第29話 復讐の連鎖の果てに

 娘を連れて河川沿いの公園にやって来た。近所の人もあまりやって来ない静かなところだ。

 娘は小さい頃から他人を怖がるきらいがあり、五歳になった今でもそれは変わらない。なので、娘と出掛けるにしてもこういった閑散とした場所だ。

 ベンチに腰掛け、川辺にしゃがみ込む娘を眺めていると私の横に中折れ帽を被った人物が座ってきた。 他にも空いているベンチはあるのに、わざわざ私の隣に座ってきて何か用でもあるのだろうか。


「こんにちは。いや、お久しぶりだね、うんうん。意外に元気そうでビックリしたよ」


 人を小馬鹿にしたようなその口調は前にも聞いたことがある。

 もう随分と前の話だが、忘れるわけがない。


「宇津田さん……」


 当然ながら、あのバカみたいな兎の被り物はしていないし、変声機を通した声でもない。日差しと中折れ帽のせいで表情がよく見えない。

 何の用があって会いに来たのだろうか。珠江ちゃんと儀式をして、呪いを移してしまったことか。それとも警察官を殺したことを通報すると脅しに来たのだろうか。

 どちらにせよ良い話を持ってきたように思えない。黙って立ち上がり、その場を立ち去ろうとした。


「――珠江ちゃんのことについて知りたくないかい?」


 その名を聞いて、娘を呼びにいく足を止めた。


「君が座ってくれたら、話してあげるよ」

「――――――――」


 返事をせずに、私はベンチへと戻る。珠江ちゃんは私と儀式を行ったせいで、死者側となり人間の姿と風景は醜く汚らわしいものとして見えるようになった。その後、どうなったか気にはなっていた。


「結論を先に言うとね、珠江ちゃんは死んでいるんだ」

「……そう、なんだ」

 

 そのことを想像しなかったわけではない。あんなものを永遠に見続けなければいけないなら、いっそ人生そのものを終わらせたくなる気持ちは分かる。


「――君が彼女と出会う、ずっと前にね」

「どういうこと」

 

 思わず、顔をあげる。日差しで表情がよく見えない宇津田さんの口端が上がったような気がした。


「珠江ちゃんの家族が火事で亡くなったというのは、怜美くんから聞いたんだよね。これが当時の記事だ」


 宇津田さんは私に新聞紙を渡す。しわだらけで、色も褪せている。随分と前の新聞紙のようだ。



『煙草による火災で全焼。三名が死亡』 五月二十一日深夜三時ごろ、家が燃えているという通報があった。この火事により、木造平屋建ての住宅一棟が全焼。焼け跡から三人の遺体が発見された。

 亡くなったのは足摺勝行さん(三十七歳)、足摺樹里さん(三十五歳)、娘の足摺珠江ちゃん(七歳)。息子の足摺珠也くんは全身に軽い火傷を負い、現在病院で治療を受けている。

 地元消防署は火災は煙草の火の不始末だと発表した。



「珠江ちゃんは火事の時に死んでる?」

「そうそう、そうなんだよ」


 それなら私が会った珠江ちゃんは誰なんだ。間違いなくあそこにいて、千佳を殺した人物は。


「あの火事で生き残ったのは珠江という女の子ではなく、弟さんのほうだ。僕が孤児として迎え入れたのも、足摺珠江という女の子ではなく、その弟さんだ」

「それって、つまり、私が会っていたのは……」

「姉の名前を語る足摺珠也くんさ」


 思わず言葉を失う。だって、その名前は。


「彼は死んだ姉を生き返らせようとしたんだ。まあ、そんなことは不可能、無理無理。この世にゾンビなんて存在しない。彼もそーんなことは分かっていた。だから、別の方法を取った」

「それが、珠江ちゃんに成り代わること……?」

「大当たり。足摺珠也は彼女の名前を使った。それで本当の珠江ちゃんが生き返るわけではないけど、足摺珠江という女の子がこの世に生きていると現実を歪めることは出来る。成長期前だし見た目はある程度誤魔化せるからね」


 宇津田さんはポケットから飴を取り出すと、口の中に放り込んだ。私にも差し出されたが、首を横に振るとポケットに戻した。


「実際、結乃くんは珠江ちゃんという女の子がこの世に存在すると認識した。結乃くんの中に生きている珠江ちゃんを存在させることが出来たんだから、まあ彼は満足だろうね」

「ちょ、ちょっと待って。珠江ちゃんには火傷の跡があった!」


 だからこそ、私は珠江ちゃんのことは亡者に見えなかったはずなんだ。

 この新聞紙にしても、男の子の方は軽い火傷だとしか書かれていない。私が写真で見た珠江ちゃんはもっと酷い傷跡があった。


「そうだね、あの火事で彼はそこまで酷い怪我をしなかった。ああ、火傷の跡自体は少し残っていたかな。それで彼は火事の後、自傷行為をするようになってしまった。恐らく、姉を失ったストレス性のものかな」

「顔の火傷もその自傷行為の跡……?」


 顔を焼いたり、手首を切ったり、血が出るまで引っ掻いたり、窒息寸前まで首を絞めたり……そういったおぞましい行為の数々を宇津田さんはあげていく。


「でもねー、結乃くんが彼と儀式を行った日を境に自傷癖は治まった。傷跡も綺麗になくなるように治療をしていったかな。彼には別の目的が出来たからね」

「私に復讐すること……?」

「そうそう。辻堂千佳とその母親が結乃くんとその母親に復讐することを誓ったように、彼も君に復讐することを誓った。辻堂千佳は結乃くんを生者側から死者側にすることで復讐を果たそうとしたけど、彼は別の方法で復讐を果たそうとした。永遠に苦しむ復讐、本当の呪いを」


 河原でしゃがみ込んで何かを探している娘が目に映る。

 娘は他人を極度に怖がるきらいがあった。

 どうして怖がるのか聞いたことがある。語彙の少ない娘は「怖いから」とだけしか答えなかった。

 医者には小さい子によくある人見知りだと言われていた。納得出来なかったが、私にもずっと原因が分からなかった。


「死は解放だ。それ以降の現実を見なくていい。本当に苦しいのは目を見開いて現実を見続けさせられることなんだ。彼は――いや、結乃くんの夫はそれを実現させた」


 私の夫の苗字は足摺ではなかったと否定しようとして気付く。彼は孤児だ。養子縁組になれば、苗字は変えられる。


「それとさー、今日は君に会いに来たわけじゃないよ。君の娘さんに会いに来たんだ」


 宇津田さんは私の娘を呼んだ。娘は宇津田さんを見て、嫌な表情を浮かべたが、渋々といった感じで手に持っていた花を地面に置いて走ってきた。


「何ですか……?」

 

 視線を合わせようせずに、地面を見つめて娘は問いかける。

 宇津田さんはベンチから立ち上がると、娘と視線が合う高さにしゃがみ込んだ。


「教えて欲しいんだけれど、君の目に僕はどういう風に写っているかな」


 娘は体をビクリと震わせた。

 視線を上げようともしない。


「正直に言って構わないよ。生まれてこの方、顔を貶されることはあっても誉められたことなんてないんだ」

「…………」

 

 娘は一瞬だけ視線を上げ、そしてすぐに下ろした。


「怪我だらけ……なんだか、その……腐ってそうなお顔……」

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