翌朝。

 達郎が眼を覚ますと、そこに瑞葉の姿はなかった。

 台所に立った痕跡がないところを見ると、夜のうちに変化が解けてしまったのだろう。

 一瞬昨日のことは夢だったかと思ったが、隣に敷いた蒲団のしわや部屋にかすかに漂う残り香が、瑞葉が本当にいたことを物語っていた。

 達郎は自ら朝食を作って食べた後、しばし虚脱したように居間に座り込んでいたが、瑞葉との約束を思い出して自らを奮い立たせる。

 ともかく、俊輔へと電話をかけねば始まらぬ。

「お前とおじさんに話がある。お前んち、いや総鎮守にとって大切なことだ」

 そう言って謙吾を同席させるよう指示し、神事などの予定がないことを確認した上で総鎮守へと乗り込んだのである。

 いつになく厳しい顔で達郎がやって来たのに俊輔と謙吾は驚いたようだったが、ともかく話をと社務所に通された。

 そしてそこで、瑞葉の祠について話し始めたのである。

 だが話を進めているうちに、驚くべきことが分かった。

「達郎君、ちょ、ちょっと待ってくれ。うちの末社に稲荷神社なんてないはずだぞ!?」

 このことである。

 何と謙吾も俊輔も親子そろって、瑞葉の祠の存在そのものを知らなかったのだ。

 詳しく位置を説明してやるが、どうにも要領を得ない。

「あるなら私の父が何か言っているはずだし、記録も残しているはずなんだが……」

「それ以前の代に記録が残っていませんか?俊輔からすると高祖父、つまりおじさんの曾祖父がちょうどそこの合祀に関わっているはずなんで」

 調べろという無言の圧力をかけて来る達郎に、謙吾も俊輔も気おされてしまい、急いで明治以降の文書を全て持ち出して来て調べ始めた。

 達郎は俊輔の祖父は何も知らず、合祀の当事者である高祖父と息子の曾祖父だけが知っていたのではないかとにらんだのだが、結果はやはりそうである。

 世代別に分けて中身を検分したところ、祖父の代の文書には文章での言及はおろか境内図にすら載っていないのに、曾祖父の代以前の文書には何度も「稲荷社」「裏ノ稲荷」というような言葉が登場したり、絵図の中にもしっかり描かれていたりしているのが確認された。

「こんなきちんと記録が残ってたなんて……何でひいじいさんやじいさんは親父に教えなかったんだ?仕事に必要なことじゃないか」

 思わず砕けたもの言いとなって謙吾が言うのに、達郎は、

「自分たちにとって不都合だったからでしょうね。下手に存在を明かせば、悪事に手を染めてまで私利私欲でよその村からお社をぶん取ったことが露見する可能性がありますから。盗品の存在や隠し場所を教える盗人がいるわけないでしょう」

 他人の先祖を攻撃する言い方になるのも構わずに、思い切り爆弾を放り投げる。

 唖然とする謙吾と俊輔に、達郎は今度は神社整理の説明と瑞葉の社が合祀された経緯いきさつについて話し始めた。

 その余りにひどい内容に二人はさすがに疑って文書を調べ回ったが、結局高祖父がつけた日誌や数々の文書によって証明されてしまったのである。

「どうして証拠を焼き捨てもせず、さらに自分でも詳細に書き残してしまったのやら。隠蔽するなら徹底的にやればよかったでしょうに……金のことを考えるのに邪魔だからと、頭からその辺の判断力すら追い出してしまったんですかね」

 瑞葉の話で高祖父に対する心証が最悪となっていた達郎は、無礼だろうがかばねに鞭打つことになろうが知らぬとばかりに辛辣な皮肉を言った。

「そ、そんな……!神社整理はうちでもやったという話だけは聞いていたが、ここまで悪辣なことをしていただなんて、しゃれになってないぞ……」

「おい、何やってくれてんだよ……!道理で隣の集落がこっちに敵意を向けるはずだ。お祭りのお金を出すことすらしてくれないんで、今までさんざ裏でくさしてたけど……悪いのはあっちじゃなくて俺たちの方だったんじゃないか」

