「……どうかしたかの?」

 予想外の人物の登場に固まる達郎に、狐巫女は小首をかしげてそう言った。

 次の瞬間、達郎が素早く格子戸を閉め背を向けていたのは言うまでもない。

(ま、待て待て!?こりゃ何だ、漫画かアニメかゲームか!?)

 一般的に見れば驚くべきはまず不法侵入や格好の方だろうと思われるのだが、いっぱしのおたくである達郎はこちらに驚いてしまっていた。

 これはある日突如として美少女や美女がひとり者の家にやって来るという、いわゆる「押しかけもの」の冒頭によくある場面そっくりの状況である。

 だがそれ以上に、達郎の脳を混乱させていたことがあった。

(どうして瑞葉ちゃんの格好してんだよ!?)

 まさにこのことである。

 瑞葉はVTuberなのだから、姿はあれどそれはしょせん絵にすぎぬ。

 だが今見た狐巫女は、コスプレとは到底言えないレヴェルで似すぎるほど似ている。絵に描かれた人物が画面から飛び出すわけもあるまいに、これは一体どういうことなのだ。

 ともあれいくら物語のような展開でも、このまま家に入らないでは済まない。

 思い切って再び格子戸をがらりと開くと、

「大丈夫かの?唐突に来たゆえ、驚かしてしまったか」

 ばつが悪そうな顔をした狐巫女が同じ場所に座り込んでいた。

「……あの、唐突にもほどがあるかと」

「それもそうじゃな、悪手であった」

「とッ……そうじゃなくて!!君は一体誰だ、ここは俺の実家だぞ!?」

 狐巫女の言葉に思わず突っ込みを入れた達郎は、大あわてですいする。

「うーん、何と名乗ったらよいのかのう……わらわには名がない、いやあっても忘れてしもうたのでな。姿すらもないのじゃ。それゆえ、齢九百の狐神であるとだけ言うしかないのじゃよ」

 奥歯にものがはさまったような言い方で、狐巫女はさらに決まり悪そうに言った。

「その狐神様とやらが、どうしてここへ……?」

「これと祠掃除の礼をしたくて来たのじゃよ」

 そう言って置かれたのは、例の瑞葉がコラボして作った酒である。

「あッ、これ……!あそこの祠に置き忘れたやつ!」

「そうじゃろうと思うたわ。置いておけない、回収せねばと申しておったしの。この時代にはこの時代の決まりがあるのじゃろうし、これは心だけ受け取って返しておくぞ」

 確かに酒瓶を置いた時、達郎はそう言った覚えがあった。

 あの時の自分の言葉を聞いた者というと、それはただ一人しかいないはずである。

「ということは、あの祠の神様……ってことでいいのかい?」

「そういうことじゃ。ただ姿なしゆえ困っての、その瓶に貼ってある紙に描かれたおなに化けてみた。どうにも奇妙な着物じゃが、同じ狐の変化のようじゃし気にするほどでもなかろうと思うてな。それにかわいらしいではないか」

 そう言って、狐巫女は立ち上がりくるりと回ってみせた。

 龍胆の花の髪飾りをつけたツーサイド・アップの薄茶色の長髪、袖に赤い細帯の通った緋袴の巫女服、中指に指をかける手甲てっこう、大きな耳に尻尾。

 何度見ても、瑞葉その人としか思えなかった。

 しかも瑞葉は一人称が「妾」、語尾は「のじゃ」なので、なお本人に思えて来る。

「名も借りてよいかのう?名無しでは困るゆえ、その女子と同じく『瑞葉』と」

「俺に許可を求められても困るが……まあ仕方ない」

 そこで、達郎は自分が名乗っていないのにようやく気づいた。

「そうだ、忘れてた。俺は市岡達郎っていうんだけど、今日帰省して来てさ。この実家に三四日いて帰るつもりでいるんだ。それで……」

「ああ、名も事情も既に知っておる。こんなでも神じゃからな」

 達郎の言葉に、狐巫女――いや瑞葉は、ひらひらと手を振って答える。

「故郷を慕いて毎年夏冬に来はするものの、両親がおらぬし親戚も忙しく一人なのであろ?妾はそれも分かって来たのじゃよ。おぬしを世話してやれば、あの掃除と酒の礼になると思うてな」

「………」

 余りに全てを知り尽くしているのに、達郎は絶句した。

 今までの会話でほぼ決まりだったとはいえ、ここまでとなると全面的に本人の言う通り「神」と認めざるを得ないようである。

「……よいかのう?何も帰るまでずっと世話させろとは申さぬ、今日一晩でよいのじゃ」

「あ、え、はい。分かった……いや、分かりました」

 わざとなのか否かは知らぬが、妙に色っぽい表情をする瑞葉に、達郎はうなずいた。

 別人と分かっていても、推しと一緒の姿形をしているとあってはどきりとしてしまう。

 言葉まで普段本人に接している時のように敬語となってしまったが、相手が神と分かった今となってはむしろこの方がふさわしいように思われた。

「そうと決まれば、さっそく晩飯じゃ」

「晩飯って……作ったんですか?」

「作る以外に何がある。鳥や獣でもあるまいに、生のまま食うわけに行かんじゃろ」

「いや、そういうことではなくて。材料はどうしたんですか」

 ごく自然なことのように言う瑞葉に、達郎は待ったをかける。

 ここは管理されているとはいえしょせん空き家、普段は米びつも冷蔵庫も空っぽだ。

 食材といえば、今自分が買って来たものがあるばかりである。

「材料?ま、念じれば出るからの。それが証拠に……ほれ」

 そう言ってひょいと握った手の中に、白米が現われた。

 どう見ても何もないところから突如出ただけに、達郎は唖然として米と瑞葉の顔を見比べる。

「じゃあ、これで?」

「そういうことじゃな。まあ妾も豊穣神、さして多くなければこれでよい」

「で、でも炊飯器の使い方とかは……」

「む、あの機械どもか。触ってみただけで使い方が分かったゆえ、その通りにしたまでじゃ。最近の機械は恐ろしく進んでおるのう」

 どうやら瑞葉は、何かの能力で厨房機器の使い方を瞬時に理解し、完全に使いこなして料理を済ませてしまったようだ。

 これにはさすがに驚くしかない。あんな古い祠の主にして数百歳という年経る神となると、現代の電化製品どころか現代文明そのものに慣れていない、慣れそうもないイメージがあったからだ。

 それが能力を使ってここまですんなりと適応してみせたとなると、

(……もしかしたら、相当力のある神様なのか?)

 そう思わざるを得ないものがある。

 もっとも自分たち人間が知らないだけで、実際にはこれが普通なのかも知れないが……。

「ともあれ、立っておらんで入るがよい。飯が冷めるぞ」

 そう言って尻尾を振り振り廊下を歩く瑞葉に、達郎はただただついて行くしかなかった。

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