第30話 人の悪意より善意を

 駅前の喫茶店に僕は入った。

 自凝島にはこんなオシャレな店はないので、手に汗が滲み出るほど緊張してしまう。地方でこれなのだから、僕が渋谷でも歩こうものなら脱水症状に襲われるかもしれない。

 東京に行く時には鞄の中にミネラルウォーターを三本くらい詰めておこう。

 入ってすぐに店員は僕を見つけて席まで案内してくれた。

 席に座らされて気付く。

 あとからもう一人来ることを伝え忘れた。

 注文を取りに来た時にでも伝えておこう。

 そう思っていたのだが、いざ店員を目の前にすると、コーヒーとフレンチトーストを頼むので精一杯だった。

 僕は初対面の人間が苦手だ。何を考えているか分からない。少しでも話をしたら、普通どころか饒舌になってしまうのだけど。 コーヒーを啜っていると、喫茶店のドアが開く音がした。

 時間通りだ。

 僕は扉の方に顔を向けて、その姿を確認すると、知らない人のフリをした。


「ああ、僕は言った。頼むから、いつもの格好で来るのはよしてくれって……」


 話をするなら喫茶店と安直に考えた僕が馬鹿だった。これならカラオケボックスとかの他人の目が入らないところに彼女を呼び寄せるべきだった。


「お久しぶりですわね、霞ヶ浦先生」霞ヶ浦――それが僕の本名だ。

 席に着いた雫喜怜美は注文を尋ねられると、「水」と短く答えて僕に向き直った。


「先生はお変わりがないようで」

「君もそうだね」


 そのゴスロリ服を今も着ているなんて。店員さんの接客用の笑顔が崩れかかっていた。


「結乃さんは元気にしていられましたか?」

「ああ、とっても元気にしていたよ。めちゃくちゃ元気元気」

「あの子の話をしたのでしょう?」


 あの子――珠江ちゃん、いや珠也くんのことだろう。怜美くんは昔から彼のことを名前で呼ぶことがなかった。曰く、彼は珠江ではないから、だそうだ。本当の名前で呼ばないのは、彼女なりの優しさなのかもしれない。


「したよ」

「ショックを受けられていませんでしたか」

「そりゃあ、ショックを受けてたよ。放心状態でさー、僕がさよならって言っても全く返事をしてくれなかったよ。僕の方がショックだよ」

「そう……ですか……」


 怜美くんの顔に影が掛かる。


「そんなに心配なら声をかけてやったらどうだい? 結乃くんもきっと喜ぶよ」

「いえ……会うわけにはいきません」

「どうして」

「友達の変わり果てた姿など見たくありませんから」


 ああ、そうか。珠江ちゃんと儀式をすることで生者側に戻った結乃くんのことは、そういう風に見えてしまうのだった。


「それでさ、辻堂千佳のことだけど」


 ――辻堂千佳。

 あの出来事全ての元凶。

 警察から珠也くんを保護したと連絡を受けた僕は身元引受人として自凝島から本土へとやって来て、彼を引き取った。それから事の顛末を聞いた僕は辻堂千佳の遺体を確認しようと、怜美さんに廃屋へと案内してもらった。

 僕たちが辿りついた廃屋付近に辻堂千佳の遺体はなかった。

 そこら辺の通行人が見つけたとしたら、間違いなく通報する。それなのにそういった情報が回ってこないということは、辻堂千佳はまだ生きていたのだ。


「結乃くんは彼女のことは死んでいると思ってたよ。お墓建ててたし。いや、彼女だけじゃない。誰もが辻堂千佳のことを死んでいると思っている」

「生きているという証拠もないですけれど」

「いいや、彼女は生きているね」

「根拠は」

「彼女は元々、結乃くんを殺した後に雲隠れする予定だった。世間では行方不明の子として。今まさにその状態じゃないか」

「根拠が薄い。却下ですわ」


 冷たい瞳が僕を見抜く。

 ちょうど店員さんが怜美くんの水を持ってきてくれた。一瞥すらせずに、ただただ怜美くんはくだらなさそうに僕を見つめる。

「まあまあ、落ち着いて。僕の話をよく聞いて欲しい」

「詰まらないお話なら、この水を投げつけて帰ります」

「そ、それは勘弁して欲しいなあ……」

 

 他人の目を気にしない彼女なら間違いなくやるだろう。

 慎重に、怜美くんが興味を惹きそうに話をしてやるとするか。


「僕はね、珠也くんから話を聞いて、一つ腑に落ちない点がある。それは結乃くんの母親の手記を落としたということだ。あのタイミングで落とすかい、普通」

 

