第6話 マヌカハニー in smoothies
「いらっしゃいませ、お久しぶり」
「お久しぶりっす」
久しぶりにカフェ三日月に来た。常連から準常連からの、たまの客になってしまった。最近は彼女もできて前ほどひとりの時間はない。リア充だから仕方ないと言っていいはず。
「彼女さんとは順調ですか?」
「えっ? まあ……なんで?」
「SNS見てますよ」
「やっぱり。……なんか恥ずいな」
「ご注文お決まりになりましたらお呼びください」
不敵な笑みを浮かべて去っていった。……いや、普通の営業スマイルが、そう見えただけかもしれない。けれど、来て早々、ドキッとしてしまった。まさかお姉さんに、彼女さんなんて言われると思っていなかった。
メニューを見ていると、【新】の文字があった。
"マヌカハニーin smoothies"
・リッチチョコレート&ブルーベリー、黒ごまクリーム
・マンゴー&パイナップル、クリームチーズ
・いちご&バナナ、きなこアイス
・オレンジ&トマト、ギリシャヨーグルト
初めて見るメニュー、組み合わせで、どれを頼めばいいのか迷ってしまう。書いてあるもの全部好きだけれど、合わさったときに、おいしいのか疑問しかない。いや、このカフェの考えたメニューなら間違いなくうまい!
「お待たせいたしました。リッチチョコレート&ブルーベリー、黒ごまクリームです。わたしは好きですよ、これ」
「あっ、そっすか。お姉さんと趣味合うのかな?」
「そーかも。ごゆっくりどうぞ」
「ちょっと」
「んっ?」
「お姉さんの名前って……」
「充知、
「はい」
たけみやびみち、珍しい名前だ。名前もかっこいいし、大人っぽくて綺麗で、なんだか、憧れてしまう。もし、自分が女だったら、こんな魅力のある人になりたい。
午後6時半、日没前だ。三日月の絵の、ちょうど前の席に座れた。この前来たときに、確信したこと、三日月の日にしんとに会える。今もまだ、本当だったのか、夢じゃなかったのかって思えてしまうけれど、信じている。必ず歌が聞こえてくる。
日没まで、のんびりとスムージーを飲みながら待つ。濃厚なチョコレートが甘すぎず、ハチミツの甘さが引き立っていて、その中にさわやかなブルーベリーの程よい酸味が旨味を増す。喉越しに黒ごまのまったりとした香りが冷たさとともに広がり、最終的に全てを調和してくれる。初めての味に身体が溺れてしまいそうだ。
小説をゆっくり読みながら、時よりスムージーを飲む。何度か繰り返していると、歌が聞こえてきた。
僕の心はまん丸だった
トゲトゲもチクチクもなく
きみはかわいいちっちゃなソング
それだけでまん丸だった
ダメなことばかりだけど1日1日歩いてく
くだらないことで笑って
なんかすごくいい関係
いつも気になるんだよ
どこにいても
きみが隣にいるそのことが嬉しくて
前に聞こえてきた曲とは違うけれど、心がほっこりと暖まるようだった。
後ろを振り向き、絵に触れた。
「お兄ちゃん」
「しんと」
見渡すと、この前と同じだった。山のキャンプ場のようなところにいた。空には星が広がり、沈みそうな三日月があった。
「久しぶり」
「ひしさしぶり」
子どものこういう間違いってかわいいなと、微笑ましくなる。
「どーしたの?」
「んっ? 何でもないよ。なあ、しんと、質問してもいい?」
「しつもん?」
「うん」
「いいよ」
腰を下ろし、夜空を見上げながら話した。
「しんとはここにひとりでいるんだよね?」
「うん」
「寂しくないの?」
「んー、ちょっとさみしいけど、でも、大きいしんとがいるから、いろいろおもしろいよ」
「大きいしんと?」
「うん、そーだよ」
「えっ? ここに大きいしんともいるの? ひとりじゃなくて?」
「ここにはいないよ。お兄ちゃんみたいにそとにいる」
「外? 大きいしんとって友達ってこと?」
「ちがうよ。大きくなったぼくだよ」
「大人ってこと?」
話が断片的でよく飲み込めない。
「おとな? じゃないみたいだけど、ほぼおとなって言ってた」
「言ってた。話ししたの?」
「ううん。ぼくだからわかるんだよ」
ぼくだから——ちょっと待て、整理しよう。大きいしんとは外にいて、ほぼ大人で、僕だからわかる……僕にはわかるじゃなくて僕のことだからわかるってこと? ということは、外のほぼ大人のしんとと、今ここにいるしんとは同一人物?
