最終話 お帰りください
電車を降りた僕らは、雪の積もった道を南へ進んだ。
静かな町の雪は本当に白い。
目的地は、住宅が疎らな土地に建った一軒家だ。既に電話で話はつけているので、インターホンを鳴らして出てきた初老の女性は僕らを歓待した。
「お久しぶりねえ。三人とも、こんなに立派になって」
一旦居間に通された僕らは、随分久しぶりに会う女性に近況を話した。最後にこの女性と僕らが会ったのは小学生の頃のことだったんだ。彼女にしてみれば、僕らのことは面影すら憶えていないんじゃないんだろうか。
――と、ふと生活臭の濃厚な居間に視線を彷徨わせたら、写真立てに僕らの写真が飾ってあった。
正確には、僕らと写る美里――柏原美里の写真だ。
忘れもしない、こっくりさん……あのくだらない遊びで正気を失った僕ら幼馴染みの最後の一人。ここのところ、僕は美里の行方を追って様々な施設に問い合わせたり、インターネットを探ったりしていたのだ。そして、僕ら三人はスケジュールを合わせてこの柏原家へやってきた。
美里に会うために。
「……それで、美里さんは?」と伊代が口火を切る。
「寝室にいるの。この時間はずっと椅子に座って、じっと外を見ているのよ」
「外を……。あの、食事とかは?」
「きちんと食べるのよ。箸なんかも上手に使うし、トイレも自分で済ませるの。最初は何も出来なくて大変だったんだけどね。相変わらずぼうっとしているのだけど、体がそうするように覚え込んでいるのかしら。手を握ってあげると立ち上がって、外の散歩にもきちんと付いてくる。でも、……やっぱり、心はどこか遠くにあるみたい」
「俺たちが突然現れて驚いたりはしないのかな?」
道地君が柄にもなく不安そうな声を出す。
「どうかしら。……驚くような反応は、もう数年も見ていないからねえ。でも、皆が会いに来てくれるなんて嬉しいわ。きっと美里も喜ぶと思う」
美里の母に連れられて、美里の寝室に入った。大の大人が四人も入れば狭苦しいような小さな部屋だった。だが、そこではベッドのシーツなどは新雪のように清潔で、窓に額をくっつけて虚ろな目をしている美里も、また人形のように華奢で透明感のある存在だった。
「美里――」
僕ら三人は思わず絶句してしまう。美里は、僕らと同年齢の筈だった。それだというのに、彼女は異様な程幼く見えたのだ。若く見える、という言葉は間違っても適切ではない。十数年に渡る絶対的な時間の喪失が、そこにはあった。
「美里、お友達が遊びに来てくれたわよ」と、美里の母が小学生の子供に言い聞かせるように言う。しかし、美里は全く反応しない。
「久しぶり、美里。私。伊代だよ」
美里は何も反応しない。
道地君が困ったように僕を見た。
頃合いを見計らって、「それじゃあ、何かあったら呼んでちょうだいね」と美里の母が出て行く。すると、さっきから困った顔をしていた道地君がいきなり口火を切ってきた。
「おい、本当にやるのか」
「ここまで来たのよ? 試してみようじゃない。南戸君のひらめきをさ」
そういう冴羽がポケットから取り出したのは折りたたんだ一切れのノート――それと、十円玉硬貨一枚。
「本当にこっくりさんなんかで美里が良くなるってのか? もっと悪いことになりゃしないだろうな」
「大丈夫だよ……多分ね」僕はベッド際の椅子に腰を降ろして言った。「そうビビらないでよね。君は寺の息子だろう」
「いい加減寺の息子を完璧超人だって勘違いするのはよせよ」
「けど、こっくりさんで美里が治るなんて……。疑うわけじゃないけど、一体どういう理屈でそんな推理に辿り着いたの?」
「<ミトリさま>の仕組みを聞いたときに――いや、<ミトリさま>っていうものを知ったときかな。ふと、思ったんだ。<ミトリさま>の仕組みが解明できれば、美里が倒れたときに一体何が起きたのか分かるんじゃないかってね」
「それで、分かったの?」
「多分、簡単なことなんだよ。<ミトリさま>と同じさ。こっくりさんは、……というか、テーブルターニングっていうものは参加者間でゴーストネットワークを繋ぐ遊びだったんだ。とは言っても、<ミトリさま>のように知らない人同士を繋ぐようなものじゃない。あくまで僕ら四人の、言ってみれば優先接続のローカルネットワークさ」
道地君が眉毛をハの字に曲げる一方で話の分かる冴羽があっとひらめいた顔を見せた。
「優先接続――そうか! 美里があの時意識を失ったのは、強制的に接続を解除したから……十円玉から指を離したから! 違う?」
「僕の考えは違うね。あの時、僕の記憶では美里は意識を失ってから十円玉から指を離していた」冴羽がベッドの上に五十音と社のマークが描かれた紙を広げるのを眺めながら言った。「それに、強制的にこっくりさんのネットワークから切断したのは美里だけじゃない。僕らもそうさ……だったら、どうして僕らは無事でいられる?」
「そうか……そうね」
「――原因は、あの時最後に美里がした質問なんだよ」
あの時の美里の質問――僕は、幾度となく悪夢に見たあの日の記憶を、今日だけは向き合うことにする。確か、あのとき美里はこう言ったんだ。
「あなたは何者なのですか?――これは一件シンプルな応答を促す質問だけど、僕らのネットワークで行われた処理を考えてみるとちょっとした危険性がある。なぜなら、美里が問いかけたこっくりさんは僕ら自身であり、僕ら自身もまたこっくりさんと言えるからね。つまりこの質問に対しての応答は、こっくりさんは美里である。美里はこっくりさんである。こっくりさんは美里である……っていうアイデンティティの参照が無限に行われる可能性があったんだ。そして、その無限処理は取りも直さず質問者である美里の能力を使って行われる。それが、あの日起こった出来事で――今も美里の中で行われていることなんだ」
「無限ループ……」と冴羽がぼそりと呟く。「すると、美里は許容量を超える処理にオーバーフローを起こしてしまった、と?」
「僕はそう考えている。ゴーストネットワーク上の処理能力というものが、人にどれだけ影響を与えるのか分かりかねるけど、<ミトリさま>である及坂さんの様子を見ていた限りは全く無いとも言えないようだしね」
「難しい話は分からないけどよ」と、道地君が僕らの間に割って入ってきた。「じゃあ、どうしてこっくりさんをやればそのループを止められるんだ。それに結局それって憶測だろ――あ」
言葉を止めた道地君の視線の先に、僕らは驚くべき光景を見た。
虚ろな表情の美里が、冴羽の設えたこっくりさんのテーブル――その十円硬貨の上に人差し指を置いている。
このとき、僕は心の中で確信した。きっと上手くいく。
「確かに憶測だけど、僕らは多くの憶測を検証によって証明してきたんだ。――やればわかるさ」
僕は意志が無い筈の美里に促されるように十円玉に人差し指を置いた。冴羽もそれに続く。
最後に道地君が、観念したように人差し指を置いた。
どうすれば無限のループを停止させるかだって?
それこそ簡単なことだ。パソコンがフリーズしたとき、僕らのやることは一つ。
――強制終了させるんだ。このくだらない遊びを。
「こっくりさん、こっくりさん」
僕らは声を合わして唱える。半開きになっている美里の唇が、追従するように動いたのを僕は見た。
「お帰りください」
その時、窓の閉まった寝室に暖かい風が吹き込んだ気がした。
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「ゴーストネットワーク」を最後までお読み頂きありがとうございました。
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ゴーストネットワーク みとけん @welthina
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