六(後)

「………!なぜそこまで分かったのじゃ!?おぬし、何か調べて……」

 瑞葉が眼を極限まで丸くしながら、驚きに満ちた声で問う。

「調べてはいません、状況証拠ですよ。あの祠に刻まれていた碑文を読んだら、奉納者の名前の横にうちの集落じゃない地名が入ってたんですよ。具体的に言うと、隣の集落の」

「………!」

「あと祠の後ろの藪の中に、石を彫って作っただけの祠や道祖神がいくつも鎮座していました。明らかに道端や田畑の角などに祀られていたのを、無理矢理持って来たものです。周囲にああいうものがある時点で、証拠として充分ですよ」

「………」

「また、瑞葉さんは明治までしか西洋文明を知らないでしょう。神社整理は明治末のこと、それ以降合祀によって人との触れ合いが少なくなれば、そういうこともあるんじゃないかと」

「………」

 ついに瑞葉は、がくりとうなだれた。

 達郎の言う「神社整理」とは、明治政府により行われた宗教政策である。

 明治から戦時中までの神道は、政府が管理統制する「国家神道」と呼ばれる存在であった。

 明治新政府は近代国家としては異例の祭政一致の方針を取り、皇祖神(皇室の先祖)たる天照大神を最高神とする神道を事実上の国教と定めていたのである。

 このため神道の祭祀施設である神社も政府の管理下に入り、国や自治体から神饌や幣帛料(供物や寄附金)を奉納されるなど公的機関から援助や庇護を受けるようになる一方、宗教政策によって統制され法律や勅令や内務省の通達などに従うことを要求された。

 「神社整理」はその統制の一環として行われたものである。国家の祭祀機関となった神社を威厳ある存在として体裁を整えるため、神職や管理者がおらず「不体裁」な状態になっている小さな神社や祠を廃し、まとめて主に村の中心部にある鎮守などの大きな神社に合祀する政策だ。

 またこれは民衆を統治する手段でもあり、地域の信仰を一ヶ所に集めることで人心をまとめ上げ、地方自治を強化しようという狙いを持たされていたのである。

 この政策は明治初年に一度行われたものの、政府側がごたついた上に強制力が弱かったため一部を除き徹底せずに失敗に帰した。

 しかし政府はこの政策にこだわり、明治三十九年に勅令ならびに内務省神社・宗教両局長依命通牒を出して、今度はかなりの強制力をもって整理に乗り出すことになる。

 瑞葉の祠もこの時に総鎮守に合祀という決定を受けて持ち出され、「末社」と呼ばれる附属の神社として祀られるようになった神社の一つだったのだ。

「妾の祠……いや社は、元は稲荷橋の袂にあっての。平安の世より、あの周辺の氏神を務めておった。今の総鎮守なぞより、はるかに昔から民を見守って来たのじゃ」

「じゃあ稲荷橋の『稲荷』は、瑞葉さんの社のこと……」

「そうじゃよ。遷された今では、名ばかりになってしもうたが」

 瑞葉の祠は今でこそ裸の石祠となっているが、かつてはおおいがかかっており、それなりに大きな社となっていたという。

 氏子は決して多くなかったが、普段は社の前で人々が集まってのんびりと休みながら睦み合い、子供が遊び、祭となれば人々が日々の苦労を忘れて大いに楽しむ、貧しいながらも健気な人の営みがそこにあったのだ。

 明治初年の一回目の神社整理では対象とならなかった上に計画自体お流れとなり、地域の人々は変わらず社を守ることになる。そして西洋文明が入って来ても近代産業が進出して来ても、なおその営みが絶えることはなかった。

 だが明治四十年の夏、それが一気に崩れたのである。

「突然、郡の官吏がやって来おってな。この周辺の社や祠を隣の集落にある総鎮守に合祀すると、そう通達して来たのじゃよ。それも妾の社に来て、集落の者を集め見せつけるようにな」

