第12話 『気まぐれ月光』その2
しれっとして答える四谷。目線がレジカウンター上のパネルに行っている。話が長引いたので、何か追加で食べるつもりだろうか。
「二年、ですって?」
「だいたいね。居心地がよくて、夏なんか足繁く通った。バンドの練習もそこでしたいくらいに。残念ながら、楽器を運び込めなくて。有刺鉄線やら板切れのバリケードが邪魔でさ。ま、運び込めたとしても、保存状態に難あり、だったろうけど」
「有刺鉄線」
「大丈夫、穴はきちんと広げた。針金の先、ペンチで丸く曲げたから、服を引っかける心配もない」
「わたくしは別に、そのようなことを」
「恐いのならよすけど」
「恐くもありません」
「じゃ、決まり」
得意げな笑顔になって、四谷は手を差し出してきた。握手をしようという意志は理解できたが、二階堂はため息とともに拒んだ。形ばかりこんなことをしても意味がない。そう思っている。
「分かりました。今度の日曜の、そうね、十時じゃ遅いから、朝の九時にそこの駅で待ち合わせて、向かうことにしましょう。着いてからの案内はあなたに任せる」
「九時ね。前の晩は早く寝なくちゃな」
手を引っ込めた四谷は、笑顔のまま云った。
話は終わったものと判断し、席を立つ二階堂。が、呼び止められた。
「これからどうするの、二階堂さんは?」
「買い物に。先に買い物を済ませて、お茶を飲んで帰るつもりだったのに、あなたのおかげで逆になってしまったわ」
「それは悪かった。お詫びに、買い物に付き添おうじゃない。荷物持ちさ。辻斬り殺人なんかで物騒だし、最近は学園の中でまで事件が起きたし。こういう世の中だから、夜道の一人歩きは危ない。オレって一般的な女よりは力持ちだから、頼りになるよ」
「結構よ。そんなに重い物を買う予定はないし、そんなに遅く帰るつもりもありません」
「買う物って、決まってるんだ?」
「ええ、父への誕生日……何を云わせるの」
何故ここまで喋ってる? 相手よりも、口の軽くなってた自分に腹を立てる。二階堂は四谷の視線を振り切り、歩き出した。
どうしてあんな風に、簡単に友達のようになり、約束まで交わしたのか。あとになって考えてみると、不思議だった。通常、四谷のようなタイプは、自分に合わないはず。偶々レッスンがなくなり、気まぐれに買い物へ出掛けようとしたら、校門前ですれ違った。すべてはタイミングとその場の成り行きだった。
それはよしとしよう。今になって気付いたのは、相手に関してほとんど知らないということ。電話番号の交換すらしておらず(この辺りが、普通の女の子らしくない証左かもしれない)、これでは何かあって約束に応じられなくなったとき、連絡の取りようがない。
仕方がないので、二階堂は自分から四谷について知ろうとした。とはいえ、レッスン他で忙しい身。調べるのに当てられるのは、休み時間の数分がいいところだ。
手始めに、親しいクラスメートに四谷を知っているか、聞いてみる。すると、専門違いにも拘わらず、約五割の確率で知られていた。特別枠で入学しただけのことはある。
ただし、大半は、五月上旬のデモンストレーションで唱うのを聞いたという程度の“知っている”であり、四谷の人となりまで知る者は矢張り少なかった。
少ないとは、皆無ではないということ。そしてその少ない面々が語った四谷の印象は、凡そ足並みを揃えていた。つまり――「自己中心的。他人に興味なさそう」「ぶっきらぼうで、何考えているのか分からない」「男みたい。ちょっと変人、入ってるかも」――この三つに集約される。
イメージにずれがあるわと二階堂は強く感じた。初対面の際の四谷は、男っぽい格好と口ぶりではあったが、とても人懐っこく、またその意図もよく伝わってきた。それと比べて、皆から聞いた四谷像は、まるで別人。
「それにしても、何で四谷さんのこと気にかけてる訳?」
一人に聞き返された二階堂は、ちょっと話があって、と適当に答えた。
「ま、二階堂さんなら、ああいうタイプでも合うのかな。実力主義という意味では、似てるのかも」
「わたくしと四谷さんが?」
一笑に付した二階堂。自分から最も遠い存在の一人と思うのに、どうしてそれが似ていることになるのだろう。おかしくてならない。
「皆、人を見る目がありませんね……」
ため息混じりに云った。
ともあれ、誰も四谷の連絡先を知らなかったため、二階堂は相手のクラスに足を運ぶことにした。昼食を急いで片付け、教室に向かう。すると、そこの生徒に学食に行っているはずだと教えられ、Uターン。混み合う食堂内を探し回り、漸く見つけたときには軽く汗をかいていた。
「会いに来てくれるとは、感激だなあ」
一人、仏頂面で黙々とカレーピラフをかきこんでいた四谷は、二階堂が来たのを認めると、にこにこ顔に急変した。二階堂は「電話番号を聞きに来ただけよ」と冷たい調子で返し、隣の席に座った。
「そっか、迂闊だった。連絡先の交換、してなかったね」
「これがわたくしの部屋の電話番号。携帯電話、今は持っていないので」
二階堂は予め持って来たペンとメモ書きを取り出し、テーブルの上を滑らせて、四谷の手前に押し出した。
「サンキュ。さすが、用意がいい」
「さすがという評価を下せるほど、あなたはわたくしについて知っているとは思えませんけど。とにかく早く書いて」
「これ、食べてからにしようと思ったのに。忙しいみたいだ」
