第42話 転機


「は? 引き下ろしできない? どういうことだ?」


「はい。ジークフリート様の口座は長らく使われておりませんでしたので、規定によって半凍結――引き下ろしができなくなっております」


「ちょっと待ってくれ。口座名義人が死亡したときに勝手なことができないよう措置を受けるのは知ってるが、俺は見ての通りちゃんと生きてるぞ」


 わざとらしく両腕をふるって見せた。


「重々承知しております。ですが、預金額が一定以上となった上で引き出しのされない口座には、金融犯罪などに巻き込まれないよう、保安上こうした処置が取られる決まりになっているのです」


「……理屈はわかった。じゃあ早速引き下ろせるよう手続きをしてくれ。それなら構わないだろ」


 実に面倒くさい。そう思ったが、この若い行員を怒鳴りつけても仕方がない。ジークは自制心を働かせて精一杯微笑みかける。

 一方、│笑いかけら《威嚇さ》れた方は顔色をさらに青くしており、まるで良い方向に向かっていないのが見て取れる。

 即座に警備員を呼ばれないだけマシなのかもしれないが、ジークからすれば堪ったものではなかった。


「それがその……。当店では解除できないのです……」


 事実通りに返すしかないのだが、それに対してなんと言われるか。すでに行員は相手のタダならぬ気配を感じ取り泣き出しそうだった。


「バカな! ちゃんと身元を示すIDだってあるんだぞ!?」


 できることなら出したくなかった軍のIDまで提示してジークは粘る。


「も、申し訳ありません! この口座は本店からの指示で処理がなされており、メルハウゼンでないとどうにもできないのです! 私はおろか支店長でも不可能なんです!」


 ――やられた。


 ジークは舌打ちしたくなる。

 。身辺をうろつかなくても、町に何らかの動きがあればジークが関連しているかの目星は容易く付けられる。そのために、ジョナサンが命を懸けて動いていると知りながら、この嫌がらせの黒幕は彼を止めなかったのだ。


 どうせ絡んでいるのは国防省の誰か――それなりの│高官星付きなのだろう。


「冗談じゃない! そのためだけにメルハウゼンまで行けってのか!?」


 わかっている。悪いのは全部この流れを仕組んだ連中だ。

 だから行員相手に声を荒げるのが非常に大人気ないとジーク自身よく理解していた。


 それでも。


 それでも残念ながらここが彼にとって我慢の限界だった。


「今すぐ責任者を呼んでこい!!」




 結局この町ではどうにもならず、ジークは諦めて基地の事務所へ帰って来た。


 狭い町だけに孤児院のビジネスに関与しているのはすでに広く知られている。とぼとぼ項垂れながら歩くわけにもいかず、すべて何食わぬ表情の下に隠して町を進む。


 ふと風が吹き付けてきた。いつしか春はすぐそこまで近付いてきており、暖かな風が時折西の方から吹き付けてくる。旅立ちの時だと語りかけているようにも感じられる。気のせいだと思いたい。


「そりゃ遠出するにはいい季節かもしれないがなぁ……」


 最早自分ひとりではどうにもならなくなった。何をするにしてもメルハウゼン行きは確定事項だ。

 元々、一度は国防省に顔を出さねばならないと思っていたので、言ってみれば今回の件は前倒しなだけだ。

 だが憂鬱な気分は変わらない。出来れば行かずに済ませたかったくらいだ。心の底から。


「面倒臭いんだよなぁ……」


 自分の言葉ながら情けない。筋金入りの引きこもりのようではないか。

 長らく山に引き籠っていたせいで│フットワークが重くなっているのかもしれない。


 ――アインに言ったら鼻で笑われるな。いや、それどころかどんな説教を受けるかわからない。


 普段は凄まじく自由そうに振舞っていながら、彼女はこういう部分ではきっちりしているのだ。


「どうじゃった? ……いや、その様子だとまたぞろ厄介事でも起きたか?」


 出迎えたアインは容赦なくジークの表情から何かを読み取った。


「当たりだよ。いい勘してるな。銀行口座が半分凍結されていた」


「ふむ、半分とな?」


 引っかかりを覚えたのか小首を傾げるアイン。


「年金代わりの給与は振り込まれているからそこは問題ない。だが、十年もそれなりの額に膨らんだ口座を放っておいたせいで引き落としができなくなっちまった」


「なんと。それでは事業に追加の資金を投入できぬではないか」


「だから困ってるんだよ」


 ジークは頭を掻いた。本当に困っているようでいつもの軽口も出てこない。


 ――まぁ余計なことを考えないだけいい傾向じゃろ。


 アインは思った。


「されど、半分凍結ということは、どうにかすれば解除はできそうなものじゃが。その表情から察するに、一筋縄ではいかなさそうじゃが」


「御明答。本当に察しがいいね、おまえさん」


「この世界の基礎知識なら多少は“依り代”の中にあったからな。あとは予想されうる諸々を組み合わせただけじゃ」


 本人としては何気ないつもりだろうが、ふふんと鼻を鳴らしたアインは誇らしげだ。


「そんだけ頭が回るなら代わりに行ってきてくれないか? メルハウゼンの本店じゃないと解除手続きできないみたいなんだよ」


「阿呆を申すな。どう考えても本人が出向かないかぎり先に進まぬ案件じゃろうが。まったく……。山を出るときにもグダついたのみならず、どこまで引き籠もり気質が染み付いているんじゃおぬしは」


 まさしくシミュレーション通りの言葉が返ってきた。よりタチが悪いのは心底呆れた表情まで追加されていたことだ。地味に胸が痛い。


「返す言葉もない……」


「本当にそう思うなら、いい加減覚悟を決めんかジーク」


 額に手を当てたアインからこれみよがしの溜め息が聞こえてくる。


「わたしがこういったものを口にするのはどうかと思うが、そなたの運の巡りは明らかにトラブル気質じゃ。何か起こる度に毎回毎回思い悩んでおったら、それこそ残りの寿命がなくなってしまいかねぬぞ。それで良いのか?」


 相棒は容赦なく発破をかけてくる。これではまるで女房役ではないか。

 彼としては孤児院を巡るあれこれを通して気張ったつもりだったが、アインから言わせればまだまだ及第点には及ばないらしい。


「俺はおまえのバイタリティに驚いてるよ……」


「しばらくぶりに人間の姿になれたからのう。身体が動くようになると色々やってみたくなるものなのじゃよ」


 恨み言のひとつもなく、さらりとアインは言ってのけた。

 十年近く何も言わずに付き合ってくれていた事実に驚きつつも、その上でありがたいと思うしかない。

 調子に乗られそうなので口には出さなかった。それがせめてものジークの意地だった。

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