08-31S 謀殺

 一月二八日、トエナ河を越え一行はクテンゲカイ侯爵領に入った。


「ようこそおいでになりました」


 出迎えたのはシャハーン伯爵継嗣。

 現在、テルミナスでクテンゲカイ侯爵を『自称』しているアウラングセーブの異父兄である。


「タルフォート伯爵におかれましては、今回は宗主猊下代理としての仲裁の儀、誠に恐れ入ります。

 バャズイット殿もようこそ参られました。

 ささ、会場はあちらです。

 ご案内いたしましょう」


 案内されたのはゴルダナ海に突き出す岬の突端に建てられた邸宅である。

 クテンゲカイ侯爵家の別荘の一つだ。


「ほう、風光明媚な所ですな」


 タルフォート伯爵は感嘆したが、横にいたもう一人の自称クテンゲカイ侯爵バャズイットは顔を顰めた。


「タルフォート伯、ここは危険だ。

 三方は崖、北側を押さえられれば逃げることもままならぬ」


 タルフォート伯爵は苦笑した。


「バャズイット殿、逃げるとは何事ですかな。

 本日は最初の交渉、軽い顔合わせです。

 暗殺など有り得ない。

 百歩譲って、バャズイット殿だけであれば可能性はあるかもしれません。

 ですが、私もいるのです。

 宗主猊下の代理である私を手にかけるなど帝国に、宗主猊下に反逆するのと同義。

 万が一にもあり得ない」


「タルフォート伯爵」


 クテンゲカイ・バャズイットは居住まいを正すと改めて話しかけた。


「あなたはアウラングセーブという男を知らない。

 私は良く知っている。

 あれは、自分以外の人間をゴミと考えている。

 人を陥れる事を躊躇しない。

 出迎えの人間を見てください。

 クテンゲカイの紋章をつけてはいるが私の顔見知りは一人もいない。

 恐らくは全員シャハーン伯爵家の兵士、彼の私兵です」


「バャズイット殿はカゲシンの生活が長いと聞く。

 顔見知りがいないのは、兵が入れ替わっただけではないですかな」


「いえ、これは明らかに罠です。

 今日の会合は仕切り直しにしましょう」


「いい加減になされよ」


 タルフォート伯爵は流石に不快感を示した。


「これから中止など礼に失する。

 私もいるのですぞ。

 バャズイット殿は私も暗殺に加担していると言われるのか」


「タルフォート伯爵は疑ってはおりませぬ」


 バャズイットは素直に謝った。


「ですが、それでもアウラングセーブは危険です。

 引き返しましょう」


「引き返すのであれば卿だけが引き返されよ!

 私は会合に向う!」


 タルフォート伯爵はそう言うと、後ろを見ずに前に進んだ。

 クテンゲカイ・バャズイットはその後姿をしばし見送っていたが、やがて意を決して去っていった。




「父上、バャズイット殿はついてきません」


 息子の言葉にタルフォート伯爵バクルアブーは嘆息した。


「初日からこれか」


「先が思いやられます」


「その通りだが、それが我らの役目だ。

 我らだけでもアウラングセーブに会うぞ」


 クテンゲカイ侯爵家後継の話し合い、タルフォート伯爵親子は仲裁人と見届け人を兼ねる。

 成人したばかりの息子が参加しているのは協定に永続性を持たせるためだ。

 彼が生きている限り協定は継続する。

 十五歳の若者は初の重大任務に意気込んでいた。




「どうやらバャズイットは引き返したようです。

 館に入ったのはタルフォート伯爵親子だけです。

 如何いたしますか?」


 部下の言葉に、現在はクテンゲカイを名乗る元施薬院学生は鼻で笑った。


「バャズイット、流石に勘のいい男だ。

 フサイミール殿下に気に入られていただけはある。

 だが、中途半端だな」


 アウラングセーブは少しも動じない。


「計画に変更はない。

 手筈通りに。

 あと、ユースフハーン殿の手の者に連絡を」


 バャズイットは考えが浅い。

 タルフォート親子が死ねば、その罪は自動的にバャズイットに降りかかる。

 その手筈は出来ているのだ。




「それでは、しばしこちらでお待ちください」


 タルフォート伯爵親子が案内されたのは奥まった一室だった。

 窓が無く風景が見えないが暗殺警戒のためと言われれば反論はし難い。

 そして部屋には豪奢なソファと暖炉があり、暖かかった。

 真冬に移動してきた身としては有り難い。

 暖かい飲み物、ホットワインまで用意されていた。

 飲み物は招待側であるアウラングセーブの配下がまず毒見を行い、更にタルフォート家の配下が毒見を行う。

 これもスムーズに行われた。


 異変を感じたのはしばらく経ってからだった。

 立っていた従者の一人が突然倒れたのである。

 そして、それを契機に従者が次々に倒れ始めた。

 タルフォート伯爵自身も頭が朦朧としているのに気が付いた。

「誰か」

 彼の言葉に従者の一人が何とか立ち上がり扉に向かう。

 だが、開かない。

 そして、彼も動かなくなった。

 回らなくなった頭でタルフォート伯爵は懸命に考える。

 何が起こっている?

