たまゆら
綾波 宗水
再び“初恋”を
「誰にも言えない恋…………か」
文庫本を閉じて、辺りをゆっくりと見回しつつ、自分の過去などに思いをはせてみても、ちっともピンとこなかった。そもそも私には恋愛経験がない。女子高生になったら、もしかすると彼氏もできるかもしれないけど、今は別に欲しくもない。
クラスの連中がバカだからか、それとも私の性格に問題があるせいか。あ、ブスだからという理由が最初に出てこないっていう、変なプライドのせいだろうな。
わりと定番な物語のテーマだけど、昨今ではことさらにメルヘンな趣きが強まっているように感じる。設定が美化されているからとかではなく、もっとメタ的な理由。
人類が承認欲求というものを再発見してしまったから。
そもそもどこかで聞いたところ、恋愛という言葉はどうやらLoveの訳語として定着したらしい。恋は、<色恋>という言葉が示すようにわりと性的な欲求として、愛は仏教由来で執着のことだとか。ありし日の道徳教育にしてみればあまり褒められたものではなく、だからこそ秘められたものだったのだろうと勝手に昔の人の心境を想像したり。
そんな意味も実態も曖昧なものを、ひとりでに抑え込んで悩むのは何だかダサい。
叶わぬ夢はこれまでも置き去ってきたはずだ。幼稚園、小学校を経て、今は中3。きっといつかは今感じているダサさも去っていくんだろう。あの頃は若かったといって後輩を妙な目でみるOBのように。
というか、最近だとマイノリティと呼ばれていた方も一般化しつつあるし、今更誰にも言えないような恋なんて、不倫関係くらいが関の山。背徳と言い換えれば少しは罪の意識も愉しめるのかもしれないけど。
「あ、いた」
お昼休みはいつも独りで人気のないところで休んでいるのに。
「
「いや、はぁ?」
こうして馴れ馴れしく話しかけるクラスメイトなど私の周りにはいない。しかし、私にとってはその異常さはむしろ、相手の容姿にあった。
どう考えても、私に話しかけてきた主は、人間じゃない。あえて言うなら、丁度4時間目の体育で使ったあのラケットの羽根みたいなヤツが、それよりは一回り大きくなって、丁度デカめのペットボトルサイズの宇宙人。
「誰?」
そんな訳はなく、きっと誰かのイタズラだ。
そもそもある程度、時間をかければ作れなくもないサイズ感だし。真っ黒なタコ風の形に、目と口が…………動いてるな。なんだ、これ。
「過去からきたんだ」
「そこは未来じゃないの」
「ん~言葉が足りなかったね。つまり、美音ちゃんから見える範囲では、何光年も先だから、地球時間で換算すれば、過去なんだよね」
「宇宙人なんだ」
「まあね」
どうしてもこの宇宙人に視線がいってしまうが、それでも丹念に私は周りの気配をさぐり続けた。もし動画でも撮られてたらそれこそ最悪。
「地球から見える星の
「あ、もしかしたら習ったかも」
「さっすが美音ちゃん」
「てかさ、どうして私の名前しってるの」
「一言でいうと、地球人を勉強する時間が膨大にあったからだね」
「独りなの?」
周りにはクラスメイトはおろか、UFOも同じタコラケット型宇宙人もいない。私とコイツだけ。ホントにこれは現実なの?
「まぁ、かくかくしかじかありまして」
「日本語も上手だね」
「生命は言語を通して思考する。日本語を習得したおかげで、カロンは情緒と忖度を覚えたのです!」
心なしか胸を張っているような気もするけど、ラケットには胴体と足だけで、張るような胸はない。
「私もだけど………」
「わびさび、ですね」
「だまれ…………えっと、カロンっていうのは名前?」
頷く。グイグイ話しかけてくるくせに、その辺りは律義みたい。
「黙らなくていいよ」
「カロン、それがカロンの識別コード」
「一人称が自分の名前タイプか、女子には嫌われるよ」
「カロン、かなしい」
うなだれてみせるカロン。そうとう、地球、というか日本の文化には堪能なよう。
「そういうところが、疑ってしまうんだけどね」
あまりにも自然体すぎて、かえって不自然さが目に付いてしまう。
そのとき、一瞬にして目の前に大きな黒い物体がカァと鳴きながら横切った。
何事か、世界を再処理し、それがカラスだとわかったとき、改めてカラスの大きさを思い知る。と同時に、ひとときの白昼夢が醒めたかのように、先だって会話をしていた
「え!?」
冗談半分で付き合っていたというのに、いつしか自分の一部と化していたシュシュを落としてしまったかのような微妙な不安をおぼえた。
別になくてもいいけど、しばらくは心がざわついたまま、といったような一時的なさみしさ。でも、シュシュと違って、急いで探さなければいけないような気もする。
「どうして焦ってるんだろ私」
カラスが向かっていった先は校門の方向、つまり私は学外に無断で出て行くこととなる。カロンがさらわれた。荒唐無稽な、しかし単純な事実が、ついに私を、もうすぐ始まる五時間目の授業ではなく特別指導対象へと誘うこととなった。
悩んでいる暇はない。ハチくらいのサイズなら不可能だけど、カラス+カロンであれば、靴を履き替えずに急げば間に合うはず…………!