 この通達に、住民たちは激昂し烈しく反発した。

 そもそも神というものは、住民がその信仰に基づいて自由に祀るものである。そして先にも述べたような社や祠を中心とする営みを通し、親睦を深め共同体を維持して来たのだ。

 そこにお上がいきなり介入して引っかき回そうとして来たのだから、そんなことをされるいわれはないと強い抵抗が起こったとしてもおかしくないのである。

「集落の者が老若男女こぞって一斉に反対ののろしを上げてな、何とかやらせまいと必死になっておった。それもそうじゃろ、九百年祀った神を持ち去られてはかなわん」

 だが、この反対運動は思わぬことで失敗に追い込まれた。

 当時の総鎮守の宮司、すなわち俊輔の高祖父が瑞葉の社の不要性を盛んに宣伝するとともに、警察に集落の者が郡役所への放火を企んでいると嘘を吹き込んだのである。

 村役場の役人にあらかじめ袖の下を渡して偽証までさせるという手の込みようで、騙された警察によって反対運動を率いていた住民数人が拘束される事態となり、事実上手足を封じられてしまった。

 さらにこれをもって懲罰と言わんばかりに合祀が実行され、瑞葉の社は覆屋を取られ石祠むき出しのまま、号泣する住民たちに見送られて集落を去ることになったという。

「聞くに八次の馬鹿どもは、妾の社の土地がほしかったようなのじゃ。いや、実際には土地よりも社の裏にあった林かの。太い杉が山ほど生えておったから、それを売り払って金にしようと考えておったようじゃ。じゃがあそこは実業家から寄附を受けていてかなり潤っておったから、わざわざそんなことをする必要はない。純粋な欲からやったことじゃろうな」

 どうやら俊輔の高祖父は、神社整理に関する勅令の一つにつられて合祀を推し進めたようだ。

 神社整理は「神社合祀令」に基づいて行われたと言われることが多いが、実はそのような名の法令は存在しない。あるのは神饌や幣帛料の奉納を行う神社は担当自治体の首長が指定した神社だけでよいとする勅令、寺社の合併を行った際に官有地となって残った跡地を政府が合併先の寺社に譲渡することが出来るとするという勅令、先にも挙げた内務省の通牒の三つだ。

 三つ目が直接的に合祀の命令を下しているため、これがそうであると強弁することも出来るが、これも二つ目の勅令に基づくものなので誤りである。

 いやに「金」の話ばかりだが、これは当時大きな神社が収入源の確保に苦しんでいたことによるものだ。神社の収入はどうしても氏子頼みとなるため、負担増などで既存の氏子の反発を招かないように解決するためには、氏子域を広げて氏子を増やすしかない。

 ここに政府が二つ目の勅令で手を差し伸べたことで利害が一致し、合祀が進められるようになったのだ。明治初年の「社格」と呼ばれる格付けで無格とされたり、さらに一つ目の勅令で指定から外されたりした神社を対象にすれば、何の問題も起きはしない。

 このように「金」を目的としても行われたのが、神社整理という政策なのだ。

 瑞葉の言うことが本当ならば、俊輔の高祖父は単なる守銭奴でしかない。

 しかも誹謗中傷に贈賄にこくと、とにかく合祀のために手段を選ばず悪辣の限りを尽くしているのだ。神職以前に人として許されぬ行いである。

 瑞葉の社は神道や民衆の管理統制と大きな神社への肩入れしか頭にない政府と物欲にまみれた神職の穢れた心のために、理不尽に略取されることになったと言っても過言ではなかった。

「八次の名を聞きたくないと言っていたのは、そのせいでしたか……」

「そうじゃよ。自分をさらったいまいましい一族の名なぞ、好きこのんで聞きたい者がおるか」

 むっつりとした顔で、瑞葉はそう吐き棄てる。

「……総鎮守には、妾のところを含め四つばかりの集落から祠が集められておった。じゃが余りに多すぎて持て余したようでな、集落の鎮守のみ境内に入れて小さいのは裏の林の中じゃ。もっとも妾は縄付きを出した村の神というので、鎮守でありながらそちらに回されてしまったが」

「そのせいであんな目につかないところに……。そもそもその縄付きは宮司が嘘をついて無理矢理縄をかけさせた無実の人々でしょうに、何を抜け抜けと。不敬にもほどがありますよ」

「しかり、本当にこやつ神職かと疑ったわい。穏やかな妾でも祟らねば気が済まぬと思うたわ」

 だが、瑞葉は八次一族に一矢たりとも報いることは出来なかった。

「遷されて後、妾の力は急速に弱って行った。元の集落の者が祭祀を行うことは許されず八次の家でやることになった上、その祭祀もお情け程度に数度やっただけじゃったからの。それが思い切り力に響いてしもうたらしく、躰がおかしくなり始めたのじゃ」

