第16話  恐れずに明日を語れ

「イテテテテ。肋骨が折れてんだ。もっと丁寧に運べよ。いてえなあ」

 救急車に運び込まれるストレッチャーの上で、浜田圭二は喚いていた。GIESCOの一号棟ビルのロータリーには、赤色灯を回した警察車両が何台も停止している。ガラス製の回転ドアの前は制服姿の警官たちで混雑していた。列の先頭に止まっている救急車の中に浜田圭二は運び込まれていく。肋骨の痛みに顔を歪めながら、彼は必死に訴えた。

「担当の看護師さんは、絶対に『松田さん』だからな。もし、上田さんと、中田さんと、下田さんなら、上田さんだぞ。大山、中山、小山なら、大山……ああ、ハットが……」

 ストレッチャーの後ろで身を屈めた三木尾善人は、下に落ちたハットを拾い上げた。ハットに付いた土埃を払い落とすと、車内に運び込まれた浜田の上にそれを置く。そして、横に乗り込んだ防災隊の救急搬送部隊員に向かって、そのハットを指差しながら言った。

「大切な帽子なんだ。大事に扱ってやってくれ」

 頷いたその隊員は三木尾に尋ねた。

「警部の方は、負傷は? 至近距離から撃たれたと聞きましたが」

 三木尾善人は、ワイシャツの鳩尾の辺りの釦を一つ外すと、中を見せて言った。

「岡田武具製の甲一一七。こいつで助かった。綺麗に垂直に撃ってくれたからな」

 隊員は車内の長椅子に腰掛けたまま、三木尾の腹部を覗き込んで言った。

「なるほど。衝撃発散型の新型防弾チョッキですか……」

 すると車内の奥からこちらに頭を上げた浜田圭二が言った。

「善さん、歳なんだから、もう無茶するなよ。善さんが死んだら、交通違反のもみ消しは誰に頼んだらいいんだ。撃たれた時は、ホント、焦ったぜ」

 三木尾善人は、ストレッチャーの上で横たわる浜田を指差しながら、横の隊員に言った。

「新人ドクターの練習用にでも使ってくれ。多少の事では死なんはずだ」

 隊員は笑いながら一礼した。三木尾善人は隊員の目を見て車外から一礼すると、両開きのドアを閉め、扉を二度だけ叩いた。浜田圭二を乗せた救急車は、一度サイレンを短く鳴らすと、ゆっくりと走り出し、去っていった。

 救急車を見送りながらワイシャツの釦を閉めた三木尾善人の横に、永山哲也が歩み寄ってきた。彼は、一号棟ビルの入り口で手錠をはめられたままパトカーに乗せられている白衣姿の男を見ながら、三木尾に言った。

「まさか、彼が……」

 三木尾善人も、項垂れてパトカーの後部座席に座る内田文俊の様子を眺めながら、言った。

「どうも疑問だった。『パンドラE』がGIESCOに保管されていた事や、AB〇一八の暴走は、いくらストススロプ社の顧問弁護士だと言っても、美空野が簡単に入手できるレベルの情報ではない。きっかけは掴んでいたのかもしれないが、奴が津留や阿部に決起をけしかけるほど確信を持てるだけの確かな情報を与えた奴が別にいるはずだ。誰かストンスロプ内部の人間が情報を外に漏らしている。俺はそう睨んだ。それで真っ先に内田の名前が浮かんだ。生体型ヒューマノイドロボットの製造も田爪瑠香が一人で出来る訳がない。奴が絡んでいたのは当然だ。それに、さっきの部屋の機械設備の手配だって、誰がするんだ。昔のロボット田爪の事は知っていたとしても、あの執事が田爪だとは知らなかったはずだ。それをすんなりと受け入れ、あれだけの機械を準備して、応急処置の手配をしたのには、単に会長の命令に従う以上の何か特別な理由がある。それで、ちょっと内田文俊について調べてみた。奴は例の二〇二五年の爆発事故の時の、ここの実験責任者だったそうだ。真相を知りえた立場ではある。しかも、先日開かれた役員会では、国にノア零一を納入する前提として、内田の責任を問う声が上がっていたらしい。という事は、奴はGIESCOの所長の椅子を追われかねない状況に置かれていたという事だ。表面的には会長への忠誠を誓っていたが、不当な責任を押し付けられた恨みを募らせていたのかもしれん。あのロボットの執事に、俺たちと共に会長も殺害させようと目論んでいたのだろう。その証拠に、部屋に入ってくるタイミングが遅過ぎだ」

