算数嫌いの奮闘記 ~算数ができない理由とは?~

snowdrop

謎を解け

「オレ史上、最大の危機なんだっ」


 給食を食べ終えた昼休み。

 五年三組の教室を出て図書館へ行こうとした星崎コウタを、ラグビー並みのタックルで呼び止め泣きついてきたのは、クラスメイトの如月ダイスケ。保育園の頃から一緒に遊んできた友達だ。

 危うく前のめりに転ぶところだった。危ない危ない。


「どうしたの、ダイスケくん。最大の危機って」

「このままじゃオレ……殺される」

「こ、殺される?」


 まさか、海外マフィアと暴力団との取引現場を目撃?

 あるいは、連続通り魔犯の顔を見てしまった?

 拾ったUSBメモリーには大企業の裏帳簿データーが?


「す、すぐに警察へ」

「警察? そんなとこに行っても、意味ないだろ」

「意味ないって……」


 まさか、警察の不祥事情報を入手した?

 それとも、警察の手に負えない巨大な陰謀を知ったとか?

 他国からの侵略戦争の情報、もしくは宇宙人襲来?


「とにかく、一大事なんだね。わかった。まずは大人に、担任の篠原先生に相談してみようよ」

「駄目だっ」

 ダイスケは大きな声で即答した。

「先生は当てにならない。オレは、コウタに助けてほしんだ」

「ぼ、僕?」


 先生に頼れないってまさか、学校の闇を知ってしまった?

 こっそり先生たちが学校の怪談を作っているのを目撃?

 校長がPTAを使って市民から金を集め私腹を肥やしてる?

 どれもありそうでなさそうだ。

 あれこれ考えてもしょうがないか。

 よしっ。


「僕で役に立てるかな……」

「さすがオレの親友。そうでなくっちゃ」


 バシッ、と背中を叩かれたコウタは、彼の席へと連れて行かれる。

 教室には、数えるほどしかクラスメイトは残っていない。が、ダイスケはあたりを見渡し、

「これを見てほしいんだ」

 そっと机の上に取り出した。

「これって……」


 今日返された、先日行われた算数の答案用紙だ。

 じっと見て、あることに気づく。

 ……丸がない。

 いや、ひとつある。

 あるけど……これは、数字だ。


「0点の答案なんてはじめてみたよ」


 ダイスケの後ろの席から声がした。

 身を乗り出すように座っていたのは、前髪を斜めに流す加藤カズキ。五年三組の学級委員長である。


「お前な、勝手にオレのテストを見るなよ」


 慌てて両手で隠すダイスケ。

 いまさら遅いよ。


「見えるように出したのはお前だろ、ダイスケ」


 振り返って睨むダイスケと、ふふんと鼻で笑うカズキ。

 二人をみながらコウタは呆れて、ふうっと息を吐く。

 昔からなにかにつけていがみ合っている。

 それでいて、仲がいいのだから不思議だ。


「今回のテストは難しくなかっただろ」


 カズキの言葉にコウタはうなずいて同意した。


「先生も、『復習だから簡単』といってたからね」

「お前らには簡単だっただけで、オレには難しかったんだよ」


 くそっ、とつぶやくダイスケ。

 口元をへの字に曲げ、背中を丸める。


「いいよな。オレの母ちゃんもいってたけど、お前らみたいに算数が得意なヤツは、頭のできが違うんだよ。問題を見た瞬間、きらりと閃光が走るみたいに問題の解き方がひらめくんだろ。オレにはそんな才能なんてないんだ」

 そんなダイスケを前に、コウタとカズキは視線を合わす。

「ダイスケくん、それは違うよ。算数は才能じゃない。基礎をしっかり身につけて練習問題を多くこなすことで、解き方を覚えていくんだよ」

「そうだぞ、ダイスケ。単純な計算問題をくり返すのは、スポーツの走り込みや筋トレなど基礎体力をつけるのと一緒さ。テクニックばかり磨いても、体力ないと途中でへばるだろ。それと同じだ。くりかえし練習すれば、瞬時に判断できる考えるスピードも上がるのさ」