 最初に異常を来たしたのが視力である。ひどい近眼になり、祠の外がよく見えなくなった。

 やがて聴力も落ち始める。人間よりあったはずが、最終的には祠の周囲の音しか聞こえなくなるところまで減衰してしまった。

 さらに弱って能力も失い、ついには神としての存在も薄れて名を忘れ姿を失ったのである。

「九百年間何があっても民を守ろうとした氏神としての努力、それを馬鹿者どもの思惑で理不尽に踏みにじられ、放り込まれたはいつまで続くとも知れぬ暗闇の中じゃ。先の見えぬ暗闇の中じゃ……」

「………」

「妾は小さき神、何も大きなことは望んではおらぬ。妾はただ『妾』という存在として、みなに見てもらいたいだけじゃ。だのになぜそれを阻まれ、こけにされねばならぬのじゃ」

 人間ならば自殺でもしかねないほどの孤独と絶望の中、大正、昭和、平成と時が流れ、令和まで百二十年近くの歳月が流れてしまった。

 そこに現われたのが、達郎だったのである。

 瑞葉は当初、達郎が参拝しに来たことを一切察知していなかった。

 だが掃除が始まった辺りから急速に視聴覚が戻り、ようやく人が来たことに気づいたのである。

「状況が分かって、泪があふれた。棄てられた妾の祠を、誰かは知らぬが気にかけてくれたと。そしてその瞬間、今まで衰えていた力が少しずつ戻って来たのじゃよ」

 達郎が掃除を終える頃には、瑞葉は元の力をかなり取り戻していた。

 特定の人間の名や暮らしぶりなどをある程度まで知る力や穀物を呼び出す力、さらには未知の道具の機能や使い方を見抜く力といった、相当特殊な部類に入る能力まで戻って来る。

 衰え方が余りにもひどかっただけに、この恢復はまさに奇跡と言うべきものだった。

「ここまで来れば、恐らく変化して外に出ることが出来る。ただそこまで来たのに名が思い出せぬ、姿が分からぬ。どうしたものかと思うておったら、眼の前にその酒があったというわけじゃ。もし普通の酒じゃったら、妾はすぐ変化出来なかったかも知れぬの」

 これにより瑞葉は姿を借りての形ではあるが無事変化し、せめて恩を返そうと達郎のことを探ってこの家へと先回りしたのである。

「神の世界では、このような時に姿を顕し報恩するのはよくあることじゃ。じゃがここまで時が流れては、もはやそういうことがすんなり受け容れられる時代とは思えなかったしの。これは正面切っては無理じゃろうと、中で待ち受けることにしたのじゃ。いくら機を逃がさぬためとはいえ、盗人まがいもいいとこじゃ……すまぬことをしたの」

「いいんですよ、気にしてませんから。それに下手に外から来ようものなら、そのまま問答無用で追い返したでしょうし」

 もし瑞葉が真正面から来る方法を選んだなら、即座に不審者として対処されてしまい恩返しどころではなかったはずだ。有無を言わさず入り込んだのは、結果的に正解であったと言えよう。

「……まあ、そういうことなのじゃよ。自分で話しておいて何じゃが、改めてつらつら並べると余りのなりゆきにため息しか出ぬわ」

「俺もろくな目に遭っていないだろうと思いましたが、予想以上にひどくて驚いてます。ちょっと俊輔んとこ行って、元の場所にふく出来ないかどうかかけ合ってみますよ。先祖と違ってあいつと親父さんはいい人なので、事情を知れば出来るだけのことはしてくれるでしょう」

「そうか……ならば、頼めるか。妾が行くことは出来ぬしの」

「そうですね……。そもそもこの時代では瑞葉さんのような姿の人は架空のものとされていますから、存在を信じてもらうことからして大変ですよ。ここは現実ではなく夢枕に立つとかして、託宣なり神勅なり下した方がいいと思います」

 神ならばそちらの方がむしろ現実的と思って達郎が提案するのに、瑞葉は静かに首を振ると、

「出来ぬというのは、そういうことではない。妾の力がもちそうにないからじゃ」

 思いもかけないことを言い出した。

「……え?でもさっき、力が恢復したって」

「妾も何とかなったと思うたのじゃが、やはり百二十年は長すぎたの。大体にして、名も姿も失ったままでは本復とは言えぬ。一度また元に戻らねばなるまい」

「そ、それじゃあ、また暗闇の世界に!?」

「そういうことじゃ。……じゃが当てなき暗闇ではない、光が見えておる。認知してもらえただけでもありがたいのに、待遇についてかけ合うてくれるとなればの。しかも戻れるかも知れんのじゃ。どこまでうまく行くかは分からぬが、その分じゃと悪いようにはならぬであろ」

