走れ勇者
青海老ハルヤ
走れ勇者
私は激怒した。
魔王が生まれた。私の土地で。
ふざけるな。この土地は私のものだ。私は王などではない。せいぜい貴族の中あたりの地位である。だが、私は幼い頃より努力を続け、才能の限界を超え、危険も顧みず禁忌の魔法にまで手を付けた。そしてついには王に並ぶほどの広大な領地を得たのだ。その土地で魔王が生まれるなど到底看過できるものではない。
報告に頭を悩ませていた時、一人のメイドが部屋に入ってきた。
「ご主人さま。ティータイムでございます。今日の紅茶は何に致しましょうか」
「私の邪魔だ。死ね」
「了解しました」
途端にメイドの頭が弾けた。すぐに清掃が来るとはいえ、部屋の絨毯が汚されたことに腹が立つ。だかひとまず落ち着いた。
魔王は強大だ。星の数ほどいる魔物をその圧倒的な力で束ねているのだ。誰も勝てやしない。ならば異世界から勇者を召喚しよう。異世界人には不思議な力が備わっていると伝承されていた。
そう考えた私は魔法使いたちに命じ、勇者を呼ぶゲートを準備させた。魔法使いが呪文を唱えると、ゲートが光り始める。しばらく待つと、突如勇者が現れ、そこに倒れた。
十四にもなろうかという少女だ。夜を彷彿とさせる黒髪に、シルクのような滑らかな肌が不思議な服の合間から覗いている。
私は彼女を起こすように命じた。すぐに使用人たちがその少女を起こしにかかる。少しばかり時間はかかったが、私はいつになく機嫌が良かった。
「異世界人よ。魔王を殺せ」
私はそれだけ言い、少女の反応を待った。起きたばかりの少女の顔は白い肌をさらに青くし、その目はどこを見ているやら、焦点が合っていない。
「ここ、どこ?」と少女は弱々しい声で呟いた。
「私の土地だ。それだけ覚えていればいい」
そう私が言うと、少女は明らかに不満げな目をした。初めて目が合った。
「なんだその目は。お前にはどうせ分からん」
「……やだよ、家に帰してよ」
少女はゲートの方を向いた。しかしすでにゲートは閉じられている。
「魔王を倒せ」再び私がそう言うと、彼女は少し涙を見せた。慌てたメイドたちが駆け寄っていく。メイド長だけが私の元へ歩いてきた。
「ご主人さま、どうかご無礼をお許しください。彼女はまだ子供です。彼女達がここのことについて教育しますので」
「そうか。私は今気分がいい。赦そう」
そう言うと、メイド長は頭を深々と下げた。その頭に触れ爆発させる。
少女はすぐに泣き止んだ。
「なんで……」
「私に意見したからだ。赦したのは貴様だけ。魔王を倒せ。以上だ」
そう言い、私が立ち去ろうとすると、「あなたが魔王じゃない……」という少女のつぶやきが聞こえた。王か。私は失笑した。生意気なことを。しかし魔王の一件を終わらせたあとで、私が王になるのも面白い。私が世の中の頂点に立つのだ。
数日後、死んだメイドの父が訪ねてきた。汚らしいヒゲを持つ老爺だった。
私は彼に彼女は死んだと言った。彼はそうですか、とだけ小さく呟き、眼を足元に落としながら帰ろうとした。
その時、部屋から勇者が飛び出して来た。
「なんでそんなにあっさりしてるの? 娘さんが……亡くなったんだよ?」
しかし彼は首を横に振った。私はすぐさまその男の頭を破裂させる。
「あの男は娘を捨てたのだ。自分ひとりさえ食べていけないからだ」
そう言うと彼女は私を睨んだ。長いまつ毛が濡れている。すぐに涙が一粒流れた。
「今まで……何人殺してきたの」
「覚えているわけがなかろう。大したことでは無い」
「なんでみんな怒らないの!?」
「さあな。それこそ私が知るわけ無いだろう」
ウソつき。そう言って彼女は部屋へ走り去っていった。
「今日は天気がいい、ピクニックでも行こう」
異世界から少女を召喚してから一ヶ月。勇者には強者との訓練を積ませていた。しかしいまだ魔王に勝つ力はない、との報告が続いた。そこで一つ私の土地を見せてみることにしたが、しかし少女は「やだ」とだけ言って首を振った。
「なぜだ?」
「あなたはすぐに人を殺すから」
「貴様は殺さない」
私は強く念を押した。
「貴様に代わりは居ない。だから私は貴様を殺さない」
「そういうことじゃないよ」
勇者は髪を弄くりながら言った。私は困惑した。
「貴様が来ないのなら私はメイドたちを殺す」
そう言うと勇者は憤りの表情を見せた。
彼女は随分メイドたちに懐いているようだった。だから私は、この一ヶ月メイドはたった六人しか殺していない。
「早くしろ」
そう言うと彼女は部屋に戻って行った。ため息をついてメイドを呼ぼうとすると部屋の奥から「待って!」と声がした。
「……今、行くから。誰も殺さないで」
「いいだろう」
メイドに紅茶を作らせ、私はしばらく待った。勇者はメイドたちが仕立てた青いドレスを着て部屋から出てきた。随分ふてくされた顔である。
「ふむ、なかなか良い。それでは行こうか。馬車を用意させている」
「……これ、きつい」
「美しさというのは重要だ。世界の苦しみはすべて美しさのためにある。そうは思わないか」
「思わない」