「才能は関係ないのか?」


 顔を上げたダイスケに、コウタとカズキは、一緒に大きくうなずく。


「どこがわからなかったのか、僕たちと一緒に考えようよ」

「学級委員長として力になるから、めげるなって」

「お、お前ら……やっぱ、持つべきものは親友だな」

 ぐじゅりと鼻をすすって涙ぐむダイスケに、

「ダイスケが0点取った事実を隣の席のアヤさんが知ったら、きっと幻滅するもんな。こんなに馬鹿だったとは知らないだろうし」

 カズキは、しれっと余計なことを口にする。

「気にしてることを、お前はー」

 固く握った右拳を振り上げるも、

「あ、アヤさんだ」


 教室の入口に目を向けてつぶやくカズキの声に、ダイスケは慌てて手を引っ込める。

 でも、誰も教室に入ってくる様子はなかった。


「ダイスケって、相変わらずわかりやすいな」

「カズキ、てめえ~。だから、コウタに頼んだのに」


 深く大きな溜め息を漏らし、ダイスケは体中の力が抜けて、猫みたいに背中を丸めていく。

 コウタは、二人のやり取りを見ながら、あははと乾いた笑いをして腕を組む。

 難しい問題はなかったはずなのに、どうしてダイスケは0点を取ったのだろう。


「とにかく、気を取り直して、テスト問題を見てみようよ」


 コウタは励ますようにダイスケに声をかけ、答案用紙を指差した。


「そうそう。まずは一問目の文章問題を音読してくれ」


 カズキの言葉に、ダイスケは目を細めて振り返る。


「テスト中は声に出せないだろ。お前らどうしてるんだよ」

「どうって……黙読だろ」


 彼の質問に違和感をおぼえたのか、カズキがコウタを見てくる。

 思わず首を傾げ返す。


「みんなそうだよ。僕もテストのとき、文章を目で追って、頭の中で問題文を読んでる。ダイスケくんもそうでしょ?」

「わかったわかった。とにかく、読めばいいんだろ」


 ダイスケはカズキにいわれたとおり、声に出して問題文を読みはじめた。


「詠美は二十一個、美香は三十五個、志乃は四十九個のミカンを持っています。美香と志乃がもっているミカンを合わせるといくつですか」

「メチャクチャ簡単だろ」


 カズキの言葉に、コウタは大きくうなずいてダイスケを見た。

 彼は、上下のまぶたをめいいっぱい開けていく。


「これって、ひっかけか。二人の持ってる数を聞いてたのかよ。三人と思っただろ」


 あらら。

 椅子に座っていたコウタは、思わず転びそうになる。


「読めばわかるでしょ。まさか問題文を読んでなかったの?」

「んー、なんとなく眺めて」


 いやいやいや。

 コウタは思わず首を横に振った。

 問題文を眺めるだけで答えがわかるなら、誰だって苦労はしない。


「まさか、いつもそうなの?」

「まあな。問題を見た瞬間、オレの第六感を超えた第七感が目覚め、瞬時に解答できるかな~って」


 ダイスケの言葉を聞いて、コウタとカズキはほぼ同時に、額に手を当て、はあ~と息を漏らしてうなだれた。


