第700話 Miss.→Mrs.Shadow

「シャル。此度は呼び出して済まないね」

「用件は手短に頼む、サイマリン。午後の便で帰国するんだ」


 世界億万長者ランキングの二桁の順位を持つ、サイマリンは一つの孤島を王国の様に所持しつつも使いきれぬ程の富を持つ資産家だった。

 その孤島の王城とも言える場所に黒髪美女の日本人――峯沢影みねざわえいは呼び出された。

 夏の晴天から降り注ぐ陽射しに照らされた豪華絢爛な中庭。そこに用意されたテラス席に座るサイマリンの前の席に座らずに立つ。


「君は“課題”を全てクリアーし、更に私にも勝った。継承者として十分な権利がある。故に私の財産、600億ドルを含める私の資産は全て君の物だ。あらゆる経済界へのコネ、不動産、版権、権利、そして、この孤島を含めた全てを君に委ねよう」


 二ヶ月前にサイマリンがネットを介して世界中にばら蒔いたとある“課題”。SNSでも話題になり、多くの知恵者がソレに挑んだ。


“コレを解いた者に素敵なプレゼントを用意した”


 “30day”と言うカウントと、課題の最後に世界のあらゆる言語でそう添えられた一文は多くの者達に挑戦意欲を湧かせた。

 ヒントからヒントへ。ある者は複数の天才達で、ある者は最新のAIを使い、ある者は組織で挑戦した。


『資産家サイマリン・クロウィッツから世界への挑戦状』


 そんな触れ込みでネット界隈ではお祭り騒ぎ。

 課題以外の詳しい説明はサイマリンより無かったものの、一部の界隈ではその資産を受け継げると話題になり、本気で狙う者も続々と参戦した。

 課題は進めば進むほど難問となり、解けた者は少しずつ絞られて行き、この島への切符を手にしたのは三人。

 そして、三人の中で勝ち上がり、サイマリンに挑んだのは峯沢影だけだった。


「アレが私の“勝利”と言うのならこれ程屈辱的な事は無いな。ゲームの時にも言っただろう? 金に興味はない。私は“珍しいモノ”を見てみたかっただけだ」

「興味本位でここまで来たのは君だけだよ。やはり、王の考えと言うモノは凡人の私には理解出来ないらしい」

「一世代で600億ドルを稼げるヤツが凡人なワケないだろう」

「他よりも運が良かっただけさ。ソレもいずれ尽きる。そして……使い所のない金ほど恐ろしいモノは無い」


 金が積み上がれば上がるほど、言い寄ってくる者達全てが敵に見えた。

 別れた妻も血の繋がった身内も結局は自分の遺産が目的で、側に来ればすぐに本性を現す。信頼できる者は誰もいない。

 サイマリンが俗世との関係を絶ち、この島に自分の理想郷を築いて暮らしていたのはそれ以外に何も信用出来なかったからだった。


「ようやく、重荷を下ろせる。君の望む通りに資産は動かそう。無論、私が死んだら遺言で君に全て相続する様に手配済みだ」

「別に要らんのだが……」

「生涯困る事はないぞ。君の孫の孫の代までね。言っておくがこれは決定事項だ!」

「……なら、私は200ドルだけ貰う」

「何に使うんだい?」

「飛行機代と両親への土産代。後は今回のゲームで本当に金の必要だった者達へ必要な分だけ分配してくれ。残りは要らん」






「ただいま、父上、母上」

「お帰り、エイ」

「お帰りなさい、エイ。大学で何かあったの? 急に帰ってくるなんて」


 大学生のエイはサイマリンの孤島から帰国すると、一番に足を運んだのは実家だった。


「ちょっと色々あって疲れた。一週間くらい実家に居るよ」

「あらあら……本当にどうしたの?」

「エイ、何かトラブルか? お前は昔から行動力があったからな。嫌な事でもあったか? それとも、変な男に言い寄られているのか? お父さんが何とかしてやろう!」

「…………」


 エイ君。君には私の資産を絶対に受け継いで貰うよ! 絶対! 絶対にだ!


「父上の言うので当たってる」

「なにぃ! クソッ、どこの馬の骨だ! お父さんに任せなさい! 弁護士の知り合いが居るからな! 今から連絡を――」

「はいはい。まずはご飯よ。エイ、食べたい物はある?」

「カツ丼」






 峯沢影の生まれはごく一般的な家庭だった。

 父親はサラリーマンだったが、時代の荒波に呑まれて早期退職。今は警備の仕事をやっている。

 母親は専業主婦だったがエイが中学生になった時から少しでも家計を支える為にパートに出ていた。

 そんな二人はエイに経済的な負担を考えさせず、堅実に育てた。

 娘が何かやりたいと言えば何でもやらせるつもりだったし、それを見越してそれなりに蓄えていた。だがそれを知って知らずか、エイの求めたのは“見たことのない珍しいモノ”だった。

 動物園、水族館、博物館、美術館。

 ありとあらゆる物に一喜一憂する娘に両親は微笑ましく思ったが、エイが中学生になったくらいにスン……と何も喜ばなくなってしまった。

 身近に見て回れる“珍しいモノ”を大概見てしまったのである。そして、エイはソレを求めるように、あらゆる所へ自分の足を伸ばした。

 人工、自然、関係なく珍しい光景を絶えず探していたエイの行動力は気がつけば他県へ伸びる事もザラ。隣の県から警察に送られて帰ってきた事もある。

 そんな彼女も花の高校生になってかはアウトドアな一面を静める様に美術部となり両親はホッと胸を撫で下ろす。彼女は自分の考えた理想の風景を絵に起こす方向に考えをシフトしたのだ。

 自分の感性が他とは食い違うのか。“美”を求める以上、万人のソレから逸れてしまったら意味がない。理解されない価値観ほど意味はないと思っての事である。


 なんの変哲もない日常の風景を彼女目線で絵に描き起こす。エイとしては己の中にあるモヤモヤを形にしただけだったが、それは賞を取るほどに美術界隈ではそれなりに花を咲かせた。

 そして、特待生として美術大学へ進学。学費は払える程の蓄えはあったのだがエイ本人が、将来きちんと働く為に奨学金を借りて返済していく、と両親に告げる。

 両親は親孝行の娘に感心……するよりも、行動力の高いエイに追い付けなかった事もあって大学生を終えたらきちんと社会に入って働くと言う事に安堵し了承したのだった。



 



「さっきの言い寄って来るヤツの件はこっちで解決出来るから気にしなくていいよ」

「そうかい? どうしようも無くなったら、いつでも父さんを頼りなさい」

「遠慮無くそうする。それよりも父上、サイマリンの遺産って知ってる?」

「サイマリンの遺産? 母さん、知ってる?」

「あれじゃないかしら、お父さん。美術館の特別展示とかの」


 母親の手作りカツ丼を三人で食べながら夕飯を囲う峯沢一家。両親にとっての情報媒体は基本的に毎日のテレビくらいだった。

 携帯は持っているが基本的には連絡用であるため、休みの日は二人で出掛けたり、映画を借りてきて見たりして、まったり過ごしている。

 絶えずにあちらこちらに足を運ぶエイとは対照的に静かなリズムを持つ両親だった。


「二ヶ月くらい前にテレビでも何度か取り上げられたと思うけど。富豪の課題ってヤツ」

「…………あぁ、そう言えばそんなのあったな」

「あっ! エイ、聞いて聞いて。お母さんね、それの最初の課題を解いたのよ~」

「おお、そうだったなぁ! 母さんとその答えの場所に行ったら次の課題があってな! 次も解こうってメモして置いたんだが……すっかり忘れていた」


 とまぁ、世間の流れに左右されずのんびり自分達の流れに身を任せる二人なのだ。


「そのサイマリンの課題だけど、もう終わってるよ」

「あら、そうなの?」

「ってことは課題をクリアーした人が居たんだな。何を貰えたんだろうか」


 シャル。君の言う通り、今回金以上の目的を持って課題に挑んだ者達への援助は終えた。残りは598億ドルだ。ちなみに使わないと年単位で増えるので毎年の使い道を考えておいてくれたまえ。毎年ビル一つくらいを買い取らないと追い付かないぞ。HAHAHAHA。


