ぶっ飛んだ僕の夢小説

凛々サイ

ぶっ飛んだ僕の夢小説

「え、どこ? 嘘だろ……どこだよ……?」

 

 今、自分の顔を鏡で覗けるならば恐らく顔面蒼白という言葉がぴったりすぎるだろう。そんな僕、宮田れんはガタガタ小刻みに震える体をどうにか抑え込みながら、放課後一人取り残された3-1の教室にいた。そこであるモノを探し、鞄の中はもちろん、机の中や床の上、ロッカーの中、掃除道具入れの中まで調べつくし、目当てのものが見当たらず茫然と立ち尽くしていた。震えが酷くなり、心臓も爆音を打ち鳴らし、額からは冷や汗も出て、脇には大きな汗染みを作っている。腕を上げる自信もない。


 想像もしたくなかった。果てしなく恥ずかしいものをこの中学の校舎内で失くしてしまった。


 それは僕が綴った小説ノートだ。ただの小説ではない。超絶に恥ずかしすぎる夢小説というやつだ。誰もが憧れ見つめる学校内の人気者、中川理美りみさんとのラブリン話が盛りだくさんに書かれている。もちろん相手はこの僕だ……。


 半年前に転校してきたポニーテールの彼女は麗しき見た目とは裏腹に、ざっくばらんな明るい性格とその人なつこっさで、あっという間に友達を作り、男女からも慕われ次第に人気者になっていった。友達もいないような僕にも気軽に話しかけてくれ、いつも気にかけてくれている……気がした。


――『いつも本ばっかり読んでるのね! それ何の本?』


 最初に話しかけてくれた日を今でも鮮明に覚えている。あんなに明るくにこやかに話しかけてくれる女子なんて今までいなかった。いつも机に向かって本ばかり読んでいる僕を気にかける人なんていない。まるで違う国の住人かのように扱うんだ。僕もそんな扱いに慣れていたし、気にも止めていなかった。だって自分は読書が好きだし、一人の方が気が楽だったから。けれどあの日彼女からのキラキラな好奇心を寄せる声に戸惑った。彼女のきらめきをずっと見つめていたいと思った。僕の話を楽しそうに聞いて、僕の目を嬉しそうに見つめてくれている……気がする。

 

 彼女の気持ちが僕に向かっているとは思っていない。そこまでうぬぼれ屋じゃないし、イケメンでも成績優秀でも運動が得意でもないし、それぐらい分かっている。けれどさ、夢ぐらい見たっていいじゃないか、小説の中で。


「ない、ない! なーーい!!」


 僕は天を仰ぐように声を上げ、夕暮れ色に染まる教室で一人頭を抱え、がくんと床にへたり込んだ。正直言うと泣きそうだ。なぜ僕は学校にあのノートを持って来てしまった? そうだ、なんでも新鮮なうちに書き込みたかった。中川さんのあの笑顔を鮮度100%で詰め込みたかったんだ……! だってそうだろ? 記憶というものは時間と共に薄れていくもの。脳内に鮮明に写し出された瞬間にすぐさま綴りたかったんだ……! あの彼女の笑顔、行動、僕への愛を……!!


 すると学ランのズボンのポケットに入っているスマホから振動を感じた。この振動音は『RAIN』だ。なぜだか嫌な予感を感じ、スマホを取り出し、画面を確認した。するとクラスのグループ内での通知だった。


『すごいモノ拾ったんだけど!』


 クラスの中でおしゃべり好きな女子からのメッセージ。スマホを持っているクラスの半数以上のメンバーがここへ参加している中、ある写真が送られ画面に映し出された。見た瞬間絶句した。


「ぼ、僕の……ノート……?」


 僕の手からスマホがするりと闇に、いや床に落ちていく。凄まじい衝撃音を教室中に響かせた。僕が今かがんでなければ、破壊されたかもしれないスマホ。それで今見たものが無になるのならばそうであってほしかった。またすぐに次のメッセージが表示された。


