面接奇譚

三上夏一郎

面接奇譚

誰もが嫌がる仕事を引き受けたことで運命が変わる、そんな事もある。

今から二十年以上前の話である。

鈴木洋一はその年の夏も沖縄にロケに出かけた。某駅ビルの夏のバーゲン告知のCMの撮影のためだった。予算はあまりないが、ありがたいことに毎年のように発注がくる仕事だった。それは単に、発注主、つまりクライアントが、

(業者が代わるのは面倒くさい)

と考えたせいかもしれない。新しい業者が入ると、また一から説明をしないといけないからである。駅ビルであるから、親会社は鉄道で、半分役所のような性格のクライアントだったのだ。

バーゲン告知のCMはいわば動くチラシである。必須のメインヴィジュアルとして、水着の白人女性がきれいなビーチにいる、というシチュエーションが求められていた。奇異に思われるかもしれないが当時はこれがCMの基本だった。とにかく白人の水着の女がビーチにいればよかったのだ。そういうヴィジュアルを撮るために、予算が豊富にあるチームはハワイへ、それなりの予算の撮影隊はグアムやサイパンに出かけて行った。予算のない、洋一たちのような三流のCM撮影隊が向かうのが沖縄だった。いちばんの理由としてはモデルとなる白人女性が安価なギャラで見つかることがあげられる。在日米軍兵士の奥さんや娘たちであった。ヘアメイク、スタイリストも現地にいたし、ムービーカメラもあって、一流ではないにせよ技術スタッフも揃っていた。東京からはプロデューサーとディレクターと制作進行の三人が赴けば済むのである。予算を大幅に節約できるのだ。少なく見積もっても、カメラマン、撮影助手二人、照明技師とその助手、メーク、スタイリスト、モデル、マネージャーと合計すればざっと十名分の飛行機代とホテル代、食費などが節約できる。これが大きかった。

その頃洋一はCMに倦んでいた。正確にいえばCMというよりは三流CMの世界にである。そういう世界にずっといると、原発推進やら新興宗教やら怪しげな広告発注主たちが近付いて来る。澱んだ水に汚物が集まってくるように。

洋一は都内にある制作会社の社員ディレクターだった。その会社は某民間放局の子会社で、制作会社としては大手である。もっぱら親の放送局から発注される仕事を引き受けていたのだが、中には系列の地方局の営業担当から持ち込まれる怪しい話もあった。

たとえば洋一はかつて某県の大手ブリーダーという男にひき会わされたことがある。見るからに怪しい男だった。河川敷の広大な敷地の中にたくさんの犬舎と事務所があった。

「この事務所と敷地はよう、不法占拠した違法建築なんだぜ」

と男は誇らしげに自慢した。男には右手の小指がなかった。その右手を見せびらかすように洋一の前で振り回した。

洋一はその話を即座に断ったのだが、その男は愛犬家連続殺人犯として数年後に逮捕された。

そういう膿みの中にいるような日々の中、洋一にとって夏の沖縄ロケは唯一の息抜きといえた。いいものが出来ないことは出発前から分かっていた。だがそれでもよかった。内容、クオリティはともかくとして、とりあえずクライアントに提出してOKをもらった企画コンテ通りの映像を撮って来ればいいのだ。そのためには自分のちっぽけなプライドをかなぐり捨てればいいだけだった。モデルのレベルの低さやカメラマンの腕前には目を瞑った。僅かな時間の我慢だった。撮影はなるべく早く終わらせ、あとは余ったスケジュールの間、夏の沖縄を目一杯楽しむのだ。ビーチで半裸の女たちを眺めながら冷えたオリオン生ビールをたらふく飲み、夜はステーキを食らい泡盛を鯨飲、そのまま勢いが止まらなければ夜の街にその手の女を買いに出かけて欲望を満たす。それが洋一にとって年に一度の堕落した夏の定番行事となっていた。

そういう堕落した夏の疲れを引きずって沖縄から戻って来ると、洋一は上司に呼び出された。何の用だろうと彼のデスクまで出向いてみると、上司はデスクの上の事務仕事の手を止めないまま、

「君に今年の入社試験の面接官をやってもらうことになったから」

と洋一の顔も見ずに言った。

「はあ?」

寝耳に水の話とはこのことだ。洋一はいちおう現役バリバリのディレクターだったし、入社試験の面接官など現場を持たない暇な人間がやるものだというのが洋一の基本的な考えだった。それに、会社の将来の発展や他人のことに関心はない。人の採用に関わるなどは真っ平だった。時間の無駄としか思えなかった。