 珠也くんの話によると、彼が結乃くんと辻堂千佳を襲った時に手記を落としたらしい。

 それが原因で結乃くんは辻堂千佳と儀式を行わずに洋館へと戻ってきていた。


「どうも都合が良すぎる気がしてならないね。辻堂千佳は落としたんじゃない、置いて行ったんだよ」

「ふうん……」


 良かった。水を投げつけられない。

 ホッと胸を撫でおろして、僕は自論を展開していく。


「辻堂千佳は結乃くんのことを終始友達だと思っていなかった。結乃くんと儀式をして、呪いを押し付けた時点で彼女の復讐は概ね完了していたけれど、更に結乃くんを苦しめられるなら苦しめた方が良いに決まっている。きっと珠也くんから襲われた時に思いついたんだろうね。更なる復讐の計画を」


 コーヒーを啜る。砂糖を二杯入れて、更に啜る。


「辻堂千佳は珠也くんに自分を襲うように仕向けた。実際のところ、殺されても構わなかったのかもしれないね。重要なのは結乃くんが珠也くんに復讐しようと思わせることだ。恐らく結乃くんは呪いを移す復讐方法を思いつく。自分もそうされたんだからね。呪いを移された珠也くんは結乃くんを恨み、同じように復讐しようとするってわけだ。結乃くんは更に苦しむことになる」

「生きている辻堂千佳が結乃さんの前に現れないのは、そういったことが理由ということかしら」

「そうそう! どうだい、僕の考えは?」

 

 怜美さんは手元の水を一瞥して、手を付けずに僕に言い放った。


「四十点といったところでしょう」


 店員さんが僕のフレンチトーストを持ってきてくれた。怜美くんに半分食べるか尋ねてみたが、当然断られた。


「先生、貴方は人の悪意を信じすぎるきらいがありますわ」

「それが人間ってものだよ」

「それが貴方ってことですわ。まず、辻堂千佳が手記を落としたということですけれど、そもそも思いがけず落とすのだから落し物なんです。タイミングが良すぎるなんて仰いましたけど、辻堂千佳が結乃さんを本当に生者側へ戻そうとしたのなら、逆に最悪のタイミングで落としたことになりますわ」

「ふうううん……」

 

 僕は適当に相槌を打って、怜美くんの次の言葉を待つ。


「それからわたくしは辻堂千佳と直接話をしましたけれど、あの時の彼女は結乃さんを騙そうとしていたとは思えませんでした」

「それは君の主観じゃないかな」

「自分の見えているモノが現実だと先生は仰られるではありませんか」


 そう言って彼女は意地悪くクスクスと微笑む。

 ああ、フレンチトースト美味しい。


「それなら、辻堂千佳の遺体がないことはどう説明する気だい? 遺体がなく、更に結乃くんの前に姿を現さないというのは間違いなく、現実だ」

「さあ、それは分かりません」

 

 僕の疑問に怜美くんはどうでも良さそうに答えた。


「助けを求めようと歩いていて、森の奥底で力尽きたのか、崖から落ちて波に流されたのか。それか他に何か理由でもあるのでしょう」

「随分と辻堂千佳に肩入れするんだねー。結乃くんの友達だからかな」

「いいえ、わたくしはあんな品のない女なんて大嫌いですわ」

「それなら僕の意見に賛成してくれたっていいんじゃないか」

「わたくしは人の悪意より、人の善意を信じたいのです。そうした方が現実は綺麗に見えますわ」


 怜美さんは水の入ったコップに手を伸ばす。

 投げつけられるのかと、逃げる準備をした。

 怜美くんは慌てる僕を見てキョトンとした表情をして、水を少し飲んだ。かなり不味かったのか、不機嫌そうにコップをテーブルの上に戻した。


「どちらにせよ、真相は藪の中。わたくしは辻堂千佳に興味はありませんし、この辺りで失礼しますわ」

「そうだねー、藪を突きすぎると蛇が出てきちゃうしねー」

「《黄泉大神の詛呪》の研究もほどほどにしておいた方が良いと勧めておきますわ。いらぬところで恨みを買いますよ」

「ははは、大丈夫。またうまいこと立ちまわるさ」


 怜美くんは立ち上がり、店員さんに何も言わずに店を出て行ってしまった。

 テーブルの上に彼女が頼んだ水が残っている

 僕は残っているフレンチトーストを食べ始めた。 卵白と牛乳、それから砂糖がパンの中までしっかりと染み込んでいて、噛めば噛むほど口の中に甘さが広がっていく。それでいて、パンの耳は勿論のこと、表面までカリッと仕上がっていて、フレンチトーストの良さを増している。

 フレンチトーストの甘さに飽きてきたら、コーヒーを飲む。甘さに満たされた口内を苦みのあるコーヒーが程よく中和する。それからまた、フレンチトーストを食べ始めた。

 ――ああ、とっても美味しい。

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