君と同じ空を見上げて

Youlife

第1話

 六月半ば過ぎた日の朝、梅雨空が続いていた海辺の町に久し振りにまぶしい青空が一面に広がった。

 まぶしい太陽が照りつける中、高校生の小暮真凛こぐれまりんは。駅へと続く坂道をゆっくりとした足取りで歩いていた。太陽が照り付ける中、急な坂道を息を切らしながら登るうちに、真凛の額には汗が光り始めた。

 坂道沿いの赤い屋根の家の前を通り過ぎると、開け放たれた窓から、ピアノの心地よい音色が響きだした。この家に住む池田莉愛いけだりあは、いつもこの時間にピアノを弾いている。

 莉愛は真凛の中学時代の同級生で、同じ合唱部でピアノの伴奏をしていた。莉愛は近くの町の私立高校に進学したものの、雰囲気が合わなかったのか次第に不登校になり、今はほとんど家に引きこもっている。

 今日は、アニメ映画『魔女の宅急便』に登場する久石譲ひさいしゆずる作曲の「海の見える街」を演奏していた。

 真凛はこの曲が大好きだ。アニメも好きだけど、山すそから海辺へと徐々に広がっていくこの町の景色に、曲の雰囲気がピッタリ合うからだろう。


「おはよう、莉愛。今日も素敵な演奏をありがとう!」


 真凛は莉愛のいる部屋に向かって大声で叫ぶと、莉愛が演奏を止め、柔らかな笑顔を見せながら窓から手を振ってくれた。真凛は笑顔で手を振り返すと、莉愛は再び演奏を始めた。莉愛の奏でるピアノを聴くうちに、坂道を登った疲れも一気に吹っ飛んでしまった。

 石造りの階段を登ると、ようやく駅のプラットホームが見えてきた。

 駅は、青、紫、ピンクの色鮮やかな紫陽花あじさいに囲まれ、バス停かと思う位に小さい駅舎がぽつんとあるだけの無人駅だった。

 真凛は腕時計に目をやると、次の電車が来るまでまだ二十分程度余裕があった。

 この電車を逃すと、次の電車まで二時間ほど待たなければならない。

 真凛はベンチに腰掛けると、壁に飾られた俳句や短歌に目を向けた。以前は鉄道会社が観光やイベントのポスターを貼りつけていたが、無人駅になってからは、ポスターに代わり、地元に住む人や駅を利用する人が、自由に自作の句を貼り付けるようになった。

 真凛にとっては、新しい句を見つけて読むことが電車待ちの時間の唯一の楽しみである。壁に貼られた数々の句を読みながら、作者はどんなことを考えながらこの句を生み出したのだろうか?と色々と思いを巡らした。

 やがて、反対側のホームに二両編成の電車が到着した。朝の時間帯にこの小さな駅で下車する人を見かけることは無いが、今日はかばんを手にした白いワイシャツに黒いズボン姿の高校生位の少年が降りてきた。

 短く刈り上げた髪を金色に染め、耳にピアスを付け、細身の体に似合わないブカブカのシャツにズボンをだらしなく着込んだその姿は、近寄りがたい不良っぽい雰囲気があった。少年はズボンのポケットに手を入れたまま踏切を渡り、真凛のいる駅舎の中へと身体左右に揺すりながら入り込んできた。


