第48話 未来へ
あれから隠し部屋に籠もって前伯爵の日記と魔法書物『勇者召喚魔法とその全容』を徹底的に読み込んだが、どうやら私には自分の世界へ戻る術があるようなのだ。
召喚ができるだけでなく、送り返すこともできる。
まさに魔法だ。
しかし私はこの世界が気に入っている。
長く辛かった戦乱も収まり、大陸には平和が戻ってきた。
この世界に私が召喚されて転生した理由は、まさにこのような天下泰平を築くためである。
そして私はそれを守り抜くことを自らに課して、この世界との絆を確かなものとするのだ。
もう私は異世界転生者のコオロキ・テツカではない。農家の娘として生まれ、イーベル伯爵となり、公爵へと上り詰めたラクタルなのだ。
これからはラクタル・イーベルとして生き、そして死んでいくのだろう。
イーベル公爵邸は構造物魔法を使ってもまだ建設中だが、新たな邸宅を取り仕切る公爵家の使用人たちは伯爵邸で暮らしている。
それぞれに個性があり、彼ら彼女らを取りまとめていくのは意外と楽しいひとときだ。
私の身を守る護衛も、帝国随一の剣闘士であるボルウィック、前伯爵からの忠臣ゲオルグさんの他に、長年皇室の警護に当たっていた子爵夫人が加わっている。
身分としては二人より子爵夫人が上なのだが、彼女はそれを鼻にかけない。
「私が来たからには、公爵閣下の身辺は清らかに致します。公爵家の護衛は男ばかり。それでは皇子様が気が気でなりません。外出時の身辺警護はお任せ致しますが、公爵邸内の警護は我々が執り行いますゆえ」
あくまでも女性として、男性の護衛では務まらない役回りを果たすとのことだ。
警護隊長でもあり、公爵としての身のまわりはすべて任せられるだろう。
新たに加わった料理長は、前伯爵からの忠臣ソクテスと同じく、大陸各国を渡り歩いた料理人であり、それゆえにふたりは知り合いで息が合うようだ。
「まさかソクテスがここで働いていたとはなあ。イーベル公爵もお目が高い。私と彼とが組めば、大陸のどんな料理だって再現できますよ。外交使節の歓待などにはもってこいの館となるでしょうな」
味付けも私好みのあっさり風味で、胃にもたれることがない。
また料理人として将来有望な若手を育て、公爵家の食事いっさいを任せることになる。
ふたりの連携がうまくいけば、新時代の料理人も誕生するかもしれなかった。
それを支援するのも公爵の仕事である。
掃除や洗濯を任される使用人たちは、それぞれ技術を教え合って、まずは伯爵邸を綺麗にしていった。
新しく公爵邸を任されることになる使用人は、パイアル公爵から託された精鋭揃いである。
「この程度のお屋敷を掃除するのにこれだけの時間をかけていたら、公爵邸は任せられませんよ。もっとテキパキ要領よく片付けなさいな。いずれ双方を同時に清掃し、洗濯をしなければならなくなるのですからね」
なんでも完璧にこなす姿を見せつけられて、引き続き伯爵邸を任される使用人たちもいっそう奮起したようだ。
こうして日常を過ごしていると、つい戦乱を期待してしまう自分が怖かった。
◇◇◇
宮廷で私の公爵への昇進と、アルベルト皇子との婚約が正式に発表された。
居並ぶ臣下は最敬礼して私の公爵号授与を見守っている。
アルベルト皇子も白い正装を着て、若い私を穏やかな表情で見つめている。
これは幸せなことなのだろうか。
この世界の人からすれば、望外の出来事であるに違いない。
十七歳で公爵である。しかも一年前は単なる農家の娘でしかなかった。
公爵家からは秘書のエミリさん、護衛のゲオルグさんとボルウィックそして子爵夫人、公爵付き魔術師としてアルメダさんとリベロさんそれにユミルさんが出席している。
彼ら彼女らにとって自慢の公爵となるために、私はこれからを生きていかなければならないのだ。
陛下からは事前に新たな公爵号を希望するか問われていたが、イーベル公爵を正式な公爵号とすることで同意した。
私をこの地へ導いた前イーベル伯爵の名を、後世にも語り継いでもらいたかったからだ。
私ひとりでは到底成しえなかったことが、イーベル伯爵としてなら達成しえた。
だからきっと「イーベル」は私にとってのラッキーネームに違いない。
こうして後世までイーベル公爵号が輝かしい歴史を歩むことになれば、前イーベル伯爵の重荷も幾分下ろせるはずだ。
この大陸の一隅に産業革命を起こし、それでいて戦乱を巻き起こしてしまった後悔は、その人生で尽きることがなかったのだろう。
陛下から公爵号を授与され、胸に勲章を付けられた。それを機に場内は盛大な拍手に包まれた。
公爵として初めての言葉を述べる。
「このたび公爵号を拝領致しました、ラクタル・イーベルです。長かった戦乱も収まり、大陸には平和が戻りました。これも皆様のご尽力の賜物です。私はこの治世を長続きさせるために今まで以上の働きを示したいと存じます。これからも皆様のお力をお借りできたら幸いです」
再び場内は拍手に包まれる。
そう、ここから始まるのだ。
私が作り出した治世を、私が率先して守り維持していく。
そのためにも『孫子の兵法』をこの世界に広めなければならないのかもしれない。
私が亡くなってからも、この平和な世界が一日でも長く続くように。
前イーベル伯爵が私に「異世界転生」の術を託したように。
古今、戦乱の世に兵法が望まれてきた。
平和な今、兵法を書いても誰にも見向きもされないかもしれない。
でも兵法のない世界は無駄に命の奪い合いが続いてきた。
それも古代中国が物語っていた。
用兵の天才だった黄帝、周を建国した太公望呂尚、そしてわが心の師である孫武。
時代が下り、多くの兵法家が誕生したが、彼らが望んだのは相手を虐殺することではない。
少ない犠牲で目的を達成する知恵である。
そして『孫子の兵法』にはそれだけの価値があると私は考えている。
宮廷の窓から覗く空は、どこまでも澄み渡った青だった。
『孫子の兵法』オタクの女子高校生が異世界転生!軍師に成り上がって大陸制覇を目指します! カイ艦長 @sstmix
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