馬車に乗り込むと少女は黙り込んだ。随分嫌われたものだ。私はそう思った。このように反抗してくる者など、いつ以来だろうか。
「ふむ、勇者よ。魔王を倒したら私の嫁になれ」
勇者がゴミを見るような目をした。こんな反応は予想内ではあったが、私は嬉しくはなかった。
「貴様は美しい。前は妻が居たが、殺してしまってな。それ以来結婚しておらん」
「絶対ヤダ。人殺しの妻なんかなりたくない。なんで奥さんのこと殺したのよ」
「メイドを殺すことにいちいち怒りおってな。仕事の邪魔だったからだ」
そう言うと勇者は愕然としていた。
「人を殺すことを楽しんでるんでしょ」
「そんな訳ないだろう。殺しを楽しむ者など戦場へ行けばいい話だ。私はそんなことしない」
「違う、逃げてるだけだよ。死にたくないだけでしょ。無抵抗な人を殺してそれで満足しているんでしょ」
どこか借り物のような話し方で勇者が言った。
だが、私はそれとは違う。
「単に邪魔だっただけだが」
「うそだ」
「意味もなく人を殺したりはしない」
ゆっくりと含めるように言うと、勇者は少し逡巡する表情を見せた。そして「じゃあ、あのおじいさんは?」と言った。
「ああ、メイド長のか。子を捨てる親など生きてる価値はない」
「あんたがいうな!」
勇者が泣き出した。私には意味が分からなかった。
「何がだ。貧しい親が子を間引く文化は悪習だろう、違うのか」
「違う……そういうことじゃない……」
話が噛み合っていない。勇者は声をこらえながら涙を流している。どうすればいいのか、私には分からなかった。
ぽつりぽつりと雨が降り出し、しだいに大雨になってきた。森の中で車が溝にハマってしまい、御者に助けと、雨宿りする家を探しに行かせたが、なかなか戻ってこなかった。
「ねえ」勇者が言った。
「あなたは、初めて人を殺したのっていつ?」
「……さあな。もう忘れた」
「だろーね……」
勇者はため息をつきながら言った。私は逆に問いた。
「貴様の世界では人殺しはないのか?」
「いや……あるよ。めちゃくちゃいっぱいある。毎日毎日たくさんの人が死んでる。あんたなんか比べ物にならないくらい沢山の人を殺した人もいる。自分で自分を殺しちゃう人も、いる」
「地獄じゃないのか」
「こことおんなじだね」
少女は嘲笑した。その目はどこか遠くを見ている。
「しかし、自らを自らの手で殺すとは……、騎士が恥を晒しまくってるのか?」
「なにそれ、訳分かんない」
今度はくすくすと少女は笑った。訳が分からないのは私だったが、初めて少女のちゃんと笑う顔を見た。
「いや、もういいや。それよりなかなか止まないね、雨」
「ああ、しかし、もうそろそろ御者が戻ってくるだろう」
その時、一瞬光ったと思えば、同時に近くに轟音が響き渡った。振動に馬車が揺れ、馬たちが騒ぐ。すぐそこに巨木が引き裂かれているのが見えた。
凄まじい光景に呆然としたが、勇者が馬車から私を引きずり出した。次の瞬間、馬車は倒木に押しつぶされる。
「魔王だ」少女は静かにそう言った。そしてそのなにかが姿を表した瞬間、私は気を失った。
目を覚ますと、もう朝になっていた。辺りを見回すと昨日から変わらない森の中だった。そしてそばに、魔王と勇者が倒れていた。魔王は死んでいた。
慌てて勇者に駆け寄るも、魔法で作られた槍がその腹に突き刺さっていた。紛れもない致命傷だった。
「おい、勇者よ、起きろ、……起きてくれ」
必死に声を掛け続けると、少しだけ反応があった。
「生きているか。頼む、生きてくれ。おまえだけなのだ。私とともに話せるのは。頼む……」
「……ちが……う……」
蚊の鳴くような小さな声で少女は言った。少女の手はすでにかなり冷たくなっていた。
「みんな……そうなんだよ……知らないでしょ……ロー……ズさんはおしゃべりで……リンさんは面白くて……アヤさんは……」
「もういい!」私は怒鳴った。少女はもう息をするのも苦しそうだった。
「頼む、死なんでくれ、頼むから……」
「……家に、帰りたかった……」
「ダメだ! いや……ちがう、家に帰してやるから……生きてくれ……赦してくれ……」
「……許……さない」
人が死ぬことを当たり前だと思わないで。生きることが本当に価値があるはずなんだから。私はそう信じているから。
そうしたら許してあげてもいいよ。
彼女はそう続けた。
「ああ、分かった! 分かったから! 頼む、死ぬな、死んでくれるな……」
彼女の目の光が消えた。死んだ。
「本当に申し訳ございませんでした、雷で失神してしまいまして……まさかこんなことに……」
御者が戻ってきた。ふざけるな、貴様が早く戻ってくれば──。
……。
「いや、いい。館へ戻ろう。……何をすればいいのか、分からんがな……」
「え?」
「とにかく、戻ろう。私は、何かしなければ」
水溜りに映る私は赤面していた。少なくとも醜くはなかった。
走れ勇者 青海老ハルヤ @ebichiri99
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