今宵、三日月に歌う -mikadzukirond-

帆希和華

第一章 三日月の夜に

第1話 好きの気持ち

  泣きたいならいいよ

  僕が隣にいてあげる

  ここにきてよ いつでも

  ねぇ ひとりぼっちしないでよ 


 んっ? と気づくと歌声が聞こえてきた。BGM……ではないようだ。心地いいメロディーで、柔らかいマシュマロに包み込まれている感覚がする。そのままうとうとと寝落ちてしまいそうだった。

 ……いや、確実に寝落ちていた。

「お客さま、お客さま、閉店のお時間です」

「えっ? ここは?」

 完全に寝ぼけていた。今の今まで、小さな子どもと一緒にいた。違くて、小さな子どもと一緒にいた夢を見ていた気がする。

 ……。

 女の店員が、どうしようと困惑した表情をしていた。

「あの……閉店です」

 周りを見回した。……カフェだ。初めて来たカフェだった。何していたのか思い出してみる。……練乳ほうじ茶ラテを飲んでいて、ゲッ! 飲みきっていない。申し訳ないと思ったけれど、このおいしさを残したくなかった。なので、何気なく飲み干させていただきました。で、何を……歌、歌が聞こえてきたんだ。

「あっ、閉店ですよね? あのっていうか、このカフェって誰か歌ったり、してるんですか?」

「えっ? ……あー、ステージですか? 今日はやってないんですよね? 今度は確か、来週の金曜日に」

 店の奥を指差して、楽しそうな笑顔を見せた。

「はっ?」

 見ると、一段高くなったステージにドラムや音響セットがあった。

「今度は無料のライブなんでよかったら来てください」

「えっ? はっはー、そーですね」

 なんだかよくわからなかったけれど、ライブは好きだから来てみてもいいかなって思った。

「ありがとうございました」

 話が通じ合ったと思っているのか、笑顔で手を振っていた。一応、女の子が手を振っているんだから、振り返さなきゃいけないよな? と思い、手を振った。

 何だったんだろう? あの歌。耳に残っている。駅までの道のり、口ずさんでみた。

 風が吹くと、思わず二の腕を摩ってしまう。夜はまだ昼間のような、ほんわかとした春の陽気は感じられない。クシュンッ、くしゃみが出る。残りわずかな冬を感じてか、春と共に来る花粉なのか、紛らわしくてどうしようもない。今日は服装が少し薄手だったのもあり、明日はもう少し厚手のものを着ようと思った。

 

 泣きたいならいいよ、タラララ……


 不思議とその夜は気分がよかった。一昨日、友達と喧嘩をして少し落ち込んでいたから、本当に癒された。

「ただいま」

 いつも、玄関の電気はつけっぱなしになっている、遅い時間に俺が帰ってくると思っているから。戸締まりをチェックして電気を消す。

「あら、おかえり。今日は早いのね」

 部屋に行こうとしたら母親がリビングから出てきた。

「そう? 少しくらい」

「トイレ行く?」

「行かないから大丈夫だよ」

「じゃあ、失礼するね」

「うん」

 ドアノブに手をかけて何か気づいたようにこちらを向き直した。

「あっ、ごはん食べてないでしょ?」

「うん」

「じゃあ、手洗ったら座って待ってて、作ってあげるから」

「ありがと」

 母の料理はめちゃくちゃうまい。こんなこと言ったらマザコンなんて言われそうだけれど、事実だから仕方がない。そういえば最近、母の料理を口にしていなかった。バイト先で余ったものやら食べたり、飲みに行ったり、オールしたり、ほとんど家にいない。

 決して家が嫌いなわけではない。むしろ、大好きだ。ただ、遊びたい盛りの友達がいるっていうだけ。誰だって遊ぼって言われたら……言う人にもよるかもしれないけれど、いいよ~って言ってしまうと思う。それだけのこと。

「いただきます」

 どれから手をつけようか迷ってしまう。唐揚げと野菜サラダ、カボチャサラダ、チャンプル、海苔の味噌汁。唐揚げはマヨネーズ、味噌マヨ、唐辛子チーズマヨ、柚子胡椒マヨ、マヨネーズ好きの俺のことをわかってくれたソースが用意されている。さすがは母親だ。

 久しぶりのTHE晩ご飯という感じのメニューだ。

 黙々と食べていると何やら視線を感じる。

「んっ? 何?」

「えっ? 何でもないよ。翔がごはん食べてるの久しぶりだなって」

「そーだった?」

 そうだった。わかっているけれど、誤魔化すようにとぼけてみた。

 子どもの成長は早いものだ。なんてこと知った風に言ってしまう時点で、まだまだガキだな思う。去年まで高校生で、ヤンチャなわけでもく、ごく普通に部活をやって勉強をして、行儀よく遊んでいた。

 大学へは行かなかった。やりたいことがあるわけでもないし、わざわざ大学に行ってまで勉強する意味がわからなかったから。もし、行きたくなれば行けるチャンスはいくらでもある。今はやりたいことを見つけたい。だからいろんなことを吸収する意味でも、夜遊びもする。……まあ、ただ楽しいからという事実は拭きれないかもしれない。

