第3話 CAFÉ le premier croissant

「お疲れ様でーす」

「お疲れー。って最近ラストなくない?」

「いや、希望じゃないんすけどね」

「またまたー、どーせ彼女と遊びに行くんでしょー?」

「いや、今日は彼女バイトなんすよ」

 最近バイトが早上がりになることが多くなった。春から大学生の新人が数名入り、やっと慣れてきて仕事を任せられるようになった。そのため、ラスト希望の大学生が必然的に遅番に回る。だから、フリーターの俺は、時間帯はいつでもいいとなると、朝の仕込みから夕方のまでの早番になってしまう。まあ、そのおかげもあり、夜は長い時間遊びに行ける。ラッキーだ。

「じゃあ何? あっ、あのカフェに行く感じ?」

「まあ、そうすね」

「カフェ、三日月だからね」

「わかってますって」

 俺が勝手に〈最高なクロワッサン〉と呼んでいたカフェだったけれど、フランス語で三日月と言うらしい。今話してる先輩スタッフの夕波珠苑ゆうなみみそのが教えてくれた。大学で英語以外にフランス語を選択していて、カフェのことを話したときに、笑われてしまった。



     ♧   ♧   ♧



「いらっしゃいませ。今日はおひとりですか?」

「今日はおひとりです」

「さみしいですね」

「いや、お姉さんがいるんでさみしくないです」

「残念です。今日はもう上がりなんで」

「ああ……」

「6時までいるんで。ご注文お決まりになりましたらお呼びください」

 デートかな……? ってどうでもいいよ。気にしたってどうしようもない。いや、やっぱり気になるような……何だろうか? 自分でもよくわからない。

 今日も〈カフェ、最高なクロワッサン〉に来た。久しぶりにバイトが早番で、ちょうど予定もなかった。

 この前、慎太郎と優弥と来たときに、あの歌が聞こえてきた。そのときからどうしても歌のことが気になって仕方なかった。ここに行ける暇があるときはなるべく通おうと思い、たびたび足を運んでいる。言わば常連ってやつだ。

 ブルーベリーとハチミツヨーグルトのスムージーを注文し、スマホを見ていると、レジカウンター近くの時計が午後6時を差していた。お姉さんを見送り、ボーッとしているところだった。

 ゴールデンウィーク中盤、まるで暇人だ。明日から慎太郎、優弥たち6人で旅行に行く、その前にここに来たかった。

 三日月の絵の前に座り、ひたすら待った。SNSを見たり、動画を見たり、小説を少し読んでみたり、2時間はあっという間に過ぎてしまった。

「お客さま、ラストオーダーの時間になりますが、ご注文はございますか?」

「いや、大丈夫です。あの……ここで歌とか歌ってたりってありますか?」

「ライブですか? 今週はゴールデンウィークってこともあってないんですよね。再来週かな? 無料のありますよ」

「あっ、そーですよね? あっ、再来週、ぜひ来させていただきます」

「お待ちしております」

 スタッフの人達も聞こえていないのかもしれない。なんで俺には聞こえてくるんだろう? 考えてもわかるはずがない。今日は明日の旅行に備えて早めに帰ることにした。

「ごちそうさまでした!」

「ありがとうございました」




「おはようございまーす。よかったらお土産なんで食べてください」

 ゴールデンウィークも終わり、休み明けの出勤だ。身に入っていないというか、心ここに在らずと言えばいいのか、あまり集中できずにいた。ドリンクの先出し、後出しを間違えたり、ピザのサイズを聞き間違えたり、ちょこちょことミスをしていた。そりゃあ、怒られる。店長にオンオフしっかり切り替えろと一喝された。仕事中怒られたからって、シュンとしているわけにはいかない。これ以上ミスをしたら、単なるクズだ。トイレ前のお客さんが見えないところで、両頬をパシンッと音が鳴るくらい叩いた。痛い、でも気合が入った。

