第43話 川の流れのように


 不承不承であっても、決めた以上はズルズルと引き延ばしても仕方がない。

 明日にでも町を出て行くかと荷造りを始めたところで、ジークの部屋をリーネが訪れた。


「ジークさん今いい?」


「ちょっとならな」


 ジークはぶっきらぼうに答える。

 元々たいした荷物などないのだが


「風の噂でメルハウゼンに行くって聞いたんだけど。荷造りはそのため?」


「そうだ。ずいぶんと足の早い噂だな」


 ジークは作業の手を止めず、背中を向けたままリーネに見えないよう苦笑した。

 本当にちょっとした情報ならすぐに出回ってしまう狭い町、というよりも共同生活に近いのだから容易く漏れてしまうのだろう。


 いやまさか――


 ふとあることに思い至り作業の速度が落ちた。

 一瞬視線を椅子に座ったアインへと向けると、相棒は視線を受けても艶然と微笑むだけだった。


 ――やっぱりか。


 もしかするとジークがあとに引けなくするため、アインが意図的にバラ撒いた可能性もある。というよりも、むしろそう仕向けたのだろう。

 腰の重い相棒の逃げ道を封じ、そして町のみんなに自立を促す狙いもあるに違いない。

 事業が少しずつ動き出した今こそ、これが自分たちによって運営されていくものだと彼ら自身に意識させなければならない。

 直接口には出さずとも「腕の立つ│出資者ジークがいるから大丈夫だ」などと思われては、いつまで経っても主体的に動く人間が増えていかず小規模で終わってしまう。

 この事業は、孤児たちが将来的に自立していけるための取り組みに端を発しているが、同時にこれは彼らを取り巻く、繋がりを失った大人たちに向けたものでもあるのだ。

 戦争を知らない子供たちと、戦争しか知らない大人たちのための――

 あれだけ知恵が回るのだから、それくらいの仕込みをしていても不思議ではない。

 まったくどうしたことだ。自分よりもずっとヒーローらしいではないか。


「それでどうなの?」


「おまえさんの聞いた通りだよ。元々行かなきゃならない話ではあったんだが……。追加で融資をしようと思ったらな、俺の口座が凍結されていやがった。これじゃ孤児院事業どころか自分の生活もままならなくなる」


「うわぁ……」


 リーネが心底気の毒そうな表情を浮かべた。


「死ぬほど不本意だが、そうでもしないと素寒貧すかんぴんで諸々支障が出る」


 大きく溜め息を吐きながら、ジークは荷物を作っていく。

 アインはこれといった荷物もないのか、座ったままのんびりとコーヒーを飲んでいた。

 リーネは首を傾げる。孤児とはいえ自分も女だ。常に余裕があるわけではないため服などは下の子供たちに率先して譲り渡しているが、その一方で小遣いの範囲ではちょっとした小物を買ったりもしている。そういったものが彼女にはないのだろうか?

 いや、今は関係ない話だ。リーネはまず自分の目的を果たすことに意識を切りかえた。


「ねぇ、ジークさん。こんなときに言うのもなんだけど、お願いがあるの」


「あん? お願い? 悪いが小遣いならやらんというかやれんぞ。口座が止まってる」


「もう、そんなんじゃないわよ! メルハウゼンに行くんでしょ。それに――わたしも一緒に連れていってほしいの」


 それはあまりにも予想とはかけ離れた言葉だった。思わず「なんでまた?」と問いかけたくなったほどだ。


「はぁ? じきに孤児院を出る年齢だとしても、町まで出る必要はないだろう?」


 なんと言うなら今回立ち上げた事業の事務員として残ることだって難しくないはずだ。孤児の自立を促すためのもので、彼女もちゃんとその中に含まれている。


「今回、ジークさんやみんなに助けてもらって、わたしたちみたいな境遇の人間でも努力すればそれなりに生きていけそうだってわかった」


「だったらなおのこと町に残れ。せっかく安定の兆しが見えてきた生活を捨てる価値がどこにあるんだ? わざわざ危険を冒してまでメルハウゼンに行く理由も目的もないんだろう?」


「うん。たしかにそうかもしれない」


 リーネは驚くほど素直に肯定した。その瞳には先ほどと変わらぬ決意が漲っている。


「でも、わたしは世界を見てみたい。ずっといた狭い場所じゃなくて、他のところではどんなふうに物事が動いていて、何が世界の流れを決めているのか。そして、戦争が起きるのか……。それを少しでも近くで見たいの」


「きっと後悔するぞ。俺が偉そうに語る話じゃないが、そんなものを見たって下手したら世界に絶望するだけだ。『こんなもののために自分の人生は狂わされかけたのか』ってな」


「それならそれで構わない。ジークさんがそうだったみたいに、私も“大戦”に人生を変えられた人間よ。その事実はどう生きたって変えられない。だから自分の目で確かめたいの。その上でどうやって生きたら後悔がないか。それを決めたい」


 なんてこった。こいつは自分よりもずっと前を向いて生きている。ジークは素直にそう思った。


 十年だ。何もせず山に引きこもってる間にも世界は回っていた。それは頭ではわかっているつもりだった。

 それがどうしたことだ。目の前の少女を見ていると、それが単なる数字だけを見ていた浅い理解に過ぎなかったことを否応なしに突き付けられる。


「べつに構わぬのではないか?」


 口を開いたのは腕を組んで様子を見守っていたアインだった。


「……アインさん? 今なんておっしゃりました?」


「メルハウゼンに行くだけじゃろう? それくらい連れて行ってやればよかろうて」


「そんなあっさりと決めていいものなのか……?」


「細かいことまでいちいち気にしすぎじゃ。ふーむ、我が相棒殿はそこそこ強いくせに、どうも小さくまとまろうとするきらいがある。案外小娘リーネがいた方が、もっと面白い見方ができるやもしれんな」


 意外なところから伏兵が現れた。

 正直な話、アインこそリーネの存在を疎ましく感じているとばかり思っていた。予想すらしていなかったからこそ、ジークは完全に断るタイミングを逸してしまった。


「仕方ねぇな。面倒を見るのはメルハウゼンまでだ。そこからは自分で考えて生き方を決めろ。だけど、ちゃんと院長先生の許可は貰ってこい。今のおまえの親はあの人だ。……俺に言えるのはそれだけだ」


 ハンネスのことだ。悩みはしても最終的には許可を出すと思う。話してみた限りでは、彼もできることなら子供たちには狭い世界で終わってほしくないと願っているはずだ。


「わかった! 本当にありがとう!」


 飛び跳ねて喜ぶリーネと、それを満更でもなさそうに見ているアインの表情。

 ふたりの様子を見ていたジークは、溜め息を飲み込むしかなかった。


「はぁーあ。悔しいけど、こいつらの方がよっぽど逞しく生きてるよな……」


 時代は絶えず流れている。

 なにもそれは巨大な本流だけを意味しているわけではない。山奥から湧き出たせせらぎから始まり、いくつもの支流が集まってやがては大河となる。その大河ですらいつかは海へと流れ込む。


 生きていこうと歩き出した誰もが自身の進むべき流れを持っている。支流だとか本流だとか当人には関係ない。決めた以上は進むしかない。

 濁流に飲まれることもある。干上がりかけることもある。それでも川は海へと進んでいく。

 そうして辿り着いた海もやがてはせせらぎへと生まれ変わる。


 願わくば道を進まんとする者へ、少しでも幸多からんことを。

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終焉へのフロントライン 草薙 刃 @zin-kusangi

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