魔王の子、畑を耕す

斗話

魔王の子、畑を耕す


「魔王になんてなりたくない!」


 最後にそう言ったのは覚えている。陛下たちや、魔王である父の驚愕した顔、そしてその直後に起きた大きな地震。そこで記憶が途絶えており、気がついた時には見知らぬ村の浜辺に打ち上げられていた。


 そこが人間界だと気づくのには時間はかからなかった。人間と変わらない容姿であったことが功を奏したのか、浜辺を偶然通りかかった人間の女性に拾われ、大変に可愛がられた。彼女が言うに、私は八歳前後の男の子というカテゴリに分類されるらしい(おかっぱ頭という言葉もこの時に初めて知った)。


 この世界を支配しようと目論む魔王の息子、マーヴァルデウスⅢ世。手を前に突き出せば幾千もの魔物が行軍し、魔力を放てば大地が震え、剣を振れば海が割れる。そんな私が今は――


「マルちゃん、手止まってるよ。ほら、そこの土もっと細く」


――鍬を持ち、畑を耕している。


「もっと細く?」

「そう。よくわ分からないけど、そっちの方が沢山養分を吸収できるんだよ」


 首に巻いたタオルで汗を拭く女性。彼女の名はフミコという。私を拾った張本人だ。フミコ曰く、ショートカット美少女というカテゴリに分類されるらしいが、近所の子供達に「独身のおばさん」と呼称されていたことから察するに、人間界では婚約をしているのが一般的な年齢帯にいるのだろう。


(なるほど。植物は土から魔力を摂取するのか)


 不恰好な山脈のようなにゴツゴツと盛り上がった土に手をかざす。


「砕けろ」


 ドンッという音が鳴り、土の塊は砂塵となった。


「ちょっと! やりすぎ! てか魔法使うな!!」


 フミコが両頬をこれでもかというほど引っ張てくる。


「ほめんなはい」


 砂塵となった土が風に乗り、山の方へと飛んでいく。なるほど、やりすぎは良くないらしい。

 風に吹かれて飛んでいった砂塵に魔力を向け、「戻れ」と唱える。更地になった土地に戻った土の固まりを、今度は細くなりすぎないように意識しながら砕いてみせる。

 均等に並んだ土の山脈を見ながら、フミコは嬉しいのか怒っているのか分からない表情で、「種は手で植えるからね」と、また頬を強く引っ張った。


 昔から争いごとが嫌いだった私にとって、この生活は、悪くない。




 明くる日、フミコに連れられて向かったのは広大な水田だった。ヘクタールという単位で説明されても良く分からなかったが、この村の人々が一年間食べる分の米という穀物を生産していると言われると、何だかとても大事な場所に思えてくる。


「あらフミコちゃん。手伝いに来てくれたの?」


 水田に隣接する形で建てられた木造の家に、腰の曲がった老婆が立っている。


「うん! 若いのも一人いるよ!」


 老婆は「そうかい、ありがたいねぇ」と、開いているの閉じているのか分からない目で微笑んだ。


 木造の家の傍にはブルーのシートが引かれており、その上には無数の薄茶色の種が積まれている。


「この稲を、ここに通して、っと」


 フミコは慣れた手つきで小さな鉄の柵に稲と呼ばれる植物を通した。薄茶色の種がついた稲を引っ張ると、細い隙間を通れない種はパラパラと稲から離れていく。


「これは脱穀って言って、この種の一つ一つがお米になるんだよ」

「なるほど」


 作業場の周りには数えきれないほどの稲が布団のように干されている。


(手作業では数日かかるな)


 積まれている稲に手を向け、魔力を込めると、大量の稲が宙に浮く。後は稲と種の形状をイメージして――


「離れろ」


 ドサッ、という音が鳴り、稲と種が分離した。


「まぁ……」


 老婆が驚愕している。やはり目は開いているのか閉じているのか分からない。


「マルちゃん……」


 フミコが鬼の形相でこちらを見ている。しまった、魔法は使わないという約束だった。


「ダメって言ったでしょ! 手作業でやるから美味しくなるんだよ!」


 ドシドシと音を立てて近寄ってくる。また頬を引っ張られると思ったが、フミコを制したは老婆だった。


「いいじゃないの、私としては大助かりだよ」

「でも……」

「大事なのは気持ちだからねぇ」


 そう言うと、老婆が頭を撫でてきた。悪い気分、ではない。

「せっかく手伝ってくれたし、採れたての野菜食べて行きなさい」


 フミコの方を見ると、納得のいかない顔をしていた。何故フミコがこんなにも手作業にこだわるか理解ができない。人間は、不思議だ。




「これは紅玉か……」


 赤い輝きを放っているそれは、まるで宝石のように煌めいていた。


「それはトマト」


 フミコがそう言いながらトマトとやらを齧る。真似して齧ると、溢れんばかりの果肉と、ワルツを踊るように絶妙なバランスの酸味と甘みが口いっぱいに広がった。美味い。


「なんだこの果物は」

「トマトは野菜だよ」

「きゅうりも食べておくれ」


 老婆が氷水に浸された緑色の棒を机の上に置いた。例によって齧り付くと、朝露のように爽やかな水分と、シャキシャキとした食感がリズムを奏でる。


「美味すぎる」

「でしょ?」


 何故だかフミコが誇らしげだ。


「これはね、おばあちゃんが丹精込めて、大事に作ったからこんなに美味しいんだよ」


 なるほど。何となくではあるが、野菜の細胞一つ一つに老婆の魔力が込められている気がする。


――人間界ではこの魔力を何と呼ぶのだろうか。


「だからフミコは手作業にこだわるのか」

「そゆこと。まぁさっきおばあちゃんが言ってた通り、気持ちを込めてできるなら、魔法も悪くないかもね、効率いいし」


 その日のうちに残っていた稲の脱穀は終わった。無論、魔法は使ったが、一本一本の稲に思いを込めながら、丁寧に種を取り外していった。


 夕焼けに染まった畦道を歩きながら、不意にフミコが口を開いた。


「ずっと気になってたんだけど……」


フミコが伺うような目をしたので、やっとその質問が来るのかと思った。


(魔王の息子だということは隠さないとな……)