 どうして、我々は倒れている?

 飲み物は安全だった筈。

 毒ガス?

 いや、独ガスならば何らかの臭いはするだろう。

 無味無臭の毒ガスなど聞いたことが無い。

 横を見れば息子が椅子の上で意識を失っていた。


「シャールフ殿下、すみません。

 タルフォート伯爵バクルアブーはここまでのようです」


 そして、彼の意識は途絶えた。




 クテンゲカイ・バャズイットは僅かな従者と共に道を急いでいた。

 タルフォート伯爵の顔にも泥を塗った手前、タルフォート市にも戻れない。

 彼らは街道を一路カゲシンに向っていた。


 その一行の前に一つの人影が立ちはだかる。

 異様、としか言いようがない。

 深いフード付きのローブに身を包んだそれは真面とは思えない。

 顔どころか表情も分らないし、そもそもカナン大陸の原野を一人で移動している時点でおかしい。

 何より異様なのはその身から立ち上る濃密なマナだろう。

 バャズイットは守護魔導士の資格を持つ。

 彼以上の魔導士など帝国でも数人だ。

 そして全員、顔見知りである。

 だが、目の前の男をバャズイットは知らなかった。


「クテンゲカイ・バャズイットだな」


「お前は誰だ?」


 問いに応えず問い返す。

 だが、相手も問いには答えなかった。


「恨みはないが死んでもらう」


「何を言っている?」


「力を見せろと言われたのでな。

 お前を殺して実績を作り、俺の目標に向かう」


 良く分からないがそんなことで殺されてはたまらない。


「逃げろ!」


 相手の力量を推しはかったバャズイットは逃げを選択する。

 だが遅かった。

 敵はとんでもない身体能力を発揮して駆け寄るとバャズイットの従者を次々と切り捨てる。

 身体系魔導士なのか?

 バャズイットは疑問に思った。

 身体系魔導士は一般に肉体も鍛える。

 結果として体格の良い者が多いが、目の前の男はそうではない。

 だが、その攻撃は半端ではない。

 バャズイットは何とか敵の攻撃をかわす。

 だが、彼の従者たちは次々と倒れていく。

 あっという間にバャズイットは一人になっていた。

 クテンゲカイ・バャズイットは名門に生まれた能力の高い魔導士である。

 ここしばらくはさぼっていたが、戦闘訓練は一流の師についていた。

 格上の相手でもそう簡単にやられはしない。

 そして、バャズイットは奇妙なことに気が付いた。

 目の前の男、多分男は、どうにもちぐはぐだ。

 魔導士の技量は、特に戦闘でのそれは魔力量に比例する。

 一日一〇回しかファイアーボールを撃てない魔導士よりも二〇回撃てる魔導士の方が、より多く練習できるのだ。

 その意味から言えば目の前の男はおかしい。

 男は投射系の魔法も使う。

 だが、一回一回呪文を詠唱している。

 当然時間がかかる。

 魔法を放つタイミングも丸わかりだ。

 故にバャズイットは対処できる。

 一般に、守護魔導士以上になれば無詠唱呪文を使う。

 バャズイットも当然修得していた。

 カンナギ・キョウスケのような呪文を脳内で構築して瞬時に魔法を放つ真似はできない。

 言葉に出さずに呪文を詠唱するだけだが、実戦では役に立つ。

 呪文を詠唱している事を相手に悟られないし、放つタイミングも調節できる。

 豊富な魔力量で何度も練習出来たから身に付けられた技能だ。

 だが、目の前の男は呪文を詠唱する。

 どうやら無詠唱呪文を使えないらしい。

 まるで、以前はさほど魔力が無くて、つい最近急激に魔力量が上がったかのような振舞だ。

 一体、なんだ?

