第8話 【8】120分

 桜は満開の時期を過ぎヒラヒラと薄紅の花弁を降らし始めていた。


「あ、やっと来た」

「何をしているんだ君は」


 広げたレジャーシートにジュースと軽食を並べ手を振る上杉に山谷と上林は唖然とした。

 仕事中だからお酒はないと残念そうに言う上杉にもう何も言えない。


「お疲れ様です。どうぞお座りください」


 上杉に振り回されていると思っていた直江までもが花見を決め込んでいるところを見るとこの不動産会社の社員は皆こうなのだろうかと山谷も上林も何だか力が抜けて大人しく座った。


「で、呼び出したのは花見の為か?」

「それもありますけど、取り敢えず犯人逮捕おめでとうございます」

「⋯⋯あまりめでたい解決ではなかったがな」

「藤田さんはこの家を購入する意思は変わらないのですか?」


 上林の問いに藤田は「はい」と微笑んだ。

 それから藤田は上杉と直江に話した自分と加代子との出会い、その交流。相続した遺産でこの旧三枝邸を買い戻す事を山谷と上林に話した。


「寂しさを感じる事件ですね」

「息子達が藤田さんの様に三枝さんを思っていればこんな兄弟の争いは起きなかったのかも知れないな」


 結果、兄の学はその命を失い、弟の力也は兄の命を奪った。

 これから力也はその罪を背負って生きてゆかなければならないのだ。


「そうだ。山谷さん、アレ持ってきてくれました?」

「ん? ああ、これだ」


 それは事件が発覚した日、クローゼットで拾った小さな鍵。それを見た藤田が「それです!」と声を上げた。


 渡された小さな鍵。藤田が馬車の鍵穴に差し込むとカチリと音を立てて開いた。


 そして現れた中身。そこに色褪せた数十枚の写真があった。

 藤田はそれを一枚ずつ丁寧に確認してゆき裏に書いてある日付と名前に涙ぐんだ。


 学三才、力也二才。桜の木の下で。

 学四才、力也三才。桜の木は家を建ててから五年目。

 学五才、力也四才。桜の木の下で。

 学六才、力也五才。学、桜咲く一年生。

 学七才、力也六才。力也も桜咲く一年生。

 

 それは兄弟の成長と、桜の木の思い出。


「この桜の木はずっと見守っていたのね」

「兄弟が仲良かった頃、兄弟が家を巣立った頃⋯⋯これが加代子さんの宝物なんですね」

 

 写真を眺める藤田の横顔はとても穏やかだった。


「山谷さん、上林さん。この馬車を息子さん⋯⋯力也さんに渡してください」

「良いんですか?」

「はい。私は加代子さんからこの桜の木という素敵な遺産をいただきました。力也さんに加代子さんの「宝物」を大切にしてくださいと伝えてください」


 そう言って藤田は頭を下げた。

 山谷は馬車を受け取りその表情を和らげた。


「わかりました。必ずお伝えしましょう」


 その言葉に藤田は心底嬉しそうな笑みを浮かべてもう一度深く礼をした。


 その時、強い風が吹き抜け桜の花弁を巻き上げた。


 桜吹雪の中、走り回る兄弟とそれを見守る加代子の姿が見えた気がした。



 八時の始業のチャイムが鳴った。

 普段と変わらない一日の始まりに上杉は期待に目を輝かせていた。


「旧三枝邸契約、良くやった!」


 社長の声に社員から歓声が上がった。

 上機嫌で金一封を配り歩く社長に直江は苦笑いする。


 臨時ボーナスは嬉しいが、この会社は少し変だ。普通の会社と思えば社長自ら街の相談役の様な事をするし、社員はどこか変わった人が多い。

 今回、良くある探偵者や推理小説の様などんどん事件に深入りするわけでも無いのに上杉とコンビを組んでの案件は解決した。


 なんとも不思議な気分だ。


「直江、考えたらいけない。みんな良くわからないままやってるんだから」

「僕は先輩が一番良くわかりませんけど」


 そう、一番良くわからないのが上杉だ。

 鋭いかと思えばそうでもないし、何も考えてなさそうなのに感が鋭い。矛盾を地で行く様な人。


「ね、直江これで今日は飲みに行かない?」

「先輩、貯金して早く会社の上から引越しした方が良いですよ──いてっ」


 脇腹をつねられて直江が身を捩る。


「屋根があって眠れるから今の所で良い」


 それは不動産会社に勤める者の発言としてどうかと思う。


「ほら、琴音さんとの最終打ち合わせに行くよ」

「あっ、待ってください」


 直江はタブレットをカバンに詰めて後を急いだ。

 いつものように運転席に上杉、助手席に直江が乗り込む。


 桜の季節も終わりが近づいているのだろう。街を染めていた桜はその花弁を散らしている。


 桜吹雪の中を走る車の車内に花びらが入り込んだ。

 ふわりと舞う薄紅の花びらは風に煽られくるりと回り、そして再び窓の外へと消えていった。

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桜吹雪の家 京泉 @keisen

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