「コウタ、オレからでいいか」

「どうぞ」


 律儀に確認をとったカズキに順番を譲ると、彼はダイスケの額に向けて人差し指を弾いた。


「痛っ、なにすんだよ」


 ダイスケは、慌てて額をこするように押さえる。


「お前は前世の記憶をもった転生者か? 都合よくユニークスキルも与えられていないだろ」

「わからないだろっ。忘れてるだけで、窮地に陥ったとき突然目覚め、神から与えられた特殊能力が開眼するかもしれない」

「たとえ与えられていたとしても、死ぬまで思い出さないかもしれないんだぞ。いまのままだと、なにもかも0点の人生だ。そんなんでいいのか?」


 カズキの言葉に、額を両手で押さえているダイスケは黙り込んでしまった。


「言い過ぎだよ、カズキくん」

 コウタは口を開けた。

「いいわけないって思ってるから、ダイスケくんは僕に相談したんだよね。このままだと、親御さんに叱られるどころか怒られてしまうから。そうでしょ」


 コウタが声をかけると、今にも泣きそうな顔で、ダイスケが何度もうなずいた。

 コウタはダイスケの肩に手を置き、

「大丈夫、大丈夫だよ。僕らがいるから」

 と、励ました。


 コウタとカズキは、改めてダイスケの答案用紙を見直してみる。

 どの問題にも計算されており、解答が書かれていた。

 コウタは腕組みをして、正直惜しい、とつぶやいた。

 正解していないけれど、計算は合っているのだ。


「本当にダイスケくんは、文章問題が苦手なんだね」

「コウタのいうとおり、ダイスケには読解力が足らないんだよ。問題をろくに読んでいないとはいえ……気になることがある」


 コウタとダイスケはカズキを見た。


「計算に、ひっ算を使ってるだろ」


 カズキは計算式のかかれたところを指差す。

 彼のいうとおり、計算問題には必ず、ひっ算が用いられていた。


「使ったら駄目なのか?」

 ダイスケの問いかけに、

「悪くないが良くもない」

 と、カズキはきっぱり答えた。

「ひっ算しなくても、この程度の計算、暗算でできるだろ」

「暗算でやったら、うっかり計算ミスするだろ。どうやって計算したか書いておけば、ミスしなくなるって母ちゃんが言ってたから」

「たしかにそうだけど」


 カズキは、唸り声のついでみたいな息を吐く。

 コウタはなんとなく、彼が言いたいことがわかった気がした。


「ひょっとしたらダイスケくんって、これまで算数の計算は暗算せず、いつも書いて問題を解いてきたの?」

「まあな。昔、計算ミスしたとき親にこっ酷く怒られてから、気をつけてるんだ」


 ダイスケの返事に、カズキは呆れて首を横に振る。


「だからって、ひっ算なんて手間だろ。字を書くより頭で考えるスピードの方がはやい。途中の計算も飛ばしたっていいし、図形問題だって定規を使わずフリーハンドで充分だろ。頭の中にきちんと図形を思い浮かべられるかが重要なんだ」


