ハート・イレイサー

七海けい

ハート・イレイサー


「ねーちゃん ねちーゃん。ラブレターなんて書いとる場合やないで?」

「わっ! 消し語が喋った!?」


 私は仰け反り、指を滑らした。

 放物線を描いた消しゴムは、教室の床に落ちて、はねて、転り、回る。


 私の部屋に喋るAI家電はない。

 充電中のスマホに通知はない。

 両親と弟は下の階にいる。

 我が家にインコやオウムはいない。


「ァタタ……。あんさんは少しオテンバが過ぎるねん。あんさんが好きなユウジ君はおしとやかな子が好みなのに、そんなんじゃ告る前にフラれてまうがな」

「みっ、三日前に買われた消しゴムに、私の何が分かるっていうのよ!」


 私は椅子を武器の代わりに持ち上げて、消しゴムに叫んだ。

 色々と考えたが、声の主は、やはりこの消しゴムで間違いないようだった。


「いやいや。これがね、けっこう分かってしまうんですよ」


 まだ半分以上のカドが尖っている、新品同然の消しゴムは、ポンっと軽やかに跳ね上がると、2回宙返り1回ひねりを披露し、床に直立した。


「……お見事」

「どもども」


 私は、ひとまず椅子に座り直して、消しゴムの言い分を聞いてみることにした。


「で? あんたに私の何が分かるって言うのよ?」

「気になるカレは、学年でも一、二を争う人気者。中学一年の4月、貴女は彼に一目惚れし、彼と同じ水泳部に入ることを決意。カナヅチな貴女は、マネージャーとして丸一年間粉骨砕身ふんこつさいしん。ここ3ヶ月は、彼へのラブレターを下書きしては破り捨て、また下書きしては破り捨ての日々……。違いますか?」


 消しゴムは、私の中学人生をペラペラと言い当てた。


 私は、何か言い返してやろうと口をへの字に曲げる。


「……最初の怪しげな関西弁設定はどこにいったのよ」

「あれはまぁ最初のつかみみたいなものでして……。ちなみに、大阪弁ではオテンバをハッサイと言うそうです」


「へー……。じゃなくて!」


 だむっ。と、私は机を叩いた。


「『ラブレターなんて書いとる場合やないで?』ってどーゆーことよ?」

「言葉の通りの意味ですよ。貴女、恋に恋するヒマなんてないでしょう?」


「ヒマって何よ……」

「この前の中間テスト。5つの教科のうち3つの教科で平均を下回りました。貴女の成績を、ご両親は心配しておられます」


 親を引き合いに出され、私はムッとする。


「……そんなの、余計なお世話だし。勉強なんて、3年の2学期くらいから始めれば間に合うでしょ?」

「なるほど。確かにそうかもしれませんね。でも、もしユウジ君と本格的に付き合うようになったら、どうでしょうか? SNSやデートで、どれだけの時間を奪われることか。今なら挽回できる程度の成績も、どこまで落ちるか分かりません」


 消しゴムは、したり顔で語り続ける(いや、本当は消しゴムに顔なんて付いていないのだが、そう見えたというだけの話だ)。


「勉強だけじゃないですよ。友人関係も大変です。ユウジ君との時間を確保するために、お友達との大切な思い出作りの時間を減らさなければなりません」

「……まだ付き合ってもないのに、そんなこと考えてもしょうがないし……」


 私は、机の上の写真立てを見やった。

 がくには、春休みに遊園地で撮った記念写真が収まっている。

 私と一緒に写っているのは、西山美香子みかこ、朝倉千鶴ちづる、吉田結衣ゆい。遊園地には、部員全員で遊びに行ったから、この画面の外側に、ユウジ君もいたはず。

 けれど、うっかり私が目をつぶってしまった集合写真を除いて、私とユウジ君が、一緒に写っている写真は存在しない。


「そうですね。告白しても、断られるかもしれませんからね。では、フラれた場合のことも考えておきましょうか。……ちょうど先月、貴女のクラスで恋破れた子がいましたね」

「……中条さんのこと?」


「そうそう。中条明日菜あすなさん。どこかの公園で、他校の男子生徒に告白してフラれたところを、たまたま通りかかったクラスメイトに激撮されて。2週間くらいですか? チャットグループや裏アカで、すごい話題になっていましたよね」

「ぅん……」


「教室では妙に気を遣われて、誰も彼女と目を合わせようとしない。影では、二人が知り合った経緯やフラれた理由について、根も葉もない噂が飛び交っている。近頃の中条さんは、学校での居心地が悪そうです」

「確かに……」


 私は、昼休みに独りで教室からいなくなる中条さんの背中を思い出した。

 今でこそ彼女はボッチだが、1年生の頃は、5,6人の友人に囲まれていた。


「中条さんのケースは、貴女にとって他人事ではありません。良いですか? 自分のことを客観的に見てください。初恋・片想い・一目惚れの相手を、それも海パン姿の男子を、部活の仕事という名目で、動画に撮って眺める日々……。はたから見れば、まぁまぁスケベな話です」

「ちっ、違うしっ! ……てかっ、そんなのユウジ君に失礼だよ!」


 自分で張り上げた声に、私は目眩めまいがした。

 私の顔が熱いのは、自分の恋心を馬鹿にされて怒っているからなのか、それとも、何か図星のようなものを指されて恥ずかしいからなのか、よく分からなかった。


「貴女の言い訳に関係なく、野次馬は、あれやこれやと勝手に想像する生き物です。もちろん、この野次馬には、あなたのお友達も含まれるわけですが」

「……っ」


 私は、遊園地の写真の中で笑っている美香子、千鶴、結衣を見やった。

 3人とも、中条さんの件では嬉々として根拠のない噂を拡散していた。

 3人とも、取り立てて性格が悪いわけではない。ただ単に、色恋に関するネタが、それも、身近で、リアルな色恋に関するネタが、私たちの間では珍しすぎるのだ。

だから、みんな過剰に反応する。


「将来の進路を棒に振り、友人関係にヒビを入れる危険を犯してまで、初恋の相手に入れ込むのは危険です。賢明けんめいなご判断を求めます」

「賢明なご判断……ね。……」


 私は、机にした。


「……、」


 しばらくしたら、モヤモヤとした気持ちが、唇から溢れてきた。


「……やっぱり、ムリ。……今さら何もしないでユウジ君を諦めるとか、……やだ」


 中一の春。

 入学式で一目惚れしたユウジ君に、偶然をよそおって声を掛けようと機会をうかがっていたら、視線に気付かれて、逆に声を掛けられた。

 髪の毛にホコリが付いてますと大嘘を言って、二人であたふたしているところを、水泳部の勧誘に捕まった。

 ユウジ君は最初から水泳部志望だったらしく、私も、勢いで入部届にサインした。


 夏。私は、部員たちが自分たちのフォームを確認できるように、彼らが泳いでいる姿をタブレットで撮影。もちろんユウジ君以外を担当することも多いのだが、カレのカッコいいところを合法的に撮影できるから、天にも昇る気持ちだった。


 秋。夏の大会の祝勝会や、先輩たちの引退にかこつけて、部活のメンバーで遊びに行く機会が増えた。カラオケや食事の場になれば、ユウジ君のいつもとは違う顔──趣味や性格が分かってくる。私の恋煩いは、この辺りからひどくなった。


 冬。体力作りのため、マラソン、縄跳び、マラソン、縄跳びの日々。ユウジ君は、学外のプール施設にも通って練習の毎日。応援に行ったら、彼の担当の先生がナイスバディの女性で、かなり嫉妬した。


 中二の春休み。

 新入部員確保のため、どういう宣伝をしようか。二人で、電話で相談した。これといって冴えたアイデアは出なかったけれど、たわいもない雑談が、楽しかった。

 ──遊園地、今度は二人で行こうか。とは、誘えなかった。


「そんな貴女に朗報ろうほうです」


 消しゴムは急に駆け出すと、ぴょんっ、と高く飛び、机の上に降り立った。


「朗報……?」

「はい。貴女の頭の中から、ユウジ君への想いを消してしまえば良いのです」


 消しゴムは、不敵な笑みを浮かべた(ように見えた)。


「……は?」

「何を隠そう、私は消しゴムですからね。貴女の頭の中にある、ユウジ君への恋心をケシカスに変えることくらい、造作ぞうさもないことです」


「けし、かす……?」


 私は、上ずった声で呟いた。


「貴女だって、本当は気付いているのでしょう? ラブレターを書く貴女の手がよく止まるのは『ユウジ君に断られるのが怖いから』というだけではありませんよね?」

「なにを、言って……」


「たかが一目惚れから始まった恋心に、学生生活の命運を賭けるのは間違っている。いや、馬鹿げている。他ならぬ貴女がそう思っているからこそ、私は現れたのです」


 私の目には、さっきよりも、消しゴムが巨大化しているように見えた。

 こいつを頭に押し当てたら、本当に、脳味噌のうみその中身をゴッソリと持っていかれるんじゃないか。そんな気配に、背筋が震えた。


「心に鍵を掛けるとか、欲望を胸にしまっておくとか、よく言いますよね。でもね、それってやっぱり、苦しいんですよ。──誰にも言えない恋。そんなものは、消してしまうのが一番です」

「いゃ……」


「大丈夫ですよ。ユウジ君への想いを綺麗きれいさっぱり忘れた頃には、それを悲しむ心も一緒に失われているのですから」

「──っ!」


 私は、消しゴムを平手打ちした。

 吹っ飛んだ消しゴムは、部屋の壁で跳ね返り、床の上に転がった。


「……私の想いは、ケシカスになんて、ならない。……ずっと、ずっと。何度も心に刻んできたものだから……消しゴムなんかじゃ、消えない!」


 のそのそと起き上がる消しゴムを睨み付けながら、私は叫んだ。


「痛たた……。モノを粗末にする悪い子には、読み聞かせをしてあげましょう……。良いですか? 人魚姫は、恋破れて泡となり、ロミオとジュリエットは、非業ひごうの死をげて真実の愛を証明しました。古典文学からのメッセージは明快です。──恋愛は人を殺す。長生きしたければ、人生で成功したければ、恋を捨てるのです! さぁ! 今すぐ書きかけのラブレターを引き裂いて、何もかも忘れ去るのです!」


「……自分で破るより、彼に破ってもらった方が良い」


 そう言って、私はボールペンを掴んだ。




***




 3ヶ月後。

 あの口うるさい消しゴムは、ずいぶんと小さくなっていた。


「イラナクナッタラ捨テラレル。恋人ダッテ同ジデスヨ……」


 小さくなっているからか、消しゴムの声は高くなっていた。


「……必要じゃないのに、付き合いたいから、付き合ってる。恋、ってさ。そういうものなんだよ。きっと」


 私は、丸くなった消しゴムを指で突っつきながら、写真立てを見て微笑んだ。

 そこには、私とユウジ君が並んで写っている。


















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