One winter day 〜 Yours forever (二次創作)

七瀬みお@『雲隠れ王女』他配信中

One winter day



心一杯の感謝とともに

城田あおいさんに捧ぐ




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よく晴れた、冬の日の夕暮れ。


見上げた空は上半分が群青色に染まり、その下に薄氷を張ったような雲が広がっている。


思えば、『あの日』の空もこんな薄い雲だった。


僕、千葉颯太ちばそうた——が両手に抱えた花束は、彼女が好むクリスマスローズ、アネモネ、クレマチス、そして小さな白い花をたくさん付けた。エリカはツツジ科の花木だ。


花言葉は『幸せな愛』だと——教えてくれたのは、京子きょうこさん。


「千葉くん?」


いつもの時計台の前に、肩で巻いた髪をふわふわさせた白いコートの後ろ姿が振り返る。


「誕生日おめでとう、京子さん」

「えっ……何?」


目の前に差し出された花束に、京子さんは丸っこい目を更に丸くする。


「何って、花束だけど?」

「それはわかるよ。でもどうして? 花束なんかくれるの、初めてだから……」


京子さんと付き合い始めて丸二年、確かに花束を贈るのは初めてだった。女性に花を贈るのが照れくさいと言うか、カッコつけてるようにも思え、そんなくらだない理由で避けてきた。

だから女性に花束を贈るのは、二十三年の人生の記録でこれが初めて。


「いや、ほら。この前さ、好きだって言ってたでしょ……この、花?」

「ぁ……」


京子さんは受け取ったばかりの花束に手を伸ばす。

スズランエリカの小さな花のつぼみにそっと触れ、さも愛おしそうに眺めて見せた。


「私の好きなお花、覚えていてくれたんだね。でもこれ、お花屋さんでよく見つけたね?」

「あ、ウン。たまたま近所の花屋に並んでたから、花束にしてもらったんだ」


……と言うのは、照れ隠しの延長線。

先ずは「エリカ」って名前の、花だか木だか? の植物をググって、この日にあわせて取り寄せたのだ。


「ふぅん。でも嬉しい! ありがと」


僕はこの笑顔が好きだ。

ころころと笑い、職場ではもちろん、周りにいる人を例外なくほっこりさせてしまう京子さんの笑顔が。


「じゃあ、行こっか」

「楽しみだなぁ……。千葉くんがお店の予約してくれるのって、初めてデートした以来じゃない?」


そんなはずはないと全力で否定する僕に、京子さんは悪戯いたずらに「えぇっ?」と笑う。


「あ、いや……。まぁ、わざわざ予約っていうよりもその時の気分で、いつも行き当たりばったりだもんな」


「今日はどんなお店?」

「それは、行ってからのお楽しみ」


「千葉くんの好きな焼き鳥屋さん?」

「違います」


「ワインも飲める?」

「がっつり飲めますよ」


おもむろにポケットに手を遣り、丸っこい小さな箱を確かめる。

あれから、もう二年が経つんだ。


京子さんを、決死の思いで食事に誘った『あの日』から。

あの日が無ければ、今日の僕たちはいないかも知れない。


「京子、さん」

「ん?」


京子——。心の中で、そっと名前をつぶやく。


「今、なにか言った?」


もう自然に僕の腕に絡ませてくる白い手首を、愛おしいと思う。







「千葉せんぱいっ」


隣の部署に向かおうとする僕に声をかけて来たのは、同じ部署の佐久間さん。


「もう定時過ぎてますけど?! どうせまた人事部の、あの勘違い女部長の呼び出しでしょう!」

「ああ、まぁね」

「千葉せんぱいは優しいから、部署ちがうのに頼りにされちゃうんですよ。たまには断る勇気も必要ですよ? 営業部こっちだって忙しいんですからっ」


彼女は中途採用で入社してきたばかりの新人だ。

人事部長を相手に減らず口が叩けるのも今のうちだと思いながら、当たりさわりのない笑顔を返す。


「まぁ、今日は他の用事もあるしね」

「人事部にですか?」


この佐久間さんには、入社直後からしばらく俺が指導係をしていた事もあってか、妙な親近感を抱かれているようだ。


「あら、千葉くんじゃない」


エレベーターを降りて声をかけて来たのは、背後に二人の男性社員を従えた取引先の女性社長。五十代半ばのこの女性ひとは、グレーのパンツスーツをスマートに着こなし、化粧崩れのない顔に美麗なえみを浮かべている。