「内乱の容疑は?」

 女性の声が二人の間に入ってきた。三木尾が振り向くと、綾少尉と山本少尉が立っていた。三木尾善人は説明を続けた。

「一昨日の晩、美空野が簡単に緊急警戒態勢のGIESCOの施設内に入れた事や、あのロボットの執事が容易に量子エネルギー・パックをちょろまかせた事が気になってな。そして、南殺害の直前に田爪に量子銃とエネルギー・パックを渡したのは誰か。それと、NNC社とストンスロプ社の特許訴訟の和解が成立した二〇一六年に何故、ASKITがGIESCOの極秘の生体アンドロイド開発を知りえたのかも。調べてみたら、美空野がここに入った夜も、奴はここに勤務していたし、量子エネルギー・パックの保管庫への通過IDパスを持っているのも、ここの所長である奴と会長だけだ。南米から田爪が持ち込んだ量子銃を管理していたのも奴。そして奴は、二〇一六年当時、生体アンドロイド開発プロジェクトの中心メンバーでもあった」

 永山哲也が三木尾に尋ねた。

「ASKITと通じていたのですか」

「たぶんな。だから二〇二五年の不可解な実験も、会長の指示通り実施した。爆発が起こる事を知っていたのかもしれん。奴がASKITと通じていたなら、高橋諒一と接触していた可能性はある。高橋は、爆発が起こる事は事前に知っていたはずだからな」

 綾少尉と顔を見合わせた山本少尉が、三木尾に尋ねた。

「では、奴はネオ・アスキットのメンバーなのですか」

 丁度その時、三木尾善人たちの前を、内田を乗せたパトカーが赤色灯を回しながら通り過ぎていった。三木尾善人は、そのパトカーの後部座席で下を向いている内田文俊を目で追いながら、答えた。

「というよりも、奴がネオ・アスキットの頭領なのかもしれん。光絵会長以外のポジションで、軍や警察に深く関与できるのは、ここGIESCOの所長しかいない。それに、今度の騒乱で、一人得をしたのは、結局のところ、奴だ」

「得をした?」

 永山哲也が眉間に皺を寄せた。

 三木尾善人は、赤色灯を乗せた黒塗りのミニバンに背広姿の警察庁職員と警視庁の女性係官に支えられて乗り込んでいる光絵由里子に視線を向けながら、答えた。

「GIESCOの所長交代の話は、この混乱で立ち消え。しかも、これだけ滅茶苦茶になれば、誰も次の所長を引き受ける者は居ないだろう。暫らくは安泰だ。それに、口うるさい顧問弁護士も居なくなり、会長もおそらく引責辞任。一方で、自分がプロジェクト・リーダーを務める『ノア零シリーズ』の実用性は、昨夜の戦闘で完璧に証明された。AB〇一八が消失した現在、国も世間も、国際社会も、当面の間、IMUTAに頼らざるを得ない。その実質的管理者は、ここGIESCOだ。その所長の社会的地位は飛躍的に向上するだろう。そうなれば、ただの理化学研究機関の所長以上の権力を手にする事が出来るかもしれんだろ」

「なるほど……」

 永山哲也が頷くと、続いて山本少尉も頷いた。

「なーるほどねえ」

「本当に分かってるの?」

 綾少尉が目を細くして山本少尉を見る。

 永山哲也は三木尾に確認した。

「美空野弁護士が首謀者ではなかったのですね」

「いや、奴は奴で絵図を描いていたのだろう。内田はそれを利用したのさ。保身の為にな。そして、それを『パンドラE』も利用した。美空野も気付いていたのかもしれん。とにかく、誰もが、自己の利益を図ろうとしたんだ。他人を利用して」

 永山哲也は愁眉を寄せた。

「もしかして、その相互利用の関係そのものが、ネオ・アスキットの実態なのですか。もしそうなら、彼の背後にも彼を利用していた者がいる可能性があるって事ですよね。彼がネオ・アスキットの頭領だとは言い切れない」

 永山哲也には、内田が地下組織を動かすだけの実力を有しているとは思えなかった。

 三木尾善人は軽く首を捻る。

「どうかな。――ま、ネオ・アスキット自体が実在する組織なのかも分からん訳だ。あんたの言うとおり、実体なき、ただの『関係』なのかもしれないな。俺たちや、あんたらが日夜闘っている、『姿無き敵』って奴だ。そうだとしたら、奴が頭領かどうかなんて、どうでもいいさ」