 先にも述べたが、この総鎮守は隣の集落から敵視されている。

 祖父の代の日誌によると昭和三十年代くらいまではもっとひどかったらしく、隣の集落の年寄りはわざわざ総鎮守の前の道を避けて通り、若い人たちもお宮参りや七五三などの場合遠路はるばる別の神社へ行くなど徹底して嫌われていた。

 さらにあくまで噂としての記録だが、大正末に鉄道が開通した際に駅がこの集落に出来なかった理由も、隣の集落の者が鉄道会社の重役たちにいろいろと吹き込んでこちらに対する心証を悪くし、経路変更に持ち込ませたためだったということまで判明したのである。

「まさか明治時代の話が、そんなに細く長く引きずられてたなんて……」

「いじめや嫌がらせと一緒だな。やった側はまるきり忘れても、やられた側は忘れないってやつ。一番悪いのはやるだけやって身内にすら隠した当人たちだから、お前もおじさんも、そしておじいさんもある意味被害者だけど……あっちはそんなこと知ったこっちゃないし」

 さらに文書を引っ繰り返して行くと、とんでもないものが出て来た。

 隣の集落が、瑞葉の祠を氏神として復祀してもらうために出した嘆願書である。しかも、何と大正時代から昭和二十年代まで時代を違えて五通もだ。

 殊に大正時代のものは政府が神社整理を強制しなくなったことを受け、村内で合祀が行われなくなったのを機に出されているようである。

 神社整理政策は実施に地域差がありすぎたこと、従う地域よりも反抗する地域の方が多かったこと、従った地域でも賛成派と反対派で泥仕合になったり合祀の方法でもめたりと荒れる場所が多かったことなどで、政府が思う通りには進まなかった。

 さらに民俗学者・南方熊楠みなかたくまぐすが投獄もものともせず身を張って反対運動を繰り広げるなど知識人の間でも反対の声が上がり、政策自体への包囲網まで生まれてしまったのである。

 音を上げた政府は、明治四十三年頃から急速な整理をやめるようになって行った。これにより神社整理政策はなし崩しに崩壊し始め、遅くとも大正末までには有名無実化することになる。

 これを受けて、一部の地域では合祀先から氏神を取り返し復祀を行おうとする動きが生まれた。隣の集落の人々も、どうやらそう考えてこの嘆願書を出したらしい。

 だが実態を見るに、どう考えても高祖父は握り潰して一顧だにしなかったとしか思えぬ。

 あと四通は曾祖父への代替わりや敗戦後の国家神道消滅などの節目節目に再考してもらいたいと出されたもののようだが、今度は曾祖父が握り潰していたようである。

「大変失礼ですが、度し難いご先祖を持ったもんですね……」

 あきれ果てたというように言う達郎の前で、もはや八次親子の顔色は紙のようになっていた。

「これはもう不敬なんてもんじゃない、すぐにでも何とかしないといかんぞ!」

「それでなくたってこんな話ほっといたら、うちの信用に関わるっての!親父、早いとこ現状確認しに行こう!……達郎、車出すから案内してくれ!」

 さすがにもう無視するわけには行かないため、一同はとりあえず私用の車にほうきやちり取りなどの掃除道具を積み込み、大急ぎで件の林へと向かう。

 そして達郎の案内を受けた謙吾と俊輔は、祠を見せられた途端に天をあおいでしまった。

 二礼二拍手一礼してから、達郎が祠の横の碑文や後ろの道祖神などについての説明を入れると、

「何とおいたわしいこと……」

 謙吾はそう言って絶句し、その場で俊輔とともに親子そろって土下座したのである。

「我が先祖の多大なる不敬、平にお許しください。当代宮司・八次謙吾、当人に代わり誠を尽くして罪を償わせていただきます……!」

 良心の呵責に耐えかねたのか、とうとう謙吾は口に出して謝罪と贖罪の誓いを述べた。

 ここまでするとは思わなかった達郎が、ひどくあわてたのは言うまでもない。

 だが総鎮守の宮司という立場の者が土にまみれるをいとわずやったこと、一時の激情に流されたものではなく衷心よりの誠意の表われと受け止めるべきだ。

 二人と一緒に祠や周囲を掃除しながら、

(これなら瑞葉さんや隣の集落の納得行く形で収まるだろう)

