第11話 『気まぐれ月光』その1

 西日はまだオレンジ色になっていない。校門を出るとき、何人かとすれ違う。丁字路の交点に立ち、しばしの逡巡の後、直進を選択した。その矢先。

「っ――もしかして」

 かしましいお喋りに混じり、斜め後ろからハスキーボイスでそんなフレーズが聞こえても、二階堂早苗にかいどうさなえは気に留めずに歩を進めた。

 学校のある日、二階堂は特別レッスンをほぼ毎日受ける。が、今日は講師の急な用事でなくなった。思い掛けず空いた時間を、普段の彼女なら自己練習に当てるところだが、父親の誕生日が近いことから気まぐれを起こした。誕生日プレゼントの買い物ついでに、たまには“普通の女の子らしいこと”でもしてみようかと、考えを巡らせていた。

「ああ、待って。二階堂早苗さん? バイオリンの」

 名前を呼ばれて初めて気付き、二階堂は足を止めた。背後から追って来ているであろう相手を待つ。

 やがて前に回り込んだ声の主は、学園指定の制服ではなく、ラフな格好をしていた。光の具合ではっきりしないが、黒みがかった青の上着を着こなしている。サイズが大きく、だぼっとしているのに、だらしない感じがない。前髪を立てているのは、小柄な体格を大きく見せようとする狙いだろうか。そういった計算を抜きにしても、似合っている。

「確かに二階堂はわたくしですが、あなたは」

 こんな場面で、普段なら相手が先に名乗るのを待つのが二階堂のスタイル。であるが、今回は特例として先に口を開いた。一見しただけでは相手の性別が分からず、警戒の意味を込めて声を発したのだ。

「オレ、四谷成美よつやなるみ。あなたと同じ、総合芸術コースの一年生。専攻は声楽及び作曲だけどね」

 自らを指差すと同時に、生徒手帳をズボンのポケットから覗かせ、名乗った相手。声では矢張やはり男女を判断できず、名前にしても決め手にはならない。

「独学で作詞もやってる。ま、平たく云えば、シンガーソングライターって訳」

「自己紹介もよいですけれども、用件を」

 とりあえず、同じ七日市学園の生徒らしいと知り、警戒レベルを下げる。

「そうそう。早く会いたかったのに、二階堂さんて放課後、たいていレッスンを受けてるからなかなか掴まえられなくて」

 かなり以前から何らかの用事があったということね。しかしさほど急ぎではない……。二階堂はそう解釈した。

「わたくし、このあと予定があります。時間が掛かるようなら、パスということに」

「ああっと、ちょっとだけ付き合ってほしい。いや、付き合ってください」

「……」

 二階堂は耳たぶを触った。間を取ってから、確認のために口を開く。

「まさかとは思いますけれども、わたくしに交際の申し込み?」

「交際? いや、違う。付き合うの意味を激しく取り違えていると、指摘させて貰います。交際と呼ぶくらいなら、むしろ交友かな」

「それでは、どのような付き合いを?」

 軽く首を傾げてみせる二階堂。四谷はくぐもった声で呻き、同じように首を捻った。そして正面を向くと、やおら云った。

「ずばり、あなたと組んで唱いたい」

「……」

 怪訝な表情をしたのが、自分でもはっきりと分かった。今度は耳たぶは触らない。代わりに、おでこにできたかもしれない軽い皺を消すかのごとく、二階堂は額に手を当て、微かに俯いた。結果、頭痛を覚えたときのポーズみたいになった。

「話が見えません」

「時間をくれたらきちんと説明する。予定を変えさせて悪いけど、そこを何とか」

「――いいでしょう」

 手を拝み合わせ、頭を下げてきた相手にそう返事し、微笑んでみせてから、二階堂は条件を付けた。

「ただし、あなたの我侭を聞く代わりに、わたくしの我侭も聞いて貰います。往来で立ち話なんて、味気ない。女の子らしいシチュエーションで、話の続きをしましょう」

「……ははあ。案外、面白い人なのかな、二階堂さんて」

 およそ十分後、二人はクレープがメインのファーストフード店にいた。

「こういうのが、今時の女の子らしいのかしら」

 適当にオーダーを済ませ、向かい合って席に着いてからも、二階堂は物珍しさから店内をしばらく見回した。といっても、じろじろするのは、はしたない。横目で観察する程度にとどめる。