 良く分からない。

 良く分からないが、そのおかげでバャズイットは生き延びていた。

 敵が放つ魔法にタイミング良く自分の魔法を当てることで相殺できる。

 尤も、勝つことは至難の業だ。

 身体能力が違い過ぎて、敵の呪文詠唱は中断できない。

 相殺するのが精いっぱいだが、相手は無尽蔵に魔法を放って来る。

 相殺した魔法は既に一〇以上。

 数分間で一〇以上など、そもそも魔法の使い方がおかしい。

 自護院で訓練を受けていればこんな非効率な使い方はしない。

 だが結果として、バャズイットの魔力は限界だ。

 逃げるしかない。

 場所は街道がトエナ河と交差する辺り。

 バャズイットは少しずつトエナ河に近づいた。

 近づいて橋の上から思い切って飛び込む。

 逃げ切れた、そう思った瞬間腹部に激痛が走った。

 男が剣を投げたのだ。


「逃したか」


 男、アーガー・シャーフダグはトエナ河を流れていくバャズイットを恨めし気に見やった。

 彼の体は劣化し、皮膚はあちこちひび割れている。

 水に入れば崩壊が加速する。

 今の体で水に入るのは自殺行為だ。


「まあいい」、シャーフダグは頭を切り替える。

 剣には毒が塗ってあった。

 あれで川に流されては助かる見込みは無い。




「本当に死んでいるのか?」


 アウラングセーブは妙に血色の良い死体を前に戸惑った声を上げた。

 彼の周囲では『念のため』兵士が一人一人の死体に止めを刺している。

 心臓を突いているのだ。

 確実に死ぬだろう。


「それにしても、よく気付かれなかったな。

 どの様な毒ガスを使ったのだ?」


「一酸化炭素ですよ。

 不完全燃焼で発生するアレですな。

 無味無臭だからまず気付かれません。

 死体はピンクになりますが。

 今回は練炭を使用しております。

 うまく不完全燃焼させるのに苦労いたしました」


 アフザル・ピールディ、かつてカゲシン施薬院の俊英として知られ、その後裏の世界に転じてデュケルアールに媚薬系麻薬を、アウラングセーブに施薬院入講試験問題を提供した男は、得意気に答えた。

 だが、説明を受けても相手はキョトンとしている。


「イッサンタンとはなんだ?

 聞いたことがないが?」


 呼吸の概念はこの世界の一般的な医師は知らない。

 だが、カゲシン施薬院では呼吸、酸素、二酸化炭素、一酸化炭素も学ぶ。

 最初の基礎医学の一つ生理学で学ぶ。

 アウラングセーブはつい先日まで施薬院に在籍していた。

 ああ、とピールディは思い出す。

 目の前の男は、ピールディが試験問題を融通してやったにも関わらず、教科書を見ながらでも解くことが出来ず、解答作成まで依頼してきた馬鹿だ。


「私が開発した特殊な毒ガスです」


 闇医師は張り付けた笑顔で侮蔑を隠し答える。

 馬鹿でもスポンサーは大事にしなければならない。


「ほう、無味無臭の毒ガスとは便利だな」


 アウラングセーブは鷹揚に頷く。

 そこに、部下が駆け寄った。


「閣下、新タルフォート伯爵がご挨拶に来られています」


「新タルフォート伯爵?

 ああ、あの男か。

 丁寧に拘束しておけ。

 タルフォート親子の死体と共にカゲシンに送る」


 タルフォート伯爵には従兄と称する家臣がいる。

 タルフォート伯爵家は一〇年と少し前に断絶し、時の宗主の同母弟が養子として再興した家である。

 その息子が現在のタルフォート伯爵だ。

 新たなタルフォート伯爵家が創設された際にカゲシンから何人かの家臣がつけられたが、その中に時の宗主の庶子がいた。

 庶子であるから公式には兄弟ではないし、相続権もない。

 だが、この年上の庶子は折に付け当主の『兄』と主張した。

 そして、その息子も『従兄』だと主張している。


 今回の話もこの男の協力が大きかった。

 いくら無味無臭の一酸化炭素でも、『交渉経過は良好』との報告がなければタルフォート伯爵もバャズイットの言葉を信じたかもしれない。

 そして、現在、タルフォート伯爵の『従兄』は伯爵家の相続権を主張している。


「拘束、ですか。

 よろしいのですか?

 本人は協力したのだから、自分の伯爵叙任は間違いないと信じていますが」


 家臣が戸惑う。

 つい数時間前までアウラングセーブはこの『従兄』を『次期タルフォート伯爵』と呼び、厚遇していたのだ。


「元々、あの男の父親は前宗主の庶子で認知されていない。

 当人も前宗主も死んでいるのだから、今更認知もない。

 その息子がタルフォート伯爵家を相続など出来るはずがないのだ。

 その辺りはカゲシンとも打ち合わせは出来ている。

 タルフォート伯爵親子が死んだ時点でタルフォート伯爵家に相続者はいない。

 タルフォート伯爵家はカゲシン直轄地になるのだ」


 報告した家臣が息を呑むが、アウラングセーブとその側近たちは平然としている。

 これは既定路線なのだ。


「では、自称新タルフォート伯爵は放逐と」


「話を聞いていなかったのか?