「父上、母上」

「なんだい?」

「カツ丼、おかわり?」

「いや……ちょっと小金が入ってさ。二人に何か贈りたいんだ。何が良い?」


 エイの言葉に二人は少し驚く。


「小金って……何があったんだ?」

「宝くじでも当たったの?」

「そんなトコ」

「エイ、それはお前が得たモノだ。お前の事だから自堕落には使わないと思うが、まずは自分の奨学金の返済に当てなさい」

「その分はもう確保してるよ。まだ余って使い切れそうに無いからさ」

「そうね……」

「家を新しくしようか? それか都会のマンションの一室を買い取るのもいいよ。後は旅行とか。行きたい所を言って。どこでも連れて行けるから」


 サイマリンとの対決で多くの経験を得たエイは己を育ててくれた両親に対して何かしらの恩を返したかった。

 未だに二人とも働いて、自分に仕送りまでしてくれる。もう、そうしなくて良い、と間接的に伝えたかったのだ。


「エイ。父さん達は今のままで十分だよ」

「うんうん。エイがね、元気に自分の道を進んでくれるのを見るだけで私達は幸せなの」

「……二人とも欲が無さすぎる」

「ふっふっふ。父さん達を甘く見るなよ。伊達にお前に振り回されてはいないさ。まだまだ、娘の世話になるほどボケてはいないよ」

「エイが昔みたいに元気な顔を見せてくれるだけでお母さん達は満足なのよ?」


 ねー、お父さん。なー、母さん。と歳を取っても変わらない二人にエイも金銭での親孝行は諦めた。


「それじゃ、二人が私に求める物を教えて。可能な限り答えるからさ」


 エイがそう言うと二人は顔を見合わせて、同じことを言った。


「恋人は居ないのかい?」

「恋人は居ないの?」






「恋人かぁ……」


 大学の講義に一ヶ月ぶりに戻ってきたエイはサイマリンの課題以上の難問を両親より与えられて首を捻りっぱなしだった。


「うぉ!? 峯沢じゃん! 生きてたのか……」

雑賀さいかか」


 同じ講義を受けに教室に入ってきた同級生にエイは驚かれる。雑賀は『サイマリンの課題』へ共に挑戦した仲であるが、孤島へはエイが行く事になったために、それ以降は別れたのである。


「やっぱり、お前も負けたのか。て言うかマジで一ヶ月も、あの島で暮らしてたのか?」

「正確には三週間くらいだったがな」


 雑賀はエイの隣の席に座ると詳しい事を聞く。


「けど、まだ大学に通ってるって事は……600億ドルは取れなかったか」

「…………まぁな」


 真実を伝えると絶対に面倒な事になるとエイは悟り、事情を知る者には自分は“負けた”と言う事にしていた。


「けどよ、スゲー事だぜ? 何せ世界中の知恵者からの選りすぐりの三人の中の一人だしな」

「私達は先駆者の情報もあったし、ゼロから始めた者達にしてはアドバンテージがあっただけだ」

「そう言うのを見つけて利用する発想に至るのも才能だろ? 俺は愛故に下りたけどな。そんで島で何があったんだ? 他言無用な内容じゃないよな?」


 まぁ、それを語るくらいなら問題ないか。


「ああ、島では――」

「あ、いや。待て。それはクイズサークル全員の前で話してくれよ。皆、峯沢が死んだと思ってたから、顔を出してくれ」

「私はサークルに所属してないぞ?」

「固い事を言うなよ。この大学に語り継がれる話をよろしくな」


 人当たりの良い雑賀は、どことなく憎めないムードメーカーの様な人間だった。クイズサークルの他に二つのサークルを掛け持ちする程にイケイケな大学生でもある。


「そうだ、雑賀」

「ん?」

「近いうちに合コンとかあるか?」


 エイの意外な質問に雑賀は珍しく眼を丸くした。


「おいおい。どういう風の吹きまわしだ? お前、合コンなんて“女を顔と身体しか見てない野郎の集まり”って言ってたじゃねぇか」


 大学でも比較的に美形にあたるエイに声をかける男は多かった。しかし、そんな男どもの向ける視線は基本的には顔と胸。それに心底嫌悪するエイは合コンなんぞ晒し者と同じだと考えていたのだ。


「私も心境の変化があってな。無理なら別にいいが」

「いやいや、峯沢が来るってなら結構集められるぜ」

「そうなのか?」

「合コンって基本的に特徴的なヤツが居て、それに伴って参加者を集める様なモンなんだ。イケメンとか美女に釣られてな。更にそれに釣られたヤツを釣ってって感じで人が集まるのよ」

「私に釣られるヤツなんて居るのか?」

「めっちゃ居るぞ。峯沢って他とはあんまりつるまないだろ? 良くても九条とスケッチしてるくらい。それにどのサークルにも所属してなくて、基本的に動き回ってるからお近づきになりたくても、なれないヤツが多いんだ。先輩後輩の両方から峯沢は合コンをやらないのか? って聞かれるんだぜ?」

「…………そう言う事ならセッティングを頼む」

「あいよ。あ、それと。参加費は1万円貰うぞ」

「思ったよりも高いな」

「基本的に場所は飲み屋だからな。男女五人ずつ募って、それで飲み食いするんだよ」

「それで10万も使うのか?」

主催おれの手間賃もある。それに、参加費がある程度高い方が変なヤツが寄って来ないんだ。要するに“ふるい分け”ってヤツだな」


 何度も合コンを開いている雑賀の言葉は納得できる部分も多々ある。


「じゃあ、それで頼む」

「おう、任せとけ。結構カップル成立確率は高いって評判だからよ。俺主催の合コンは」


 雑賀はエイから1万を受け取った。






 数日後。

 雑賀プロデュースの下、男女比5体5の合コンが近くの居酒屋で行われる事となった。


「よう、峯沢」

「今日はここでやるのか?」


 夕方の時間帯。程よい賑わいを見せる店の前に案内として待機していた雑賀は、姿を見せたエイに手を上げる。


「行きつけの居酒屋さ。前々から売り上げに貢献しててな。ある程度の融通が効く。俺の人脈が成せるってトコよ」


 雑賀が居酒屋で合コンをセッティングするときはこの店を使っている事もあって、店主とは顔見知りであった。


「それに、今回の参加希望者はマジで多かったぜ。過去最高だな」

「そうなのか?」

「まず、峯沢が参加するって触れ込みだけで男の参加者は二桁いった」

「どういう事だ? 何故、そんな事になる?」

「そりゃ、峯沢が美人だからだろ? 更にサークルに所属せず、交友関係も最低限。峯沢は知らんと思うが、結構なミステリアス女子として有名なんだぜ?」

「全然知らん」

「ま、峯沢の内面を知らなきゃ、すれ違えば眼で追うくらいはするレベルさ。スタイルも良いしな」

「やれやれ……確かに人間が他人に感じる第一印象は見た目で決まると言われるが、ここまで露骨だと男陣には期待できそうにないな」

「そう、テンションを下げるなよ。ある程度は峯沢の好みに合わせて選定したんだ」

「いつ私がお前に好みを話した?」


 そもそも、エイ本人も自分がどんな人間を好みなのかわからない。


「それは俺の主観。まぁ俺も完全に理解してるワケじゃないが、ある程度は刺さると思うぜ。結果として合コンで誰もピンと来なくてもある程度は次の指標に出来るだろ?」


 何度も合コンを開いている雑賀の自信ある言葉。

 それは、“恋人を作る”と言うエイの漠然とした目的に目安をつけるくらいの成果は得られそうだった。


「皆、興味あるんだよ。普段はアグレッシブで、常に叫びまくって、それでも他にはない美術センスを生み出す“峯沢影”はどんな女子なのか? ってな」

「そんなに私は大学では未知の生物か?」

「峯沢は人と関わら無さ過ぎなんだよ。大学での一匹狼は珍しくないが、それでも無視できないレベルの美形だからな」

「生きづらい世の中だな」

「贅沢を言いやがるぜ。その容姿なら引く手数多だろうが、性格と行動力でトントンってトコだ。今回はその性格を潜めて容姿を武器に立ち回ってみろよ」

「……わかった」


 恋愛方面では雑賀の方が経験者である事もあって、エイはその助言を聞き入れる事にした。


「よし、それじゃ入るぞ。峯沢で最後だ」

「なに? 私は30分前に来たんだぞ?」

「女性陣には嘘の時間を伝えておいた。峯沢は30分前に来る事も見越してな。顔触れが揃った所に現れる方が始まる前の質問責めに合い辛いんだ。フライング対策だよ」


 そんな話をしながら賑わう店内に入り、席に向かうとそれなりの顔触れが揃っていた。

 男子はイケメン、インテリ系、可愛い系、筋肉系の四人。(雑賀を入れて五人)

 女子は大人系、ギャル系、麗人系、小柄系の四人。(私を入れて五人)


 見た事の無い顔もチラホラ。しかし、イケメン男子は大学のミスターコンテストの優勝者で、大人系女子はテニスサークルの女帝として知っている。名前まではうろ覚えだが。

 それ以外は、記憶に無い面子であるが、男女共にそれなりのお洒落をしてきていた。(私はいつも通りの動きやすい服装で来た)


「皆、待たせて悪いな。特に男子」

「ホントだよ、雑賀。麗しい女性達を前に話しかけられないってのは拷問だよ?」

「言うじゃん、戸塚。まぁ、そろそろ開始だからもうちょっと待てよ」


 イケメン→戸塚か。ミスターコンではそれなりに有名なのだが、私は興味が無かったのでコレを機に名前を覚えるか。

 すると、戸塚か私に視線を向けてくる。イケメンビームってヤツだな。全く響かんが。


「峯沢も席に着いてくれ。空いてるあそこな」


 席に着くと、私にも烏龍茶が運ばれてくる。最初は皆烏龍茶の様だ。


「司会進行の雑賀だ。席は30分毎に男子が動くから正面に座る奴と会話をしてくれ。後、飲酒は未成年に勧めるなよー。通報or今後は合コンに呼ばねぇからな。基本的には皆素面で話そうぜ。これから合コンを始めまーす。カンパーイ」