 深く溜め息を吐いた永山哲也は、静かに呟いた。

「終わりませんね、いつまでも……」

 三木尾善人は永山の肩を叩く。

「また一匹、仕留めただけでも、良しとしよう。連行された時の奴の落ち込みようからすれば、内田文俊が今回の一件に関与していたのは確かだろうからな。法に従った適正な処罰が出来れば、それでいい。後は証拠だ」

 永山哲也は三木尾の顔を覗く。

「でも、逮捕状を取るだけのモノは出ているんですよね」

 三木尾善人は片笑みながら言った。

「捜査上の秘密を、文屋さんに洩らす訳にはいかねえな」

 そして明後日の方を向くと、永山達に聞こえるように言った。

「まあ、独り言だが、奴のデスクのパソコンから量子エネルギー・パックの生産個体数の改ざんの跡が見つかったり、プライベートの携帯電話でロボット執事と連絡を取っていた痕跡が見つかったりはしている。それから、真明教のハッキングに対して、こっちからセキュリティーを解除して、内部情報を閲覧できるようにしていた事も判っている。ああ、それと、例の刀傷の殺し屋をここに招き入れたのも内田だ。これは、セキュリティー・システムにしっかり記録されていた。さらに、その殺し屋のセーフ・ハウスにも、奴との会話の記録が残っている。ありがたい事に」

