命盗人

多田いづみ

命盗人

 ある病院に入院していたときの話だ。


 入院して何日か経って、持ってきた本もあらかた読み尽くし、といって検査の時間以外は何もやることがなく、暇にあかして院内を歩きまわるうちに、ちいさな休憩所にたどりついた。


 そこは病院の裏手にある人気のないところで、飲み物の自動販売機が数台と古ぼけた合皮シートのベンチが置いてあるだけの、ひどく寂れた場所だった。販売機のコンプレッサーが、ブウンと低くうなっているほかには、何の物音もない。


 先客がひとりあった。白髪まじりの髪の短い男性が、背を向けてベンチに座っている。小柄で丸まった背中。歳は四、五十ぐらいだろうか。お仕着せの青みがかった制服というか白衣を着ているところをみると、病院の関係者なのだろう。


 と、急にのどが渇いてきた。考えてみたら、広い院内を行ったり来たり上がったり降りたりで、一時間ちかくも徘徊はいかいしていたのだ。何を飲もうかと販売機の前で思案していると、ふいに男がビクッと体を震わせて飛び上がった。


 ああ、またやってしまったと思った。

 というのは、ぼくは子供のころから存在感のなさには定評があるのだ。いるのかいないのか分からないほど存在感がなく、修学旅行でバスに置いていかれても誰にも気づかれなかったくらいである。べつに気配を消しているつもりはないのに、他人にはいきなり現れたように見えるらしく、よくびっくりされる。


 しかしその男の驚きようといったらなかった。まるで電気が走ったみたいに体を跳ね上げ、ベンチから十センチも浮いたように見えた。

「すみません。驚かせてしまったみたいで」

 とぼくは謝った。

「心臓が止まるかと思ったぜ――にいさん、あんた殺し屋になれるよ」

 男は深呼吸して落ち着きを取り戻しながら、半ばあきれたような表情で言った。

「おれは商売柄、他人の気配には敏感な方なんだがね。二度も気がつかなかったのは、あんたが初めてだ」


 ――二度も?

 ということは、ぼくは以前この男に会っているのだろうか。それに医療従事者が、他人の気配に敏感だなんてきいたことがない。

「ほら、さっき会っただろう? おれが病室を掃除してるときにさ」

 そう言われて、ようやく思い出した。

 院内を徘徊していたとき、たまたま空いていたドアから、この男が患者の額に手を当てているのが見えたのだ。思えば、そこで目が合ったような気もする。


 そのときは、担当の医師や看護師の診察か何かだと思ったから、とくに気にもせず通りすぎた。ほんの一瞬のことだったので男のことなど忘れていたのだ。が、よく考えてみると、診察のための道具を何も持たず、ひとりで病室にいたというのはどうもおかしい。男は医師でも看護師でもないのかもしれない。本人が言っているように、やはり清掃員なのだろう。


 しかしあれが診察ではなかったとすると、患者に何をしていたのやら。まさか熱を測っていたわけでもあるまい。


「さっきおれが何をしてたのか気になるかい? 見られちまったんだ、教えてやるよ。おれがあそこで何をしてたのか。どうせ暇なんだろう」

 男はそう言って、自分が座っているベンチをぽんぽんと叩いた。そこに座れということらしい。ぼくは仕方なく――というより興味津々で男の横に座った。



      *



 おれはもともと盗人ぬすっとでね。学がないから盗人をやるよりほかなかった。今は違うぜ? すくなくとも金品は長いこと盗ってない。誓ってほんとうだ。


 ま、とにかく若いころは盗みをして暮らしてた。なかでも掏摸すりが大の得意だった。うまいもんだったよ。一度も捕まったことがなかったんだ。これと標的を決めたら、失敗することもまれだった。


 しかし掏摸ってのはひどく疲れる仕事でね。適当にやるならそうでもないが、完ぺきを求めるとなるとすごく気をつかう。なにしろ人の多いところでやるわけだ。標的はもちろんのこと、まわりの目も気にしなきゃいけない。にいさんみたいに気配の読めないやつだっているし、私服の刑事デカなんかもまぎれてる。思ってるよりずっと大変なんだ。


 そのうちに神経をやられちまって、仕事替えをすることになった。といってもまっとうな仕事じゃないぜ? 盗人稼業のなかでの仕事替えだ。


 介抱ドロって知ってるか? ぐてんぐてんに酔っ払ってるやつを、介抱するふりをしながら財布を抜いたりするあれだ。やってみるとこれがほんとうに楽な仕事でね。相手は酔いつぶれて前後不覚だし、夜だからまわりの目も少ない。介抱すると見せかけて体にも触り放題だ。どんなに奥まったところに財布をしまってたって、すり取れちまう。掏摸にくらべてなんて簡単なんだろうと思ったね。