 合コン開始。正直、何をすれば良いの分からないので雑賀の言う通り、正面のヤツと話す事にした。

 正面に座るのは筋肉系男子である。彼は腕を組んで眼を閉じている。鍛え込まれた二の腕が服の上からでも筋肉を押し上げていた。


「峯沢だ」

「……」


 反応が無い。ふむ、


「起きてるか?」

「峯沢か……」


 目を開けずに声だけで応じる。あちらはこっちの事を知っている様だ。


「私を知っているのか?」

「基本的には知ってるヤツしか来ないと思っても良い。俺はダメ元で雑賀に応募したら抽選で当たったクチだ」

「この面子は抽選だったのか……」

「雑賀と戸塚と峯沢の枠は確定だった。男の残り三枠は応募者からの抽選だ。その辺りの公平さが雑賀の良さだな。応募者へ平等に権利を与えてくれる」


 確定枠がある時点で、平等じゃないと思うんだが……まぁ、本人が納得してるならそれでも良いか。


「それよりも眼は開けないのか?」

「女性陣が眩しすぎて角膜が潰れかねん。ここまでレベルが高かったとは……」

「サングラスを持ってくるべきだったな」

「失念していた」


 変なヤツだな。まぁ……名前だけでも聞いておくか。


「改めて、私は峯沢だ」

「土門だ。マッスルサークルに所属している」

「なに? マッスルサークル?」


 インパクトある言葉に思わず聞き返す。


「他の大学にあるインカレサークルでな。日々、マッスラーを目指して身体を鍛える事を目的としたサークルだ。知らんのか?」

「知らん。そもそも、マッスラーって何だ?」

「正式名称、マッスルランナー。和名は『筋肉を未来へ走らせる者』という意味だ。略してマッスラーだな。諸説ある」

「ふむ。私の想像に掠りもしない世界がこの世にあるとは」


 まだまだ私の見聞も狭いらしい。己の無知と未熟な探求心を恥じよう。


「今度見学に行っても良いか? 少し興味がある」

「松林部長に打診しよう。彼は人を外見ではなく魂のマッスルで見る。部長に認められたら峯沢は初めてマッスラーの道へ歩めるだろう」

「言ってることの四割程しか理解できんが、よろしく頼む」

「うむ。任せておけ」


 そちらの道へ進む気は毛頭無いが、未知の世界を覗く好奇心は抑えないのが私の道だ。

 少し烏龍茶を飲む。


「……グワッ!?」

「! どうした?」


 すると、不意に土門が短い悲鳴を上げて怯んだ。


「峯沢が話しやすい女子だと思い、少し目を開けたが……とんでもない“美”の光に目がやられる所だった……」

「随分と難しい状況だな」

「ああ。マッスラーとして僅かな怪我は死に直結するのだ」

「身体は鍛えているのだろう?」


 並みの人間よりも土門は耐久値が高そうだ。そんじょそこらの怪我程度なら全部かすり傷で済みそうな肉体をしているが……


「筋トレが出来なければマッスラーは死ぬ。これは人類創成期よりの森羅万象だ」

「……強いのか弱いのか解らんな……」

「男性陣はそろそろ時間なので席をずれてくれー」


 雑賀の言葉に、むっ! もうか……と土門が目を閉じたまま移動しようとしたので常備しているサングラスを貸してやった。

 ずっと目を閉じていたらなんの為に来たのかわからんからな。って言うか、なんで初参加の私が気を使っているんだ?






「こ、こんにちは! 僕……小日向って言います……」


 席の移動で次に目の前に来たのは可愛い系男子の小日向だった。


「峯沢だ。小日向は合コンは初めてか?」

「は、はい! 今年美大に入学して……あ! 勿論、勉強第一ですよ! でも、姉さんから一度は合コンの経験を積むようにって……あ! 別に皆さんに興味が無いワケじゃないんです! 寧ろ……こんなに綺麗な人や格好いい人に囲まれて……なんだか場違い感が……」

「そんな事は無いぞ。何なら私は三年生だが、合コンは今回が初参加だしな」

「え? 峯沢……先輩もなんですか?」

「興味は無かったし、馬鹿らしいとも思った。時間の無駄だともな。しかし、その様な考えは良くないらしい」


 人が人を知るには、会話を交わさなければキッカケさえも作れない。

 自分の思うがままに他とは違う速度で走り続けたツケが今になって回ってきたのだろう。今更ながら異性を意識する感情を求める事になるとは昔の私には考えもしなかった。


「今回の合コンは互いに今後の糧としよう。経験という財産は行動しなければ得る事はできないのだからな」

「は、はい!」


 私は改めて小日向と乾杯すると、適度に家族の事や身内の事について話した。まぁ、大概は新入生へ大学生活のアドバイスと小日向の人生相談みたいな形になったが。






「今回の合コンは正直な所、峯沢と話すことが目的だった」

「そうなのか? 別に大学でも普通に話しかけてもよかったんだが」

「それは最後の手段にするつもりだった」

「どういう事だ? 取りあえず、名前を聞いてもいいか?」

「柴田だ」


 次に目の前に座ったインテリ系男性の柴田との会話はそんな感じで始まった。


「俺はスマホのアプリで会社を立ち上げていてな。そっちの関係で忙しい。会社が軌道に乗ったら大学は辞めるつもりだ」

「ほう。どんなアプリだ?」

「AIイラストだ」


 昨今、話題となっているAIによるイラスト生成。本職顔負けのイラストが出来上がると言われている。

 美術祭(大学の学園祭)では、一部のコーナーにAIアプリで制作した絵画の展示等は注目を集めていたが、私としてはあまりピンと来なかった。

 クオリティは高いのだが、何と言うか……絵に暖かみを感じない。


「雑賀から話を聞いている。『サイマリンの課題』の最終フェーズまで進んだそうだな」

「まぁな」


 話題は『サイマリンの課題』へ。一部の界隈ではその方面で私は有名らしい。


「俺も仲間と初期から挑戦したんだが、結局は第三フェーズで脱落した。峯沢と組むのが正解だったか」

「私達には先に走ってた人たちの情報があった。零れた情報を少しずつ拾い上げただけだよ」

「……トップを走る者が必ずしも、先にゴールへたどり着けるワケではなかったと言うことか……」

「勝負事の大半は先に始めた方が有利だ。しかし、『サイマリンの課題』はその常識外にあった。元々、彼は後に参加する人間でも平等に追い付けるようにしていたのだろう」


 30日の制限時間もフェイク。課題は無数の情報の中にある砂粒ほどの大きさのパズルピースに気づけるかどうかと言うモノだ。

 そして、それを集めた者が彼の島へ行く事が出来たのである。


「峯沢、答えられる範囲で良い。最終的には何人の人間が最終フェーズに上がって来たんだ?」

「私を入れて三人だ。一緒に動いてた雑賀も行けたが、アイツは彼女を優先して最終フェーズには参加しなかった」


 雑賀には彼女がいる。最終フェーズの船に乗る際に、命の保証は出来ない、と言う言葉に自ら脱落する事を選んだのだ。


「俺も参加したかったよ。サイマリンの遺産抜きにしてもな」

「楽なモノじゃなかったぞ? 何せ、島で行われた事は――」

「はーい、男陣は席の移動を頼む。一周したらフリートークの時間を設けるからよー」


 雑賀の指示が飛ぶ。30分とは思ったよりも短く感じるな。


「また後で聞かせてくれ」

「ああ」


 そう言うと柴田は席を立った。






「やぁ、峯沢。こうして話すのは初めてだね」

「そうだな戸塚」


 最後に目の前に座ったのは、男子の中では一番のお洒落をしてきたイケメンの戸塚だった。

 彼は金髪と蒼い眼を持つハーフ。父の血が濃いらしく、それが日本人にはない美を体現した産まれながらのイケメンだった。全国的に有名な雑誌の読者モデルもやってたりしており、この美術大学に来た理由は不明。ちなみに同年代。


「意外だよ。峯沢が合コンに興味があるなんてね」

「別に私も木の股から生まれたワケじゃない」


 彼とは良く講義で一緒になるが、戸塚の回りにはいつも女が言い寄ってるイメージが強い。まぁ、変に声を掛けられなくて助かっているが。


「ふーん。それで、俺の前三人と話したみたいだけど、ピンって来る人はいた?」

「皆、面白い。退屈はしなかったな」

「そうなんだ。こりゃ、俺も気合いを入れないとな」


 何のだよ。と、思ったが丁度烏龍茶に口を着けた所だったので、その言葉は出なかった。代わりに、


「戸塚は彼女が居ると思ってたけどな」

「ああ、ソレ皆勘違いするんだ。俺はずっとフリーだよ」

「そうなのか?」

「小中高では死ぬ程告白されたが、両親が厳しくてね。恋愛なんて認めて貰えなかった。将来はモデルになるって勝手に事務所にも登録しててさ。俺は画家に成りたかったから、そこだけは譲れなかった。反抗期を理由に家出したらこの美大をOKしてもらったよ」