「ごちそうさまでした」

「今日は洗っとくからいいよ」

「えっ? いいよ。洗うよ」

「たまになんだから、これくらい。どうせ、寝不足なんでしょ? 部屋でゆっくりしなよ」

「ありがと。じゃあ、おやすみ」

 久しぶりにごはんを食べただけなのに気前がいい。きな臭い……いや、考えすぎか? 母親に対していらん疑いを持つなんて無駄な気がした。さっさと風呂に入って寝たはほうがよさそうだ。


 ……眠れない。最近にしては滅多になかったこの時間の就寝、なのに、目が冴えている。どういうこと? ……思い出した、寝ちゃってた。あのカフェで寝ていた、そういえば。心地よすぎて2時間くらいだろうか、安眠していた。

 何となくYouTubeを見てみた。偶然だろうか、それとも、仕組まれたのか……まあ、後者はない。それでも、こんな偶然ってあるのかと思ってしまう。

 あの歌を歌っていた。名前は"歌い手深月"声は違うけれど、心地いい声で……。

 目が覚めると、気持ちいい朝……ではあるけれど、瞼を透けて染みるほどの日差しと、起き上がり背中に張り付くTシャツ、身体中から暑さが込み上げてくる。ベッドから降りて背伸びをした。全身の力が一気に抜け落ちてしまいそうだ。

 ドア上の時計に目がいく。12時を過ぎていた。そりゃあ、暑い。日当たりのいいこの部屋は、春になると夏のように暑くなる。3月半ばを過ぎれば、必然的にそうなってしまう。

 寝落ちたせいで充電をしてなかったので、スマホを充電器の上に置いた。通知センターにメッセージが見えた。

 

 {今日花見なのはわかってるよな?

 {つーかごめん この前は言い過ぎた


 田口慎太郎からメッセージが届いていた。3日前ケンカをした相手だ。高校からの付き合いで、長谷川優弥と共にいつメンだ。というか、何でも話せる親友だと思っている。

 ケンカの原因は俺か? ……少し、優柔不断なところがあるから。でも、それと今回は関係あるのかよくわからない。

 1週間前くらい飲み会をした。いわゆる合コンってやつだ。特に乗り気ではなかったけれど、彼女いない歴3年、そろそろほしいと思っていた。

 いい感じになった子がいた。菜野来実なのくるみ、同じ年で喋りやすかった。もちろんROWは繋がった。ROWとはいわゆるトークアプリでメッセージ以外にも無料通話などさまざまな機能がある。

 慎太郎に菜野ちゃんにROWしてるか? と聞かれたから、してないって答えた。だって本当にしてなかったから。嘘でも言えばよかったのかなと今でも思えてくる。まさか、そのせいでケンカになるなんて思ってもなかったから。

 わかってはいる、俺のことを心配して気を遣ってくれていることは。でも、自分からわざわざメッセージを送ったり、時間を割いてまで、女の子を楽しませるような通話をするのが面倒だった。

 矛盾しているとも思う。彼女がほしいならそれなりにアクション起こしたり、少しくらい相手との時間を作らなきゃいけないのに、まるでやろうとしていない。慎太郎が言うには、来実ちゃんは確実に俺のことを気にかけてた、絶対に落とせると。それは嬉しいし、もし、そうなれば願ったり叶ったりだ。けれど、今ひとつ乗り切れない。可愛いし、話も合うし、申し分ない。それなのに、自分でもどうしてなのか、積極的になれない。

 恋もしたい、エッチもしたい……やっぱり単なるわがままなんだろうか? とりあえず、花見には来実ちゃんも来るみたいだし、今度は付き合えるくらいに、もっとやる気スイッチをオンにしなくちゃ。



「よっ」

「よっ」

 ……。

「よっ友か! 翔ちゃんも慎ちゃんも仲直りしたんじゃないの?」

「えっ? したよ」

「あー、したよ」

 優弥が目を三角にして俺たちを交互に見た。どことなくよそよそしくしているのは、何と言うか……照れ臭いとでも言えばいいのかふたりとも意地っ張りなんです、としか言えない。

「もう、わかった。ふたりとも手を前に出して、向き合って。はい!」

 手を掴まれ、引っ張られ、むりやり握手をさせられた。

「よしっ! これで仲直りだ」

 優弥が満面の笑みで俺たちを交互に見た。

「なに?」

「なんだよ?」

「仲直りでしょ⁉︎」

 慎太郎と目が合い、ふたりともパチクリと瞬きをした。

「優弥、何のこと?」

 全く身に覚えがないかのように、とぼけてみた。

「優弥ちゃん……! 何言ってんのかな?」

 慎太郎も同様だ。けれど、それだけじゃ終わらない。凄みの効いた声で、獲物を狙う虎のような眼差しで、まるでか弱いリスでも狙うように睨みつけた。その場から逃げようとした優弥を、すかさずスリーパーホールドのようにして手繰り寄せた。

