その日の夕方六時すぎ。

 俊輔の許を辞した達郎は、国道沿いにあるスーパーの袋をぶら下げながらてくてくと実家への道をたどろうとしていた。

 真夏のため夕暮れにはまだ時間があるが、それでも少しずつ薄暗くなっている。おかげでかなりしのぎやすくなっていた。

 しかし、達郎の顔はどうにも浮かない。

「まいったな、ちょっと日が傾いただけで、あんなに中に入りづらくなるとは思わなかった……」

 あれから……。

 総鎮守へ向かった達郎は、社務所前で俊輔に出迎えられた。

「お前、休むのはいいが電話くらい出来るだろ。何か言って来いよな」

「悪い悪い、あんまりに暑くて日陰が心地よくてな。いやあ、四十も近くなるときっついもんだ」

「だらしないやつだな、同い年でも俺はしっかりしてんのに。……とりあえず、これな」

「ああ、いつも手間かけてすまない」

 盆の窪に手をやりつつ謝る達郎に、俊輔は鍵束を渡す。

 親友が実家の鍵を持っているというのも妙な話だが、これにはわけがあった。

 達郎の両親は数年前から入院しており、家を同じ集落の親戚に預けている。

 だがこの親戚も隣町の工場へ勤めていて忙しいため、夏と冬に帰って来る達郎へ確実に鍵が渡るようにと、その間だけ俊輔に渡してあるのだ。

 この総鎮守は鎌倉時代末期からあるという古社ゆえ、集落の人々の崇敬並々ならぬものがある。その宮司の息子となれば、これくらいの信頼は寄せられているものだ。

「まったく、駅がこの集落にあればお前もこんな苦労しないでもいいのにさ。あの周辺もうちの氏子に入ってるし、役場の地区分けでも中心部の一部扱いされてるけど、あそこまで遠いともう別の地区だろ。あっちも同じように思ってるみたいだしさ……」

「一体何がどうしてああなったんだかな、元は村で一番小さな集落だろうに」

「ほんとだよ、何でそこが玄関面してるんだ。それはまだしも、こっちのことを妙に敵視して来るのはほんとに勘弁してほしいよ。それも総鎮守が一番嫌われてんだからな、長年宮司やってる俺んちとしてはいろいろ迷惑でしょうがないよ」

 なぜかこの総鎮守は隣の集落から全般的に風当たりが強く、特に年輩者や老人からは敵視とすら言っていいような厳しい視線を向けられている。

 またいつものぼやきが始まったとばかりに苦笑しながら、達郎は背からリュックを下ろした。

「ああ、そうだ。頼まれてたみずちゃんの酒、持って来たぞ」

 その手には、件の狐巫女が描かれたラベルの四合瓶が握られている。

 この酒は達郎と俊輔が推しているVTuber・みずとさる蔵元が本格的に手を組み、材料からラベルのデザインに至るまで相談し合って作ったものだ。

 瑞葉は薄茶色の狐耳と尻尾を持つ狐巫女で、姿は少女ながら実年齢は数百歳、その間に呑んだ酒数知れずという大変な左党である。それを聞きつけた蔵元が声をかけ、実現したのがこれだ。

 ただし出たばかりとあり現在のところ販路はイベント限定となっているため、この村を離れられない俊輔に依頼されてこうして買って来たのである。

「おッ、ありがとう。どんな感じだい、味は?」

「それがな、俺もまだ呑んでなくて。実家でちびちびと……あれ?」

 異変に気づいた達郎は、そう言いかけてあわあわとリュックの中を探り始めた。

「え、ちょっと待て、ないぞ!?俺の分……!」

 このことである。二本あったはずの瓶が、一本なくなっていたのだ。

「何だ、忘れて来たのか?悪いが今さら返せったって無駄だぞ」

「馬鹿言え、そんな無体言うかっての。……あッ、そうか」

「何か心当たりでもあるのか?列車に忘れたんなら早く電話しないと」

「……いや違う、置き忘れだわ。取りに行けばいいから大丈夫だ」

 達郎はため息をつきながら、痛恨の表情を浮かべる。

 あの石祠に供えた際、回収するつもりでうっかり置きっ放しにしたのにようやく気づいたのだ。

(やっちまった……あんな湿気の多いところじゃまずい、とっとと回収しないと)

 すぐにでも取りに行こうと思ったものの、そこで俊輔の父であるけんが出て来て休んで行かないかと誘われ、断るのも失礼と思ってしばらく留まっていたのである。

 それから大急ぎで例の林に行ったはいいのだが、日照の関係か既に薄暗くなっており、さっきの道がどこか全く分からなくなっていた。

「まあ、明日の朝早くに行くしかないか。駄目にならないことを祈ろう……いざとなりゃ、保存用の一本が残ってるしな」

 こめかみをかきつつ歩いて行くと、果たして古い木造住宅が見えて来る。

 格子戸に広い庭に縁側とそろった姿は、「古きよき」と形容されるような典型的な田舎の家だ。

「今年はむかで出ないよな?……あれだけは勘弁だ」

 そんなことを案じながら門を開け、格子戸の鍵をひねって足を踏み入れた時である。

「おかえりなのじゃ」

 いきなり狐巫女に三つ指をついて出迎えられたものだ。

 時間が、一瞬にして止まった。

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