第2話 キュンって、恋する

 ステージからさまざまな色が飛び跳ねてくるかのようだ。 手を上げてリズムにノリたくなる曲や、隣の温度が恋しくなる曲。普段行く、コンサートやライブとはバンドや歌い手との距離感が違うせいか、自分自身がメロディーになり、この空気に溶け込んでいくような感覚だった。

 また“CAFÉ le premier croissantル プルミエ クロワッサン”にきた。名前がよくわからなかったからネットで調べた。今日は無料のライブだけれど、カフェ自体貸切で有料のライブをやるときもあるみたいだ。

 こんないいカフェがあるなんて知らなかった。近所ではないけれど、最寄駅から5、6駅のところにある。どちらの駅から歩いてもだいたい20分くらいかかるらしい。

 地元なのに、知らないの? と自分でも言いたくなる。でも、これには言い訳をさせてほしい。3年前に今住んでる家に引っ越してきた。高校は電車で通っていたし、バイトも電車を使わなきゃ行けないし、地元を探索する機会なんてほとんどなかった。それに、遊ぶと言ったら街中に出ることがほとんどだから、地元をうろつくことは、まずなかった。

 3年かけて出会ったってことは、もしかしたら、今がこのカフェと出会ういいタイミングだったのかもしれない。こんな風に神秘的に考えると余計にここが魅力的に感じてくる。

 拍手喝采、歌い手の名前を呼ぶ声や、アンコールが連呼されてた。バンドのメンバーが再びステージに現れ、最後の曲を披露した。

 最高だった。こんな一言で終わらせてしまうのも足りないけれど、ごちゃごちゃ小言を並べるよりストレートに伝わると思う。本当に最&高だった。

 初デートに選んで正解だったはず。そう願いたい。

 花見の日から、ちゃんとROWをするようにした。恋しているかと聞かれたら、正直、まだわからない。けれど、前に進みたくなった。慎太郎たちを見ていたら、自分がこんなことで悩んでいても、何も解決にならないなと思ったから。行動してダメなら悔しいけれど、諦めればいい。イイなら付き合ったり……するかもしれない。とりあえず、何もしないまま、誰かを羨ましく思うのは嫌だった。

「翔くん、よかったね」

「うん、すっげーよかった」

「ありがとね、今日は」

 カフェを出て、駅までの道を歩いている。さっきまでの熱気はあっという間に静まった。風に乗り、微かな冬の気配が身体に触れていく。ふたりの距離も必然的に近くなる。

「ううん、こっちこそありがと」

「わたし、ライブって行ったことなくて。バンドが音楽を奏でて、みんなが一体になって、何て言えばいいかな? あの場所に溶け込んじゃった感じかな?」

「えっ? ……そうなんだ。なんかおもしろいこと言うよね?」

 俺と同じことを考えている。これっていいことだよね? 気が合うかもしれないし、趣味が合うかもしれない。ってことは、付き合ったらうまくいく確率が高い。

「そうかな?」

 目線を上にやり、考えるような顔をした。やっぱり、可愛いな。菜野来実の周りが、星の瞬きようにキラキラして見えた。

 キュンってやつ? これが。恋するってこういうことなのかもしれない。今まで付き合ってきた子も可愛いかった。けれど、気が合うとか、趣味が合うとか、特に気にしていなかった。可愛いから付き合おう、付き合うってことは好きってこと。ただ、何となく思い込んでいただけなのかもしれない。

 だったらこれが本当の恋愛ってやつだ。やっと俺にも本当の春が来た。

 心が高揚していくのがわかった。心臓から熱くなった血液が、いつもの倍速で循環しているような感覚だ。身体が火照って熱くなってきた。

「そーだよ。でも、俺もあの場所に溶けちゃった感じだったよ」

「ホントに?」

「うん! メロディーが流れ出すと、それに誘われてシュルシュルシュルッて」

 シュルシュルシュルを表現しようと、新体操のリボンを回すような動作をした。

「何それ?」

 菜野さんは口を押さえて吹いた。

「えっ? シュルシュルってこんな感じじゃない?」

「わかるけど、うける」

「そう?」

 なんだか場が和んでよかった。

 帰る方向が逆だったので、駅のホームで別れた。楽しかった、ライブも一緒にいることも。またこうやって会ってもいいかもしれない。というよりかは、また会いたい。また……。

 そういえば、ライブの40分くらい前からカフェにいたけれど、あの歌は聞こえてこなかった。やっぱり気のせいだったのかな? いや、YouTubeであの歌を歌っていた人がいたし……誰だか忘れた。でも、メロディーは少しなら覚えている。今日は何で聞こえなかったんだろう? 考えてもわかるはずがない。もし、わかるくらいIQが高かったなら、そもそも何で? なんて言わずに調べる方法思いついている。

