ほのしずかで騒々しい恋

嵯峨嶋 掌

待ち合わせ

 約束の時間になっても、あいつは現れなかった。

(なんだ、やっぱり……)

 最初から期待していなかった美智みちは、それほどショックは受けなかった。むしろ、

(ソレって……あいつに、ってこと?)

と、驚きの感情のほうが強かった。

(どうして、かなあ……やっぱ、あたし、軽くみられたのかなあ)

 約束の時間になってもカレが現れないことより、むしろが気になった。

(あいつ、しばく……)

 美智みちは本気だ。

 許せないのは、カレより、カレと会っていた誰かのほうだ。

 時間は午後三時。

 いや、すでに40分を回っている。

 とすれば、午後三時からいまの時間までのカレの所在を確かめるしかない。

 この近くによく当たるという占い師の店があることに美智みちは気づいた。

(よしっ、このさい、調べてもらうしかないわね)

 本音を言えば、美智はその店には行きたくはなかった。一年ほど前、トラブルが起こしている。相手はその占い師ではなく、軒を連ねている別の店のほうだ。

 気まずさも手伝って、これまで足が遠のいていたけれど、このさいそんなことは言ってはいられない。地下鉄の駅の南側にあるアーケード商店街を抜け、ビジネスビルが並び建つ一角まで走っていくと、火の手が見えた。

(え……? どうしたんだろ)

 数台の消防車が停まっている。

 救急車も見えた。

 人だかりの中から、血相を変えて飛んできた青年がいた。

「なにか、あったんですか?」

「ん……?」

 立ち止まった男は驚いて目を見張った。それから不思議そうに首をかしげた。

「なにがあったって? 見りゃぁ分かるだろうよ」

 ぞんざいで無遠慮のかたまりのような物言いだ。

「やられちまったよぉ……」

 突然、男は意味の分からぬことを叫び出した。よほど気が動転していたのだろう、美智みちの顔を一瞥いちべつしただけで、両手で頭を抱えると、その場にうずくまって、あたり構わず喋り出した。

「……おれはな、本気だったんだ、れていたんだ……な、あんたもそんな経験あんだろうが?」

「はぁ……?」

「はあじゃないだろ? お……? なんだ、まだ、子どもかぁ!」

「え……? 子どもって……」

「な、あんた、中学生かあ、高校かぁ? ま、どっちでもええ……って、あんた、おれのこと、みえてるのか?」

「当然でしょ! こうして話しているんだから」

「え……? な、なにぃ、あんたも幽霊なのか?」

「ちがう、ちがう、変なこと言わないで! ただえるの、視えてしまうの……それだけ」

「ほ、ほんとに? ひゃあ、よかった、じゃ、あいつに説明してくれ、な、頼むよ、おれは心底しんそこ惚れていたんだ、死ぬほど好きだったと」


 しまった……と、美智みちほぞんだ。

(また変なやつにつかまっちゃった……)

 こんなやつに構っている場合ではない。占い師のところに行って、カレに関することを聴かなくてはならないのに。

「あ……!」

 美智みちはいい事を思いついた。

「あの、したいのなら、いい方法があるけど……」

「ん、なんだ、どういうことだ?」

「わたし、知ってるよ。あなたの願いを聴き届けてくれるひと」

「な、なに? あんたのほかに視える奴がいるのか?」

「うーん、たぶん、そうかも」

「じゃ、連れていってくれよ」

「わかった……! でも、その前にこっちの頼みを聴いてくれなきゃ」

「取り引きかよ」

「そ……、ギブアンドテイク」 


 そう言いながら、美智みちは、リュックサックからの画集を取り出した。

「なんだよ、それ?」

 男は不思議そうな顔で覗き込んだ。幽霊の自分に取り引きを持ちかける女の子に興味を覚えたのだろう、美智みちが取り出した画集を見た。

「お、あんた、うまいな、似顔絵か?」

「うん、わたしのカレ」

「おっ、イケメンじゃねえか」

「でしょ? でしょ? わたしの一目惚れ……つか、誰にも言えない恋かな」

「コクったのか?」

「そのつもりで、待ち合わせしてたのに、スッポかされちゃったみたい」

「なんだ、フラれたのか?」

「さあね、でも、知りたいの、わたしの約束やぶって、誰と会ってたのか……」

「まあ、気持ちはわからんでもないな、おれも似たようなもんだから」

「なら、探してきて!」

「誰を?」

「カレを!」

「おれが?」

「だって、カレも……幽霊さんだから」

「ええっ? あんた……幽霊に惚れちまったのか?」


 男は口をあんぐりとけて、美智みちをみた。信じられないということを必死で表情で現そうとしているのは、その男が無礼な口をきいてはいても、本質は人との交流にはそれなりの配慮ができることを示していた。