「自分に人の適性を判断する能力はありませんよ」

と洋一は上司に言い、争ってみることにした。「人を選ぶ能力は僕にはありません。向いてないんです」

「そうかなあ」

と上司はようやく書類から顔を上げると洋一の顔を見た。そしてにっこりと笑った。「君だってオーディションやってタレントやモデルをしょっちゅう選んでいるじゃないか」

「う」

洋一は絶句した。そう言われてみれば確かにそうである。オーディションでタレントやモデルを選考する、それはディレクターとしての重要な仕事の一部である。

「あれと同じ感じでやってくれればいいんだよ」

「しかし……それではあまりに無責任では。入社試験はタレントやモデルを選ぶのとは違うと思うんです」

「いいんだよ無責任で。君だってそんな感じで選ばれて採用されたんだから。それに、今度の土日は他に人間がいないんだ。全員のスケジュールをチェックしたら空いているのはお前さんだけだった。休日出勤手当も出るし、悪くない話だぞ」

どうやら洋一が沖縄に行っている間に欠席裁判が行われたようだった。入社試験の面接官など誰が好きこのんで積極的にやりたがるものか。おそらく全員が逃げたのだ。面接官なんかたまには鈴木ディレクターにやらせればいい、どうせあいつは沖縄でさんざん遊んでいるんだから、というような話が洋一のいない場でまとめられたのに違いない。

「しかし今度の土日は……」

洋一は最後の反論を試みた。様々な言い訳を思い浮かべようとしたがダメだった。何も浮かんでこないのである。

「君の場合、親も親戚も死に絶えた筈じゃなかったっけ」

にやにやしながら上司が言った。以前にも幾度かこういう話はあったのだが何とかうまく切り抜けてきたことを洋一は思い出した。その度にやれ親が死んだ親戚の葬式だと嘘八百を並べてきたのだが、そういう弾はもはや尽きていた。

「沖縄で、さんざん遊んできたんだろ?」

見透かしたように上司が言った。よく分かりますねと洋一が危うく答えそうになったほどの、タイミングのいい質問だった。

「伝票は何も言わず全部通してやるから面接官を引き受けろ。いいな。これは業務命令だ」

沖縄でさんざん酒を飲み遊んできた証でもある領収書をノーチェックで通してやるという甘い囁き。そして伝家の宝刀業務命令。これが組み合わされては洋一の反論もそれまでだった。

洋一はうなだれた。負けた、と思った。沖縄では確かにさんざん楽しい思いをしてきたのである。いいこともあれば悪いこともある。洋一は折れることにした。

上司は再びデスクワークに戻っていた。用件は済んだようである。それ以上の対話をしたくはないというオーラが全身から滲み出ていた。

「わかりました。やりますよ」

洋一は不貞腐れたように上司に言った。それに続く、「やりゃあいいんでしょう、やりゃあ」というセリフはさすがに飲みこんだ。さすがに社会人である。それぐらいの分別は陽一にもあった。

「分かりゃあいいんだよ、分かりゃあ」

上司はそのように応えると満足そうに顔を上げ、洋一を見てにやりと笑った。


入社試験の一次面談というものは基本土日をつぶして行われる。だから誰も引き受けたがらないのである。ロケから帰ってきたばかりで休日出勤、その時点で洋一は既に不貞腐れていた。

こうなると入社試験を受ける側は可哀想だ。何しろ、その日の面接官の気分によって自分の運命が決まってしまうかもしれないのだ。しかしこの時の洋一にはそのようなことを慮る余裕はなかった。

面接官は三人一組の構成である。異なった部署から顔見知りではない面子が三人選ばれ面談に臨むのである。できるだけ公正を期すためにだ。知った者同志が、

「こいつがいいか」

「いいね」

などという気軽な感じで評定されては困るからだ。その辺りはよく考慮されていた。

「人間にとっていかによく生き切るか、ということが一番難しいと思うんだ」

と言ったのは三人の中央に座る面接官だった。番組制作部から来た海外取材ドキュメンタリーのプロデューサーである。その人がチームの中ではいちばんの年上で、自然とグループリーダー的な役割を担っていた。