「何なのこの人、ちょっと怖いかも……」


 少年が駅舎に入ると、真凛は自分の身にひたひたと危険が迫っているように感じ、自分に危害が及ばないように、何も言わずうつむいたまま椅子に座り込んでいた。

 すると、少年はかばんからおもむろに紙とペンを取り出し、紙の上でペンを走らせるように動かすと、紙を壁にそっと貼り付けた。

 その横顔は見かけとは違い、一途で真剣そのものだった。そして、真凛にはその横顔に思い当たる節があった。


「あれ?昔、どこかで見たような……」


 紙を貼り終えた後、少年は真凛の方へ向きを変え、掲示板を指さしながら問いかけた。


「なあ。この短歌、どう思う?」


 突然問いかけられた真凛は、口に手を当てながら慌てふためいていたが、少年の指差している句に目を凝らした。


『青い空 ふと見上げると 思い出す 浜辺の歌と 恋心かな』


 真凛は句を読み終えると、両手を口に当てて驚いた。その句は、少年の見た目のいかつさからは想像もつかないほど、純粋で優しい雰囲気にあふれていた。


「うーん……何というか、昔のことをしみじみ思い出した、みたいな?」


 真凛は言葉に詰まりながらも、少年の問いに対し答えをひねりだそうとした。


「ふん、つまらねえ答えだな」


 そう言うと、少年は再び肩を揺すりながら駅舎を出て、眼下に広がる海辺の町へと歩き出した。


「ちょっと待ってください!つまらないってどういうことですか?」


 真凛は自分が抱いた感想を素直に話しただけなのに、軽々しく一蹴した少年の態度を腹立たしく感じた。


「じゃあ、教えてやるよ。俺について来いよ」


 少年は白い歯を見せて笑うと、そのまま階段を下り、集落の中へ続く坂道を徐々に速度を上げて歩き去っていった。電車の到着時間は刻一刻と迫っていたが、真凛は少年の言葉がどうしても気になって仕方がなかった。


「あの、できれば急いでくれますか?……私、電車の時間があるので」

「じゃあ、全速力で走るから、ちゃんとついて来いよ」


 丞司と真凛は、徐々に加速しながら坂道を滑る落ちるように走り出した。その時、二人の真正面に真凛と同じ電車で高校に通う長谷川俊三はせがわしゅんぞうが姿を見せた。駅に向かって坂道を登っていた俊三は、少年とすれ違い際に身体がぶつかり、体のバランスを崩してそのまま地面に座り込んでしまった。


「俊三くん!大丈夫?ケガしなかった?」


 少年は俊三に謝りもせずそのまま坂道を下っていったが、真凛だけはその場に足を止め、あわてふためきながら俊三の元に座り込んだ。


「だ、大丈夫だよ。それよりもあの人、丞司じょうじ先輩だろ?一体どうしたんだ?しばらく会わない間にあんなにグレちまって」


 俊三から丞司という言葉を聞き、真凛は驚いた。


「え?……丞司って、高木たかぎ先輩?」

「そうだよ。気づかなかったのか?まあ、先輩は都会の高校に行ったからな。俺も最近はほとんど顔を合わせてなかったよ」


 真凛は両手で俊三の体を起こすと、頭を下げ、遠ざかり豆粒のように小さくなった丞司の背中を追いかけた。

 高木丞司は、真凛と同じ小中学校に通い、真凛より二学年先輩だった。中学時代は真凛と同じ合唱部で部長を務め、当時から強引で尖った性格ではあったものの、正義感が強く、下級生には優しく接してくれた。

 丞司は中学卒業を機にこの町を離れ、都会へと出て行った。理由は本人から詳しく話してくれなかったが、風の噂では丞司にはどうしても叶えたい夢があり、その夢に近づくため都会の学校に進学した、と聞いていた。ただ、その夢が一体何なのかは誰も分からないようだ。


 やがて真凛の視界には赤い屋根が姿を現し、莉愛の奏でるピアノの音色が徐々に耳の中に入り込んできた。その時真凛は、先に進んでいたはずの丞司が莉愛の家の真下に立っている姿を目にした。丞司はピアノの音が聞こえる部屋を見つめながら、金縛りにあったかのようにその場に立ち尽くしていた。


「どうしたんですか?急に固まっちゃって」

「な、何でもねえよ。それより、もうすぐ着くぞ!」


 丞司は我に返ると、凛を置き去りにするかのようにそそくさと歩き出した。


 やがて長く続いた坂道は、防波堤の手前で行き止まりになった。丞司はためらうことなく両手を使って防波堤によじ登ると、そのまま飛び越え、その向こうに広がる砂浜へと飛び出していった。

 目の前の視界が一気に開け、二人の目の前には真っ青な空、そしてどこまでも続く海が広がっていた。


「うわ~!ひっさしぶりだなあ。昔、ここで良く歌ったよな」


 丞司は目の前に広がる海に感動し、靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ捨てると、子どものような無邪気な表情で砂浜を駆け出していった。

 時間が刻々と過ぎていくことに焦りを感じていた真凛は、腕組みをしながら、波打ち際にいる丞司を大声で呼びつけた。


「あの、そろそろ話してくれませんか!?私の感想がつまらないって理由を。ねえ?高木先輩!」


 不機嫌そうに丞司の苗字を呼んだ真凛を見て、丞司は白い歯を見せ、ゆっくりとした足取りで真凛のそばに戻ってきた。


「何だよ、今頃やっと俺が誰なのか気づいたのか、小暮」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る