いや、おかしい。意味がわからない。何でひとりの人間が、ふたりに分かれるわけ? 現実としてない。——そんなことないか、今この状況こそ非現実すぎる。だって絵の中にいるんだよね? まあこの景色は絵ではないけれど。
「大きいしんとは、しんとが大人になったってこと? 小学生になって、中学生になって……」
「そーだよ。今はだいいがくせいっていってた」
「大、医学生? 頭いいんだな、そっか。歌はどこで覚えたの?」
「おっきいしんとが作ってるよ」
「おっきいしんとが?」
ということは、頭も良くて歌も歌えて、もし、スポーツができたら完璧だ。やばいスペックの持ち主なのかもしれない。
だから、こんなことがあるのかな? 普通の人ならこんなことあるはずないし、ありえない。ハイスペックの人のことなんか全然知らないし、周りにもいない。だから、知らないだけで、実はハイスペックの人たちにとっては、分身ができるみたいなことは、日常茶飯事なのかもしれない……いや、そんなはずない! 俺だって、来年成人式だし、大人になるわけだから、あることないことの区別ぐらいつく……つきたい。
「しんとの歌聞きたいな」
「いいよ」
僕ときみは手を繋いだ
ニコニコの笑顔合わせ
きみはステキなちっちゃなsong
いつまでも笑顔でいて
夢と明日を結んで一歩一歩重ねるよ
つまらないことにだって愛しさが隠れてる
いつか道に迷って
挫けそうなら
僕が肩をかすよいつだって側にいる
僕はきみの瞳を見つめた
キラキラな明日の扉
羽ばたいていけちっちゃなsong
どこまでも広い空を
「しんとは歌が上手だね」
「うん、しょうらいはかしゅになるんだよ。大きいしんとがいってた。エスエツエツでどーがアップルするって」
「エツエツエツ? 動画アップル……あっ、SNSで動画をアップするってことか」
「そーだよ」
そういえば、初めてここで歌を聞いたとき、SNSで見た気がする。あとで探してみようと思う。
「お兄ちゃん、眠いよ。おやすみ」
「うん、おやすみ」
「あっ、曲名……」
曲名を聞こうと思い、話しかけたら、いつの間にか、カフェの席に座っていた。周りを見ると、何事もなかったように、普通に時間が流れていた。午後9時前、やっぱり三日月の出てる間だけしんとに会えるんだ。でも、どうして三日月の時間だけ? 考えたところで、俺の頭では到底、正解なんて見いだせない。
とりあえず、あとでSNSを見てみるしかない。
「お客さま、閉店のお時間です」
「あっ、たけみやびさん」
「聞きなれないから、充知さんにして」
「みちさん、りょっ」
「あたしさ、今日閉店までなんだ。よかったら駅まで一緒に行かない?」
「えっ?」
「いやなら、いいけど」
「いや、嫌じゃないっす」
「じゃあ、ちょっと外で待っててくれる? すぐ行くから」
「はい」
急なお誘いにたじろぎそうになった。けれど、チャンスだ! いや、何のチャンス? 充知さんと一夜のなんて……首を大きく左右に振った。俺は何を期待しているんだ。来実がいるのに、まるで浮気だ。それに、充知さんとエッチしたいわけじゃないし、ついつい妄想が膨らんでしまって、変なことを考えてしまっただけ、そういうことにしておこう。
「ありがとうございました」
カフェ三日月を出て、店の枠外で待った。
「お待たせ」
5分もしない内に充知さんはカフェから出てきた。
「早いっすね」
「いつもこんな感じなの。行こ」
「はい」
緊張する。俺ってなんだかヒョロイ。なんでいつもこういう場面になると緊張するんだろ? 改めてというか、他の音や声や景色が空間を包み込んで、ふたりきり……ふたりぼっちと言った方が適当だろうか? 周りの雑音が無になったような感覚だ。そうなると、途端に身構えてしまう。
「あの、なんで? 俺と……」
「えっ? なんで? んー、おもしろそうだから」
「おもしろい?」
「うん。それと同じにおいがする」
「同じ匂い?」
「そう」
何なんだろう? 香水? 柔軟剤? 俺ん家ってそんな特別な洗剤や柔軟剤使ってないはず。
「俺、そんな特別に香水とかつけてないっすけど」
「アハハハッ、違くて。言っていいかな? 急に。でも、あたし的に大丈夫だと確信してるんだよね?」
「なんすか?」
「うん。あたしねバイセクシャルなの」
「バイセクシャル?」
聞いたことあるようなないような。セクシャルってことは性別? えっ? 実は男?