 美大に来る為にそれなりに強引な手段を取った様だ。


「戸塚の神秘的な容姿なら、輝ける場所はいくらでも有りそうなモノだが」

「何してもこの容姿のオマケ程度にしか捉えて貰えない。けど、絵は違うだろ? 描いた人の気持ちが最も反映される。前に美術館に行ったときに感動した絵があってさ。同い年の人間が描いたって聞いてビックリしたんだ」

「ほー。興味あるな。どんなタイトルだ?」


 すると、戸塚はスマホを操作すると待ち受けにしている絵の画像を見せてくる。

 なんの変哲もない繁華街を風が吹き抜けるように躍動感を感じる一枚だった。これは――


「『帰路』。作者は峯沢影。君の作品だよ」

「…………」

「ふと入った美術館で見たこの絵に感銘を受けたんだ。俺も描きたいと思える程にね」


 人にこの気持ちを話すのは初めてだ、と戸塚は言う。


「……私の絵を見て美術の道を目指すようになってくれたのか」

「その場には俺の他にも見入っている人がいたよ。中でも俺は君がどんな人間なのかを知りたいと思った」

「そうか」


 私は自然と微笑んでいた。しかし、それは戸塚に対してではなく、私の描いた絵が他人に人生を決める程の感動を与えた事による嬉しさからだ。


「峯沢はそんな表情をするんだな」

「? ああ。すまん、つい嬉しくてな」

「……峯沢は今、彼氏いるのか?」

「ん? 居たら合コンなんて来ないぞ」

「ハハハ、それもそうか。知ってるか? 雑賀の合コンはカップル成立率が結構高いらしい」

「らしいな」


 私は上機嫌に烏龍茶を飲む。戸塚の話しは賞を取ったときや、サイマリンに勝った時よりも嬉しいモノだった。そうかそうか。私の絵が……フフ。


「なぁ、峯沢。良ければ――」

「時間だ。席をズレてくれー」


 絶妙なその宣言に戸塚は少しだけ恨めしそうに雑賀を見た。


「後で話そう」

「ああ、良いぞ」


 そう言って、戸塚は席を立った。






「で、どうよ?」


 最後に正面に座った雑賀が四人と話した感想を私に聞いてくる。


「全員、良いヤツだな。話してて退屈しなさそうだった」

「三人は運でこの席に着いたと思ってる様だが、実のところある程度は選定したんだぜ?」

「それ、三人には言うなよ」

「ハッハッハ。それで、筋肉、小動物、若社長、イケメン。この四人でピンとくるヤツはいたか?」

「正直に言っても良いか?」

「おう」

「友達や後輩としては良好な関係を築きたいと思った。しかし、結婚するとなればピンと来る事は無かったな」


 土門は己の道を突き詰めている感じで面白い。

 小日向は思わず世話を焼きたくなる後輩だ。

 柴田は対等に理的な会話が出来そうな友達って所だ。

 戸塚は……まぁ、彼は私のファンだろう。改めて私の進む道が間違いでないと伝えてくれた。


「結婚って……気が早すぎ無いか?」

「お前は何を言ってるんだ? 友達以上の付き合いをするのなら、結婚まで考えるのが当然だろう?」

「ま、まぁ……そうなんだけどよ」


 やれやれ。他に何があると言うんだ。私は烏龍茶を一口、グビッと飲んだ。


 その後、一時間のフリートークにて女性陣とも話をしたりしてそれなりに楽しい時間を過ごした。

 合コン。思った以上に楽しめたな。相手の事を知って好きなヤツを作るのが当然の流れかと思ったが、逆に自分の事を知れるとは……奧が深い。

 その後、戸塚が連絡先を聞いてきたので、折角だから全員と連絡先を交換した。(何か戸塚は苦笑いしていたが)

 こうやって、交友の輪は広がって行くのだな。






 数日後。


「よう、峯沢。あれからどんな感じだ?」

「雑賀か」


 私は自販機で烏龍茶を買った所で雑賀に声をかけられた。おそらく、合コンの面子とのその後を聞いていると察する。


「前に土門の居るマッスルサークルに行った」

「おお。じゃあ、あの四人の中で進展があったのは土門だったんだな? 峯沢はやっぱり肉体派か」

「いや、四人で行ったぞ」

「……四人?」


 私の返答に雑賀は首をかしげて不思議がる。


「全員が同時日に待ち合わせの連絡を寄越して来てな。折角だから全員で土門の所に行った」

「…………」

「マッスルサークル。身体を鍛えると言う行為は思ったよりも奧が深い。土門を何度も感心してしまった。小日向も逞しくなるために入る様だし、柴田も運動不足を解消するために通うらしい。戸塚もマッスラー達の容姿を差別しない暖かさに感銘を受けて入部――」

「おいおい、ちょ、ちょっと待て」

「なんだ? 人の話の腰を折る割り込みはいただけんな」

「バラバラな個性ある奴らを一つにまとめちまいやがって……」


 皆は納得して、マッスルサークルに入ったのだが……雑賀は何が不満なのだろうか?


「峯沢よ。お前は真面目に彼氏を作る気があるのか?」

「…………そうだった。私が彼氏を作る話しだったな」


 なんか、新たな交友関係が楽しすぎて忘れていた。


「いや……峯沢が良いなら別に良いんだけどよ」

「なんかスマン」

「まぁ、俺は背中を押すだけだから謝る必要はねぇ。それよりどうする? また合コンやるか?」

「ふむ……そうなると顔ぶれは変わるか?」

「そりゃ当たり前だ」


 私は少し考える。そして、


「少し、自分でも動いてみる」

「わかった。何かあったら相談してくれ。恋愛関係は峯沢よりも明るいからよ」

「その時は頼らせてもらう」


 前の合コンで大体の立ち回りはわかった。人に頼りきると、咄嗟に自分で判断がつかなくなる。常に己の考えで動くのが私だ。

 少ない選択肢しか選べない状況は望むモノではない。


「よし、コレに行ってみるか」


 今度は『街コン』なるモノへ足を踏み出した。






 更に数日後の夜。私は街コンの舞台となるブライダル会場に居た。

 普段は結婚式をやっている会場なのだが、予約の無い日は街コンの会場としても貸し出しているらしい。


峯沢影みねさきエイさん……ですね?」

「ああ」

「前もって連絡してある番号をこちらのiPadに打ち込んで下さい。参加費の五千円はあちらでお支払を」

「ありがとう」

「少し早いですが、中に入った時点で他の方と話をしても良いですので」


 今回は雑賀の合コンとは違って50人規模と言う、少し大きなステージに挑戦する事にした。

 しかも、顔見知りは居ないと言っても良い。全てが初対面だが……合コンを経験した私には問題無いだろう。今度こそ恋人を作るぞ!


「ふむ……やはり、合コンとは規模が違うな」


 会場はかなり広い。幾つもあるテーブルには酒や料理が置かれ、かなりの費用もかかっている事がわかった。そして、私は最初に少し失敗した。


「基本的に女子の服装はスカートか。私のようなズボンはいないな」


 服装も己の価値を上げるために配慮する必要がある、か。

 確かに、雑賀の時はある程度の顔見知りor座敷だったので服装は余程でなければ気にならなかっただろう。

 しかし、今回は基本的には立った状態で行い、全くの他人との交流が主になる。

 第一に見た目から気にかけるのは当然と言える。失念していた。現時点で他の参加者に比べて私は出遅れている……か。今後の反省点にしつつ、どの様な服装が男に好まれるのか観察させてもらおう。


「しかし……スカートかぁ」


 あんまり好きじゃ無いんだよな。ヒラヒラして動きにくいし。






「え? 谷高さん警部補なんですかー?」

「そんなに若いのにー、すごーい」

「そうでしょうか?」

「ハハハ、コイツ謙虚でしょ? そう言う所は昔からなんですよー」

「お友達さんはどんな職業なんですかー?」

「俺はフリーターです」

「谷高さんの話ー、もっと聞きたいなー♡」

「私もー♡」

「あはは……」

「こら、女共。人を職業と年収で判断してるのが見え見えなんだよ。散れ散れ(笑顔)」


 何よ、あの腰巾着ー。と、散らされた女性二人はしかめっ面で去って行った。


「狭間、警察官はそんなに言い寄られるモノなのか?」

「ステータスとしては安定してる優良物件だよ。基本は誠実なイメージがあるし、俺が女だったら結婚したいぜ」

「そこまでか?」


 初めて街コンに参加した谷高は、昔からその手の事に馴れている幼馴染みの狭間と共にやって来ていた。


「自分のステータスを自覚しろよ。警察官街道のエリートを突き進んで、将来の約束された男。しかも、恋愛に関しては純情うぶでいくらでも言い寄れるってなればそりゃ、群がるだろ」