の小説ノート!! しかも夢小説!!』


 今僕に必要なのはタイムリープ能力だ。誰か僕と握手してくれ。次に送られてきた画像はノートにぎっしりと隙間なく書かれた文字の写真。このノートにこの字は間違いなく僕のものだ。だがこの夢小説にはとんでもない特徴がある。

 

――「いつも本ばっかり読んでるのね! それ何の本?」


――私は中川理美。今日もドキドキしている心臓に落ち着きなさい!と心の中で伝えながら勇気を出して蓮君に話しかけたの。だって転校初日からすごく気になっていて……。一目惚れだったの。イケメンだし知的だし、とてもかっこいいんだもの! それにスポーツも万能なのよ。あ、彼が振り向いてくれた。切れ長で色気のある瞳……。ずっと見つめていたい、永遠に……。


 たった今送られてきたこのおぞましい文章が目に入った時、床からスマホを拾った手が今度は自ら床に叩きつけそうになっていた。そう、夢小説の主役は愛しき中山さんであり、彼女が想いを寄せている男がこの僕、蓮だ。しかも一人称視点。


「落ち着け、落ち着くんだ……、落ち着け蓮……落ち着け落ち着け、落ち……、つけるかぁぁ!!」


 何度も呪文のように唱え、自分に突っ込みを入れた瞬間少し落ち着けた。冷静さを少し取り戻せたが、ぶっ飛んだ小説と共に更にとんでもないぶっ飛んだ状況が今作り出されようとしている。これをどう捉えたらいいのか僕には分からなさすぎた。けれど逆主役に安堵した自分が少しいてこんな情けない己を僕は激しく憎んだ。次々にスマホの振動音がブルブル震え続け、読み取れない程にどんどんとメッセージが届く。瞬きもせずに唖然と見つめていた時、一つのメッセージに目が止まった。


喜べ! お前らの中にいるぞ! 中川さんの意中の奴が!!』


 僕達の世代は『蓮』という名付けが流行ったせいか、やたらとその名前が多い。クラスの中にも4人いて隣のクラスも合わせれば7人もいる。あまりにもその名前が多いから総称して『蓮軍団』と言われているのだ。このメッセージグループにはクラス全員の蓮軍団が揃っている。


『マジ!? 明日それ学校に持って来いよ! 読ませろ!』


 すぐさま返信してきたのは、クラスのパリピ少年と言ってもいい佐々木蓮君だ。かなりな陽キャな人気者だ。


『悪い気もするが……、よかったら俺にも読ませてくれ』


 次にメッセージを送って来たのは清田蓮君だ。頭が良くて運動も出来るという、いわゆる二枚目眼鏡男子だ。女子の人気も蓮軍団の中で一番高い。


『俺もめちゃくちゃ気になるんだけど』


 次のメッセージは柔道部の谷口蓮君。筋肉質の彼はガサツで荒々しいところがあるが、そのたくましい体付きに黄色い声を送る女子も少なくはない、と聞いた事はある。


 残りは僕のみ。このグループの流れ的に何かメッセージを送らないといけない気がする。この場をどうにか丸く収めたい一心で、震える指先でスマホのキーボードを打っていた。


『僕のことじゃ100%ないと思う』


 気が付けばこんなメッセージを送信していた。誰か僕を馬鹿だと言ってくれ。ふらふらとしながらリュックを握りしめると、黄昏時の教室を出て行った。もうすぐこの教室は闇に包まれるだろう。今の僕みたいに――。


 次の日、平常心を保つことを脳裏に刻み込み、教室へ足を踏み入れた。昨日の夕焼けから打って変わっての明るい陽射しに包まれた教室。その中心に大きく笑って周りに集まる数人のクラスメイトたちと会話をしている中川さんがいた。いつもと変わらない風景。けれど蓮軍団だけは違った。


