【人魚】月夜に共に過ごすのは〜ギルバートの散々な一日〜(バレンタイン)【後編】
「聞いてくれよぉぉぉぉぉ!! マリーが今朝家を出て行っちまったんだぁぁぁ!! マリーがいない世界じゃ僕はもう生きていけない!!!」
「おい、まさかとは思うが一大事というのはこのことじゃないだろうな」
思わず声に凄みが出る。今彼は街の酒場でエールを前にしてキースと対面していた。
テーブルに突っ伏しておいおい泣いていたキースがガバッと起き上がってジョッキを掴み、グビグビとエールを呷る。
「バカヤロっ!! 一世一代の一大事じゃボケ! 結婚生活八年、今までこんなことなかったのに……マリィィィィーー! 俺が悪かったーーー! 帰ってきてくれーーー!! あ、すみませんエールもう一つ」
号泣しながらもちゃっかり追加注文をするキースを腕組みしながら半目で睨む。ギルバートの前にもでかいエールのジョッキが置いてあるが、騎士服を身に纏っている以上口をつける気にはならない。というか、どうでも良すぎて彼と奥方がどのような理由で喧嘩をしているのかを聞く気にもならなかった。どうせ次の日にはちゃっかり元サヤに戻ってイチャイチャしているのがこの男だ。
「で、お前は俺にどうしてほしいんだ? まさか一緒に酒を飲んでほしいわけではないよな?」
「そのまさかに決まってんだろ! 僕とお前は唯一無二の親友だ。僕の悲しみはお前のもの、お前の悲しみは僕のもの。僕が悲しんでいる時、お前は僕に寄り添って僕の心を癒してくれる。幼い頃にそういう誓いを交わしたじゃないか。だろ?」
「交わした記憶がないな」
「酷い!! 最低だぞギル!!」
キースが大袈裟にリアクションをしながら天を仰ぐ。シンプルにうざいし面倒くさいが、この幼馴染が酔うと絡み上戸になることは遠い昔から折り込み済みだ。自身の生い立ちに苦しんだ少年から青年期には彼の強引さに救われたこともあったが、それはそれ、これはこれ。とっとと酔い潰して自宅に強制送還するしかない。
というようなことを考えていると、キースがクネクネしながらしなだれかかってきた。ツンツンと短い薄鼠色の髪の毛先が頬を掠め、ゾワリと背筋が粟立つ。男からの無自覚の色仕掛けに本能からの抵抗を感じて、ギルバートはベリッとキースを引き剥がした。
「あん、もうギルのいけずぅ」
「気持ち悪い声を出すな。あと俺に触るな」
「というかお前、結構胸板厚いんだな。これは男の僕もうっかり惚れてしまいそうだ。幼馴染の縁が勝つか、性欲が勝つか実験したいんだがもう一回胸を借りていいか? 文字通り」
「断固として断る。というか性欲ってなんだ、気持ちが悪いな」
キースの頭を引き剥がし、テーブルに沈めようとした時、ダァンと音がして目の前にエールの入ったジョッキが二つ叩きつけられた。「は?」と顔を上げると、酒場の店主が目を輝かせながらこちらを見ていた。なぜかふるふると肩を震わせている。
「俺は感動した……! お前ら男同士なのに己の愛を貫いているんだな。特にそっちの騎士様は身分の高い家の人だろ? 跡継ぎの問題もあるだろうに一途に愛を貫くとは見上げた根性だ!」
「待て待て何かを勘違いしていないか? 俺達はそんな仲ではない」
「だってさっきお二人さん、お前のものとが僕の物とか誓いを交わすって言ってたじゃないか。もうそこそこいい関係なんだろ? な?」
「都合のいいところだけ聞くな」
「ハハハ! まぁ照れなさんな若い恋人達よ。よし、今ここで愛の誓いを見せてくれたら今日のお代は全部チャラだ! 好きなだけ飲んでいけ」
ガハハと笑いながら店主がギルバートの背中をバシンと叩く。彼の言葉を否定しようとするが、横からキースの腕が伸びてきてギルバートの肩をガシッと抱いた。
「おいギル、やるぞ」
「お、おいやるってなんだ。何を考えている」
「ここで誓いのキスを見せれば飲み食い全部タダらしいぞ。お前も男を見せろ、ギル!」
小声で言いながら、キースが「ん〜」と唇を尖らせる。咄嗟にキースの顔を手で掴んでそれ以上近寄らせないようにするも、キースは意外と力が強い。なおも強引に顔を近づけてこようとするキースの口に水の入った瓶を突っ込み、羽交い締めにするとギルバートは颯爽と立ち上がった。
「邪魔したな」
ぐるじいぐるじいと藻掻くキースをガン無視して酒場を出る。背後から「照れ屋さんなのね」とか「やっぱりキスは二人きりの時じゃないとな」などという声が聞こえてきたが黙殺した。
往来で辻場所を呼び、へべれけ状態のキースを放り込む。ひとまずはこれで安心だ。診療所の前に捨て置いてもらえれば奥方も放置するわけにはいかないだろう。ゴミ捨て場に置き去りにしなかっただけでもマシだと思ってもらわねば。
本日二度目の男とのキスフラグに呆れながらギルバートは今度こそ屋敷へ帰ることを決めた。これもセレーヌの祝福と言うものなのだろうか。月の精霊であり、愛の化身とされるセレーヌは意外と腐った思考の持ち主なのかもしれない(?)
だがその後もギルバートの受難は続いた。
ひったくりに合いかけた少年を救えば熱っぽい視線を向けられ、曲がり角でぶつかりそうになった同じ身長の青年とはあやうく接吻しそうになった。
極めつけはラッセルの武器店を通りかかった時だ。店の前でラッセルに呼び止められ、近衛騎士に支給する剣について相談を持ちかけられていたところに、なんの前触れもなく突如店に立てかけてあった槍が倒れた。反射的にギルバートを庇ったラッセルとは抱き合うような形で見つめ合うことになり、店内の客からは「俺達すぐに買い物を済ませるからな」「夜はごゆっくり」などと声をかけられる始末。
ここまで来るともはやセレーヌの祝福ではなく呪いのような気もしてくるが、これ以上フラグを立てない為にもギルバートは屋敷にまっすぐ帰ることを決めた。
武器店を出ると、日はすっかり落ち、空は闇を纏い始めていた。エレオノーラは待ちくたびれているだろうか。今朝のソワソワとした、だけど嬉しさと喜びを含んだ彼女の顔を思い出した途端、一層彼女のことが恋しくなった。
(エレオノーラ……早くお前に会いたい)
先ほど菓子店で買った贈り物を手に持ち、足早に石畳の道を歩いていく。やっと見慣れた屋敷の屋根が見えたと同時にギルバートは駆け出して行った。
屋敷の門をくぐり、邸内に入る。階段を登って真っ直ぐにエレオノーラの自室へ向かうと、ギルバートは扉を開けた。
「エレオノーラ、遅くなってすまなかった」
だが出迎えたのはパッチリとした深青の目ではなく、黒いつぶらな瞳だった。
夕焼けが差し込む薄暗い部屋で、シェルがぷくりと泡を吐く。
「チェンジで」
「それはこちらの台詞だ、海洋生物」
「月を一緒に見るとセレーヌの祝福を受けてしまうんだろ? 早く出ていってくれよ。君と僕とで永遠の愛を誓い合うことになったら僕は末代まで君を呪うよ」
「お前は意外と物騒な性格なんだな」
だがギルバートとて海洋生物(♂)と永遠の愛を誓い合うつもりはない。
呆れまじりのため息をつきながら、ギルバートはぐるりと部屋を見回した。部屋には灯りがついておらず、エレオノーラの姿はない。この部屋どころか、屋敷全体から人の気配は消えていた。痺れを切らしたハンナとエレオノーラはどこかに出かけてしまったのだろうか。
微かな物寂しさを感じていると、背後からシェルがぷくりと泡を吐く音が聞こえた。
「そういえばハンナからの伝言を預かっているよ。ギルバートが帰ったら、泉に来るようにって」
「泉というのは森の中にある泉のことか?」
「そうだよ。そしてレディをお待たせしてはいけないから早く来るようにとも言っていた」
シェルの言う事に特に心当たりはない。だがハンナの言う事であれば悪い内容ではないだろう。ギルバートはシェルに礼を言うと、足早に屋敷を出ていった。
往来に出て辻場所を捕まえたギルバートはすぐに森へと到着した。
闇を纏い始めた森の中を歩いていき、目的の場所にたどり着く。泉の周りには誰もいなかった。エレオノーラが人間になってからは滅多に訪れなくなったが、見慣れた風景を背にしてギルバートは泉のほとりに腰掛けた。
森の中の泉はエレオノーラとの思い出の場所だ。人魚である彼女が安心して過ごせる場所。幼い頃から何度足繁く通っただろう。あの時の彼女が、今は人間の足を手に入れ、自分の隣にいてくれることになるとは、あの頃の自分が知ったらどう思うだろうか。
そんなことを考えていると、背後でカサリと草を踏む音が聞こえた。同時にこちらに走ってくる音が聞こえ、ギルバートが振り向くと同時にエレオノーラが腕の中に飛び込んできた。
「ギル、やっと会えたわ! 私ずっと待っていたのよ」
「俺もだ、エレオノーラ。俺も早くお前に会いたくてたまらなかった」
腕の中にいる愛おしい存在をギュッと抱きしめる。片方の腕で小柄な体を抱きしめながら、もう片方の手で髪を梳いてやると、エレオノーラがくすぐったそうに身じろぎをした。海を体現したような青いふわふわの髪が月光を反射してキラキラと輝く。
だがその拍子にふと見慣れぬ髪飾りを見つけてギルバートは手を止めた。見ると、エレオノーラが着ている服もこれまで見たことのないデザインのものだ。チョコレート色のマーメイドドレスはシンプルながら優美な作りで、エレオノーラの美しい体の線を際立たせている。ふわりと広がる裾は尾ひれのようで、人魚の彼女を連想させる造りだ。髪飾りはドレスと同じチョコレート色に、差し色で祝福の日の色である赤が入っている。
いつもと違う大人っぽい姿の彼女に見惚れていると、ギルバートの腕の中でエレオノーラがクスクスと笑った。
「ハンナさんが着替えさせてくれたの。せっかくお菓子を渡すなら、目一杯おしゃれもしましょうって。私さっきまで仕立て屋さんにいたのよ。そこで着替えてから馬車に乗ってここまで来たの」
「そうか、ハンナの思いつきだったのだな」
ギルバートが遅くなることを見越しての判断なのだろう。出会った頃より遥かに美しく成長したエレオノーラの姿に目を眇めて見ていると、エレオノーラが振り向いて空を仰いだ。見ると、木々の間から銀色の満月が煌々と夜空を照らしている。
エレオノーラが座りやすいように膝を立てて足の間に座らせてやると、すっかり安心しきった様子でエレオノーラがギルバートにもたれかかった。立て膝にレディを座らせるのは騎士のマナーとして褒められたことではないが、エレオノーラは気にもしないだろう。
様々なことを経て今は騎士と奥方という関係になったものの、二人の本質は幼い頃から変わっていない。
自分にもたれかかりながら月を見ているエレオノーラに、持っていた赤いハート型の箱を渡すと、エレオノーラはパッと顔を輝かせて嬉しそうに受け取った。
「私にくれるの? ありがとう、ギル」
そう言いながらエレオノーラが箱を開ける。王室御用達の有名店で買ったショコラは、どれも美しい意匠が凝らされていて箱の中に上品に収まっていた。
エレオノーラが一つ摘んで口に入れ、青い瞳を輝かせる。
「ギル、これすごく美味しいわ。甘くて見た目もとっても綺麗」
「そうか。気に入ったのならまた買いに行こう」
「本当? 嬉しいわ。あの、私もギルに渡したいものがあるのだけど……」
今度はエレオノーラが持っていた赤いハート型の箱をおずおずと胸に抱く。少しだけ緊張している彼女を安心させるかのようにアッサリ受け取ると、彼女を腕に抱いたまま箱を開けた。
中に入っていたのは、小さく丸めたチョコレートに可愛らしく飾り付けをしたもの。少しだけ歪な形をしているものの、ハンナの尽力もあってかそれなりに形になっていた。
一粒摘んで口にいれると、甘い幸せの味がふわりと口内に広がった。
「美味い」
「本当? 良かったわ。私、何度も失敗しちゃったからちょっと心配だったの」
「今まで俺が食べたどの菓子よりもお前が作った物が一番だ。また今度同じものを作ってくれないか」
「もちろんよ、ギルの為ならいつでも作ってあげるわ」
えっへんと胸を張るエレオノーラを両手でギュッと抱きしめる。月の精霊セレーヌがもたらす祝福の意味を、彼女はどこまで知っているのだろうか。
両手で彼女の頬を挟んでそっと上を向かせる。重なり合う二つの影を、青白い月光が祝福するかのように照らしていた。
★MACK様より頂いたイメージイラストを近況ノートに掲載しています。可愛らしいイラストと共にお楽しみください★
https://kakuyomu.jp/users/hana_usagi/news/16818023212575755070
今日はなんの日 結月 花 @hana_usagi
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