「一体、どこで出逢ったんだ?」


 やはりそのことが一番知りたいらしかった。美智は、ビルの屋上から飛び降りようとした少女を助けたのがカレだったと告げた。

「ええっ? それ、ヒーローじゃねえか」

「うん、そう、一度だけじゃないの。踏み切りとか、崖とかでも」

「助けたっていうのか? そりゃ、すごいや。いい奴なんだな」

「それはわからない……あんまし喋ってくれないから」

「ははぁん、だから、よけいに気になるんだな、そいつのこと」

「うん……そうかも」


 美智みちはこっくりとうなづく。こんな話、第三者にしたのは初めてのことだった。


「だったら」と、男は言った。

「……約束の時間のときも、人助けしてたんじゃねえかな」

「だ、か、ら、それを確かめてほしいの」

「どうやって?」

「同じ幽霊さんなんだから、そんなこと、すぐできるでしょ?」

「ええっ? おれ、新米しんまいだから、あんまりこのわかっちゃいないんだけどなあ」

「あら、そうなの?……え? もしかして、あの火事で……?」

「みたいだ」

「ど、どうして?」

「おれ……つきまとわれていたんだ、女の幽霊に……」

「えっと……ま、まさか、あなたが殺した相手とか?」

「ば、馬鹿な……そんなことできるわけないだろ。こうみえて、おれ、けっこうデリケートなんだ」


 男はふくれっつらで、すねているように美智みちにはみえた。

「ええと、話がみえないんだけど」

「だからさ、おれ、寂しそうな顔してたたずんでいた女に声をかけちまったんだ」

「それが幽霊さんだったの?」

「みたいだな。それ以来、いつもおれの周りに現れるんだ、いや、おれも寂しかったから、ぜんぜんイヤじゃなかったんだ」

「なら、よかったじゃん」

「最初のうちだけ。そのうち、職場でコクってきた後輩に嫌がらせをしたり、邪魔するようになって。で、取り引きの受付の女の子に一目惚れして……あれこれとアプローチを考えていると、あいつが邪魔するんだ。デートに誘おうとしたら、突然、大きな物音立てたり、受付のデスクを揺らしたりして。いいかげん、腹立ってきて、今朝からあいつと大喧嘩になって、火事になったの気づかなくて」

「あ……じゃ、たった今、なったの、幽霊さんに!」

「みたいだ」


 当初、想定していた美智みちの計画が狂い出した。この男を利用してカレの動向をチェックしようとおもっていたのに、これでは自分がカウンセラーのようになってしまっている……。


「じゃ、わたしのカレ、見つけるのムリかなあ」

「わからねえや……って、あれ、おれの頼みはどうなったんだ、受付のあの子におれの気持ちを伝えて欲しいのに……」

「わたしが伝えてもいいけど、いまさら、言ってどうなるのかな。第一、あなたにつきまとっていた幽霊さんがわたしに八つ当たりしないかなあ」

「うーん、それはあるかもな」

「あ、じゃあ、わたしが幽霊さんのカノジョからストーカーされるかも」

「うーん」

「ね、だから、こうしよ、これから、わたしたち、友だちになって、協力しあうの」

「お、それは……いいアイデアかもな。おれがなれるまで」

「じゃ、契約成立ね」


 美智みちが言った。まったく論理的ではなかったとしても、味方は多いほうがいい。

 話がまとまったとき、火災現場から避難してきた年配の女性が美智みちを指差してなにやらわめき出した。

「ひゃあ、いっぱいいる……!」


 美智みちは聴こえないふりをした。

(だって、あの占い師さん、いつも、いつも、よけいなおせっかいばっかり。わたしに、まともになれ、って。ひとの恋路を邪魔しないでもらいたいわ)

 心底、そう思う。誰にだって、ひとには言えない恋はあるのだから。みんなとは違っても、いいひとに出逢えるのなら、それに越したことはない……。



               ( 了 ) 

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