「翔! このドリンク2番によろしく!」

「はい!」

 ドリンクを運びカウンターに戻ってきた。

「……翔、ほっぺた赤いけど、どーした?」

「……えっ? 何すかね? 熱いからすね」

 思わず頬に手が触れる。

「熱とかあるなら言えよ」

「いや、大丈夫す!」

 さっき気合いを入れたから……もう少し力加減を考えればよかった。少しやり過ぎてしまった気がする。お客さんにも見られているだろうし、ちょっと恥ずかしい。


「ありがとうございました」

 最後のお客さんが帰った。本日の営業終了だ。

「今日、忙しかったすね」

「それな、でも、翔がいてくれて助かったよ」

「そんなことないす」

 謙遜してしまう。

「新人ばっかりだとマジで泣くから」

「珠苑さんいれば最強すよ」

「ま、まあな」

 照れながらだけれど、まんざらでもなさそうな顔をしている。

「照れてるんすか?」

「照れてねーよ」

 ホールの上がり作業はふたりでやっている。閉店までは4人いるけれど、閉店と同時にふたりは上がりになる。今日は俺と珠苑さんだ。キッチンは店長がささっと閉めて、先に帰るのがルーティンだ。

「じゃあ、あとよろしくな! 戸締まりよろしく!」

「お疲れ様です!」

「店長最近帰るの遅かったのに、翔がいるから秒で帰ったな」

「どうせ、女っすよ」

「それな! でも、店長ろくなとこ連れてかなそう」

「たしかに」

「ラーメン食べて、ホテル行ってそう」

 本当にやっていそうで、笑えてしまう。

「やってそう。センスなさそうすよね?」

「いや、翔はどーなの? 笑ってるけど。どこ連れてくとかあるの?」

「まあ、あるっちゃある」

「何だよ?」

「いや、最近見つけたんすけど。最高なクロワッサンってカフェです」

 ドヤ顔で言ってやった。

「なにそれ? どこにあんの? 初めて聞いた」

「ちょい地元。カフェプルミエクロワッサンだったかな? 正式名称!」

「はっ? 何つった?」

「えっ? だからプルミエクロワッサン、最高なクロワッサンすよね?」

 …………。

 なぜだか沈黙が流れた。変なことでも言ってしまったのか、少し恐怖を感じる。

「どうしたんすか?」

「……それさ、三日月じゃない?」

「……えっ? 何すか、急に」

 全く関係ないことを言い出した珠苑さんに、何か嫌なことがあって、現実逃避でもしたくなったのかと思えてきた。

「いや、珠苑さん何かあるなら言ってくださいね。話しくらい聞けるんで」

 …………。

 また沈黙が流れた。何なんだ? 女って難しいなと思ったところだった。 

「いや、ちげーから! あたし別に病んだりしてねーし!」

 いきなりの大声に、体が身震いをし、拭き掃除をしていたダスターを床に落としてしまった。

「えっ? ど、どーゆーこと?」

「いや、だから。三日月って言ったのは病んで変なこと言い出したとかじゃなくて」

「うん」

「プルミエクロワッサンが三日月ってこと。フランス語だよ」

「えっ、えっ⁉︎ なんで?」

「なんでじゃねーよ。クロワッサンの形想像してみろよ? カーブしてんだろ? 三日月みたいだろ?」

「マジだ。……ハズいわー。知らんかったー」

「調べればすぐわかるしね」

「いや、まさか三日月とは思えない。SNSで言うてもーた」



     ♧   ♧   ♧



「じゃあ、カフェ三日月に行ってきまーす」

「はいよー。お疲れー」

 今日行くのは1週間振りだ。常連だったのが準常連くらいになったのかもしれない。

 頻繁に行っていたのを、なぜ1週間も開けたかというと、自分の中である仮説を立てたからだ。

 珠苑さんに三日月と言われて、そのときは特に気にしていなかった。フランス語なんてわかんねーよくらいにしか思っていなかった。

 たまたま予定を確認しようと、カレンダーアプリを開いた。そのとき日付の横に月の満ち欠けが乗っていた。今までは気にも留めなかったから知らなかった。けれど、その月を日付ごとに追ってみた。新月から満月までだいたい、1ヶ月弱で回っていた。

 三日月についても調べてみた。新月から3日目の月、月齢だと2日。

 始めてきた日と慎太郎、優弥ときたときをいつだか思い出しながら、カレンダーを確認した。

 グッジョブ! その2日とも三日月の日だった。

 カフェ三日月で三日月の日に……きっと何かある! そこで、1週間前、三日月じゃない日にカフェに行ってみた。そうすると、やっぱり、歌は聞こえてこない。俺の仮説が正しければ、聞こえるはず。

 何つったって、今日は三日月だから。

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