七日市学園に異才は集う

小石原淳

第1話 『週明けの殺人者』その1

 僕の学校には“週明けの鬼”がいる。

 勿論、ニックネーム。週明け――僕ら高校生にとっての週明けである月曜日に、必ず小テストを行う先生のニックネームだ。その御面相を物の見事に表す、鬼面おにつらなる姓の数学教師は、学習した範囲とは全く無関係に、超難問か、若しくは引っかけクイズめいた出題をする。それこそ、「こんなもん解けっこねえよ!」と叫びたくなるような。

 だが、こんなとんでもない小テストでも、悉く満点を取る人間が同じクラスにいるから、迷惑極まりない。

 一ノ瀬和葉いちのせかずは

 本当の“週明けの鬼”は彼女の方だと思わずにいられない。個人的に。

 だってそうじゃないか。毎月曜、鬼のように難しい小テストで、満点を取り続けるなんて。

 ここだけの話、僕も中学までは自分は頭がいいと密かに自尊心なんかを持っていた。勉強だけじゃなく、スポーツも一通りそつなくこなせ、リーダーシップあり、日常でも機転が利く。異性からもてたと自分でうとナルシストに堕すが、事実だ。

 そういった尊大さが現在はきれいに消えた。七日市学園に入って僅か一ヶ月ほどで、価値観をぐらぐら揺さぶられ、自信は粉々に砕けた。プライドだけはまだ残滓として頭の片隅にあるが、厄介なお荷物に過ぎない。

 そうなった最大の原因たる一ノ瀬は何故か初対面から僕を気に入り、大親友だと公言する有様。

 この春から我が母校となった七日市学園は、優秀な高校とされている。

 個性を重んじるその校風が世間から支持され、人気を博す。入学者選抜は所謂一芸入試の枠が大きく、できれば新入生全員を一芸入試で決めたいのが学園側の本音だとか。将来天才になりそうな人間を“確保”する為の制度故、手当たり次第に採る風なところがなくもない。だが、世の中に天才はそうはいない。単なる神童レベル、つまり“二十歳過ぎればたたの人”の方が圧倒的多数だ。多くの神童が入学後、ショックを受けて凡人と化すのが通例らしい。あるいは本当に天才だとしても、天才同士、そりが合わないことは往々にしてある。学園の環境が合わないとして、さっさと出て行く生徒も結構いると聞いた。

 一方で学力入試もある。一芸入試で定員に満たなかった分を補充する形だが、結果的にこちらの方が多数を占める。僕もその他大勢の一人だった。それでも、僕だって神童レベルに達していると信じていたが……。

 徒し事はさておき。

 いかに個性的な生徒が集まる学校であっても、教室内の風景は他と大きな違いはなかろう。特に、昼休みともなれば。天才だって飯は食う。

「みつるっち、この意味を教えてくれよん」

 昼休み、一ノ瀬が赤毛をなびかせ、食事中の僕のそばにやって来て肩をつつく。“みつるっち”とは僕、百田充ももたみつるを差す。

 僕に対する一ノ瀬の呼び方は一定でなく、みつるっちの他に、おみっちゃん、みっちー、じゅうちん、ももっち、ももたっち、ヒャッキーと枚挙に遑がない。使い分けているのかどうか、天才の考えは理解できない。ただ、使用頻度トップは、みつるっちだ。

 そんな彼女が僕なんぞに教えを教えを請うのは珍しい……ことでもない。帰国子女の彼女は日本語に弱いところがあり、頻繁に頼ってくる。

「どれどれ」

 内心またかと思いつつ振り返ると、目の前には新聞。やけに皺だらけのそれは、一枚きりだ。一面とテレビ欄のページである。弁当箱を包んだ物か。日付は今日だから朝刊らしい。独り暮らしの一ノ瀬だから、その日の新聞を持って来ても誰も困りはしない。

「例によって、読めない漢字?」

「ブ~、外れ。漫画が分かりましぇーんかむばっく」

 彼女の長細い指はテレビ欄の裏、左上隅にある四コマ漫画を示している。

 話は逸れるが、一ノ瀬の台詞の末尾を気にしてはいけない。先ほどの「くれよん」もそうだ。理由を問えば、彼女は説明してくれるだろう。時間を掛けて延々と。そして恐らく、実際には意味などないことを説明するに過ぎない。これは彼女の罠なのだ。

