには、柔らけえ肉がぐにゃんと曲がって、白磁の皿が割れたみてえな音がしました。

 あんときの音は今も耳に張りついとります。


 兄さんはぐっと声漏らして布団に突っ伏しました。歯ぁ食いしばって、肩震わせて、痛えのを堪えとったんでしょう。けんど、私にはそれが顔背けとるように見えてました。

 兄さんの足首がえれえ汗ばんで、手離しそうになったのを慌てて掴み直したとき、兄さんはやっと私を見ました。


 親父さん譲りの激しい目でかっと私を睨んで、指が焼けんのも構わねえで火鉢を掴んで、私にぶん投げました。

 ちょうど瘤のあったとこにぶつかって火がついたみてえに熱くなりました。もうねえあの瘤が泣く声が聞こえたぐれえです。けんど、私は兄さんの足を離しませんでした。


「この阿呆んだら」

 兄さんが怒鳴って、鉄瓶の湯が飛び散って私の腕を焼きました。怒ってんのか痛えのか、握った足首から震えが伝わりました。

 兄さんは荒え息吐いて私の髪を掴みました。きっと赤土みてえな瘤の痕もよう見えたでしょう。


「何でそんながんちゃなんだ。俺の脚がまた駄目んなったら、おめえは一生おらがから逃げらんねえべ」

 兄さんの燃える目は私を見とりました。私の方も、痩せきった頬の骨も、浮いた肋も、青白い腿もちゃんと見えました。こんなひとをほかしていけるはずがねえ。


 すっ飛んだ火鉢が横っちょの棚にぶつかって割れて、中から錆びた金槌が転げとりました。

 私は兄さんの足を離しました。額から血が流れて、ささくれた畳に落ちました。火鉢がぶつかったとき切れたんだんべ。私は兄さんに頭下げました。


「兄さん、折らせてけえろ」

 兄さんの顔は見えなかったけんど、息を呑む声は聞こえました。

「私はどこも行きません。一生おらがで兄さんの世話して生きられりゃええ。足が治ったら私はいらねえんか」

 兄さんはまた私の髪を掴んで顔を上げさせました。けんど、ちっとも怒ってねえ。それより悲しそうに見えました。


「阿呆か、おめえだけはちったあマシなとこで生きてほしいのに……」

「私は神喰の男だけえ。ここでいいんです。他の全部ほかしても構わねえ。へえから、兄さん。あんたの足折らせてけえろ」

 兄さんは呆れたみてえに頷きました。


 私は兄さんのもう片方の足を掴みました。白樺みてえな細っけえ足でした。私は金槌を引き寄せて、兄さんを見ました。

「よかんべか」

「好きにしろや。けんど、わかっとけ。これで人生ほかすんは俺じゃねえ、お前だけえ」


 兄さんは子どもん頃見た月さんみてえな白くて細い顔で、静かに笑いました。昔から私の仏さんだけえ。私は金槌を振り下ろしました。

 金槌の先が肉に沈み込んで踝の骨がくしゅっと潰れる感触も、腕にじんと伝わった響きも、明けの鴉みてえな兄さんの声も、よう覚えとります。



 その後の三日三晩は、そりゃあ大変でした。

兄さんはえれえ熱出しちまいまして。

包帯の下の足が膿んで、倍くれえに膨らんで、触ると骨なんかねえように指が沈むんですよお。


私は寝ずに兄さんを看ました。私のせいですけえ。

水飲ましても全部汗になって出ていっちまって、兄さんは軽くてしゃっけえ身体になって、布団ばっかり熱くて重くなりました。

粥を食わしたそばから横の桶に吐くもんで、頭突っ込まねえように支えてなきゃならねえ。


とうとうちっけえ行灯の明かりでもひきつけ起こすようになっちまった。

飲み食いしねえのに吐いて、喉が枯れて、兄さんの声が思い出せんようになったくれえです。

真っ暗え部屋で、兄さんがえずくのを聞きながら、こりゃあもうまずいんじゃあんべえかと思いました。けんど、私も意地でした。

目え見開いてぶっ倒れた兄さんを揺すって、私をほかして行かねえ、そう言ったべ、つって何度も呼びかけました。

そんで、三日経って、やっと兄さんが私の名前を呼びました。



不思議と、兄さんは二度と歩けんようになってから、えらく落ち着きました。熱出すのも風邪引くのものも少なくなったんじゃあんべえか。癇癪もほとんど起こさねえ。


 私がおっかねえからだべって? まさか。癇癪は少ねえだけで起こらねえ訳じゃねえですけ。今でもあのひとは平気で私をぼこしますよお。

 私は下男みてえなもんだけ、それが普通です。


 兄さんが落ち着いたんは、私が家継いだからじゃねえべか。

 兄さんは身体が弱えのに、地主の後継がなきゃいけねえ。頭より身体使う仕事ばっかのおらがで、居場所もねえのに留まる他ねえ。それが嫌だったんでしょお。


 今は私が兄さんの分まで野良仕事をしますけえ。何も知らねえ農夫からの覚えはいいんですよお。

 おらがで何があったか知っとるひとはいろいろ言いますけんど。

「あそこの当主は化けもんみてえな瘤つけとるうちはいかれなだけだった。けんど、面と頭がまともになったら、ほんもんの化けもんになっちまった」なんてねえ。


 兄さんも最近じゃ役所やあっちかしの村から書きもんの仕事が来るみてえで。足が駄目でもいざり車で外に出て、ちっと散歩することもあります。

 そんで、前よりよう笑うようになりました。

 私らはそれでいいんです。


 私も兄さんに聞いたことはありますよお。

 私を恨んでんじゃあんべえか、離れたいんじゃあんべえかって。そうしたら、

「阿呆んだら。お前とどう離れるつうんだ。俺もお前も、神喰の男はみんな同つかつ地獄へ行くんだえ」

 兄さんは笑ってくれました。

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神喰の男 木古おうみ @kipplemaker

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