「それをオレに聞くのは間違ってる」

 四谷が云い、ストローの先をくわえる。先の台詞と、その仕種を目の当たりにした二階堂は、相手が女生徒だと確信した。なるほど、こうしてちょうどいい具合の明るさのところで見ると、ボーイッシュな格好をしているが、顔立ちは女性のものに間違いない。

「オレもこういう喧しい場所は苦手で、好んで入った経験はないな」

「そう? 意外だわ。でも、他校の生徒もいるし、あながち誤りでもないのでしょう」

「二階堂さんは休みの日、何してるの? 外を遊び歩くとか」

「たまにします。やるべきことを済ませたあとに」

 クレープに手を伸ばす二階堂。

「さあ、ここでのやるべきことに取り掛かりましょうか。食べながら、話してください」

「どこから話そう……五月の連休明けにあったデモンストレーションで、二階堂さんの演奏を聴いた」

 七日市学園では、特別枠で入ってきた新一年生の中で芸術関係の者を対象に、腕前を披露する場が用意される。それが五月上旬のデモンストレーション。新風祭だか新風展だか、垢抜けない名称が付いているが、生徒の誰もそんな呼び方はしない。

「凄い音楽だと思った。クラシックには全然詳しくないオレでも、この人はこの人だけの音を生み出している、っていうのは分かったよ。聴いてよかった」

「光栄ね。知らない人にも何かしらの感動を与えることができたとしたら、それは最高の誉め言葉の一つだわ」

 食べ慣れないクレープに苦戦しながらも、二階堂は流暢に返事した。

 一方、四谷は、店には滅多に来なくても、クレープはよく食べるのか、いつの間にやら大方を胃袋に収めていた。

「で、オレは高校に入るまで、アマチュアバンドやっていたんだけれど、この人の演奏で唱いたい!と思ったことはなかった。あ、勿論、ホンモノの人達は除く。雲の上の存在で、今は現実味ないから。飽くまで、知り合いの範囲」

「そんなあなたが、わたくしの演奏で唱ってみたいと思った、と」

「そうそう! 勘がいいね」

「誰にでも察しが付くんじゃないかしら」

「うん、かもしれないけど。オレ、本当はこんなはしゃいだキャラじゃないんだよ。でも、二階堂さんを前にして、今は興奮でこうなってる。あとは、あなたが引き受けてくれさえすれば、最高だ」

 落ち着きのあるところを見せようというつもりか、四谷は両手をはたくと組み合わせ、テーブルの下に持っていった。多分、膝上に置いたのだろう。そうして二階堂を見つめてくるのだが、その視線にはまだ興奮の残滓がある。

「急な話で面食らいました」

 軽く息を出し入れして、二階堂は答に取り掛かった。

「けれども、お断りします。少なくとも現時点では、あなたのお話に魅力を感じませんし、あなたの歌声も知りませんからね」

「じゃあ聴いて」

 当然の要求をする四谷。放っておくと、今この場でも唱い出さんばかりだ。

「その前に。余計なことに時間を割くからには、わたくしがあなたと組んでどのようなメリットがあるのか。また、いかなる目的あるいは目標があるのか、説明して貰いませんと、歌を聴いても仕方がありません」

「うーん、目標はないな。別に大会に出ようって訳じゃないし、組んでプロデビューを目指す訳でもなし。とにかく、あなたの演奏で唱いたいってだけで」

「そんな理由で、わたくしに流行歌を演奏しろと?」

「流行歌というかロックを希望だけど……もしかして、クラシックよりもレベルが低いと見下してるの?」

「そんなことは断じてありません。ただ……喩に相応しくないかもしれないけれど、和服を着て白鳥の湖を踊るような気恥ずかしさを覚えます」

「それはそれで、きれいに踊るやり方はある気がする。まっ、いいや。結局、オレはどうすればいい?」

「わたくしを巻き込みたいのなら、わたくしを揺さぶってご覧なさい」

「揺さぶる? 二の腕をぎゅっと掴んで、前後に揺さぶる……のとは違うか」

「普段の平静な感情を乱す何か、という意味。楽しがらせたり恐がらせたり、興味を惹くのでもかまいません。クラシックとロックの融合だけでは、心揺れない。組み合わせによる新奇さに魅力を感じませんし、そもそも目新しくも何ともありませんから」