 閑話休題(まただよ)。

 僕は漫画に目を通した。さして面白い出来映えではない。昨今話題の政治と芸能の二大ニュースを重ね合わせ、皮肉っただけ。難解な中身では決してない。

 元ネタを知らないんだなと見当を付け、僕は一ノ瀬に最初から説明しようと、箸を置いて話し始めた。ところが彼女と来たら、オーバーに頭を振った。

「みつるっちの今の答は、まったくもってノーグッド。ミーは、この漫画が面白いのかを聞いてるんだ」

「それならまあ、面白くない部類に入ると思うよ。こういうのが好きな人もいるだろうけどね」

「ふむ、やはり面白くない、と。安心した。人それぞれ、好みがあるのは分かるさっ。ミーの感覚では、新聞に載るほどじゃない」

 ミー、ミーと喧しい猫のようだが、これは一ノ瀬の一人称。

「ん?」

 猫のような目つきで、彼女が僕を見た。僕が彼女をじっと見ていたせいらしい。

「どうかしたん? ウズベキスタン」

 ウズベキスタンに拘っていては会話が弾まない。

「意外に思った。君が漫画の善し悪しを気にするとは」

 正直な感想を漏らす。箸を持ってから続けた。

「コンピュータと数学が、君の最大の関心事じゃなかったのかい?」

「何をゆー。これはユーの為に持って来たのさっ」

「僕の?」

「こんな程度で新聞に載れる。君の小説も何とかなる」

 口に持っていこうとした里芋の煮付けが、箸先から滑り、幸いにも弁当箱の中に落ちた。

 本気で云ってるんだろうな。僕は密かに嘆息した。

 高校に入ってからこっち、自信喪失中の僕は拠り所が欲しくて、手遊びで昔やった小説書きを復活した。それを一ノ瀬に知られ、時折こうして話題にされる。

 ここでまともに取り合うと、深みにはまる。他の大部分のクラスメートには今もって隠している秘密だ、話を打ち切らせるには無視するに限る。

 別の話題が欲しい僕の目にある記事が留まった。

「辻斬りがまた出たのか」

「バルキリー?」

 全然違う。第一、何でそんな単語を知っているんだ。

「バルキリーじゃない。つ、じ、ぎ、り」

「く、び、か、り?」

「これだよ」

 明らかにわざと惚け、自らの首を掻き切るポーズをした一ノ瀬に、僕は紙面の一点を差し示した。大小様々なサイズで、<また“辻斬り”殺人><犠牲者四人目>といった見出しが踊る。月曜毎に刃物による殺人を重ねる凶悪犯だ。最初の犯行から既に一ヶ月近いが、捜査に進展があったとの話は聞かない。

「新聞の見出しはいい加減だよねっ。ミーの知る限り、辻斬りは絶滅したはずだ」

「絶滅って……まあ、言葉本来の意味を考えたら、そうなるのかもしれないけど、この場合は刃物持って人を襲うからだろ」

「通り魔との違いを述べよ」

「……通り魔は往来で大っぴらに、手当たり次第に人を傷つけていく感じかな。辻斬りは夜、人目がないのを見計らって襲う」

「何か当たってそう。さすが、物知り。雑学ってのは、物書きに必要だよね。ミーには、余分な知識を蓄積する趣味はないけど」

 それは君の自由だが、分からない漢字や言葉に出会ったとき、いちいち僕に訊ねるのはどうかと思う。コンピュータ使いなら、楽に調べられるだろ。電子辞書の一つでも携帯しろって。

 と、僕が本格的に食事復帰を果たそうとした矢先、一ノ瀬の背後に立つ長い黒髪の女生徒が目に入った。背が割と高く、姿勢のよい彼女もまた天才。いや、達人と表現すべきか。

「邪魔だから空けて」

 彼女――音無亜有香おとなしあゆかが、突き刺すような視線とともに云い、紺のリボンで結んだポニーテールを弾ませた。視線を感じ取った訳でもあるまいが、振り返ることなく後頭部を押さえる一ノ瀬。

「これはこれは。失礼したにゃ」

 ようやく振り返り、云った。巫山戯口調もここまでならまだよかったのだろうが、あとが余計だった。

「黙って立ってないで、優しく云ってくれればすぐに退いたにゃ」

 注意された人間が口にしてはいけない台詞だと僕は思う。案の定、音無の顔つきが険しさを増した。

「自己中心的振る舞いにより他に迷惑を掛ける存在に、何故いちいち忠告せねばならない。本来、そちらが即座に気付き、行動に移すべきこと」

「ふに。じゃ、何で今さっき、注意してくれたにゃ? 主義に沿って、黙って押し退けるか、回り道すればいいにゃ」

 一ノ瀬の奴、まだ「にゃ」を使う。音無は険しい表情を維持したまま、口調は淡々として応じた。

「次善の策を採ったまでのこと。自己中心的存在にこちらの欲求を直接物理的にぶつけるのは意に反するし、遠慮しての遠回りはもっと莫迦ばかげている」

「なるほどにゃ。でも、まだ分かんないにゃー。次善の策を採るまでしたのは、急いでたからにゃ。その割に、すぐに通らないのは、腑に落ちないにゃ」

 とっくに通路を空けた一ノ瀬は、ボートを漕ぐときみたいな手つきをした。もしかすると、猫の仕種の摸写なのかもしれない。

「急ぎの用の有る無しではない。一般常識に従い、注意を発しただけだ」

「――果たして一般常識かなあ」

 素に戻った顔つきで、一ノ瀬は僕の方を向いた。女の争い、基、天才の争いに巻き込んでほしくないのだが。加えて、音無に悪いイメージを持たれたくない。好みの異性をこの学校の中から選べと命じられたら、僕はいの一番に彼女を選ぶ(主に外見重視。すらりとした背格好、そして芯の強そうな目鼻立ちが特に。肩胛骨を隠す程度の髪もいい)。剣道部に所属する音無には、美少女剣士という形容がまさに当てはまる。

「ミーが悪かったのは認めるけどさ。こうしたねちっこい忠告は常識とは思えない。もっと優しく注意してにゃ」

 それをあからさまに云う一ノ瀬も、常識的ではないと思うが。

 音無はあきらめたような、呆れたような吐息をしてみせ、呟いた。

「不毛のようだ」

 これまでの無駄を悟ったか、微風を起こして立ち去り、教室を出て行った。

 そんな彼女の後ろ姿を視線で追尾していた一ノ瀬は、やがてぽつりとこぼす。

「もうふ?」

 不毛だっての。分かってる癖に。

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