 いくらカズキが指摘しても、ダイスケは「間違いたくないから」の一点張り。

 全問不正解の0点をとっておいて、なにを言っているのやら、とコウタは二人のやり取りを呆れてみていたときだ。


「三人でなにを話してるの?」


 ショートカットの小柄な天原アヤが声をかけてきた。

 あわてて机に出していた答案用紙を引っ込めるダイスケは、「たいしたことじゃないよ」笑顔で取り繕う。


「そうそう。天原さんが気にするようなことはなにもないから」


 カズキが続けて答える。

 すると、アヤの視線がコウタに向けられた。

 じっと見つめられると、思わず目をそらす。


「二人のいうとおり、大丈夫だよ」


 アヤは右頬に手を当て、

「図書室に忘れ物をしてきたみたい」

 そう言い残して、教室を出ていった。


 三人は、はああああーっ、と肺ごと吐き出すような大きくて深い息を吐いた。


「間一髪だったね、ダイスケくん。危うく気づかれるところだった」

「まったくだよ。母ちゃんに隠し事がバレそうになったときみたいな気持ちになって、焦ったぜ」

「ダイスケって尻に敷かれるタイプだったんだな」


 カズキは、あははと軽く笑い声を上げる。


「どういう意味だよ、それ」

「そのまんまだよ」

「なんだって」

「やるっていうのか」


 ふざけながらいがみ合う二人を見ていたときだ。


「あああーっ」


 コウタは思い出して、大声を上げた。

 ダイスケとカズキは、ビクッと背中を震わせる。


「何だよ、いきなり。びっくりさせんなよ」

「わかったんだ。どうしてダイスケくんが0点取ったのか」

「ばかっ、大きな声でいうなって」


 ダイスケは、ばんっと机を叩いた。


「そんなの、こいつが問題文を読んでないからだろ」


 吹き出しかけたカズキは、慌てて口を手で抑える。


「そうだけど、そうじゃないんだ。ダイスケくんは、親に怒られるのが怖くて、いわれたとおりのことをしてきたからなんだよ」


 ダイスケとカズキは顔を見合わせ、

「はあ~?」

 と首をかしげる。


「カズキくん、いったよね。書くより頭で考えた方がはやいって。だから暗算したりフリーハンドで書いたり、基礎問題をくり返して考えるスピードを上げるんだって」

「確かにいったな」カズキはうなずく。

「ダイスケくんは、計算ミスしたとき親に酷く怒られてからひっ算するようになったし、頭のできが違うといわれ、点数悪いと怒られる。だから親に殺されるなんて怯えてたんだよね」

「そうだよ。オレにとって今回のテストの点は、最悪以外、なにものでもないんだって」

「それだけ、親御さんに怒られるのが恐いんだよね」


 コウタの言葉を聞いてダイスケは、言いにくそうな顔をしながら「まあな」と頭をかいた。


「僕たち子供は、親や大人にいいところを見せたい思いやプライドから、怒られてもいわれたことをやろうと頑張るけど、大声あげて無理強いさせられても身につかない。だって、自分から進んでやりたいことじゃないから。だから問題を間違えたダイスケくんを叱っても、萎縮しちゃって苦手意識が風船みたいに膨らむだけで、算数が得意にならない。むしろ逆効果だよ」


 コウタの話を聞いて、ダイスケは何度もうなずく。


「そうなんだよな、やらされてる感じしかしないから、勉強なんてやりたくないんだよ。けど、やらないといけないんだろ。どうしたらいいんだ」

 そんなの簡単だよ、といいかけたとき、先にカズキが口を開く。

「誰かにいわれる前に、自分から率先してやればいいんだ。誰のためでもない、自分のために。簡単だろ」

「自分で、か……」

「そうだよ、ダイスケくん。文章問題は眺めるのではなく、正しく黙読するところから始めよう。それと、暗算しながら練習問題をくり返し解いて勉強の基礎体力をつけていけば、今回みたいな丸が一つしかない答案用紙を返されることはなくなると思うよ」


 アドバイスを伝えたとき、ダイスケがコウタの右手を両手で包むように掴んできた。


「ありがとう、コウタ。やっぱり、持つべきは親友だな」

「コウタだけじゃなく、学級委員長の協力も忘れてもらっちゃ困るんだけど」


 カズキが差し出した右手を、

「ありがとな、カズキ」

 ダイスケはぺちりと叩いた。


 ◇◆◇◆◇


 後日、算数のテストが行われ、答案用紙が各自に返された。

 見せてもらったダイスケの答案には、たくさんの丸がついていた。


「百点を取ってしまうとは、我ながら自分の才能に驚くぜ」


 えへへへ、と、ダイスケは照れ笑いを浮かべている。


「コウタのアドバイスのおかげで、ついに秘められていた能力が目覚めたのかもしれない。アヤさんもオレを褒めてくれたんだ。『ダイスケくんて、すごいんだね』って。もう嬉しくって、まじで笑いが止まらない。ところで、コウタは今回、何点だったんだ?」

「……六十三点」


 コウタは自分の答案用紙を折りたたむ。


「基礎体力が足らないから、そんな点を取るんだぜ」


 しれっとダイスケに言われ、今度は僕が算数嫌いになりそうだと、コウタは無音のため息をついた。


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