「そいつは……難問だね」

 呟くように応じると、飲み物を干して紙コップを凹ませた四谷。その音と、紙コップが元の形に戻る音が立て続けにしたあと、言葉をつないだ。

「オレの歌を聴いてくれたら、魅力を感じて貰える気がする。自信とまでは行かないけどね」

「わたくしは歌のために弾きません。『この人の歌に演奏をしてあげたい』と思うこともない」

「じゃあ、望み薄かな。ううーん、あれは失敗だったな。あのとき、あなたを引き留めて、無理矢理にでも歌を聴かせておけばよかった」

「あのとき、とは?」

 クレープをやっと片付け、トレイ上を整理していた二階堂だったが、その手が停まった。面を起こし、前に座る四谷を見る。彼女はにっ、と笑んだ。

「デモンストレーションのときさ。オレ、舞台袖に控えていたのね。順番を待ってた」

「……あなたも特別枠で入った人だったの」

「特別レッスンはして貰ってないけどさ。あのときの二階堂さんたら、演奏し終わると、競歩選手みたいにさっさと出て行ってしまって、掴まえる暇がなかった。でもまあ、オレはオレで、カラオケ状態で唱わされて、本領発揮とは行かなかったから。つい、元の歌手のコピーをしちまう。で、癪だったんで、『アメイジンググレース』をいきなり唱ってやって。あとでどやされたけれども、気持ちよかったな」

 ロックをしていた人が何故、『アメイジンググレース』なのだろう。アカペラに適したロックが思い浮かばなかったのかしら――と、余計なことに気を回す二階堂。頭を小さく横に振った。

「その歌なら、わたくしも嫌いじゃありません。単に聴くだけなら、聴いてみたいものだわ」

「いいよ。唱うから聴いてほしい」

「いいよって……わたくしが演奏するしないとは無関係でも?」

「かまわない。これでもプロ志望だから、安売りはしないつもり。とにかく、あなたに聴いてほしい。いつが空いてる?」

「急に問われても……いいでしょう。次の日曜日、午前中なら多分大丈夫」

「じゃ、午前十時に。あ、でも場所が。なるべく、きちんとした空間でやりたいからね。学園の音楽堂は無理っぽいし、今からどこかのスタジオ、借りられるかな」

 そこまで拘る相手に半ば呆れつつ、二階堂は意見を述べる。

「難しいわ。音楽室も、諸先輩方が使われているでしょうしね」

「実は、心当たりがないでもないんだけど、二階堂さんが嫌がるかもしれない」

「嫌がる、とは?」

 二階堂は財布に手を伸ばしかけ、中止した。会計のために小銭を用意しようとしたが、先に払っていたことを思い出したのだ。慣れない店に来るものでない。

「針野山駅の近くに、親会社の倒産で、作り掛けのまま放棄された遊園地があるのは知ってる? そこの駅から急行で三十分強、行ったとこなんだけれど」

 顎を降って、外を示す四谷。学校最寄りの駅から、と云いたかったようだ。

「知っています。マジカル何なにという名前だったわね」

「マジカルワールドランド。その敷地に、いい場所を見つけたんだ。貨物列車のコンテナを中で区切ったような長細い部屋で、音と光の体感ゲームをやるためのスペースだったみたい。当然、未完成だけど、響きはよくて、壁は防音仕様。百点満点で八十点はやれる」

「いくら会社が倒産して建設がストップしても、どこかが管理してるに違いないのだから、不法侵入になるんじゃありません?」

「見つかれば、恐らく。でも、見張りがいる訳じゃなし、これまでに咎められたことはないよ」

「これまでとは、どのくらい前から?」

「二年近くになるかな」

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