「海部社長」


僕はとっさに頭を下げた。


「千葉くんったら。そんなにかしこまらなくてもいいわよっ、あなたにはお世話になっているんだから」

「今日はどうして会社ここに?」

「田中専務にご挨拶に伺ったのよ。うちの会社、正式にこの会社との大口契約を決めたの。あなたが尽力してくれたおかげよ。一度、仕事の話抜きで食事にでも行きましょう。プライベートで、ね?」


返事をする代わりに、もう一度深く頭を下げる。

僕はこの手の「プライベートで」という言葉が苦手だった。あんに受けてしまえば後々ややこしい事態を招くと言う事が、入社後この三年で身に染みたからだ。


海部社長を丁重に見送ったあとも、佐久間さんの絡みは続く。


いやですよねぇ? ああいうお誘い。権力に物を言わせて、こっちが断れないのわかってて言うんだから。千葉先輩はイケメンだし、母性本能をくすぐるタイプなんです。歳上の女には気をつけた方がいいですよ」


どうでもいいけど、早く解放して欲しい。


「それよりも。今度私とご飯行きません? 千葉先輩とならプライベートでもいいですよっ」

「佐久間さんごめん。ちょっと急いでるから」


そうだ、僕は急いでいる。

もちろん人事部長からの仕事の打診もある。


だけど、今日は———。




夕陽が落ちる窓際の席にの姿を見つけた僕は、ホッとする。

良かった……まだ居た。


きらきらかがやく茜色の光を背負った彼女は、隣の人事部の——山中京子やまなかきょうこ


仕事を終えたところなのか、手に持ったマグカップにふぅっと息を注いでいる。一見なんでもないその仕草は、一日の喧騒けんそうを拭うように穏やかで、柔らかい。


ああ。

僕はまた、そんな彼女に見惚みとれている。


一瞬の躊躇ためらいが俺の中をよぎった。

もう何度、この躊躇いの気持ちに負け、後悔を重ねただろうか。


「——京子っ」


女性の甲高い声が耳に届いた。

二人の女性社員を前に、マグカップを持った彼女がゆっくりと顔を上げる。


「これから明子ちゃんたちと飲み会なんだけど、良かったら来ない?」

「飲み会?」

「◯△商事のエリートイケメンたちが来るって。キレイどころをご所望って言うから、京子が来てくれたら助かるんだけどなっ」


僕の背中を、ひやりとした緊張が走る。

山中さんも行くのだろうか? その飲み会とやらに。


「キレイどころって……私じゃ役不足よ。それに仕事もまだ残ってるし」

「京子がそういうたぐいの飲み会、嫌いなのは知ってるけど、お願い! 座ってるだけでいいから」

「ごめんっ。今日中の仕事、ほんとにまだ残ってるんだ。また今度ね」


僕の横を通り過ぎながら、彼女の同僚たちが呟いた。


「あーあ、やっぱだめか」

「京子ってば、美人なのにかたいからなぁ」

「自分が綺麗だって事も無自覚なのよ」


美人なのに、硬い。

その言葉に僕の躊躇いの泡が再浮上する。


だがもう決めた事だ、たとえ玉砕したって後悔はしない。

完璧ではなく、いい形で終わらせることを想像してみる。


彼女の残業が終わるのを見計らい、帰り支度をする彼女にさり気なく近づいた。


「山中さん」


艶やかな長い髪に、オレンジ色の光がきらめいている。

顔を上げた彼女の丸い目が、さも不思議そうに僕を見上げた。


「千葉くん……」

「残業お疲れ様です。このあと、お時間ありますか」


突然の問いかけに驚いたのだろう。マグカップを持ったまま、彼女の動きは完全に止まってしまった。


同時に、僕の思考も完全停止。


おい! 颯太!!

何を黙ってる、もう一回聞けっ。


もう一人の『僕』が懸命に後押しをする。


そう言うが、もう一人の『僕』よ。

彼女は僕より七年、人生の先を歩く人なんだ。


身だしなみも素敵で、仕事にも人間関係にも誠実。周りの人を包み込むような優しさを持っている人。僕なんて彼女からしてみれば、まだまだへっぽこの後輩に過ぎない。


「この後って、お時間ありますか」


僕は、もう一度同じ言葉を絞り出す。


「このあと?」

「はい」


この次に出る彼女の言葉が、今日の僕の運命を決めると言ってもいい。


時間が無い → 玉砕。

時間がある → 食事に誘う。


この二択のみだ。

時間がないとなれば、今日のところは玉砕だが次のチャンスの可能性を狙える。

時間があるとなれば第二段階だ。

だが一度食事に誘ってしまえば、僕の積年の想いを彼女に知られてしまうだろう。


「……別に、予定はないけど。どうか……したの?」

「駅前にいい店を見つけたので、ご一緒できないかと思いまして」


一気に第二段階まで進んでしまった。

ここで断られれば、二度目も同じように声をかける勇気などは持ち合わせていない。


ごめんなさい、か。

それとも———。


だが彼女の答えは、僕が予想していたものと少し違っていた。


「私と?」


蚊の鳴くような、小さな声。

マグカップをぎゅっと握りしめたまま俺を見上げる彼女の瞳が、迷子の子猫のように心もとなく揺れている。


もちろん、君と……!