 そう言った三木尾善人は再度、永山の肩を叩いた。

「ま、独り言だ。とにかく、有罪は間違いねえよ」

「そうだったんですか……」

 永山哲也は思案しながら、そう答えた。

 三木尾善人はコバルト・ブルーの鎧を身につけた二人の兵士に顔を向ける。

「それより、ウエモンとサエモン、あいつら、どうなった」

 綾エリカが答えた。

「ええ。我々の部隊での正式採用が決まりました。増田局長も、彼らの成績に満足されています」

 頷いた三木尾善人は、少し厳しい顔を綾に向けた。

「ま、そうは言っていも、プログラムだからな。気をつけろよ。しっかり教育しないと」

 山本少尉が綾の横から言う。

「大丈夫。この綾少尉が教育係ですからな。バチバチ鍛えられますよ。イテッ」

 綾エリカは山本の脛を蹴った。

 三木尾善人は口角を上げると、二人の若い兵士に言った。

「とにかく、今度の一件では、あんたらに何度も助けられた。改めて礼を言うよ」

 山本少尉が顔の前で手を振る。

「あ、いや。こちらこそ。それに、我々は任務ですから、気にせんで下さい」

 三木尾善人は笑顔で頷くと、視線を少し下げた。

「綾少尉。いい腕だ。また、何かあったら、国民のために協力してくれ」

「了解です」

 綾エリカ少尉は敬礼する。

 二号棟の前の庭にオスプレイが垂直に着陸してきた。それを見た綾少尉は、肩に掛けていた量子銃を慌てて下ろした。

「あ、それから、これ。増田局長が、警察に提出しろと」

 彼女は三木尾に量子銃を差し出す。

 三木尾善人はオスプレイを一瞥してから、綾の顔を見た。

「局長が? そっちで分析しなくていいのか」

 綾エリカは言った。

「裁判の証拠資料になるはずだから、警察に先に提出しろと。後日、上の方から正式に科警研に対して資料提供を求めるという事でした。警部に伝えといて欲しいと」

「そうか……分かった」

「量子エネルギー・パックは、敵の不発弾や爆発物を保管する軍の危険庫に移すそうです。警察で必要な場合は、いつでも連絡をいただきたいとの事です」

 事務連絡を終えた綾の隣で、山本少尉が姿勢を正し敬礼する。

「では、我々は、これで」

 敬礼して返した三木尾善人は、二人に言った。

「宇城大尉にも、よろしく伝えといてくれ。暇が出来たら、礼がてら見舞いに行く」

「はい。失礼します」

 一礼した綾エリカと山本明美は、振り向いて歩き始めた。庭園の芝の上を歩きながら会話する二人の声が聞こえてくる。

「いい腕だって」

「俺だって、頑張っただろ」

「最後の決めは、私だったし」

「あのな、俺の支援があったから、決まったんだろうが」

 二人はいつものように会話しながら、隣の庭のオスプレイまで歩いていった。

 青く輝く兵士たちの背中を見送っていた三木尾と永山の後ろに、黒塗りの高級AI自動車が停まった。後部座席の窓が開き、中から子越長官が顔を覗かせる。

 三木尾善人は量子銃を肩に掛けたまま敬礼した。

「お疲れ様です」

 子越智弘は満足気な顔で言う。

「いやあ、ご苦労だった。やっぱり、君を指名して正解だったよ」

「出来れば、次は遠慮させて頂きたいですな」

「まあ、そう言うな。私と君の仲じゃないか」

 片笑んだ子越長官は、三木尾の胸元を指差した。

「それより、どうだった、甲一一七防弾具。よかっただろ」

「ええ……まあ、お蔭様で。ただ、AIガンの方は、やっぱり使えませんでしたがね」

「ふーん。だろうと思ったんだよ」

「……」

 三木尾善人は顔を顰めた。

 子越長官は白髪を撫でながら三木尾に言う。

「ああ、光絵会長の処分は、警視総監の雲雀ひばり君に一任してある。あまり、厳しく扱わんでやってくれよ」

 三木尾善人は頬を下げた。

「犯罪事実があれば、特別扱いは致しかねますが」

 子越智弘は鋭い視線だけを三木尾に向ける。

「病人にもかね。被疑者の人権にも目配せするのが、我々警察と軍隊の違う所だ。なあ、永山さん」

 急に振られた永山哲也は、咄嗟に春木の真似をする。

「はあ……」

 眉間に皺を寄せた三木尾善人が車内の子越しに尋ねた。

「病人とは、どこか悪い所でも」

 子越智弘は眉を上げた。

「なんだ、聞いてないのか。会長は癌なんだよ。医者が言うには、彼女の癌は体中に転移していて、余命も、そう長くないらしい。現在の最新医療技術を用いれば、なんとか治療も出来ない事はないそうだが、あの歳で手術となると、すべての臓器を再生臓器に入れ替えたとしても、せいぜい五年が限界だろうという話だ。遺伝子治療は本人が拒否しているらしい。意地者だが、あのご様子だと、帰りは病院に直行だな。この裁判が長期化するのは必至だから、彼女を証言台に立たせるのは、難しいかもしれんな」

「五年……」

 そう呟いた三木尾善人は、隣の永山と視線を合わせる。

 子越智弘は三木尾に指示した。

「今日の報告書の方は、雲雀野君経由で提出してくれ。ゆっくりと頼むぞ。私はこれから、国防省との折衝で忙しい。軍隊とウチのハイパーSATの縄張りをはっきりさせんといかんからな」

 三木尾善人は鼻から強めに息を漏らしてから頷く。一瞬だけうんじ顔を見せた彼を見て、子越智弘は言った。

「そんな顔をするな。俺も最後のご奉公だと思って、気を張ってやっているんだ。お互い、任を解かれるまで、あと一時だ。頑張ろうじゃないか。それより三木尾、退職したら、どうだ? 久しぶりに、一緒に釣りでも」

 三木尾善人は片眉だけを上げる。

「楽しみにしてます」

「そうか。じゃ、また連絡するよ」

 窓を閉めようとした子越に、三木尾善人は慌てて声を掛けた。

「ああ、長官」

「なんだ」

 少し上がった窓ガラスを止めて、子越智弘は眉を寄せた。

 三木尾善人は真剣な顔で言う。

「野田めぐみの事、よろしくお願いします。暫くは警護が必要かと思われますので」

 口を引き垂れた子越智弘は、憮然と答えた。

「野田めぐみ? ――ああ、例の偽装交通事故の遺族か。うん、分かっとる。心配するな」

 三木尾善人は子越の目を見て頷いた。閉まる窓ガラスの向こうで、子越智弘も黙って頷く。黒塗りの高級AI自動車は走り始めた。三木尾善人は敬礼したまま、その車を見送った。

