この地のものより
田辺すみ
この地のものより
なしになつめ きみにあわ つぎはふくずの のちにあはむと あおいはなさく
子供たちの遊び歌がどこからか聞こえてくる。打ち捨てられ、苔むした草庵の影で、“とり“は、
「兄者、帝からの使者をお断りになったそうですね」
止利はいつもどこか遠くを見ているような変わった子供だった。悲しかったり、怒ったり、やるせないことが起こると、祖父の草庵に潜り込んでいたのを福利は覚えていて、今も探しにやって来たのだった。止利の隣りに腰を下ろし、福利は懐かしげに見渡した。二人の祖父は大陸からこの瑞穂の国へやってきた。懐に大切に携えてきた小像をこの庵に奉って、折々に手を合わせていた。
「俺は、王のためになぞ、仏像はつくらん」
木頭にゆるりと鑿を滑らせながら、止利はぼそりと呟くように言う。止利は朝廷に仕える鞍造りの職人であり、仏師でもあるのだが、あろうことか今上の推古帝が誓願された元興寺金堂本尊建造の命を無下にした。福利の官服の裾に、
「この国のために、造っては下さらないか。王も蘇我も物部も、もはや関係ないではないですか」
福利は蝗を摘み上げ、伸び切った草葉の上に放してやる。止利はもともと静謐な眼を、些か染めて弟を睨んだ。
「仏はな、いや、どんな神とて、“人が治める“ものではなかろうよ」
ざわり、と風が木々を打った。蘇我氏と物部氏の権力争いは、仏教を国家祭祀として認めるかどうかという対立になり代わっていった。物部の兵が祖父の草庵を打ち壊し、仏像を焼き捨て、叔母である善信尼たちから僧衣を剥ぎ取り、祖父、父、仏教を信仰する渡来の一族を虐げ辱めたことを、福利とて忘れた訳ではない。崇仏派の蘇我氏が大臣、そして天皇の外戚となったことで情勢は定まったかに見えたが、福利はこの普段のんびりとした兄が、かなりの頑固ものだということも知っていた。
「兄者、俺は小野大使と大陸へ渡る」
福利はひらひらと舞う蝶を眺めて言った。止利は驚いて振り返る。弟は昔から、己れと異なり誰からも好かれる性質だった。権謀術数渦巻く宮廷でも、上手く立ち回っているものだと思っていた。止利には真似できない、そんな弟が妬ましくもあり、誇らしくもあった。祖父が望郷にかられながら亡くなり、父が世を憂いて出家してから、二人で支え合って生きてきたのだ。その弟までも、自分から離れていってしまう。
「この土地が国として建っていることを、知らしめしたい。律令も整いつつある、田畑の分配も進みつつある、俺はこの国で生まれたのだ、この国の未来に貢献したい」
だが、あの海を超えて、戻ってこられる保証は無い。あれほど祖父が帰りたかった故国を、止利も福利も見たことがない。仏像もそうだ、大陸からの移住者が持ち込んだものを手本として造ってきたが、止利は己れのつくるものが、『正しい』のか分からない。止利の造る仏像は、朝廷人からは美しいと評されるが、渡来の人々の心を動かさない。彼等にとって、仏に集うことは、信仰という以上に、故郷の日常と繋がることなのだ。母国の言葉で祈り、村や街の皆で祝いごとをし、家族や友人の息災を願うこと。祖父の寂しげな目を思い出して、止利の鑿を持つ手が震えた。
「兄者、では、俺のために仏を造ってくれ。いいだろう」
俺の安全を、俺が使命を全うできることを祈願して、鑿を振るってくれ。慈愛と嘆きを隠して微笑む顔が陽光に陰り、朽ちていく草庵の湿った苔と石、草花の芳香と、木々を揺らす風と、虫たちのけたたましい身動ぎと、子供たちの歌声と、その刹那、この地の生命全ての美しさに目を見張る。俺は、このものたちの一部なのだ。俺は、この国の仏を彫ればよいのだ。あの土地にはあの土地の姿の仏が、あの土地の人間の心に宿るように、俺たちこの土地で生まれたものの心には、この土地の仏が宿るのだ。
推古天皇十四年、鞍作村主止利、元興寺本尊造仏の工を拝する。
推古天皇十五年、大使小野妹子、高麗と隋より黄金を奉献する。通事として随行していた鞍作村主福利、二度目の渡航の後、遂に帰らず。
飛鳥の釈迦如来像は誰かの面影を映して、人々の思慕を纏って、今も静かに待っている。
老いはてぬ 我が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しはやさね 申しはやさね
「梨に棗」:万葉集 巻十六3834 詠み人知らず
「老いはてぬ」:万葉集 巻十六3885 ほかいびとの詠んだ歌 一部
この地のものより 田辺すみ @stanabe
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