「わっ! 何で俺が? ただ仲直りさせようっていう優しさだよ~」

「わかってるよ、優弥ちゃん。ありがとな!」

 そう言うと、被っていたニット帽を取り上げ、髪が乱れるように、いーこいーこと撫でた。

「おわた。今日もうおわたわ」

 慎太郎から逃れた優弥が、ボサボサになった髪を触りぼやきだした。

「何言ってんの? 今日はこれからだよ?」

「そーだよ! 何言ってんだよ」

「はっ? だってこんな髪型じゃ、ニット被ってもダサいだけだし」

 口を尖らせて、子どもが駄々を捏ねるかのように足踏みをした。

「お前はそれでも誰よりもかっこいいよ。なあ?」

「そうそう、優弥みたいなカワメンに迫られたら、女だったらすぐ落ちちゃうし。……そーだよね?」

「そーだよ!」

「マジ?」

「なによりもマジ」

「だな? 何よりも何よりも」

 優弥は肩の力が抜けるようにふーっと息を吐いた。

「なら、いいかな? 今日は1時間かかって髪型キメてきたのに、それが無駄になるとこだった」

 …………。

「どーしたの?」

「いや、何でもない」

 言わない。決して言わない。1時間もかけた髪型なのに、ニット被ったら意味ないじゃん。そんなこと口が滑っても言えない。

 俺たちはおしゃれは好きだし、それなりに気を遣っていると思う。でも、それよりもはるかにこだわりがあるのが優弥だ。高級なブランド志向ではなく、自分なりのイメージがあって、個性的でもあり、ナチュラルでもあり、ファッションのIQがあるならきっと130はあると言っても過言ではない。それに、ファッションの専門学校に通っていて、将来はファッションに関わる仕事がしたいとか。この年で明確に自分の夢、目標があるのが本当に羨ましい。

 俺は今やりたいことを見つけたいと、体裁のいいことを言っているけれど、本当のところはないわけではない。ただ、今の自分にそれを言う資格がない気がして……。

 3人でおふざけをしながらいると、女3人がやってきた。この前、合コンをしたときに気の合った子をそれぞれ呼んでいた。

 早速花見開始だ。それぞれ持ってきた酒とおつまみなど出し合い、乾杯をした。

「手作りだけど……口に合えばいいけど」

 そう言ったのは菜野来実だった。

「菜野さん、あざと女子だ~」

 手を叩きながら、悪意は無さそうに言ったのは、弓原莉里。慎太郎が気になっている子だ。

「えっ、そんなこと」

「照れてるとこかわいいー!」

 ぎゅーっと両手で抱きしめた。女同士だから許されるけれど、俺がやっていたら変態呼ばわりされるだろうなと、内心思ってしまった。

「莉里ちゃん、俺も~」

 と、慎太郎は手を大の字に伸ばした。都合よくそんなこと言ったところで、相手にされるわけがないと誰もが思ったはず。

 …………。

 カップル誕生じゃん!

 意外にも弓原さんは手を広げた慎太郎の胸に飛び込み、ふたりは勢いで後ろにたおれた。

「責任取れよ、しんたろう。あたしはあんたのことが好きみたいだ」

「もちろんです!」

 こいつらだけ、別の空間にいるんだろうかと、思えてくる。見られているとわかっているのかいないのか、まるでベッドの上でイチャつくように、大人の情事を始めそうな勢いだった。

 咳払いをした。……もう一度した。

「あっ、いや、その、なんつーか」

「ごめんでーす。実は何回か遊んでてさ、いい感じなんだよね。ねっ?」

「まあ、そーゆーことだな?」

 だからか!

 だから、慎太郎は俺の行動のなさにイライラしていたってことか。同じ合コンに行ったのに、一方はかなり距離を縮めて、もう一方は、手すら握ってない、というか、ほぼ連絡もしていない。彼女ほしいなら、お前もちゃんと行動しろよ、ってことはわかっていたけれど、なかなかバイトと遊びの間に入れ込むのが難しかった。でも、慎太郎ができていて、俺ができないはずがない。

 好きの気持ちって何なんだろ?

 いや、わかる。相手のことを好きになる、恋をするって。ただ、どの時点でそんな気持ちになるのかな? 好きは好きだけれど、恋しくて……無性に会いたい。抱きしめたい。そんな大袈裟なこと、今まであった覚えがない。

 もしかしたら運命の人、そんな人がいたとしたら、もっと好きだとか、恋しいだとか思うことができるのかもしれない。


 菜野さん、かわいいし、料理もうまいし、性格も良さそうだし、運命の人かはわからないけれど、もう少し頑張ってみようかな?

「2次会はカラオケオール行くぞー」

 いい感じに酔いが回っているのか、ハイテンションで慎太郎が叫んでいた。

「菜野さんも行く?」

「うーん、行こうかな?」

「よかった。荷物持つよ。酔ってて足が滑ったら危ないし」

「ありがと」

 猫のようにまん丸な目が、笑うとくしゃっと垂れ目になった。

 可愛い。脈拍が少し早くなったように感じた。また肌寒い夜に、火が灯ったように暖かくなったようだった。

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