 そう達郎は確信したのである。

 一旦帰った後、謙吾はさっそく祝詞をしたため神饌などをそろえ、改めて午後に現地で祭儀を執り行った。昨日の瑞葉の言葉からするに、恐らく百年ぶりくらいのことではなかろうか。

 むろんこれで終わりではなく、祠の復祀や後ろにある他の祠や道祖神などの境内への遷座について、総鎮守として公式に検討することが決定された。

 ともあれ隣の集落の自治会長に事情説明をして、謝罪をしてからのことである。その後、元の鎮座地に復祀出来るかどうか、出来るならどのようにするかを現地の状況などから相談するという話だ。

「ともかく、雨ざらしじゃいけない。いつもうちに来てくれる大工に頼んで、仮の覆屋をつけて保護してもらうとするか。下手にいじるとまずいし、しばらくはそれで我慢してもらおう」

「まあ、それが当座出来ることだよな……。あ、俺からもあっちの集落にいる同期に電話かけてもいいかな?確か親父さんが副会長で、あそこの人らの中では比較的うちにつらく当たって来ない人だし。口添えしてらうのもありだと思う」

 社務所に戻って軽く打ち合わせをした後、謙吾は達郎に向き直ると、

「知らせてくれてありがとう、達郎君。先祖が犯した罪を償わぬままになるところだった」

 その場で深々と頭を下げて来る。

 それに頭を上げるよう言っていると、俊輔が、

「俺からも礼を言わせてくれ。……しかし気になるんだけどさ、お前はこの件どこでこんな細かく知ったんだ?うちの文書でようやく全容が分かったことなのに、外部のお前がどうやって……」

 いぶかしげな声で訊ねて来た。

 訊ねられて、達郎ははっとなる。とにかく何とかせねばという気持ちが先行していたため、その辺を隠す工夫をせずに話していたことにようやく気づいたのだ。

 合祀のことくらいならばかつて神社を管理していた村の公文書を見たとごまかせばいいが、さすがにそれ以外は無理だ。さりとて、当事者たる神本人から聞きましたと言うわけにも行かぬ。

「ま、その辺は神のみぞ知るってことで……」

 結局こう言い、俊輔をけぶにまくことにしたのである。

「………?」

 二人はしばし顔を見合わせていたが、それ以上追及して来ることはなかった。



 それから数日後、達郎はいよいよ東京へ戻ることになった。

 鍵を渡すついでに俊輔たちも稲荷橋駅まで同道し見送ってくれたものの、復祀に関して話すためにあちらの自治会の会合に出なければならないからと、すぐにその場を離れたのである。

「あっちも今のままじゃいけないと思ってて、ずっと言い出しかねてたってか。ま、きちんと話してみれば意外とそんなもんなんだよな」

 陽炎立つプラット・ホームで列車を待ちながら、達郎はぽつりとつぶやいた。

 百二十年前の人の罪を償うことで神も救われ人も救われるのなら、こんないいことはない。

 ややあってかたりかたりと線路が振動し始めるや、重苦しい減速音とともに列車がやって来た。

『整理券をお取りください』

 地方私鉄のワンマン列車にありがちな自動放送が流れる中で整理券を取ると、運転手が笛を吹きがらがらと扉が閉まる。

 すぐにモーターがうなり、列車が小刻みに震えながら走り出した。

 そして達郎が、集落を望む座席に座ろうと扉のそばまでやって来た時である。

 瑞葉が、遠く見える総鎮守の横の道で手を振っている姿が見えたのだ。

 列車を追うようにぱたぱたと畦道を走り出す瑞葉に合わせ、達郎は思い切り窓を開けてせんちゅうに注意しながら手を振り始める。

 集落が見切れ始めいよいよ遠ざかる中、客がいないのをいいことに達郎は一番後ろまで行って手を振り続けた。

 やがて一つモーターがうなりを止め再度うなり出した瞬間、車窓は山に覆われる。

 もはや瑞葉の姿は、見ようとしても見えぬ。

 ――さらば小さき神よ、また会わん!

 達郎は、静かに瞑目した。

 森の香りが満ちる中、なおも列車は高らかな音を上げながら走り続けている。


<了>

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稲荷橋残影 苫澤正樹 @Masaki_Tomasawa

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