四
「あの程度のことに対する恩返しにしちゃ、過分だよなあ」
それが、夕食を食べ終え風呂場へと向かった達郎の素直な感想だった。
食材調達も機器の使用も万全とはいうものの、やはり不安はぬぐい去れぬ。
だが出て来たのは、それを一気に吹き飛ばすような完璧と評するしかない代物であった。
「肉や魚がなかったゆえ、そのようなものになってしまった。豪勢とは行かずすまぬのう」
本人はそう言っていたが、それでも切り干し大根やらきんぴらごぼうやら煮豆やらと、材料が乏しいなりに工夫されており、充分に満足出来るものである。
今なら出来合いを買ってしまうようなおかずを、特殊能力にほぼ頼らず全て一から作ったというのだから、そこらの下手な手料理よりも手間がかかっていることは容易に想像がついた。
しかも食べ終わった後には、風呂まで勧められる。
「風呂も立てておる。湯の継ぎ足しは簡単に出来るとのことじゃが、それでも一度冷めると大変そうじゃ。早う入ってしまったほうがよいぞ」
この家の風呂は、風呂の横に大きな給湯器がついた「バランス釜」と呼ばれる古いものだ。構造上追い焚きが出来ないので、瑞葉の言う通り冷めやすい。
そこでさっそく言葉に甘え、最低限の荷解きをした後に風呂としゃれこんだのだ。
湯舟にざぶりとつかったところで、達郎は考え込む。
「……瑞葉さんって、明治時代で知識が止まってるんじゃないか?」
このことであった。
最初に疑いを持ったのは、もし一人なら肉じゃがでも作るつもりだった、と語った時である。
瑞葉は聞くなり眼を点にしたかと思うと、
「肉じゃがとは何じゃ?肉とつくからには牛鍋みたいなものかの?」
そうまじめな顔で問うて来た。
驚いてどんなものか説明してやると、
「おお、
大げさでも何でもなくひどく感心してみせたのである。
実は肉じゃがは昭和十年代に海軍の料理教本に「甘煮」の名で掲載されるまで、公式の名前が存在しない「名もなき煮物」であった。
そのような認識の上に肉料理と聞いて即座に牛鍋を連想し、しまいには明治維新を「御一新」と最初期に使われた名で呼ぶのだから、昭和戦前どころか明治大正までの知識しか持ち合わせていないのではないかという疑惑が浮かんで来る。
この他にもちょくちょくそう思われる言動が見られたのだが、決定打となったのは扇風機を出して来た時のことだった。
瑞葉はそれを見た瞬間に眼を丸くし、
「それはもしや
思いもよらぬことを言って驚いてみせたのである。
面食らって調べてみると、「電気扇」とは扇風機の大正初期くらいまでの名称であった。しかもその頃は庶民にはまるで手の出ない高価な代物で、自宅に持っているというだけで一種のステータスですらあったというのである。
このような時代の価値観に染まっていないと到底出て来ない発言をした以上、もはやこれは知識が完全に明治末辺りで杜絶していると考えねばならぬ。
だがそれを知ったら知ったで、また別の疑問が浮かんで来る。
「うーん……昔で止まってること自体はおかしくないにしても、何でまた明治なんて中途半端なところなんだろうな。文明開化が起こる前、江戸時代までなら分からんでもないが」
一般的に年経る神というものは近現代文明と共存しづらい存在とされ、明治以降入って来た西洋文明にうとかったり、苦手だ嫌いだなどという理由でわざと距離を置いていたりするように描写されることが少なくないものだ。
能力のことと同じように実態を知らないだけと言われればそれまでだが、それでも瑞葉の置かれた状況からして西洋文明に片足を突っ込んだ状態で止まっているというのは引っかかってならない。
眠っていたとは言っていなかったので、明治以降であってもいくらでも西洋文明の文物に接触し、見て知る機会があったはずだ。
問題があるとすれば祠の位置だろうが、昔は木も草も少なくもっと視界がよかったろうし、周囲にも古くからの住民がそれなりいるため、風の噂として聞きすらもしていないとは考えづらい。
そこまで考えて達郎は、何かに気づいたようにぽつりとつぶやいた。
「……もしかすると、あれのせいか?」
その表情には、どういうわけかひどく苦々しいものがある。
達郎はそこでしばらく何やら考え込んでいたが、ややあってそれを振り払うように
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