そう確信する前に、私は走り出していた。もしかすると誰かが呼び止めていたかもしれないけど、私はあることに夢中になっていた。
それは目の前の奇妙さを少しでもオブラートに包もうとした私のちっぽけな理性のおかげかもしれない。ともかく私はスカートであるのを気にも留めずに校門を閉ざした柵をよじ登って乗り越えつつ、小学生のときの<あの事件>を思い返していた。
「新井ってホント、もりと仲いいよな」
「そうかなぁ」
女子友だちは私のことを『みおん』や『美音ちゃん』と呼ぶことが多かったけど、男子は一方で名字で呼んでくることがほとんど。小学校中学年の頃、私は今よりもぜんぜん活発で、男女問わずよく遊んでいた。そんな中でも、
そんなある日、私の消しゴムの紙カバーが外されて、マジックでいたずら書きされていた。
内容はその護良くんと私が付き合っているとか何とか。相合傘程度なら、みんな冗談半分で黒板に書くなんて今まで何度も目にしてきたけど、付き合っている、恋人同士だ、といったような直接的なものは初めてだった。
最初、私はお気に入りのキャラのカバーが外されたことに憤った。そして段々と付き合っているという文字が目の前に広がっていき、怖くなってしまった。
「わたしだれとも付き合ってないもん!」
そう叫んでしまったせいで、ひとりの男子が私の消しゴムをひったくり、クラスメイトに声高に見せびらかしてしまったのだ。
当然その矛先は護良くんへも向いたのだった。
私にとってこれが事件なのは、私よりもずっと、護良くんの方が傷ついた様子だったからだ。普段からニコニコとしていて、友だちの間でもカッコいいと評判の彼が、そのときは激しく動揺し、ついには目をぎゅっと閉じ、歯ぎしりをしながら両耳を塞いでしまった。
最初は嬉々としていた彼らも、その光景にはひるんでしまったようで、ある者は冗談だと謝り、ある者は先生を呼びに行ったほど。私へのいたずらだったはずなのに、状況はどんどん私の前から引き離されていったのだった。
黒っぽいスーツをきた担任が、クラスメイトから、覆い隠すようにして護良くんを保健室へ連れて行ったのが今でも目に浮かぶ。おじいちゃんのお葬式にもいた薄気味悪い大人のような、でも私はそこに居なくてはいけなくて、しかもとっても辛い。そんな感覚がフラッシュバックしてくる。
それから少しずつ、私は人との接し方が分からなくなっていった。彼らも本気でいじめようとした訳でもないし、私だって直接的な非があったとは思えない。むしろ被害者だったはず。それでも護良くんのあの姿が、私の心に別な意味で憑りついてしまった。
でも、カロンとほんの少しだけ話して思い出したの、護良くんも私のことを女子と同じように親し気に『美音ちゃん』って呼んでくれてたなって。
そしたら、また私の前から居なくなっちゃいそうになったりして。このままだとまた、私は見ざる聞かざる言わざるみたいに壁をつくってしまう。
「いたぁーーーー!!」
これまで取っていた距離を一気に縮めるんだ。
大空に向かって急にニンゲンが叫びだしたのに驚いたのか、カラスはカロンをついに宙へ放した。
ガリレオ・ガリレイがピサの斜塔で、鉄球も羽根の塊も落ちる速さは同じだ、みたいな実験をしたと理科の資料集でみた気がするけど、カロンはまるで綿毛のようにふわふわと風に流れつつ落ちてきていた。
「だいじょーぶーーーー?」
上手く真下を探りつつ、カロンに安否を尋ねる。
「ねぇ美音ちゃん、空は綺麗だね」
「え、よく聞こえないよ!」
「カロンは美音ちゃんに上を向いてもらえて嬉しい」
「ちょっと、あんまりふわふわしないでよ」
「カロンがみていた美音ちゃんの姿も、きっと過去の光景だったんだね」
だんだんとカロンは向きを変えて、そしてついにはタコのように空を泳いでいった。
「はぁはぁ…………」
ようやく立ち止まった場所は、案外、学校からは離れていなかった。道路の向かいにある線路に今電車が走ったということは、13時前の便だろうから、今から走れば授業に間に合わなくもないかも。でもまぁ、まず体力的に無理だけど。
「もっといろいろ話せたらよかったのに」
へんてこな体験をしたせいで、何だか気分も複雑だよ。誰も信じてくれないだろうしね。
<美音ちゃん………?>
空に向かって、笑いながら泣いているあの子の姿が車窓からみえた。
たまゆら 綾波 宗水 @Ayanami4869
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