 車がスロープを下ると、三木尾善人は手を下げた。彼は不機嫌そうに言う。

「ったく、何が釣りだよ。あいつ、大学の頃から一度も釣れたことが無いじゃねえか」

 永山哲也が尋ねた。

「お友達なんですか」

「腐れ縁だ。同級生なんだよ。でもさ、普通、一緒に乗せねえか。同級生を置いていくかね」

 三木尾善人は、西に向かって延びる長い道路をゆっくりと歩き始めた。永山哲也も三木尾と共に歩き出す。彼は再び尋ねた。

「それにしても、光絵会長……いや、田爪瑠香さんは、病だったんですね。癌で余命五年とは……」

「ああ。ロボ執事の体内のO2電池、アレの理論上の残りの寿命と同じか。会長の具合は悪そうだと思ってはいたが、まさか本当に残り五年の命だったとはな……」

「バイオ・ドライブの中に意識があった頃の田爪健三は、それを逆算して一九二三年に飛んだのかもしれませんね。寿命を合わせる為に」

 三木尾善人は、横を一緒に歩いてくる永山に言った。

「それが、たまたま関東大震災だったか……いや、もしかしたら、何らかの形で、奴のタイムトラベルが震災の引き金になったのかもしれんな」

 永山哲也は黙っていた。

 三木尾善人は少し考えてから、独り言のように呟いた。

「いや、違うな。そうじゃない。違う……」

 その小声を聞き取った永山哲也は、一度だけ頷くと、少し下を向いたまま言った。

「彼が本当にその時代に飛んだのだとしたら、そんな危険な時間と場所に戻ってまで、この計画を実現しようとしたという事なのですね」

「ああ。瑠香と二人で別の人間として生きる、そして、共に死に、共に小さな墓に入る。そういう計画だったのさ。ただ、ここまでは、パノプティコンやAB〇一八に見つからないよう、光絵と小杉、会長と執事というスタンスを崩す事なく生きねばならなかった。そして昨夜、全てが終わり、ようやく彼らの未来が始まろうとしていたんだろう。短い未来がな。少なくとも、もともとの計画は、そうだったはずだ。そうして、一つの証明を完了するはずだった。だが結局は、結果として、別の事を証明する羽目になっちまった。因果な話だよ、まったく……」

 三木尾善人は、頭を掻きながらそう言った。

 永山哲也は、下を向いて歩きながら、三木尾善人に尋ねた。

「どうして、変わってしまったのでしょう」

「――田爪か。……」

 そう確認した三木尾善人は、一度だけ鼻から息を吐く。彼は、ゆっくりと歩きながら答えた。

「AB〇一八が作り上げた機械的で功利的な神経ネットワークが、直接的で物理的な原因なのかもしれんが、一方で俺は、こう思う……」

 三木尾善人は立ち止まった。横を付いてきていた永山哲也も彼の隣で足を止める。三木尾善人は広場の芝生の上に散乱する兵器の破片を眺めると、深く溜め息を吐いた。そして、視線を据えたまま静かに呟くように言った。

「百年という時間で、一人の高潔な人間の人格を変えてしまう程、この国の社会は汚れ続けてきたのかもしれん。奴が証明してみせたのは、結局はそういう事だ。――いや、奴だけに限らんがな」

「……」

 永山哲也は黙ったまま、三木尾善人と同じ方向に視線を向けた。彼の視界には、銃弾や爆撃に削られた芝の大地、その上に立つロボットの残骸、転がっている変形した部品、幹の所で折れて炭化した木々、無数の大小様々な足跡があった。前を向いた永山哲也は、道を照らす夕日を見つめながら、沈んだ声で、ゆっくりと三木尾善人に言った。

「もし、この国の社会が違っていれば、彼が『よい人間』になれた可能性もあったと。そうであれば、今頃、彼は田爪瑠香と二人で幸せに、残された時間を……」

 永山哲也は、柔らかな光に包まれた書斎の暖炉の前で、年老いた白髪の田爪健三がロッキング・チェアーに座る老いた瑠香を労わりながら、時を過ごしている様子を想像した。

 三木尾善人は、上昇してゆくオスプレイを見上げながら、南米での西田真希との会話を思い出していた。彼の脳裏には、何故か、ホログラフィーで見た西田の幼い娘ののぞみが無邪気に踊る姿が浮かんでいた。一度下を向いた三木尾善人は、永山の背中を力強く叩くと、あえて張りのある声を出した。

「ま、それぞれの立場で、精一杯に頑張ってみようじゃねえか。刑事デカは、刑事デカなりに。文屋さんは、文屋さんなりに。ジジイは、ジジイなりに。若者は、若者なりにな。頑張って、少しずつ良くして、次の世代に紡いでいくしかねえよ。地道にコツコツと。タイムマシンに乗って、ビューンじゃなくてさ」

