第2話
「先輩、私が誰か知った上でここまで連れてきたんですよね?」
「まあな。ホントは一人で思い出に浸ろうと思ってたけど、ちょうどいいタイミングで後輩のお前がいたからさ。せっかくだから一緒に付き合ってもらおうと思ったわけ。悪かったな」
「強引な所は、昔と全然変わらないですよね……というか、一体どうしたんですか?急にこっちに帰ってきて」
「……最近、授業についていけなくなって、最近は学校に行くのが苦痛でさ。今日はサボってこっちに帰ってきたんだよ」
丞司はそう言うと大きく背伸びをして、真凛に背を向けたまま独り言を言うかのように語りだした。
「俺、テナー歌手になりたいんだ」
「テナー?」
「そうだよ。俺、合唱部でずっとテナーをやってただろ?」
丞司は大きく息を吸って胸に手を当てると、声高らかに唄い出した。
丞司の歌声を耳にするうちに、真凛は中学時代の思い出が脳裏によみがえりはじめた。
「先輩、思い出しました。確か、ここで時々練習しましたよね?」
「ああ。うちの学校、音楽室が狭いからさ。体育館もなかなか貸してもらえなかったから、それならば海辺で唄おうかって言って、よくここで練習したよな」
あの頃も、吸い込まれそうな真っ青な空の下で、誰にも気をつかうことも無く皆で大声を張り上げて練習していた。
「今日の朝、起きて窓の外に広がる真っ青な空を見たら、いてもたってもいられなくなったんだ。あの頃のように、この場所で何も気にすることなく、のびのびと歌いたいなあ、ってね」
そう言うと、丞司は再び声高らかに唄い出した。
「先輩、あの短歌の意味が少しずつわかってきました!でも、一つだけどうしてもわからないんですよね。『恋心かな』って部分が……」
その時、丞司は突如歌うことを止め、後ろに立つ真凛の方を振り向いた。
「ああ、その部分は小暮の想像にお任せするよ」
「ちょっと、ふざけないでくださいよ!先輩があの短歌の意味を教えてくれるっていうから、電車の時間が迫ってるのにわざわざここまでついてきたんですよ!」
握った手を震わせながら声を上げる真凛を見て、丞司は仕方ないなあと言わんばかりの表情で、指をあごに当てながら凛を見つめた。
「中学時代、俺はうちの部でピアノ伴奏をしている子が好きだった。あの子のピアノがあったからこそ、自分の声を最大限出すことができたんだ。あの子、将来ピアニストになる夢を持ってるって言ってたから、ならば俺はもっと歌を勉強して、プロの歌手としてあの子といつの日か共演したいって思ったんだ……さ、もういいだろ?電車に遅れるからもう行きなよ。これであの短歌の意味がわかっただろ?」
丞司が手首の辺りを指さすと、真凛は腕時計に目を向けた。気が付けば、電車の発車時刻まであと五分足らずとなっていた。もしこの電車を逃してしまうと、あと二時間待たないと次の電車はやってこない。
「まずい……このままじゃ絶対乗り遅れちゃう!」
「ほら、早く行けって!電車を逃して遅刻しても、俺は責任取らないからな。俺はここに残ってしばらくのんびり歌ってるから、気にすんなよ」
丞司は真凛を追い払うかのように、片手を上下に動かした。
「はいはい、わかりましたよーだ。今度私に会っても、声をかけないでくださいね!」
真凛は腹立たしげに声を上げ、その場から駆けだしていった。
丞司は真凛の後を追うこともなく、再び青空に向かって声を上げて唄い始めた。
「くそっ、調子出ないなあ。やっぱり、あいつのピアノ伴奏がなくちゃダメだな……」
背後から聞こえた丞司の悔しそうな声を聞き、真凛は後ろを振り返った。
「ねえ先輩、さっき坂道の途中の家からピアノの音が聞こえてきたの、覚えていますか?」
「ああ、そうだったよな」
「あそこが合唱部の伴奏をしていた池田莉愛の家ですよ。彼女、今は学校に行かず、引きこもってるんです。良かったら、帰りに声をかけてみてください」
真凛は丞司の前で頭を下げると、駆け足で坂道を登った。
「やっぱり……そうだったのか」
丞司のつぶやいた声が、かすかながら真凛に聞こえたような気がした。
集落を抜け、目の前に赤い屋根が見えてくると、ピアノが奏でる「海の見える街
」の旋律が真凛の耳に入ってきた。
「莉愛!」
真凛は大声で、莉愛いる部屋の窓に向かって声を上げた。
莉愛は演奏を止め、不思議そうな表情で窓から顔を出した。
「莉愛、高木先輩って知ってる?」
すると、莉愛は大きくうなずいた。
「先輩、あんたのことを好きみたいだよ」
莉愛はしばらく物思いにふけっていた様子だが、やがて片手で頭をかきながら照れくさそうに笑っていた。
「ねえ、莉愛はさ。先輩のこと……」
真凛が問いかけたその時、山の彼方からブオーンという音が真凛の耳に入ってきた。振り向くと、電車が徐々に駅に近づいてきていた。
「まずい!マジで乗り遅れそう!じゃあね莉愛。今度、話の続きを聞かせてよね!」
真凛は苦笑いしながらも莉愛に手を振ると、坂道を猛ダッシュで駆け上がっていった。莉愛は、何も言わずに真凛の背中を見ながら窓越しに手を振っていた。
☆☆☆☆
夕方、学校帰りの真凛は、電車を降りて駅舎をくぐると、いつものように壁を埋め尽くすように貼りつけられたたくさんの俳句や短歌を見回した。
やがて真凛は、壁の一番下に貼りつけられていた真新しい一枚の紙に気が付いた。
『この空が 導いてくれた 去りし日の 懐かしき歌と 君の笑顔に 』
目を凝らすと、朝方に丞司が壁に貼りつけた句と同じ筆跡だった。
真凛は大きくうなずくと、坂道を下り、赤い屋根のそばを通りかかった。、
開け放たれた窓からは、「浜辺の歌」の旋律が流れてきた。朝方、丞司が海辺で声高らかに唄っていた楽曲だ。真凛は演奏が止むのを待ってから、窓越しに莉愛に声をかけた。
「莉愛!高木先輩、ここに来たの?」
莉愛は、にこやかな顔でうなずいた。真凛がいない間に丞司は莉愛に会いにきて、莉愛は昔コンクールで弾いたこの曲を思い出したのだろう。
「さっき聞こうと思ったんだけどさ……莉愛は高木先輩のこと、好き?」
莉愛は真凛の質問に一瞬びくっとした様子を見せた。しばらく沈黙していたが、やがて照れくさそうな表情を浮かべつつ、小さくうなずいた。
「先輩、いつか莉愛と共演したいんだって。先輩の夢、叶うといいね」
すると莉愛は「私もだよ」と言いたげに、顔をしかめて自分の顔を指さした。
「アハハ、そうだよね。莉愛も早く元気になって、ピアニストの夢を叶えなくちゃね」
真凛がそう言うと莉愛はうなずき、小さくガッツポーズを見せた。そして再びピアノに向かい、「浜辺の歌」の演奏を始めた。
「この空が、二人を再び引き合わせてくれたんだね……」
真凛の目の前には鮮やかなオレンジ色に染まる空と、夕陽に照らされて金色に輝く海が広がっていた。
君と同じ空を見上げて Youlife @youlifebaby
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます