告白
よしお冬子
告白
その車はカーブを曲がりきれず、ガードレールを突き破り、崖下へ転落・大破した。搭乗者の夫婦、二人ともほぼ無傷であったのは奇跡としか言いようがなかった。だがその奇跡は果たして喜ばしいものなのだろうか。
人っ子一人いない山奥、鬱蒼とした木々。携帯の電波は届かない。来る当てのない救助を待つそぶりをしながら、ただいたずらに、死を待つのみという状況であった。
「俺がぼんやりしていたせいで、…本当にすまない。」
夫は俯き、声を震わせ謝罪した。妻は思わず縋りつく。
「そんな!あなたにばかり運転させた私が悪いの。そもそも、私が妊娠、したから…。」
「そ、それはお前のせいじゃないだろう!」
二人は顔を見合わせ、力なく笑った。今更誰のせい自分のせいと言い合ったところで、何になると言うのか。
出会いは、お互いの部長が親友同士という縁だった。第一印象は良くも悪くもなかったが、一緒にいると何故か落ち着いた。きっと価値観がとても似ているのであろう。
それから穏やかに交際を重ね、ほどよい頃合いで結婚、そして妊娠。
出産子育てともなるとしばらくは二人っきりで旅行なんてできない。だから安定期に入った頃、そう長旅にならない程度の距離にある、『知る人ぞ知る、夜景と山菜料理が楽しめるロッジ』に一泊することにしたのだ。
いつまでも来ない夫婦に不信を抱いたロッジの管理人が通報でもしてくれれば良いのだが。それとも無断キャンセルされたと憤慨するだけであろうか。
真夏だと言うのに、濃い木陰の下、少しひんやりしていた。蝉の声がうるさいほど響く。転落してどれぐらいの時間が経ったか。二人は寄り添い、ぼそぼそと他愛のない話を続けた。おそらく助からない。その事実から目をそらすために、わざとどうでも良い話を続けていた。
――やがて話のネタもつき、沈黙が続く。最初に口を開いたのは妻の方だった。
「…多分もう助からないよね。私、あなたに謝りたいことがあるの。」
「なに。」
「私、…あなたが初めてだって言ったけど…ホントは3人目なの。嘘ついてごめんなさい。」
心底申し訳なさそうに告白する妻に、夫はふふっと優しく笑う。
「なんだ、そんなこと。気にしないよ。」
「よかった。」
「じゃあ俺も…。君とお見合いする時、他に付き合ってる人がいたんだ。すぐ別れたけど。」
「それならいいじゃない。よくある話よ。」
「そっか。」
二人は互いに小さく笑い、それからまた、沈黙。
頭上を覆う樹々の幹の間からは崖の上の様子はよくわからない。だが、徐々に寒さが増し、闇は濃くなっていく。もし助からなくても、このまま穏やかに、死を迎えることができたら。この人と一緒ならと、お互いそう思っていた。
静寂を破ったのは、一瞬の稲光、それから山を動かすような大音響と地響き。ぽつりぽつりと降ってきた雨粒は、そう間を置かずバケツをひっくり返したような大雨へと変わる。
さきほどまで日差しを遮っていた樹々の幹を雨は簡単に貫き、二人はあっと言う間にびしょぬれ。足下の地面を濁流が削って行く。やがて完全な闇に包まれ、もうお互いの顔もわからない。
その恐怖たるや。二人はきつく抱き合い、号泣するしかなかった。
「あなた、ごめんなさい、さっき3人って言ったけど本当は50人は軽く超えてるの!」
「ごめん、本当はさっき言った女とは今でも会ってるんだ、本当にごめん!」
「部長と不倫してて、許して、許して、ごめんなさい!」
「俺だって、俺だってなあ、お金渡してお前の弟と…!」
「ホントはお腹の子、あなたの子じゃないのーーーーーー!」
二人はわあわあと声を上げ泣き叫び、懺悔の言葉を続けた。身体に打ち付ける雨が、足元の濁流が、二人の罪を洗い流していくようだった。もう死んでしまうのだから、それ以外のことなど些細なことに過ぎない。お互いの罪を告白し合い、許し合い、綺麗になって共に旅立つのだ。もはや死に対する恐怖はない。何とも言えぬ晴れやかな気持ちだった。出会えて良かった、この人で良かった…。
その時。チカッ、と何かが光った。
「…い、おーい、誰か、いるのかー?大丈夫かー?」
二人はぱっと体を離し、頭上から差し込む光の方を見上げた。それは懐中電灯だった。
救助だ!助かったのだ!何という幸運!命がつながった。この先、二人で幸せな人生を…。
――こんな奴と!?
妻は足下を探り、大きめの石を拾い上げた。何も見えないが、わかる。夫も同じことを考えているのだ。決してしくじってはならない。これからは、愛する伴侶を失ったかわいそうな人として、周囲の同情に縋り、生きて行くのだから…。
告白 よしお冬子 @fuyukofyk
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