あの店に連れて行きたいのは、君なんだ。

あの店に連れて行くのは、君じゃなきゃだめなんだ。


心の底から叫びたい気持ちをグッと抑え、僕は小さくうなづいた。







淡い期待は持たない方がいい、これは経験則だ。物事は自分の思い通りになることの方がずっと少ない。


『千葉くんは、若いし』


これは京子さんの常套句じょうとうくだ。

僕は、ポケットの中に鎮座する丸っこい箱を握り直した。


「京子、さん」

「ん?」


京子——。心の中で、そっと名前をつぶやく。


「今、なにか言った?」


僕の腕に絡ませてくる白い手首を、愛おしいと思う。

ごく自然に腕を組み、店までの道をゆっくりと歩いた。


七歳という年齢差は、京子さんを常に悩ませている(と、僕は思う)。

付き合い始めて最初の頃は、こんなふうに寄り添って歩く事さえままならなかった。


『千葉くんは、若いし』


口癖のように繰り返される言葉は、付き合い始めて二年が経った今でも京子さんの中でくすぶり続けてる。


「想像してみて」


「ぇ……?」

「可愛いおばあちゃんになった京子さんと、爺さんになった僕がね」

「うん」

「こうやって、腕組んで歩いてるとこ」

「……うん」

「京子さんの好きなイチョウ並木が綺麗でさ、その下をふたりで腕組んで歩くの」

「……う、ん」

「その頃の僕たちは、見た目も変わんないで、そこには何の差もなくてさ。悩んで泣いて、病気とかと闘ったりもするけど、ただ毎日を笑いあって、食べて、穏やかに生きて。そういうふうにいつか人は、みんな『同じ』になるでしょ?」

「う……ん」

「僕はいつか、京子さんと『同じ』になりたいって思ってる」

「うん……ぇ?」


僕は足を止め、京子さんを見つめる。

今ふたりが歩いているイチョウの並木道は、秋になれば黄金色の葉を付けるだろう。


「僕が若いとか、京子さんが年上だとか、そういうなんみたいなもん。京子さん、もう考えるのやめない? それにもう僕のこと、千葉くんって呼ぶのもやめて欲しい」

「千葉く……」


京子さんは言いかけて、あ! と小さく息を吸い込んだ。


「京子」


組まれた腕を引き、左手に抱えた花束ごと華奢な身体を抱きしめる。

カシミヤのコートは柔らかく、両腕の中に大きな綿菓子を抱え込んだみたいだ。


「これからも、僕のそばで笑っててくれる?」

「えっと……颯太そうた、くん……っ」


「これから先の人生を、ずっと一緒に過ごしたい」


唐突に吹いた冷たい風が、耳元をビュンとかすった。

いつもならすぐに『寒いね』と言う京子さんが、目を丸くしたまま黙っている。


ここで断られれば、二度目も同じように声をかける勇気など持ち合わせていない。


ごめんなさい、か。

それとも———。


だが彼女の答えは、僕が予想していたものと少し違っていた。


「私と?」


蚊の鳴くような、小さな声。

僕を見上げる彼女の瞳が、迷子の子猫のように心もとなく揺れている。


京子さんは花束をぎゅっと抱え直した。


いや、淡い期待は持たない方がいい。これは経験則だ。物事は自分の思い通りになることの方がずっと少ない。


だけど、ほんの少しでも可能性があるのなら、僕はこの笑顔のために何度でも期待を重ねるだろう。この気持ちは、初めて彼女に声をかけた『あの日』から少しも変わっていない。いつだって、そしてこれからもずっと——。


僕がに連れて行きたいのは、君なんだ。


「颯太くん、ありがとう」


柔らかな笑みを湛えた丸い猫のような瞳が僕を映す。


煌びやかな夜の街の灯りが時と共に増えていく。冷たい冬の空に、無数の星たちが輝き始めた。








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『One winter day 〜Foever yours』は、城田あおいさんの素敵な作品『One winter day』から生まれた姉妹作です。


京子さんと颯太くんたちふたりの愛が、永遠でありますように。


城田あおいさんの作品はこちらです。

『One winter day』

https://kakuyomu.jp/works/16816927859802924730


* 本文には複数箇所、城田さんの作品の中に綴られる文章の引用があります *



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