驚いた顔で充知さんを見た。
「えっ? そんな驚く?」
「いや、だって、その、女にしか見えない」
「えっ? あたし女だよ」
「えっ?」
意味がわからない。というか、男ではないのか。
「あっ、あのね、バイって聞いたことない?」
「まあ、あるっちゃあるけど、意味は……」
「そか、バイセクシャルは両性愛者ってこと。男も女も恋愛対象」
「へー……、えっ?」
また、驚いた顔で充知さんを見た。
「フフフッ、びっくりした?」
「えっ? まあ……」
「だってしょうくんもでしょ?」
「え、まあ……はっ? いや、なんで?」
「違うの?」
「いや、違う違う。だって俺、彼女いるし、えっ? そんなことない……」
何で俺が? 今まで男を好きになったことなんてないし、付き合うのは女だし、それに——それに、特にこれといって、絶対だって言い切れるものがないことに気づいた。好きになったことはない……はず。
♧ ♧ ♧
「翔、好きだよ。俺とチューしたいだろー」
「眞浦、飲み過ぎだよ。勘弁しろー」
バイト先の系列店との飲み会だ。今、俺に絡んでいるのが、筋トレバカの眞浦琉一だ。身長も高いし、男っぽくて、女ウケもいいだろうけれど、噂じゃ、男にもモテているそう。本人は何も気づいていないらしい。
「もう、なんでつれないなー。悲しいー」
完全に酔っ払いだ。フラフラした勢いで俺を押し倒して、上に乗り掛かってきた。
「おい、重いって」
重い。180センチ越えの筋肉野郎と165センチのスリム体型、潰れるしかない。
「なあ、翔ってかわいい顔してるよな?」
「はっ? つーか翔なんて呼んだことないだろ?」
「いっつも心の中では呼んでるぜ」
「はっ? 会うのだって数回目だろ?」
「チュッ」
「おいっ!」
「柔らかい唇」
キスされた。男にキスされた。でも、思った以上に嫌じゃなかった。というか、ドキッとした。心臓が熱くなって濁流のように血液を押し流し、体温が上昇し始めた。
このときは、バイト先の人たちがいて、最悪だよーなんて嫌がる素振りをして見せていたけれど、実際は言うほど嫌ではなかった。
♧ ♧ ♧
思い出した。確か、今年の4月だ。いや、だからって好きなことにはならないよね?
「思い当たること、あったでしょ?」
「えっ? いや、そんなことは……」
見透かされているようだ。
「ふーん、まあいいよ。そのうちね」
「そのうち?」
「そう」
なんだか弄ばれている感じがした。確かに眞浦はかっこいい。だからって好きになるとは別な気がする。どういうことなのか、自分でも訳がわからない。
……大切な彼女がいるのに、こんなことで悩むなんて、バカでしかない。
そもそも、悩む必要もないわけだし、同じにおいって言われたからって、怯む必要もない。
ただ、充知さんがバイセクシャルでも、眞浦がゲイでも、それは本人の自由だから、それは尊重したい。それに、いろんな友達がいたほうが絶対に楽しいし、もっといろんな世界を見ることができるだろうし、自分にとってプラスでしかない。
駅で充知さんと逆方向だったので、そこで別れた。
モヤモヤする気持ちがあった。
{来実今日行っていい?
いいよ。うちもう少しかかるけどいい?}
{うん
急いで帰るね}
来実に会いたくなった。無性にエッチがしたい。来実をギュッと抱きしめたい。
電車に揺られながら、来実へのラブ度を確かめた。
でも、少し落ち着いたほうがいいと思い、しんとの歌を探してみようと、SNSを開いた。
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