 永山哲也は三木尾の目を見て話を聞いた。そして、口角を上げてしっかりと大きく首を縦に振ると、視線をアスファルトに落として、何かを考えながら黙って歩き始めた。三木尾善人は量子銃を担ぎ直すと、腰を何度か叩いてから歩き始める。すると、永山哲也が立ち止まり、振り返った。

「警部さん。これ、お渡ししておきます」

 永山哲也は、胸のポケットから取り出した万年筆形の動画記録装置を三木尾の前に差し出した。

「なんだ、特ダネじゃねえか。いいのか。こっちは、データのコピーでいいんだぞ」

 永山哲也は首をゆっくりと横に振ると、三木尾の目を見て、はっきりとした口調で答えた。

「捜査や裁判で、真相がもっとはっきりしたら、しっかりしたものを書きます。勿論、自分でも調べますけど。それが僕の責任ですから」

 彼の目は記者の目になっていた。

 三木尾善人は、その万年筆形の装置を受け取りながら、永山哲也の目を見て言う。

「そうか……」

 そして、それを自分のガンクラブチェックの上着の内ポケットに仕舞うと、もう一度、永山の顔に視線を向けて、小さく微笑んだ。彼は、今度は軽く永山の肩を二度叩くと、歪な形をした量子銃を重そうに担ぎ直して、右手で腰を叩きながら、夕日の方角に向かって再び歩き始めた。

 永山哲也は三木尾善人に軽く一礼してから歩き始める。

 西の空では、赤い大きな夕日が下寿達山かずたちやまの峰々の後ろに沈もうとしていた。山の麓からこちらへと広がる新旧の住宅街の建物の屋根が、夕日を返して臙脂えんじ色に輝き、その光が手前に建ち並ぶ高層ビル群の隙間から射してくる。アスファルトの路面に長い二つの影が延びていた。赤い夕日の前に、並んで歩く二つの小さな人影が並ぶ。

 男たちは会話しながら歩いた。

「なんで、あんな遠くに車を停めたんだよ」

「墜落したオムナクト・ヘリが道を塞いでいたんですから、仕方ないじゃないですか。子越長官たち、あれを除けてから入ってきたんでしょうかね」

「だろうなあ。長官様のお通りだからな。――ったく。それにしても、この銃、重てえなあ。こっちは歳なんだ、若いもんが持てよ」

「いや、勘弁して下さい。もう、懲り懲りなんですよ、それ。もう見たくないです」

「土産に持って帰ったらどうだ。由紀ちゃんだっけ、娘さんが喜ぶんじゃないか?」

「冗談じゃないですよ、こんな危ないモノ。それに、あいつに渡したら、コスプレの道具にされてしまいますから」

「そうかあ。じゃあ、このまま岩崎の所に持っていくか……。ああ、でも、あのコスプレ、似合ってたぞ」

「やめて下さいよ。父親として頭が痛いんですから。ウチの子、どうして宇宙人ばかりチョイスするのか……。どうにかならないものですかね、あれ。父親としては、もっと普通の格好をして欲しいんですけどね」

「そんな事を言ってるが、本当は、娘のコスプレが可愛くてしょうがないんだろ?」

「なに言ってるんですか。朝美ちゃんのコスプレ写真を持ち歩いているキャップとは違います」

「なんだ、あいつ、あんな顔して娘の写真を持ち歩いているのか。きしょいな」

「警部さんだって、娘さんの画像をスマホに入れてるんじゃないですか?」

「はあ? 入れてねえよ。……そんなもん」

「あれえ? その顔は、絶対、入れてますね。新聞記者の目は誤魔化せませんよ。あ、警部さん、あれでしょ。娘が嫁に行く時、号泣するタイプでしょ」

「しねえよ、馬鹿。熨斗のしつけて出してやりたいくらいだ」

「とか言って、ほら、もう、目が赤くなってる」

「馬鹿。寝てねえからだよ」

 長く伸びた影を引きずりながら、記者と刑事は傷だらけの道の上を歩いていく。

 揺らめく夕日が西の山脈に隠れた。茜色に淡く染まっていた空が幕を下ろし、仄暗い藍に変わる。

 これから訪れる夜は長い。人々は消えた影を思い出しながら、朝日を待つ。慟哭と疲倦と自省と虚偽を捨て、「時」は明日へと向かう。

 夜空に一番星が薄く輝いていた。



ドクターTの証明 パンドラE 了

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ドクターTの証明 パンドラE 淀川 大 @Hiroshi-Yodokawa

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