 カゲシンに送ると言ったのだ。

 今回の話、タルフォート伯爵の死をバャズイットに被せることになっているが、正直、それだけでは弱い。

 タルフォート伯爵はかなりの勢力が有ったからな。

 関係者を納得させるにはもう一ついるだろう。

 バャズイットとタルフォート伯爵の家臣が、それぞれクテンゲカイ家とタルフォート家の簒奪を企み、タルフォート伯爵と私を殺そうとしたが、タルフォート伯爵だけを殺したところで見つかった、とすればより説得力が高くなる」


「了解いたしました。

 新タルフォート伯爵、ではなく、自称タルフォート伯爵を拘束いたします」


 報告した家臣はそう言って退出した。


「では、私はタルフォートへ向かう」


 事を見届けていたアウラングセーブの異父兄シャハーン伯爵継嗣が言った。


「任せましたよ、兄上。

 係争地はこちらに可能な限り有利になるように、しかし、カゲシンの新代官を怒らせない程度にお願いします」


「分かっている。任せてくれ」


 新旧のタルフォート伯爵がいない間にタルフォート市に入り関係書類を確保。

 クテンゲカイ家とタルフォート家の係争地の書類を抑える。

 うまく行けばクテンゲカイ家の領土が増える。

 それはクテンゲカイ家内のアウラングセーブの支持を強化するだろう。


 最初から計画していたのか。

 一連の流れを見ていたアフザル・ピールディは戦慄した。

 このアウラングセーブ、医者としては馬鹿でも政治家としてはそうではないのかもしれない。


「これが終わったら、アウラングセーブの嫁取りだな。

 新クテンゲカイ侯爵に相応しい第一正夫人を娶らねばならぬ」


 シャハーン伯爵継嗣が立ち上がりながら言った。


「問題は釣り合う内公女がいない事です。

 噂ではネディーアール殿下は男と出奔したとか。

 そのようなあばずれは論外ですが、あと残っているのはトエナ系のガートゥメン殿下だけです。

 バャハーンギール殿下の娘はまだ幼いですし」


「カゲシンとトエナは近いうちに和睦と、もっぱらの噂だ。

 ガートゥメン殿下で良いのではないか?」


「ガートゥメン殿下とは何回かお相手したのですが、どうも具合がよろしくないのですよ」


 アウラングセーブがぼやく。


「あの方は自ら動くことがほとんどないのです。

 一方的に奉仕を強要されるだけで、腰も満足に振らない。

 幼児母乳プレイを自慢されていますが、それだけでは、ねぇ」


 やはり、この男は馬鹿だ、とアフザル・ピールディは思った。

 幼児母乳プレイこそ至高ではないか!

 それが分からぬ男など論外だ!




 ━━━タルフォート伯爵親子謀殺の報は帝国を震撼させた。━━中略━━当初、下手人は事件直後に失踪したクテンゲカイ・バャズイットとされたが、世論は納得せず、政権は再調査を強いられる。結果としてタルフォート伯爵有力家臣が伯爵家簒奪を企てバャズイットと共謀したとされ、斬首となった。━━中略━━しかしながら、その後も真の下手人は他にいるとの噂は絶えることがなかった。━━中略━━現在ではこの事件は時の政権が関与したことは確実とされる。この事件の結果、クテンゲカイ侯爵家は前侯爵の庶子アウラングセーブの継承が確定した。旧タルフォート伯爵領はカゲシンの直轄地となり、バャハーンギール派貴族が代官として任命された。受益者を見れば犯人の推論は容易であろう。━━中略━━タルフォート伯爵はガーベラ会戦でも活躍した地域諸侯である。マリセア宗家系列の諸侯であり時の宗主シャーラーンとは男系、同母兄弟の従兄であった。軍部とカゲシン宗教系貴族の双方に影響力を持つ存在であり、客観的に見て当時の混乱した帝国を立て直すのに有意な存在であっただろう。━━中略━━しかしながら、それ故に、時の政権を担っていたバャズイット公子、並びにアーガー・ピールハンマドからは危険視されていたという。━━中略━━『KK記』は『タルフォート伯爵の失敗は自身が嫉妬と粛清の対象となっていたことに気付かなかったこと』と記している。━━━

『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋

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2024年7月8日 19:00

ゴルダナ帝国衰亡記 ~ハーレムはあきらめてください~ 柿崎 タダツグ @Kakizaki-Tadatugu

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