 そんなことより、クロワッサンのサンドイッチおいしかった。40分前に行ったのも、菜野さんがホームページ見たときにここでごはんしよって言ったから。本当に正解だった。

 クロワッサンって店の名前にしているくらいだから、よっぽど自信があるってことか……? なんとかクロワッサン、なんて読むのかわからない。おいしいとか、最高とか、そんな意味だと思うことしかできない。

 家に帰り、シャワーを浴びた。もちろん、菜野さんへのROWは忘れずにした。ベッドに寝転がり、今度は何しようかな? なんてことを考えながらスマホを見ていると、いつの間にか眠むっていた。




「何ニヤついてんだよ」

「えっ? 何が」

 腹が減っては戦はできぬ、ということで、クラブに行く前に〈カフェ最高なクロワッサン〉に来ている。サンドイッチとドリンクを注文して待っているところだ。

「何がじゃねーし」

「なんかいいことあったの?」

「いや、いいことってゆーか、まあそーかも」

 ふたりの言っていることはわかる。けれど、周りが見てわかるほど、浮かれているかは疑問だ。

「なんだよ? もしかして、菜野ちゃんといい感じなのかよ?」

「まーね。恋ってやつ?」

「翔ちゃん、マジで⁉︎」

「でかした! でっ、やったのか?」

 慎太郎はいつでも急展開すぎて困る。

「まだだよ。そんなまだ付き合ってもないのに」

「早く付き合えよ」

「段階があるから」

「そんな、段階なんて……」

「慎ちゃんは何でも早いだよ。ねっ?」

「そーだよ」

「何だよそれ、莉里と別れたこと言ってんのかよ?」

「えっ?」

「えっ?」

 その通りだ。でも、それは本人の前では言えない。慎太郎は頼れるし、男らしいけれど、デリケートというか、ガラスの心と言えばいいのか、打たれ弱い一面もある。

「いや、そのこと言ってないから」

「そーだよ。翔ちゃんも俺も一言も言ってない」

「なんだよ、どーせ俺なんか」

 見る見るうちに慎太郎の顔がしわくちゃになっていく。目尻にはキラッと光る水玉が見えてきた。

「今からクラブ行くのに、そんなんじゃ女の子逃げるって」

「なんだよ、どーせ俺なんか」

「翔ちゃん、そんなこと言ったら余計に落ち込むよ」

 耳元で優弥がこそっと言った。

「だってどーすんの? たんほめする?」

 たんほめとは、純なやつはるに限るの略だ。俺と優弥の間で、慎太郎がこうなったときにいつも使う手だ。ガラスの心も単純だからこそ、ちょっと気分を乗せてやればあっという間に元通り。