「……分かりました、絶対に何とかします」

「ありがとうなのじゃ」

 瑞葉はゆっくりと頭を下げ、ふっとほほえむ。

「……そうじゃ、今なら言うてもよかろ。おぬしの話を聞いた時に、言うべきか迷って言わなんだことがある。気休めと傷つけるようなことがあってはことじゃとな」

「え……?」

「さっき妾は、おぬしの境遇と自分の境遇が重なると申した。じゃが、一つだけ重なっておらぬところがあるのじゃ」

 いきなり話題が変わったのに達郎がぽかんとしていると、瑞葉はゆっくりと言い出す。

「妾は下劣な者どもに存在を否定され、その手で本来の居場所も失った。お前はいらぬ神じゃと、いても価値のない神じゃと言われての。そして求められることもなく、忘れ去られておる」

「………」

「じゃが、おぬしはそうではない。確かに心冷たき選者や目のくもった書肆や口さがなき下衆どもに振り回されて、似たような目に遭うておるじゃろう。……しかしの、だからというて芯の芯までおぬし自身の存在が否定されておるわけでも、価値がないと言われておるわけでもない。さらに求められておらぬわけでもないし、忘れ去られておるわけでもないはずじゃ」

「え……?」

「おぬし自身がいるだけで、既に価値があるのじゃ。そして今は目に見えずとも、きっとおぬしを必要とし求める者が現れよう」

「………」

「どんな価値じゃ、どこの誰が求めるのじゃ、その確証はあるのかと言われれば、それは妾はおろか誰にも分からぬとしか言えぬ。いつまで暗闇を走れと申すのかと問いつめられれば、やはり分からぬとしか言えぬ。……じゃが、少なくともおぬしが自分を台無しにするような生き方をすれば、それだけで悲しむ者がおるはずじゃ」

「………!」

 達郎がはっと眼を見開くのを、瑞葉はじっと見つめる。

 慰めや憐愍の一切こもらぬ、確乎たる眼差しであった。

「さすがの妾でもおぬしの人間関係の全ては分からぬゆえ、誰が悲しむかは知れぬ。じゃが少なくとも、妾は悲しむぞ。こんな小さな神じゃが、今まで出会うた善男善女のことを忘れたことはないのじゃ。どうか生きてくれ、それこそがおぬしの一番なすべきことぞ」

「瑞葉さん……」

 そこですっと達郎の手を取り、静かに自分の両手を重ねる。

 手に感じるぬくもりに、達郎は思わず泪をぽろりと流した。

「……はは、情けないことじゃ。こうして口にしてはみたものの、やはり何の解決にもなっておらぬではないか。先がどうであろうと、おぬしには今の闇がそもそも耐えきれぬはずなのにの。そこでこんなふわりとした説教をされても困るじゃろうて」

 自嘲するように言う瑞葉に、達郎は首を振る。

「……いえ、ありがとうございました。いろいろと闇に落ちかけていた心が、すっと光に浮かんだ気がします。瑞葉さんの言う通り、まずはしっかりと生き抜いてみますよ」

「そうか、ならばよかった、よかった……」

 瑞葉は、夜というのにまぶしそうな眼をしながら静かにうなずく。

 当人は気づいていなかったが、本家の瑞葉に余りにもそっくりな表情であった。

 それだけに瑞葉その人がそばにいるかのような気がして、達郎はどきりとする。

 思わず手をきゅっと握るのに、瑞葉も握り返して来た。

 そうして見つめ合うことしばし、瑞葉が静かに手を離し、

「ああ、これでようやく本当に恩を返せたの。……はあ、変化が解けてしまう前でよかった」

 何とも安堵したというように言い出す。

「えッ……そんなに限界が?」

「そうじゃ。この分では、明日の朝まではとてももつまい。朝になれば、妾はいなくなっておろう」

「そんな……。じゃあ、それまでつき合いますよ」

「それはいかん」

 きっぱりと言うや、瑞葉は右手を上げて手のひらを達郎に向けた。

「消えて行くところを、見せとうはない」

 その瞬間、何の術をかけられたものか達郎の意識が遠くなり始める。

「ゆるせよ、またいつの日か会わん」

 瑞葉の声を聞いたのは、それが最後であった。

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