第6話 傭兵の国の暗殺者

 体長7mはあるワニが、僕の左腕に噛り付いている。

 二の腕、肩の近くまで喰われていた。

 そのままワニは体を回転させる。

 噛みつかれた腕が捻じれる。

 僕の体が宙を舞う。

 地面に叩きつけられる。

 頭が、肩が背が脚が、激しく地面に叩きつけられる。

 それでもワニの回転は止まらない。

 そういえば聞いた事がある。

 ワニは、咥えた獲物が死ぬまで回転を止めないのだとか。

 その痛みは既に限界を超えているのだろう。

 もう神経が遮断され、何も感じない。

 これでやっと、恐怖しかない理不尽な世界ともお別れか。

 襤褸切れのように体が舞い、地面に叩きつけられる。

 荒れた地肌に、肌が削られていく。

 左腕は、もう千切れそうだ。

 目を閉じると、あの人の顔が浮かぶ。


 初めて僕に優しい言葉を掛けてくれた。

 初めて僕に人並の視線を向けてくれた。

 初めて僕に居場所をくれると言ってくれた。


 ペトルさん。

 僕は……やっぱり、まだ死にたくない。


 ワニの身体が回転する。

 僕の身体がボロきれのように宙を舞う。

 荒野に体が叩きつけられる。

 僕の顔が、肩が横っ腹が、腿が膝が、脛が強く叩きつけられる。

 足が、かかとが着き、叩きつけられた爪先が大地を掴む。

「うぅぉおおおおおおあぁあああっ!」

 僕の血の臭いに、野獣でも寄ってきたのだろうか。

 獣の咆哮が聞こえる。

 酷く間近で聞こえる。

 骨が折れるのも構わず、僕の足は強く地を蹴る。

 ワニが噛り付いたままの左腕が千切れる。


「ぬぅがぁああああっ!」

 咆哮は獣ではなかった。

 人とは思えない怒号か雄叫びか。

 ソレは僕の口から洩れていた。

 脚が折れ、腕を噛みちぎられても、手放さない。


 せいを掴んでもがく。


 ワニの背に乗り脚を絡める。

 いつ抜いたのか、僕の右腕にはいつの間にかシミターが握られていた。

 渾身の一撃。

 必死な決死の力で、シミターを突き刺す。

 ワニの目にシミターが突き立った。

 そのまま柄まで一気に突き入れた。

 暴れるワニに脚を絡め、シミターを突き立て、頭に噛みついた。


 動かなくなったワニから、シミターを引き抜いた。

 右手と口で、左腕を縛る。

「気休めにもならないかな」

 どうせ助かりはしないだろうけど。

 何故か分からないけれども、僕は最後の力で立ち上がる。

 魔力だろうか、強大な力を感じて空を仰ぎ見る。

 そこには巨大な、目の前を、空を埋め尽くす程巨大なモンスターが飛んでいた。

 皮膜の張った翼を広げ、大空を優雅に飛ぶ銀の鱗。

「ドラゴン……」

 初めて見たが、すぐにそれがドラゴンだと思えた。

 ちょっとした村くらいありそうな巨体だ。

 まぁ、実際はそんなに大きくはないのだろうが。

 これに食べられるのならば、人生の最後として満足できるかもしれない。

 諦めもつくだろう。

 人がどうにか出来るような相手ではない。

 最後の光景としては上等だろう。

 僕はその銀のドラゴンの姿を最後に、意識を手放した。


 諦めた筈なのに、僕は生きていた。

 荒野に居た筈なのに、ベッドに寝ていた。

 左腕は無い。

 当然だが痛みはある。

「あらぁ、やっと目が覚めたのかしらぁ」

 あの時、僕に初めてをくれた声。

 生きててもいいんだと思えた声。

 生きる理由をくれたあの声がする。

「ペトルさん……僕…生きてても……いいですか?」

「ふふ……アタシが死なせないわぁ」

 また、あの目だ。

 他の人とは違う、あの目。

 僕を嘲り虐げる人たちとは違う優しい目。

「僕……僕……」

 上手く喋れないが、この人が相手ならなく話せる。

「いいのよぉ。まだ休んでいなさぁい」

 暖かいまなざしに見守られ、瞼が重くなる。


 あの日見た銀龍に、帝国は壊滅させられていた。

 そんな中、死にかけていた僕を拾ってくれたペトルさん。

 治療をして匿ってくれていた。

 今でもゆっくりと傷を癒せと言ってくれていた。

 何日経ったのか、あの人のおかげで僕は歩けるまで回復していた。


 派手で騒がしい街。

 荒野に出来た街に居た。

 傭兵団がゴロツキを纏め上げ、国を立ち上げたらしい。