「ギャップ萌え狙ってんの?」

「はっ? なんだよ?」

「いや、ほらさ、慎太郎みたいなさ、逞しくて、男前で、イケボのやつの涙なんか見たらさ、そのギャップにキュンキュンしちゃうよ?」

「えっ? そーか?」

「そーだよ。慎ちゃんに惚れてまうやろー!」

「そーか……」

「そーだよ。その涙がキラリしてるまま行こうよ!」

「同じ涙がきらり俺が天使だったなら……」

 優弥が店内で迷惑にならない程度に口ずさんだ。

「よく出たね?」

「小さい頃からずっとパパに聞かされてるからね。いい曲だし」

「お前ら! ほんっといい奴らだな」

 慎太郎がテーブルをバンっと叩き立ち上がった。

「うわっ、何?」

「何じゃねーよ。お前らの優しさ感動したよ」

「あっああ、よかったよかった」

「翔ちゃん、棒読みだよ」

「えっ? 感情メガマックスだったけど」

「おい! 何やってんだよ。行くぞー」

 慎太郎はそのまま出入口を指差し、大きく一歩を踏み出した。

「まだ厚切りベーコンとかぼちゃのサンドイッチ食ってねーよ!」

「はっ? わりーわりー。つい勢いで」

 笑みを浮かべ頭を掻きながら、何事もなかったかのように、無の境地な顔をして座った。

「大仏か!」

「大仏じゃーし!」

 慎太郎は言い返すと共に目尻を吊り上げてこちらを見た。

「はんにゃか!」

「はんにゃじゃねーし!」

「ずくだんずんぶんぐんずくだんずんぶんぐん……」

 …………

「すっげー頭ん中ぐるんぐるん巡らせてやったのに、無視とかエグない?」

「よく出たね?」

「昔パパと見てたからさ、真似してたし」

「チャンチャン」

 俺たちのいつものお決まりのやり取り的なやつだ。ボケてツッコんでボケて……周りから見たら騒がしい連中だろう。

「おもろー」

「えっ?」

 3人で声のほうを振り向いた。女の子のスタッフがサンドイッチとドリンクを運んできた。

「ごめんなさい。なんか面白いことやってたんで、いつ提供しようかタインミング掴めなくて」

 顔をマジマジ見る。

「あっ!」

「あっ、どーも。前のライブ楽しんでもらえました? えっと、ベーコンサンドとゆずジンジャエールとこちらは……」

 慎太郎と優弥が交互にこちらとスタッフの顔を見返した。

「おい、どういう関係だよ?」

「翔ちゃん、実は二股してる?」

「えっ? 違う違う」

「どーしたんですか? ご注文は以上でお揃いですか? ごゆっくりどーぞ。あっ、また無料ライブあるんで、来てくださいね」

 ニコッと笑顔を見せて去っていった。

「菜野ちゃん、いいのかよ?」

「はっ? だから二股じゃないからね」

「じゃあ、何?」

「何もない。ただ、この前来実ちゃんとここにライブ見に行ったって言ったろ? そのライブを教えてくれたのがさっきの子。それだけ」

 本当にそれだけだ。連絡先を知っているわけでもないし、名前すら知らない。そんな相手とどうこうなるわけがない。

「そーか? なんかさ、お前を見る目がキラッキラしてなかったか?」

「ない!」

 そもそも、今日ここに来たのは、このふたりが行きたいと言ったからだ。来実ちゃんとライブに行ったときの話をしたら、どんなところなのか見てみたい、と小さな子どものように駄々をこねられた。別に最初から内緒にしたいなんて思っていなかったので、心よくオーケーした。



  泣きたいならいいよ

  僕が隣にいてあげる

  ここに来てよ いつでも 

  ねぇ ひとりぼっちしないでよ


  失敗ばっかドジ踏んでも

  いつも笑っているね

  そんなに頑張らなくていいんだよ

  ほら ハグしようよ



  まごころが心をさらう

  優しくて煌めいて隙間を埋める

  本当の強さを見せてくれた

  今ならI knowあなたが好きだと



 今、自分の時間が止まっていたかのようだった。んっ、と気づくと慎太郎と優弥が俺の顔のまで手を振っていた。

「何?」

「何? じゃねーよ」

「そーだよ。どーしたの?」

「えっ? 何のこと?」

 ふたりの言っていることが全く理解できなかった。

「お前、マジで大丈夫か? 話してる途中に急にボーッとなって、いくらこっちが呼んでも気づかなかっただろ?」

「えっ? 何それ?」

 確かに数秒ボーッとしていたと思う。でもそれの何が問題なのか、よくわからない。ほんの数秒ボーッとするなんて疲れていたり、眠かったり、そんなときはいつでもなる。

「まー、何でもないならいいけどさ」

「何かに取り憑かれたかと思っちゃったよ」

「えっ? 何それ? やめてよ」

「出た、泣き虫翔吉くん」

 茶化すように変顔して慎太郎が言った。

「はっ? べべつに違うし」

「強がっちゃってかわいいでちゅね~」

「強がるとか違うし」

 俺は怖がりかもしれない。オバケとかそういった類のものは、基本嫌いだ。肝試し、お化け屋敷、ホラー映画、絶対に無理だ。

「翔ちゃん後ろ!」

「うわあぁぁっ!」

 振り返る前から叫んでしまう。見ていないけれど、恐怖心が勝ってしまって、どうにもできない。

「何やってんだよ。ただの絵だっつの」

「はっ、わわかってるし」

「ハハハッ、翔ちゃんのお約束」

「お約束とかじゃないし」

「すいません。他のお客様の迷惑になりますので、もう少し声のボリューム下げてもらえます?」

「えっ? あ、すいません」

 あの女性スタッフが、また、ニコッと笑いかけて去っていった。

「おい、やっぱりあの子お前にキュンしてんじゃないか?」

「だから、そんなことないって」

 またこの話題を持ち出してきた。本当に何もないのに、きっとあの子だって迷惑だろう。

「あっ、そろそろ行こーよ。結構いい時間だよ」

 カフェを出てた。

「そーいえばさ、歌聞こえてきたよね?」

「はっ? 何言ってんだよ?」

「いや、カフェにいるとき。綺麗で優しい歌声で……」

「何言ってんだよ? ボーッとしてたから夢でも見たんじゃないか?」

「そーだよ。歌なんて聞いてないよ」

「へー、そう」

 確かに、あの歌が聞こえてきたはずなのに、ふたりには聞こえていなかったとでもいうんだろうか? ……取り憑かれた。優弥の冗談が、まさか本当だったってこと? 嫌だよ。そんなことないよ。ふたりに言うと茶化されると思ったので、心の中で葛藤した。

 月……三日月の絵なのかな? 俺の後ろに飾ってあった絵。吸い込まれそうというか、一瞬だったけれど、目が奪われるように魅了された。


 今度、ちゃんと確かめに行こうと思う。歌はもちろん、絵もなぜだか気になる。あんなにいい雰囲気のカフェなら1日中いたって苦にならない。それにあのスタッフも気になる……いやいや、そういうわけではない。ただ純粋に話してみたいなと思った。

 4月も後半、夜風がラムネを開けたときのような、涼やかさを漂わせる。弾ける炭酸が肌に触れるようで気持ちがいい。

 今見つけた恋も、この風のように身体中に染み渡ってほしい。そんなことを思いながら、クラブまでの道のりを歩いた。


 

 

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