「そう言う眼で見られて欲しくて警察官になったワケでは無いのだが……」

「警察官なんて、制服と帽子を取れば高ステータスの塊みたいなモンだよ。知り合いにでもなってりゃ、色々と頼らせてくれると思ってるヤツは多いからな」

「私は知り合いと言う理由で状況に優劣をつけたりはしない」

「知ってるよ。だから勘違いするヤツが寄ってこない様に俺がボディガードしてんじゃねぇか」


 二人は中学卒業後から疎遠になっていたが、狭間がコンビニでバイトをやっている時に迷惑客の対応に来た警察官が谷高だった事で再会した。

 その後はちょくちょく飲みに行く様になり、中学以来の関係に戻るのに時間はかからなかった。


「まさか……警察がボディガードを必要とする場があるとは……」

「俺はお前が急に婚活始めた事に驚いたぜ。昔から爽やか真面目だったクセによ。どう言う風の吹き回しだ?」

「……このだけの話だが、父が長くない様なんだ」

「マジ? あの『荒波覇王』の親父さんが?」

「ああ」


 『荒波覇王』。それは例え嵐の日でも船を繰り出し、大漁旗を掲げて帰還する谷高の父親の異名だった。

 嵐に襲われ、発生した大津波に対して船をサーファーの様に操って転覆を回避したりしているとか(写真アリ)。(それを見た他の漁師達は皆、ヤツはネジが飛んでると証言)


 船は一隻。船名は谷高丸。

 因みに船は二代目である。一度、海外の密漁船に攻撃され大破。無論、当人は無事で敵船に泳いで乗り込んで制圧。その船で帰航し海保に引き渡した事で国から新しい船をもらっている。

 そんな漁師界の覇王が床に伏せて居ると言う。狭間は正直信じられなかった。


「リアル、アク○マンの親父さんが死にかけるとは……そこまで追い詰めるのは何モンだよ」

「癌だ。流石の親父も病気には勝てないらしい」

「癌か……」


 なんだかイメージが無いけどなぁ……


「連絡を聞いて帰省したら、思った以上に痩せてたから本当だと思う。処方箋の薬も飲んでて、母さんも付きっきりだったから」

「そりゃマジだな」

「高校卒業で地元を出てから、電話とたまにの帰省だけで殆んど親孝行出来なかった。何か出来ることが無いか? と聞いたら――」

「聞いたら?」

「……一緒に将来を歩く伴侶を見せてくれだと」


 今一番、一人で仕事に集中したい谷高にとっては一番ハードルの高い要望だった。しかし咳き込む父を見たら、それは無理だ、とは言えなかったのだ。


「鬼の目にも涙……か」

「最悪、フリでも良いんだ。この街コンがダメだったら後輩に彼女役を頼むさ」


 しかし、出来ることならきちんと異性とお付き合いしたいとも思っていた。

 中途半端や妥協することは相手の女性にも失礼だし、何より互いの人生の時間を使うのだ。馬が合わずに別れる事になっても有意義なモノにしたい。


「真面目なお前はフリでもそのまま付き合っちまいそうだからな。それに親父さんに会った時に受け入れてくれる様な女性となると、普通よりも尖った人間がいい」

「そう言うのは私はからっきしだからなぁ。会場の女性全員が素敵に見える」

「警察官の慧眼はどうした?」

「挙動不審の人間なら解るんだけどね。それに今はオフだから」


 やっぱり、谷高を一人にすると危ないな。

 とにかく今回は、場の雰囲気と変な女に対する対応を覚えてもらうか。谷高は昔から教えてやれば自分で解釈していくらでも応用出来るヤツだし。






「……なる程、これは素晴らしい」


 エイは内部を観察しながらも高級料理を堪能しつつ、次に小さなグラスを持ち上げて注がれたシャンパンを見ていた。

 気泡と色。それは“気品”と言う名の美しさがあった。


 ここに来なければ知らなかった“人の生産が生み出す美”か……またもや収穫だな。って、いかんいかん。

 ここに来た目的は芸術の発見ではない。今回は街コンでの他の参加者達の立ち回りを観察するのだ。現状を無駄にしないためにも!


「……まぁ、コレは飲んでみるか」


 エイは手に取ったモノをテーブルに戻すのはマナーが悪いと自分に言い聞かせつつ、シャンパンを飲む。普通にめちゃくちゃ旨かった。すると、


「エイ・ミネサワ」

「ん? ……ギルフォート・クロウィッツ」


 すると、目の前に一人の外人が現れた。素人が見ても高価と解るスーツは、ギルフォート自身も上流階級の人間であると周囲に知らしめている。一人だけ貴族の様な雰囲気を纏っていた。


「……何をしに来た?」


 世界でも三桁位の富豪でもあるギルフォートが、こんな所にいるのは明らかに場違いだ。


「つれないね。僕はただ、父と君の勝負の行方を直接聞きたかっただけだよ」

「残念だが、私が勝った」

「父の財産は? あの人さ、『王』に全部譲るとか言ってたでしょ?」

「……少なくともお前の手に渡る様な事にはならん」

「へー。じゃあ君は父の全てを継いだんだ?」


 ギルフォートは海外で民間軍事会社を運営しつつ、武器を売る武器商人だった。彼は父親であるサイマリンの財産を使い、更なる事業の拡大――戦争を目論んでいる危険な人物である。

 サイマリンの孤島に渡った三人の内の一人でもあり、最後はエイとの勝負で敗北した。


「私の手には余るのでな。運用はサイマリンに任せてある。その内にまた“課題”でも出るんじゃないか?」

「そうなったら是非参加するよ。君は?」

「お前にだけは負けてはやれん」


 ギルフォートはおおらかに笑っているが、エイは自分を的に現れたのだと察していた。

 すると、ギルフォートは肩を竦める。


「そう警戒しないでくれたまえよ。君を狙って現れたのは認めるさ。けど、こう言うパーティーも新鮮な気がしててね。ジャパンも中々に面白い事を考える」


 ギルフォートの外見は会場でもトップだろう。加えて高価なスーツを完璧に着こなす気品とルックスは一際眼を引いた。


「そうか。なら楽しめ」


 エイは離れる。他人を利用する事しか考えていないギルフォートとは話すだけ無駄だ。サイマリンに連絡し――


「――――」


 スマホを取り出そうとした時、思わず床に落とした。拾い上げようとしたら倒れそうになったので片膝をつく。


「おやおや、どうしたんだい?」


 視界と意識が歪む。酔ったような気持ち悪さ……これは……まさか……

 あの島でギルフォートが使った“薬”か!? コイツは人の死は生産性にならないと考えている。より、生きて“消費”してくれた方が潤うと言う、人を生かしたまま殺す歪んだ思想を持つのだ。


「貴様……一体いつ……」

「君は何かを取る時に端から取る。広く、物事を見る為にね」

「くっ……」


 あの時のシャンパンか……

 マズイ……今、気を失うと私の身柄はギルフォートが請け負うだろう。この会場で私が話をしたのはヤツだけ……だ……か……ら……


 エイはフラつきながらも誰かわからない人間にぶつかる。


「! 大丈夫ですか!?」

「……私を……連れ出して――」


 その人物の服を掴んで懇願するだけで精一杯だった。エイの意識と視界は暗転する。






「…………――」


 ゆっくり目を覚ましたエイは少しだけ、ぼんやりと綺麗な天井を眺めて居たが、次の瞬間に認識が覚醒し、ガバッ! と勢い良く起き上がる。同時に襲った頭痛に少し額を押さえた。


 ベッド……部屋……どこかのホテルか!? 窓からは……日の光……朝……か?


 どうやら自分はベッドで眠っていた様だ。カーテンのかかった横の窓から射し込む薄い光から時間帯は早朝であると認識する。


「……っ」


 あれからどうなった? ここは……日本か?