 以前ならば、怖くて堪らなかった人混みと騒めき。

 そんな喧騒の中に居ても何ともない。

 自分でも信じられないくらい落ち着いていた。

 片腕を失くした僕が歩いていても、この街の人達は奇異な目を向けたりもしない。

 今までの僕は、何を怖がっていたのだろう。

「クロエ? クロエか」

「ちょっと、どうしたの? アナタ腕が……」


 聞き覚えのある声がする。

 バーコとマンサ。

 孤児院で一緒だった兄と姉がわりだった二人だ。

 そうだ。

 いつもこんな感じで心配してくれていた。

 僕よりも少し先に孤児院を出て、冒険者ベンチャーになったのだったか。

 彼等は中で虐められる僕を庇ってくれていた。

 仲間外れになっていると、仲間に入れてくれた。

 でも彼とは…ペトルさんとは違う。


 僕が憐れだから、仲間に入れてやる。

 僕が惨めだがら、虐めから助けてやる。

 彼等は優越感を得て、愉悦に浸っていた。

 そんなに仲間が多いのは偉いのか。

 人を見下すのは、そんなに気持ちいいのか。

「クロエ、大丈夫なのか?」

「一人でこんな所にいるなんて無茶よ」

 まだ僕を見下しているんだ。

 こいつらにとって、僕は可哀相でなければならないんだ。

 大勢の輪の中では生きられない。

 かと言って一人でも、何も出来はしない。

 仕方ないから、世話をやいてやっているんだ。

 こいつらはそう思いたいだけだ。


「バカにしやがって……」

 小さく呟きが漏れる。

「ん? どうしたんびゅ? ……くっぐぁ」

 無意識に腰のシミターを抜き、バーコの腹を刺していた。

 それを捻じって抜くと、唖然としているマンサの首筋を刎ね切った。

 何が起きたのか、何故死ぬのか、何も分からないって顔だ。

 だから死ぬんだ。

 二人共、騒ぐ間もなく崩れ落ちる。

 そのまま、すぐに動かなくなる。


 初めて人を殺した。

 体が震える。

 震えが止まらない。

 自分を両手で抱きしめる。

 でも、片腕がなかった。

 周りの人達は騒ぎもせず、チラっと目を向ける人がいるくらいだ。

 誰も僕を咎めもしない。

 この街では殺しは違法ではなかった。

 後始末さえすれば、罰もなかった。

「ふふ……どぉ? 気持ちいいでしょぉ?」

 いつの間にか僕の肩を抱いてくれるペトルさん。

 抱きしめて貰っても、震えは止まらない。

 恐怖ではなかった。

 それは歓喜。

 僕の身体は歓喜に震えていた。


「暗殺者になるための才能があるのよぉ、アナタにはね」

 ペトルさんが僕に囁く。

「僕が、必要ですか?」

「えぇ。アナタが必要なの……アタシには。アナタの、そのがね」

 僕の全てを受け入れてくれる。

 僕を必要だといってくれる。

 また身体が震える。


 ペトルさんの元で暗殺者の訓練を受ける。

 ここが僕の居場所だったんだ。

 傷ついた体も癒え、殺しにも慣れていった。

 僕は使い慣れたシミターで殺しを続けた。

 気配もなく近付く、隻腕の暗殺者。

 それが、僕の見つけた居場所。

 それが、僕の手に入れた生き方だ。

 僕の為、全てをくれたペトルさんの為。

 どんな依頼でもこなしていく。


「今度は手強いのよぉ。いけるかしらぁ? クロちゃ~ん」

「大丈夫。誰でも、問題ない」

「うふふ……頼もしいわぁ」

 次の標的は勇者と呼ばれるSランク。

 しかも二人同時だ。

 でも、それでも何も問題はない。

 誰が相手でも、やる事は変わらない。

 僕に気付く事もなく死んでいくだけだ。

 早く仕事を済ませよう。

 そして、また褒めてもらうんだ。

 北へ……評議国へ、一人標的を追う。

 Sランクの後は子供が三人。

 もっと楽な仕事だ。


「今度は、早く戻ってこれそうだ」


 これがクロエのものがたり。

 やっと居場所を手に入れた、僕のものがたり。


 ここまでありがとうございました。

 そんな彼の活躍は、本編『足搔く者達』を覗いてみてくださいませ。

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踠く者 ~足掻く者達 外伝~ とぶくろ @koog

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