人事面談というものは、必ず隙間時間が生まれるものである。そういう空白の時間帯では、必然的に三人の面接官が雑談を交わすこととなった。

(なるほど。さすがドキュメンタリーのプロデューサーは一味違うことを言うものだ)

と洋一は素直に感心した。そのチームの面接官はCMディレクターの洋一と、海外取材ドキュメンタリーのプロデューサー大木和正、もう一人はスポーツ番組のディレクター山下徹という面子である。年齢は大木が最年長で次が洋一、最も若いのが山下だった。

どちらかといえば、CM畑の人は刹那的な考えの人が多いように思う。それは手がけているものの尺が短いせいかもしれない。例えば、

(今さえ楽しければいい)

とか、

(今日さえ楽しめればいい)

という考え方である。

しかし数々の海外取材ドキュメンタリーを手掛けてきた大木は違った。どちらかといえば悠久の時間軸の中に生きていた。彼にとって、「今」とか「現代」は関心の外にあるらしかった。服装にも無頓着で、大学の万年助教授のような地味な服装の男だった。

いちばん若い山下はごく普通の青年で、雑談を交わしていても少しも面白いところがない。おそらくは体育会出身者なのだろうと予想をつけて尋ねてみると案の定そうだという。それで洋一は彼にはすっかり興味を失った。ひとえに偏見ゆえである。洋一は体育会出身者に「脳が筋肉」というイメージを抱いていた。スポーツ至上主義は虫唾が走るほど嫌いだった。

「スポーツで人々に感動と勇気を与えたい」

などという台詞を、どの面下げて言えるのか?

そういう傲慢さと恥知らずな感性が我慢ならなかったのである。

「ところで鈴木君、うちの番組やりたいディレターどっかにいないかな?」

と大木が洋一に聞いてきたのは昼休みに支給された弁当を食べていた時だった。

「え?」

洋一にとってそれは予想外の質問だった。大木の手がけるその番組は、親会社の放送局としてもひとつの看板番組である。そんな番組がまさか人手不足になっていようとは思いもよらないことだった。

午前中の洋一はものすごく不機嫌だった。やりたくもない面接官を押し付けられたという被害者意識がある。

(この恨みはらさずにおくものか)

とばかりに採点した。洋一の採点は極端だった。即ち、零点か百点である。その人材が要るか要らないか。二つに一つだ。だいたい人事面談の評定というものは皆七十点をつけたがるものである。つまり当たり障りのない数字だ。洋一はこの考え方が嫌いだった。生きるか死ぬか。零か百か。白か黒か。どっちかでいいじゃないか。合格か不合格か。それが洋一の採点の基準だった。

昼休みになると、三人の面接官は評定のつけ合わせをする。面接を受けに来た人への評定が果たして本当にその人に対するものなのか、確認し合うのである。つまり、人違いを避けるための確認だ。評価が高い人には概ね皆高い点数をつけるものである。洋一の場合は百点をつける。評価が低い人には皆低い点数をつけるものだ。洋一の場合零点である。

「君の採点の仕方は面白いなあ」

洋一の採点表を見て呆れたように呟いたのは海外取材ドキュメンタリー番組のプロデューサー大木だった。当然といえば当然だ。何しろ零点か百点しかないのだから。中間の点数はなかった。もちろん、ウケ狙いでやっている事ではない。本人はいたって大真面目なのである。

「だって結局のところ、要るか要らないかでしょ」

と洋一は大木に自分の評定基準を説明した。

「しかしこれは」

異を唱えたのはスポーツ番組ディレクターの山下である。「後々問題になりませんかね」

(これだから体育会は嫌いなんだよ)