 少し緊張した陽キャ男子佐々木君。長めの髪の毛のセットもいつも以上にばっちりだ。次に本を読みながらちらっと中川さんへ目線を泳がす眼鏡男子清田君。いつも以上に背筋をピンと伸ばし、かなり自分の見た目を気にしているのが分かる。そして柔道部のマッチョ男谷口君。なぜか彼女の視界の範囲でスクワットを一生懸命している。だいぶおかしな光景だ。かなりみんな彼女を意識し始めている。


 ……僕はいつも通り、のはずだ。この気持ちはこのままばれることはない。彼女には申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど僕が言わなければ決してばれない。あの夢小説を僕が書いたということが。


 誰も小説のことを彼女に問う事はなかった。秘められたものを無理やりこじ開ける者がいなかったことが僕の救いでもあった。

 

 はっきり言って最低な奴だ、僕は。好きな女の子に告白する勇気もなく、このまま秘めた思いを誰にも口にすることも出来ず、きっと卒業と同時に彼女とはおさらばするんだ。けれど最初からそれでよかったんだ。夢のような日々をこの夢小説が全て叶わせてくれたんだから……。


 それからだった、彼女への怒涛の愛の告白が始まったのは。まずは隣のクラスの蓮軍団からだった。次々に彼女へ告白すると同時に見事に振られ続けた。あの夢小説のおかげで中川さんの意中の相手が蓮軍団の中にいる! と学校中に噂になってしまい、血気盛んな男子達は次々に中川さんにアタックを始めたのだ。だって中川さんは可愛いし、明るく器量もいい。そんな彼女からもしかして自分は愛されているのでは、と期待してしまうのがやはり人間というものだろう。僕だってそう思いたいから、あの夢小説を書き始めたんだ。自分だけを特別に見つめてくれているかもしれない。万が一でもあるのならそう願いたい瞬間は、彼女の可憐さに触れた男子は誰もが感じるだろう。


「ごめんなさい、っでぇ……」


 ついにこのクラスの男子までが動き始めた。ごつい体を震わせながら、机の上に突っ伏したスクワット男谷口君は友人になだめられていた。彼も振られたのだ。僕はその光景にもとてつもなく申し訳ない気持ちになった。この蓮軍団の青春さえも僕の妄想すぎる夢小説のせいで狂わしているじゃないか。みじめさが体中に充満した。そして皮肉にもあの小説は密かに廻し読みされ、今みじめにも自分の手元にある。僕の物なのに自分の手から次の人へ回さないといけない。このままこのノートを黒魔術にかけて悪魔と契約し、僕の寿命と引き換えに無かったことに出来ないか、なんて真剣に調べたことさえも誰にも言えない。


 生き残っている蓮軍団は陽キャ男佐々木君と眼鏡男子清田くん、そして陰キャ男の代名詞の僕、宮田蓮だ。分かっている、誰にも勝ち目がないことを。けれど僕以外の二人はモテ男子だ。もしかしたら中川さんが偶然恋をしている可能性は否定できない。けれど絶対に振られることが決定している最低男が一人いる。ただ嵐が過ぎ去るのを待つだけの情けない男だった。


 そしてその日が突然やってきた。


「みんな黙っててごめんね」


 彼女が転校するらしい――


 その日急に今日でお別れとみんなへ伝えた。突然の出来事にすすり泣く声が教室中に響く。教室から軽やかに出ていく彼女を黙って見送る僕。そして茫然としている蓮軍団の二人。鼻水をすする音が響く中、思わず僕も泣きそうになってぐっと堪えた。これで終わりだ、何もかも――。


 また授業が始まろうとしたその時だった。


 突然大きなを音を経て、教室を飛び出したのは陽キャ男子の佐々木君だった。その姿にクラス中のみんながざわめくと、すぐに「俺も」と言ってクールに立ち上がったのは眼鏡男子清田君だ。みんな分かっていた。あの中川さんを追ったのだということを。まるでドラマのワンシーンのようだった。彼女を追いかけ、その想いを声にして今届けようとしている。そんな二人の仲に僕の入る隙間はこれっぽっちもなく、手元にある夢小説ノートを空しく見つめた。