 あの会場に来た時は一人だった事からもギルフォートに引き取られる可能性は十分にあった。うろ覚えで誰かに身柄を頼んだ所までは覚えているが……


「スマホ……」


 近くの台に置かれたスマホと財布などは無事。それと、警察手帳も置いてあった。


「……なんでこんなものが?」


 ソレを手に取りつつ、ベッドから出ようとした時にある事に気がつく。


「……何故バスローブ姿なんだ?」


 着ていた服は下着も込みでベッドの枕元に丁寧に畳まれていた。


「起きましたか?」

「!!???」


 誰も居ないと思っていた故に少しズレた毛布を慌てて寄せ、スマホを取る。

 声の方に視線を向けるとビニール袋を持った男が外から帰ってきた様子だった。


「……お前は誰だ?」


 当然、エイは警戒する。男は少し困ったように、近くのテーブルにビニールを置きながら離れた椅子に座った。


「昨晩、貴女に助けを求められた者です。成り行きから一晩のこの部屋で一緒に過ごす事になりまして」


 そう言うと決して近づこうとはしなかった。


「…………」

「何も解らないまま、起きたらホテルに居ては困惑しているでしょう? ご両親に連絡しようと思いましたが、スマホにはロックがかかり、街コンでの情報もそちらのスマートフォンの番号のみだった様なので」

「……男が一晩同じ部屋に居る意味にはならん」

「私も貴女をここに預けたら帰るつもりでした。しかし、色々と事情がありまして……あ、個人的な事ではありません。私は警察官でして、○○署の谷高と言います。そこの警察手帳はご覧になりましたか?」


 エイは咄嗟に手に持った手帳を改めて確認する。


「谷高……哲章警部補?」

「状況が状況がですので、すぐには信用できないと思います。出ていけと言われればすぐに部屋から出ましょう。その前に昨晩、貴女が気を失ってから何があったのかを話させてもらえますか?」

「…………わかった。聞こう」


 エイは油断せずに哲章を見る。もしも彼が自分に襲いかかってきても毛布を被せて逃げられる様に出口の位置だけはチラリと確認した。






「……私を……連れ出して――」


 そう言って、すがってくるエイは力を失って床に伏す――前に哲章は片膝立ちで抱える様に彼女を支えた。


「大丈夫ですか!?」


 唐突に人が倒れた。場の注目が一気にエイと哲章に集まる。


「おいおい、一体なんだ? どうした?」


 料理をパクパクしていた狭間も慌てて寄ってくる。


「わからない。急に助けを求められた。誰か! 救急車を――」

「失礼、ミスター」


 その時、友好的に微笑みながら哲章を見下ろすのは異国の紳士だった。


「僕はギルフォートと申します。彼女は私の“友人”でして酒に弱くてね。酔ってしまった様です」

「……」


 会場の男性の中では一番目を引いていた人物であるギルフォート。彼の流暢な日本語は全くもって違和感がない。


「狭間。この会場に用意された酒類は数杯で酔い潰れるモノなのか?」

「ないない。ほぼジュースだ。全部飲み干したって千鳥足にもならんぜ」


 なのに酔い潰れる等とあるだろうか?


「彼女は僕が介抱しよう」


 本来なら友人と名乗るギルフォートに任せるのが筋だろう。しかし、状況には違和感しか無い。そして、先ほどの彼女の助けを求めるような言葉は彼に向けられたモノじゃなかった。