と洋一は思ったが口にはしなかった。彼らは秩序の崩壊を極端に恐れる。前例に従うことを良しとする。新しいことには取り組まない。その挙句がオリンピックだ。その時、

「いや。この書類が外に出ることはないだろうからさすがに問題にはならないと思うよ」

と洋一に助け舟を出してくれたのは大木だった。

「ただしこんな評定をした奴には今後二度と面接官を頼むことはないと思うけど」

大木は洋一の顔を見てにやりと笑った。

そして午後の部も終わり、再び別室に集合した洋一たちは評定のまとめにとりかかった。テーブルの上で、評定書類を整理していると、

「さあ、あとは適当にやって酒でも飲みに行くか」

とおもむろに大木が言った。

「えっ、そんな事でいいんでしょうか」

スポーツ番組のディレクター山下が焦りの色を顔に浮かべる。しかし、

「いいんだよ」

と大木の返事はにべもなかった。

「上位三名をまとめてあとは適当に順位をつければいいのさ」

不思議なもので、面談の評価はまとまるものである。特に評価が高い人ほどそうだった。上位三人はすぐ決まった。三人とも洋一が百点をつけた学生だった。

「あーあ、どうせこの人たちとは二度と会うことはないだろうなあ」

と三人の書類を見つめながら大木が呟いた。

「というと?」

不思議に思い、洋一は質問した。

「一次面談で推した人とその後会社で顔を合わせた経験はないんだよ」

と大木が言った。

「我々の意見はどうせ、役員たちには取り上げられないという事さ」

「それはいったい——」

スポーツ番組のディレクター山下が目をぱちぱちさせながら言った。

「俺は何回も面接官を引き受けてきたんだが、結局受かるのは役員とか親会社の推薦とか、そういうコネの強い奴ばかりだった」

「じゃあ僕たちは何のためにわざわざ休みを潰してこんなことをやってるんですか」

顔を真っ赤にした山下が早口でまくしたてた。さすがに頭に血が上ったようである。

「それは俺にもわからない。形が欲しいのかもしれないなあ会社としては。いちおう手順を踏んで入社試験を実施していますよ、そういう証拠というか形がね。どうしても納得できないんだったら、役員の誰かに聞いてみたらどうだい? 或いは社長に直接」

そう言われて、山下は沈黙した。そこまでする気はさすがに湧いてこないようだった。

「まったくこれじゃあ酒でも飲まなけりゃやってられませんよね。さっさと残りを片付けましょう」

と洋一は二人に申し出た。

「よし。そうしよう」

大木はすぐ乗ってきた。

「僕はいいです」

と山下は即座に断った。この後仕事があるとのことだったが本当かどうかは分からない。

休日の赤坂は人の出が少ない。開いている店も少なくなるのだが、落ち着いて酒を飲むには絶好の日和であるともいえた。

洋一と大木は〔正駒〕という店にしけ込んだ。〔正駒〕は赤坂では数少ない大衆酒場であった。早速生ビールで乾杯すると、

「いやー今日会った中でいちばん面白かったのは誰だと思う?」

と大木が言った。

「はあ……誰でしたかね」

洋一は今日面談した学生諸君の顔を思い浮かべた。しかしこの話は先刻別室でのまとめの時に済んでいるのではなかろうか。

「あの、国立大学の——」

洋一が言いかけたのを大木は手で制した。

「君だよ」

と悪戯っぽく笑うと大木は洋一の顔をまっすぐに見つめた。

「はあ?」

洋一は目が点になってしまった。まったく意外な展開だった。

「いやあ君の採点の仕方は面白かったなあ。人生これでいいんだと目から鱗だったよ」

と大木がにやにや笑いながら言った。

「いや、あれは」

洋一は、

(面接官の仕事を無理やり押しつけられやけになっていたのです)

と言おうとしたがやめにした。嫌嫌やらされたのでなくても、自分はああいう採点をしただろうと思ったからだ。

「まさにディレクターの面談だ」

と大木が感心したように言った。

「物事を決めるのがディレクターの仕事だからね。いいか悪いか。進むか引くか。現場での判断に中間はない」

「まあ……そうですね」

そんなことは考えたこともなかった。でも言われてみればその通りである。特に大木の携わっている海外取材ドキュメンタリーではそういう要素、つまりディレクターの判断は重要なのかもしれなかった。

「君、うちの番組来ない?」

大木の次のセリフがそれだった。なるほど、さすが敏腕プロデューサーとして内外に知られた人である。こういう場でもアンテナを張り巡らせているのか、と洋一は感心した。

その後色々あったが結局洋一は大木チームのディレクターとして働くことになった。色々というのはCM制作部門からの足の引っ張りである。それまで価値がないと見られていたものも、他人が欲しいと言ってくると急に惜しくなるのだ。

以来洋一は海外取材ドキュメンタリーのディレクターとして働き続けている。人間何が幸いするかわからない。嫌嫌引き受けるはめになった面接官の仕事だったがこういう結果となった。

(人が嫌がることも、たまには引き受けてみるといいかもしれないなあてん)

と洋一はつくづく思うのであった。


〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

面接奇譚 三上夏一郎 @natsumikami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