 するとみんなは授業そっちのけで、廊下へ集まり始めた。「青春だな!」と言っている先生の傍で僕も夢小説ノートを握りしめたまま、そっと廊下を覗いた。


 驚き振り向いた中川さんに蓮軍団の二人は力強く手を差し出していた。そして次の瞬間、彼らは同時にうなだれた。


 ――振られた。


 予想出来た結果だ。けれど僕はほっとしていた。誰とも恋仲にならぬまま中川さんは次の土地へ行く。だがその時、彼女はとんでもないことを口走った。


「あー面白かった」


 誰もがその凍り付いた声色とがらりと変わった雰囲気に釘付けになった。


「みーんな鵜呑みにしちゃってさ、おかしすぎて笑っちゃう! 最高だったでしょ? !」


 唖然とした空気の中、彼女の声だけが廊下へ響く。


「君達、このままじゃ私みたいな女から騙されて人生積むよ? おかげで私は楽しめたけど」


 吐き捨てるようにそう言い放つと踵を返し、玄関へ向かって歩き始めた。


 ……どういうことだ? だって? あれは僕が書いたものだ。それにあの態度と言動は一体何……? どこを這わせていいのか分からないこの思考はぐるぐると体中を駆け巡った。


「うそ……蓮軍団を騙して楽しんでたってわけ?」

「マジ……? 引くんだけど」

「あの中川さんが……?」


 周囲もざわめき始める。違う、そんなわけない、あの小説は僕が書いたんだ。この僕が書いて、ずっと言えなくて、それで……。何かがおかしい。このままでいいのか、蓮。誤解されたまま彼女は消える……!? だめだ、だめだ……分かってるだろ、蓮!!


 気が付くと僕はその場から走り出していた。息を切らしながら無我夢中でその細い腕を引っ張った。


「ちがっ、違うんです……!」

「何!? 離してよっ!」


 その時、僕は気付いてしまった。彼女の苦痛な表情と、そして大きな瞳に浮かぶうっすらとした透明なものに。


「……あの小説は、ぼ、僕が書いたんだ! 黙っててごめん!!」


 廊下中に響き渡る僕の大きな声。注目の的となった僕らにピンと張り詰めた空気がまとう。


「……ははっ、私の負けだわ」

「え……?」

「まさか書いた本人が言い出すとはね、予想してなかったな」


 周囲も驚きを隠せないのか僕と一緒に中川さんの困惑した顔を見つめている。その瞳から今にも溢れそうな涙は彼女の優しさを物語っていた。


「私ね親からこの学校で転校は最後だって言われてたの。けれどまた転勤が決まったって言われて……。せっかく友達たくさん出来たのに、すごく悲しくて……。私、いつも転校する度に友達作らないよう頑張ってたの。だってすぐにバイバイだから。だけどここが中学校最後の場所だと思ったし、みんなも優しくて……。もうこんなお別れ繰り返したくないの! だから拾ったあの小説利用して、とことん嫌われて消えようと思った。その方がお互い悲しまなくて済むでしょ……?」


 彼女はもう我慢出来ないのか溢れる涙と共に震えながらそう答えてくれた。


「中川さんはすごく悲しんでるじゃないか……」


 僕がそう呟くとクラスの女子がわっと彼女を囲んで一緒に泣き始めた。「ごめんね」という言葉が何度も呼応する。


 すると僕がずっと握り締めたままだった夢小説ノートを彼女はそっと取り上げたかと思うと、胸ポケットからペンを取り出し何かを書き始めた。


「みんなとまた話、したいんだ」


 泣き笑いの彼女から手渡された僕のノートを見ると、その表紙には大きな文字で『中川理美』と書かれ、携帯番号が書かれていた。記名されたその名前のせいで、僕のノートはまるで本当に彼女の夢小説ノートのように思えてしまった。


 ――桜が咲く頃、あの頃誰にも言えなかったぶっ飛んだ僕の夢小説は、現実のものとなった。

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