 あんまり簡単すぎて逆にやりがいもなかったが、楽は楽だしこれでしばらく英気を養おうと、酔っ払いの介抱をしながら繁華街を渡り歩いてたある日のことだ。


 路地でぶっ倒れてるカモをみつけた。が、どうにも静かすぎて様子が変なんだ。けっこういるのさ。吐いたもんをのどにつまらせて窒息するやつとか、急性なんとかで死んじまうやつがな。


 けっきょくそいつはただ眠りこけてるだけで、別になんともなかったんだが、ぱっと見死んでるようにみえた。で、おれは思わずそいつの額に手を当てた。生きてるかどうか確かめるためにな。そうしたらどうなったと思う?


 熱い活力のかたまりみたいなもんが、おれの体のなかにどっと流れ込んできたんだ。どういうわけだか、そいつの生気を抜き取っちまったのさ。

 手のひらがじいんと熱くなって、しびれるような快感が身体のなかを駆け巡った。全身の細胞が沸き立つような感じだった。


 目覚めたんだよ。命をかすめ取るおれの特別な能力が。


 力を得てからだんだんわかってきたことだが、どんな生き物にも生気っていうか、命のもとみたいなものがあるんだ。人間も、動物も、ミジンコも、みんなそれを持ってる。まあおれは動物から盗ったことはないがね。


 そいつを抜き取るとどうなるかっていうと、簡単にいえば寿命が伸びる。活力が増す。無性にカッカしてくる。興奮するんだ。ヴァンパイアっているだろう? 映画とか漫画とかによくでてくるやつ。作り話だと思ってたけど、あれって案外こういう理屈なのかもしれないな。


 いっぽう抜かれた方はどうなるかといえば、一時的に気分が落ち込む。抜き取られた分の寿命が縮む。おれは抜かれたことがないからこれは想像だがね。でも長い人生のうちの二日、三日が減ったって、どうってことはないだろう? 誰にもわかりゃしないしな。


 ま、いい悪いは別として、それからおれは命を抜き取ることに夢中になった。カモはもちろん街の酔っ払いさ。いちどに抜き取れるのは、せいぜい三日とか四日とかそのくらいだ。

 それに起きてるやつや、意識のはっきりしているやつからはどうやっても盗めないことがわかった。酔っ払ってウトウトしてるくらいじゃだめなんだ。完全に意識を失って熟睡してないとな。

 だから介抱ドロなんてやってたんじゃどうにも効率が悪い。そこでおれは考えた。もっと熟睡してるやつに簡単に近づけるような仕事はないかとね。


 そういう事情で、かつての介抱ドロが、今や病人の介抱のお手伝いをしてるってわけだ。ここなら患者から取り放題だしな。長いこと寝たきりでいるなんて、むしろそっちのほうがかわいそうじゃないか。余計な命、抜き取ってやったほうが人情ってもんだ。

 言っとくけど金品は盗んでいないぜ? そういうのはもう、清掃員の安い給料だけで充分なんだ。



      *



 男はそこまで話すと、もう休憩の時間が終わるからと、どこかに立ち去った。

 去りぎわに男が言った。

「おれって正直いくつに見える? 四十とか五十とかだいたいそんなもんか? そのくらいに見えるんだったら成功だ。ほんとうの年齢を言ったらあんたびっくりするよ」


 そのあと男と会うことはなかった。

 検査の結果がよかったので、ぼくはじきに退院したし、男は意図的にぼくに会うことを避けていたか、あのあとすぐ病院を辞めたのかもしれない。


 病院にも警察にも男のことは通報しなかった。金品は盗んでいないという言い分を信じるなら、男はただ患者の額に手を当てていただけだ。

 命を盗んでいるなんて話は、まともに受け取ってもらえないだろうし、もちろんぼくだってそんなことは信じていない。

 患者に手を当てることが犯罪なのかどうかは知らないが、金品を盗むかわりに命を盗んでいると思い込んでいるのなら、そっちのほうがまだ罪が少ないという気がしたのだ。


 男がいまどこで何をやっているのかは知らない。が、どうせまたどこかの病院だか介護施設だかにもぐりこんで、患者の額に手を当てているのに違いない。

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