「この場は他人との交流を広める場だ。酒が弱いと本人が認識しつつ、ソレに手をつけるとは思えない」

「彼女はいつも飲酒量を見誤るのでね。気にかける意味でも僕が傍に居るのさ」

「彼女は助けを求めた。貴方ではなく私にだ。本当に“友人”なのですか?」

「ええ、勿論」


 そう言って友好的に微笑むギルフォートだが、警察官として鋭い観察眼を持つ哲章からすれば信用に値しない。


「失礼ながら、彼女の友人であると証明出来るモノは? 一緒に写ってる写真でも良い」

「彼女はあまり写真に写りたがらなくてね。それよりも、貴方はなんなんだ? 何故、そこまで彼女に肩入れする?」

「私は警官だ。人に助けを求められれば安心できる状況になるまで関わるのは当然だろう」

「なるホド」


 少しだけギルフォートはカタコトになる。

 哲章が警官と明かしてもギルフォートは退く様子はない。寧ろ、余裕さえある表情だった。

 互いに退く様子の無い二人。

 一人の女性を二人の男性が取り合う様な構図にギャラリーも集まり、口論の行く末を見守る。その時、


「どうしたのかしら? 私に状況を教えてくれるかしら?」


 場に割って入ったのは初老の女性だった。

 ギルフォートは相も変わらず友好的な笑みで中年女性を見て、哲章は少し驚く。


「失礼、御婦人。貴女は?」

「この会場の主催者である烏間です。トラブルが起こったようで」


 烏間はギルフォートと哲章と、気を失って支えられているエイを見た。


「そちらのお嬢さんは?」

「酔ったようでして」

「そう……」


 そして、烏間は哲章を見ると軽くウィンクした。哲章は、? と首をかしげる。その意図が読めない。


「彼女を抱えていらっしゃる貴方、そのまま介抱をお願いしても良いかしら?」

「それは構わないが……」

「Mrs.カラスマ」


 無論、ギルフォートが抗議の声を上げる。


「僕は彼女の友人です。それなら、見知らぬ人物よりも僕が相応し――」

「貴方、海外そとでは派手に動いているそうね」


 烏間はギルフォートにだけ聞こえる様に告げる。


「拉致問題は最近ようやく解決したの。これ以上、ここでまた新しい“問題”が起こる事を国も“彼”も望んでないわ」

「彼?」


 カチャン……と食器の音がその存在感を気づかせる為に鳴る。

 その“彼”は今の喧騒を意に返さず、背を向けて料理を食べていた。雑踏へ違和感なく完璧に紛れていたその気配にギルフォートは全く気づかなかった。


「…………」

「貴方はずっとマークされてるの。この国の殺意与奪の権利を持つ“執行者”から」

「噂通り……と言う事か」

「姿を見せるのは“彼”からの警告よ。あまり、この国をナメない方が良いわ♪」

「……どうやら。出直す必要があるみたいだね」

「私はこの国から出る事をお勧めするわ、Mr.ギルフォート。特に今、“彼”は一番弟子が居なくなって機嫌が悪いから」


 ギルフォートは哲章とエイを見ると、何も言わずに一礼して場を後にした。それに伴って、“彼”も気配なく会場から姿を消す。

 その様子にギャラリーは理解できず、どよめくばかりだった。すると烏間は仕切り直す様に、パンッ! と両手で叩いて音を出す。


「皆さん、貴重な時間を中断させてしまって申し訳ありません。こちらの不手際と言う事で、参加費はお返しします。残り時間を有意義にお過ごしください」


 その烏間の発言に参加者の皆は、オォー、と感嘆の声を上げて一つのイベントを見終わった様に雰囲気は元に戻った。


「おいおい。マジかよ……あの人って」

「『日本保全党』幹事長の烏間議員だ」


 哲章は勿論、狭間も烏間の事は知っていた。

 『日本保全党』は日本が長年進展がなかった拉致問題を解決した。それは後の日本史に載る程の偉業であり、律役者である『王城』と『烏間』は偉人認定される程の傑物である。


「お嬢さんは大丈夫かしら?」

「少し、酔ってるみたいでして」


 烏間はエイの様子を心配して声をかけてくる。


「あらあら。本当に酔ってるの?」

「大事には至らないと思いますが」


 上流階級との会話に慣れている哲章はスラスラと対応するが狭間は、スゲー本物だ、と偉人を前に少し距離を置く。


「それじゃ貴方は、彼女をホテルに送ってあげて。外に行きのタクシーを呼んであるから」

「彼女の信頼できる身内へ連絡をして頂けますか? それならホテルに行く必要は――」

「その子、登録情報がそのスマホの番号だけなのよ。誰でも参加出来る様にしたのが仇になっちゃったわ」

「……本当ですか?」

「ホントホント♪」


 明らかに自分に任せようとする様子を哲章も感じる。烏間は、おほほ、と口元に手を当て、


「貴方は信用できるもの、谷高警部補。その友達の狭間さんもね」

「いつ私達の名前を――」

「主催者の特権♪」

「怖ぇぇ……」

「はい、これ名刺ね♪」


 烏間から差し出される名刺を哲章は受け取る。

 何でもお見通しのような雰囲気は、まさに支配階級の格を感じる。生きる世界が違う人種を目の当たりにしつつ、哲章は諦めるとエイを背中に回して抱えた。


「あら、そこはお姫様抱っこじゃないの?」

「意識のない要介護者を運ぶときはこちらの方が楽なので」

「ほら、でもムードとかあるでしょ?」

「……相手が気を失ってるのにムードは必要ですか?」


 ロマンチックは必要よ? ホテルに運ぶのが優先です。と、哲章は係員の誘導で出口へ向かった。


「狭間さんも楽しんで行ってくださいね」

「俺は帰るっす。谷高の――親友が変なのに引っかからないガードだったんで」

「そうなの? よかったら貴方と気が合いそうな子を紹介してあげましょうか?」

「え? マジですか?」

「マジマジ」


 と、烏間は若い者の恋愛事情を何よりも楽しんでいた。






「――と言うワケです。警察手帳に烏間議員の名刺も挟んであります。この場で連絡して確認をとってもらっても構いません」

「…………」


 少し信じがたい事ではあるが、嘘をつくならここまで手の込んだシナリオは考えないだろう。しかし、エイにはまだ確かめなければならない事があった。


「なぜ私は服を着ていないんだ?」

「あ……それはですね……」


 と、初めて哲章の表情が気まずくなる。エイはジリ……と身構えた。






「ここですか?」

「そうですよ。烏間議員の指示です。料金は頂いておりますので」


 タクシー運転手はそう言ってエイを抱えた哲章を降ろすとブロローと走り去った。目の前には高層ビルの様にそびえ立つ帝国ホテルが鎮座している。


「……」


 哲章は少し呆けてしまったが、取りあえず言われた通りにホテルへ。

 ロビーへ続く階段を女性一人を背負って上がる様は入れ違いに降りる者立ちからは奇異な目で見られた。


「……やはり、官僚や著名人御用達のホテルか」


 ロビーに入ると目に入る高級感に街コン用に少しお洒落な私服では明らかに格下な風貌に写ってしまうことに少し苦笑する。

 そのままカウンターへ向かうと、受付に話しを通す。


「すみません。こちらに宿泊するように言われた者ですが」


 エイを背負ったままの哲章に、受付の男は何ともない様子で対応を始める。


「ご予約の方ですか? お名前をお聞きしても?」

「谷高哲章です。烏間議員よりここへ行くように指示を――」

「烏間様からですか!? ご確認致しますので少しお待ちください!」


 急に慌て出す受付は傍らの電話を取るとその場で連絡を始めた。


「烏間様、ホテルの者です。……はい。谷高哲章様が……『神島』様とは関係無い……と? お戯れの方ですか? ……はい。……お嬢様の方が? そうですか……解りました」


 受付は受話器を置くと鍵をスッと差し出す。


「最上階に一部屋ございます。それと――」


 受付は視線を別に向けると、そちらからネームプレートを首から下げたロビー従業員の女性が歩いてきた。


「従業員の颯田さったがお付き添い致します。峯沢様を抱えたままでは何かと不自由でしょうから」

「颯田です。よろしくお願いします」

「ど、どうも……」


 どんどん、VIPな扱いになっていく様子に流石の哲章も動揺が隠せなくなる。心なしかロビーに居る他の客も、

 付き人が手配されるなんて……どこかの御曹司かしら?

 娘の方が議員の身内か?

 等とざわついている。


「谷高様、ご案内致します」

「お願いします」


 ただの警察官です。と、心の中で呟きつつ、颯田の導きでエレベーターへ。

 迷いそうな程の階層と部屋数であったが、颯田の案内でスムーズに指定された部屋へ着いた。

 二人でも充分すぎる程に広い部屋にはダブルベッドが普通に置かれている。


「…………」

「御二人様でも、充分にお広いかと」


 移動中、颯田は耳のイヤホンマイクから何やら指示を受けている様子だった。


「それでは、何かありましたらロビーへ連絡を。この颯田がお引き受け致します」

「いえ、私は泊まるつもりはありませんよ。彼女の事は颯田さんにお任せしてもよろしいですか?」


 ここらが撤退所だろう。哲章はそう判断して後は颯田に任せることにした。

 颯田はニコニコしつつ、


「お断りいたします」

「……え?」

「それでは、谷高様。何かありましたらご連絡をお願いします」


 そう言ってニコニコ顔を崩さないまま、ペコリとお辞儀する颯田は一礼して部屋を後にした。


「……どう言うことだ?」


 少し不可解な状況に哲章は混乱する。そして、


「しまった……そう言う関係に見られたか」


 自分と彼女が恋仲であると思われたのだろう。うーん……うーん……と唸るエイをダブルベッドへ寝かせると、ロビーへ連絡する。


『はい、ロビーですが?』

「すみません、先ほど案内された谷高ですが」

『谷高様。どうなされました?』

「颯田さんをお願いします」

『少々お待ちを――』


 内線が颯田へ切り替わる。


『御用ですか? 谷高様』

「颯田さん。私は彼女とは恋仲の関係ではないのです。それどころか全くの赤の他人でして、成り行きから手を貸したに過ぎません」

『そうなのですね』

「ですので、彼女の傍には颯田さんが付いていて貰えれば、と」

『谷高様』

「はい」

『お断りいたします』

「なぜ!?」


 見知らぬ男女を一つの部屋に入れる意味を知らぬハズがない。双方にその気が無くても、様々な誤解が生まれるだろう。


『それに関しては烏間様より伝言がございます』

「え? 伝言ですか?」

『“ごゆっくり”。と』

「……」


 まさか……あの噂は本当だったのか?

 烏間議員は、政治の傍らに結婚相談や斡旋事業に手を伸ばしていると言う。

 本当に噂程度だが……今回の件は完全に彼女の勘違いだ。


「そ、それに関しては訂正――」

『御二人様の為に部屋を御用意しておられます。もしも、そうでないと仰られるのでありましたら、何もせずに一晩お過ごしになればよろしいかと』

「しかしですね……」

『烏間様は昨今の少子化に対しても頭を悩ませておいでです。谷高様とお嬢様がその様な関係にならずとも、一晩だけ烏間様の意図を汲んでは貰えませんか?』

「…………」


 確かに……このまま何もしなければ良いだけだ。それに、烏間議員の好意を無下にするのは警察界隈でも良い事ではない。しかし……個人の意思は――


『それに、シャワーの音が聞こえますが。お嬢様はお目覚めになられたのですか?』

「ん? え?」


 そう言われて哲章は振り向くと、エイの姿はダブルベッドには無かった。

 受話器をそのままに慌てて浴室へ行くと、う~ん、う~ん、と唸りながら服を着たままよエイがシャワーからのお湯で、ずぶ濡れになっている。


「!!! なんっ! っ!」


 彼女は意識が無かったハズ。何と言う入浴への執念だ!