「どうやって魔法使ってるの?」

「そっち!?」

「そっちって、何がよ」


 てっきり、あなたは何者? 的な質問が来ると思っていたが、違ったようだ。フミコは、不思議だ。


「対象の輪郭をイメージして、具体的な事象を口に出せばその通りになる」

対象の数と、事象の規模が大きすぎると、意識を失いかねないが。


――魔王になんかなりたくない!


あの日不意に口走った言葉が頭で反芻する。


「私も使えるかな」

「無理だな」


フミコが頬を引っ張ってこようとするので、華麗に避ける。




 地響きと共に目が覚めた。


「マルちゃん! 逃げるよ!」


 フミコは既に荷造りを終えており、私の手を握った。

 家を飛び出すと、空は暗黒に包まれており、いたるとことからうめき声が聞こえる。

 魔王軍だ。それも相当な数。ドラゴン、オーク、骸骨、トロルに魔道士。ほとんど全勢力とい言っていいほどの魔王軍が投下されている。圧倒的な勢力で一網打尽。いかにも父らしい、魔王らしい作戦だ。


「危ない!」


 空からドラゴンが降ってきた。間一髪でフミコを抱えて回避する。


「あ……」


 ドラゴンの下にはフミコと二人で種を植えた農園がある。一つ一つ丁寧に埋めた種達が、一瞬で壊れてしまった。


 その瞬間、頭の奥でプチンと何かが弾けた。


「失せろ」


 ドラゴンの体がビクンと脈打ち、暗黒の空へと飛び立っていく。


「マルちゃん! 水田が……」


 フミコの視線の先では、有象無象の魔物達によって水田が踏み荒らされていた。昨日食べたみずみずしい野菜や、思いを込めて脱穀した米、そして老婆の顔と手の温もりが頭の中を駆け巡った。


「行ってくる」


 魔力を体に込め、村が一望できる高さまで浮上する。


「マルちゃん!」


 遥か下方でフミコが叫んだ。


「絶対戻ってこい! まだ野菜作ってないんだから!」


 まるでその言葉は魔法のようにはっきりと聞こえた。


「当たり前だ」


 深く息を吸い、全ての魔物に意識を向ける。その範囲は小さな村に留まらず、視認できないほど遠くで暴れる魔物にも及ぶ。


(ざっと二万か……)


「魔王軍よ」


 全ての魔物の意識に語りかける。多少集中力が必要だが、脱穀の労力に比べれば造作もない。


「止まれ」


 時が止まったかのような静寂が訪れた。眼下の魔物を見ると、彼らは一様にカタカタと震えている。無理もない、今私が「爆発しろ」と言えば四肢がもげて爆散するし、「消滅しろ」と言えば粒子レベルに分解され跡形も無くなる。


「マーヴァルデウスⅢ世の名の下、貴様らに命令を下す」


 静寂は緊迫へと変わり、魔物達が固唾を飲む音さえ聞こえる。

 再び深く呼吸をし、ありったけの魔力を込め叫んだ。


「畑を耕せ! 奪うのではなく育め! 貴様らの手は血で汚すのではなく、土で汚すのだ!」


 大地が揺れた。あの時と一緒だ。世界の秩序を乱してしまうほどの言葉は、その分反動も大きい。しかし、これまでの私とは違う。意識を失うこともない。何故なら確信があるからだ。農作は、希望だ。


「マルちゃん!」


 遥か下でフミコが叫んだ、何やら自分の手を指差している。なるほど、すっかり忘れてた。


「なるべく手作業でやれ!!」


 フミコは満足そうに頷いた。




 魔王軍がもたらした被害は二日も経たずに完全修復された。


 人間が司令塔となり、全ての魔物達が復興の手伝いをしたからだ。


「これは紅玉か……」


 首にタオルを巻いた大男がトマトを眺めている。


「それはトマトっていうんだよ、父さん」


 齧ってみせると、父さんも真似して齧った。


「何だこの果物は」

「トマトは野菜だよ。美味いでしょ」

「あぁ。こんなに美味しい食べ物は初めてだ」

「それはね、おばあちゃんが丹精込めて、大事に作ったから美味しいんだよ」

「一丁前に言いやがって」


 いつの間にか背後に立っていたフミコが頬を引っ張ってくる。


「きゅうりも食べなされ」


 老婆が大量のきゅうりを持ってくる。


「息子よ、この老婆は……」

「あぁ大丈夫だよ、ちゃんと目見えてるから」


 どこかの土の中から小さな芽が顔を出した。根から懸命に養分を吸収する小さな芽は、やがて誰かの養分となる。そしてまた、その誰かが思いを込めて種を植える。人間界ではその思いを〈愛情〉と呼ぶ。

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