 哲章は慌ててシャワーを止める。しかし、既にずぶ濡れのエイはどうしようもない。彼女のスマホを別で自分が預かっていたのは不幸中の幸いだろう。


 肌に張り付く濡れた衣服は夏の薄着故に透けてエイの肢体を魅力的に引き立てる。


「…………」


 哲章は、バスタオルをその上からエイにかけてあげると受話器に戻る。


「颯田さん。まだ繋がっていますか?」

『はい』

「彼女が濡れてしまって……衣服を着替えさせて貰えませんか? 後、服の乾燥もお願いしたいのですが……」


 すると、コンコン、とノック音。開けると颯田が立っていた。


「お任せください♪ 谷高様は一度お部屋の外へ」


 ずっと部屋の前で待機してたのか……

 颯田の言う通り少しの間、廊下で待機。取りあえず現状を狭間にLINEし、そのやり取りで時間を潰していると、


「谷高様。ご入室を」


 颯田に促されて部屋へ戻る。彼女はエイの着替えを持ちつつ、哲章を中へ案内する。

 ベッドにはバスローブに着替えさせられたエイが俯せになっていた。


「お嬢様はまだ起きないご様子です。衣服は私がクリーニングさせて頂きます。それではごゆっくり」

「…………」


 そう言って颯田は部屋を後にした。


「…………」


 哲章はダブルベッドで横になるエイに近づくと手を伸ばし、顔にかかっている前髪を少し避けてあげた。

 整った顔立ちに化粧をしている様子はなく、眼を閉じていても美しさを感じた。


「……何と言う一日だ……」


 そのまま、彼女に毛布をかけると、自分は床へ横になる。

 こんなことになるとは……街コンとは恐ろしいな……






「と言う事です。目を覚ましたら貴女は空腹だろうと思い、ロビーのコンビニでパンと牛乳を買ってきました。食べてください」


 哲章はコンビニ袋を近くのテーブルに置くと立ち上がる。

 昨晩の事もあって、誰かが作ったモノは警戒して食べないだろうと言う事を考慮して封のある食べ物を調達してきたのだ。


「警察手帳を頂いても?」

「あ、ああ……」


 エイは哲章に手帳を手渡しで返すと、彼は懐にしまう。


「それでは、私はこれから仕事なので先にチェックアウトします。代金は本日分までは支払い済みらしいので、ゆっくり帰られると良いですよ」


 そう告げる哲章は入り口に向かう。


「峯沢影だ」


 少し呆けていたエイはその背に名乗る。哲章は顔を向けて微笑むと、


「それでは峯沢さん。お気をつけて」


 そう告げて部屋を後にした。






「……サイマリン。ギルフォートが私の所に来た」


 ホテルを出たエイは街を歩きながらサイマリンへ昨夜の事を連絡する。


『ああ、もう耳にしている。シャル、一服盛られたようだが……大事はないかい?』

「島で使われた酔いを強める薬だった。身体は何ともない」

『すまないね、ギルフォートの事は完全に失念していた。今後、その様な事が無い様にこちらで対策をとる』

「それは是非頼みたい所だが、完全に抑え込むのは無理なんじゃないか?」


 サイマリン程では無いにしろ、ギルフォートも力を持つ資産家である。対策の穴をついてまた現れる可能性は充分にあった。


『ツテがあるのだよ。少なくとも日本に居る間は君は安全だ』

「日本限定か……」

『その間にギルフォートの力をこちらで削ぐ。数年は日本に居てくれるかい?』

「資産を存分に使って、立ち直れないくらいにしてくれ」

『任せたまえ』


 連絡を切り、再び歩き出す。

 これでギルフォートは何とかなるだろう。サイマリンの“資産”は綺麗なモノばかりではない。そちら方面でのツテも多くある事を察せる。

 あっちの事はサイマリンに任せてしばらくは国内で学業と就職に専念するか。


「…………初めてだったな。父上以外は」


 落ち着いて次に頭をよぎったのはうろ覚えでも感じた安心感だった。

 緊急事態だったとはいえ、見知らぬ人を頼った。しかし、彼はギルフォートに一歩も引かなかった所か、私が目を覚ますまで傍にいてくれた。


「……背中……大きかったなぁ」


 虚ろな意識でも感じていた安心できる背中。

 いやいや……単に吊り橋効果だ。うん。きっとそうだ。普段通りに生活していればいずれ元に戻るさ。


「牛丼でも食べて帰るか」






 数日後――


「峯沢」

「……」

「おーい、峯沢さーん?」

「……なんだ? 雑賀」

「そりゃこっちの台詞だ」


 中庭でペットボトルを持って、木漏れ日の間からぼーっと空を眺めていたエイは、鈍い動きで雑賀に視線を向ける。


「一体どうしたんだよ? ここ数日、覇気がまるでねぇぞ? どこか心非ずってかんじだ」

「……私にも良くわからん」


 ここ数日、助けてもらった彼の事が頭から離れない。

 これはどういう事だ? ギルフォートの薬の副作用か? しかし、それ以外に身体に異変はないのだ。


「……峯沢。多分、お前ソレ初恋だぞ」

「……そんな馬鹿な」


 雑賀の言葉に、はん、と鼻で笑う。


「俺も疑ったぜ。峯沢が誰かに惚れるなんて天地がひっくり返らない限り、あり得ないからな」

「天地はひっくり返ってないぞ」

「顔は赤いぞ」

「なに?」


 雑賀は近くのガラスを指差す。

 エイはそこに映る自分の顔を見た。不透明な反射でもわかる程に顔色は赤い。


「…………」

「峯沢にそこまでの顔をさせる奴は何者だ?」

「…………警察官だ」

「……つくづく、普通の恋愛はしねぇんだな」

「…………ああ! もう! 解った!!」


 赤い顔と想いを馳せる腑抜けた己の表情に嫌気が指したエイは力一杯叫ぶ。


「うぉ!? ビックリした……急にどうした?」

「雑賀! 私は告白に行く! お前が見届け人になれ!」


 少しだけアグレッシブさを取り戻したエイはそう言って歩いていく。


 これも糧にして、腑抜けた自分を正してくれる!!


「サイマリンの課題よりも面白い事になりそうだ」


 腑抜ける前よりも強い気迫を漂わせるその背中に雑賀は面白半分で続いた。






「さて……どうしたモノかな」


 勤務を終えた哲章は警察署でロッカーを閉めると、彼女問題に頭を悩ませていた。


「まさか、水面君に既に彼氏が居たとはな」


 例の件で後輩に彼女役を頼んだ所、既に同棲している彼氏が居ることを告げられて断念したのである。

 父とも電話で話したが咳き込む様子から、なるべく早く安心させてあげたいと思っている。しかし、


「やはり、中途半端ではダメだな」


 誰かと付き合うと言うことは、その者の人生を決めるかもしれない選択だ。真剣に向き合わねば失礼と言うもの。

 再び、狭間に頼るべきか。

 そう考えた時、ふと頭をよぎったのは、数日前に少しだけ関わった女性の寝顔だった。


「……駄目だ。警察官としてあるまじき妄想だぞ」


 美しいエイの寝顔を思い出して、己を律する様に言い聞かせる。こんな事は誰にも話せん。


「ん?」


 裏口へ向かおうとしたら、署の入り口が少し騒がしい。しかし、対応は問題ない様子なので駐車場へ――


「谷高警部補に会いたいんだ! 彼の警察手帳にはここの所属と書いてあったぞ!」


 それは、彼女の声だった。同僚や他の警官も対応に集まる始末。私も思わず受付へ。


「どうしました?」

「あ、谷高警部補」

「やはり居たな!」


 彼女は複数の警官に囲まれて居るにも関わらず、物怖じせずに困らせていた。

 それは他にはない彼女の特徴なのだろう。

 唯我独尊……と言うワケではなく、感情のぶつけ方や表現を思ったそのままに口から放つストレートな性格。堅実に生きて、規律を守る事を心得る自分には出来ない生き方だ。


 強い瞳が私を見る。それは敵意ではなく、なにかを決意した眼。ほんのり赤い顔も含めて美しいと感じた。そこで私は自覚した。


 ……どうやら、私は彼女が気になるらしい。


 ここでは迷惑になる。そう言って取りあえず食事にでも誘おうと思ったら――


「谷高警部補! 私と結婚してくれ!」


 そう告げる彼女の言葉に場が静まり帰った。


 




 数年後――


「まさか、あんな形でプロポーズされるとは思わなかったよ」

「恥ずかしい事を掘り返すな、哲章!」


 当時を思いながら車を運転する哲章は、助手席に座って開けた窓から風を受けるエイに、ふふ、と微笑む。


「それにしても、お互いの事情も同じだったとは。最初から腹を割って話していたら関係はもっとスムーズだったかな?」

「……知らん。けど……少なくとも私たちが出会った時点で、こうなるんじゃないかって事は感じていた」

「今思えば、私も君には一目惚れだったからね。エイは?」

「………………」

「そうか。君もか」

「解ってるなら聞くな!」


 恥ずかしそうに外に視線を向け続けるエイはプロポーズしに警察署へ来たときと同じ顔色をしていると哲章は察する。


 エイは哲章を、哲章はエイを、自分の親に結婚する旨を伝えて大いに喜ばれた。(『荒波覇王』はその報告を聞いて即日癌が治ったらしく、次の日から普通に船を出港していた)

 その後、エイが卒業と同時に二人は結婚し同居を開始。

 哲章は程なくして警部となり、エイは専業主婦として料理教室に通ったり、家事全般を引き受けて夫を支えていた。


「それにしても……親達はまた無理難題を言って来たよな」


 次に両家の両親が言ってきたのは、孫が見たい! だった。完全に調子に乗ってるな……とエイは警視となる為に奔走する哲章の事を気づかって目くじらを立てたのだった。


「私は別に負担には感じていないよ。寧ろ、警官として護る家族が増える事は望ましい事だからね」


 夫のその言葉にエイは窓の外を見ながら、自分の腹部を押さえつつ微笑む。


「私はお前を誰よりも愛してる。だから娘が産まれても優先順位は変わらないから安心しろ」

「そこは、子を優先してくれて良いよ」

「まったく……まだ脳ミソも出来てない娘にデレやがって」


 そう悪態をつきつつも、哲章との間に宿った子に対する愛情は誰よりも注げるとエイは感じていた。






 数年後。


「サイマリン」

「やぁ、久しぶりだね。シャル」


 ギルフォートの件が片付いたと連絡を受けたエイは、サイマリンの孤島へ足を運んでいた。


「ギルフォートの資産と地位は完全に消滅した。当人もそれらと共にこの世から去ったよ」

「そうか……危険なヤツだったから、最期もロクな事にはならないと思っていたが」

「仕方のない事さ。私としても命だけは救いたかったが……息子はサモンに心酔していてね。もう手遅れだった」

「サモン?」

「こちらの話だ。君の人生に関わる事はないよ」


 サイマリンは血の繋がった息子よりも、自分の事を選んだ。エイはそれに対して少しだけ申し訳無さを感じた。


「ほら、挨拶して」

「……うー」


 そして、エイは自分に隠れる様にサイマリンを見る幼女に優しく声をかける。


「おや、素敵なレディだ」


 サイマリンは片膝をついて胸に手を当てるとマジックのように、ポンッ! と一輪の花を出現させて幼女へ差し出す。


「わぁ! すごいすごい!」


 警戒していた幼女は眼を輝かせて花を受け取った。


「シャル、この子は――」

「私と夫の“光”だ。ほら、自己紹介して」

「ひかりは……やたか、ひかり! おじいちゃんは……ママのおじいちゃん?」

「いや、私は――」

「ああ。そうだよ、ヒカリ。彼は私の父親の様な人で、お前にとってお祖父ちゃんみたいな存在だ」


 その言葉にサイマリンは顔をあげると、エイは今さら他人じゃないだろう? と微笑んだ。


「さいまりん、おじいちゃん! さっきのお花だすの! どうやったの? ヒカリにもおしえてー」

「ああ……いいよ。ありがとう、シャル」


 失い続けるだけの人生を送る覚悟だったサイマリンは、改めて家族の暖かさを思い出した。






 人生において、色々な事があった。

 中でも哲章と結婚した事とヒカリが産まれた事は私のやって来た大冒険を落ち着かせるには充分――じゃないな。

 何故なら、その後も私の家族は更に増えるからだ。


「おとなし……ダイキ……です……」

「音無歌恋です。息子がホントに世話になりっぱなしで」

「さめじまリンカです! ひかりちゃんのおかあさんですか?」

「鮫島瀬奈で~す。娘が度々お世話になって居るみたいで~今度、みんなでお食事会でもしませんか~?」

「あ……どうも。鳳健吾です……あの……不審者じゃありません……」


 とまぁ、退屈しない人生は私に用意された今世の輪廻らしい。

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懐いてた年下の女の子が三年空けると口が悪くなってた話 古朗伍 @furukawa

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