「レッスンのしわ寄せが他の学科に来て、休み時間に宿題に手を着けておかないと。一般教養なんて語学を除けば、ここに入るまでに身に着けた分でこと足りるのに、仕方ないわ」
「オレは、色んな知識があった方がいい。ま、小・中学とあんまり勉強してこなかったせいもあるんだけど。自分のやる音楽に幅が出る気がする」
鉛筆を走らせながら、四谷。二階堂は小さく首を傾げた。
「そうかしら。せいぜい、文学を通じて人の感情の豊かさを学ぶのが、関の山じゃない。音楽の知識だけで充分よ」
「お、知らない? 絵画や設計図に触発されて作られた曲、いくつかあるよね。確か『展覧会の絵』とかさ」
「勿論、知っているわ。でもね、絵や建築を一から学んだから作曲や演奏に役立つ、ということではないのは明白。飽くまで、触発されたのだから」
「うまく丸め込まれちゃったな。いいや、あきらめないよ。それだけじゃないさ。たとえば激しい運動をして、息も絶え絶えの体験をしたからこそ、書ける曲、弾ける演奏っていうのがあるはずだ」
「激しい運動なら、今でなくても、小学生のときに体験しています」
「うーん、じゃあ……知り合いに、平方根で曲を作った奴がいる」
「平方根……『一夜一夜に』や『富士山麓に』っていう、あれ?」
「うん、それ。最初は語呂合わせを歌詞にして、コミックソングに仕立てただけ。それじゃ面白くないからって、今度は語呂合わせを音符に置き換えて、作曲したって訳」
「まともな曲には、とてもなりそうにないわね」
「適度にアレンジはするよ。そうそう、どこかの高校では生物部が何かの生き物の遺伝子を音符に置き換えて、矢張り作曲していたな。一部しか聴いたことないが、のんびりした優しい感じの曲になっていた」
連絡先を書き終え、二階堂にメモ用紙を渡す四谷。
受け取った二階堂は、ちらと確認してメモを仕舞ったあと、話を続けた。
「所詮、お遊びの範疇にしか思えない。意味のない珍奇な試みは、直に飽きられるもの」
「二階堂さん、忙しいんじゃ?」
相手に指摘され、二階堂は筆記用具を片付けた。
「あなたの姿勢、何となく見えたわ。わたくしとはだいぶ違うみたい」
「だめかな?」
四谷が眉を八の字にし、表情を不安色に曇らせる。それを見つつ席を立った二階堂は、髪を五指で梳きながら応じた。
「異なるからこそ、交わる意味がある。わたくしとて、異論を全く受け入れないほど頑迷ではありません」
「そうこなくちゃ」
破顔一笑した四谷は、二階堂に手を振ってから、昼食の残りを片付けに掛かった。
「何なの、その格好は」
待ち合わせ場所の駅に、九時五分前に現れた四谷のなりを見て、二階堂は顔をしかめた。
派手なチェックのジャケットを羽織り、ズボンも同じ柄で合わせている。顔には逆三角形二つを並べたサングラス、ベレー帽(みたいな帽子。小さな鍔が左右に付いていた)を阿弥陀に被り、立てた前髪の先は仄かに黄色い。身長のある男性なら見栄えする可能性はあるが、小柄な四谷がやると七五三めく。
「アーティストたる者、歌を披露するからには、格好もそれらしくして、アピールしないとね」
「『アメイジンググレース』に相応しい格好には見えなくてよ」
個人的に相応しいかどうかは口にせず、一般論で四谷の主張を一蹴すると、二階堂は券売機に向かった。針野山駅まで値段を確認し、購入する。プラットフォームに出て待っていると、程なくして電車が入線。乗客がいるにはいるが、空席は充分にある。二人は、車両前端の四人掛けの座席に、斜向かいで収まった。
「二階堂さんは何で制服姿なのさ。校則にある訳でもないのに」
「異性とのデートじゃあるまいし、服装に拘ってもしょうがないわ。何を着ようか選ぶのに時間を取られるなんて、愚の骨頂。そんな暇があったら、バイオリンを弾いく」
「その云い方だと、本当に恋人とのデートのときだって制服で来そう」
「余計なお世話です」
「つれないことを云わないで。歌のために、三十分も電車に揺られて行こうという同志なんだしさ」
「わざわざ電車に乗ったのは、そちらの都合でじゃないの。これで、あなたの歌が体育館の裏で済むレベルだったら、承知しませんから。まあ、特別枠で入るぐらいなのだから、確かなんでしょうけど」
「あ、云ってなかったっけ。歌唱力じゃなく、作曲の方を見込まれたんだよ、オレ。歌にも自信があったから、五月に唱ったまでのこと」
少々、不安を覚えた二階堂。しかし、新風祭で唱うのを学校側に認めさせたのだから、力があるのは間違いない。そう思い直した。
「まだしばらく掛かるな」
窓の外を見て、不意に四谷が云った。それから二階堂の方を向く。
「暇潰しに……
「興味がありません」
間髪入れずに返答する。四谷はあからさまにしょんぼりした。このままだと、立てた前髪が萎れそうだ。
「ほとんど接点がなかったとはいえ、先生が死んだんだから、もう少し」
「生憎だけれど。校舎が離れているせいもあって、余所の学校での出来事とほとんど同じ感覚ね。捜査のために人の出入りが激しくなって、喧しさが迷惑なくらい」
「冷たいなあ。クール過ぎるよ、二階堂さん」
「じゃあ、あなたはどの程度の関心を持っているのかしら。暇潰しのための話題に持ち出すなんて、大した関心じゃないわよね。少なくとも、頭のてっぺんから爪先まで真面目一色ではない」
「そりゃそうだよ」
二階堂の指摘を、四谷は悪びれもせずに肯定した。
「自分の人生に直に関わってくる人が死んだならともかく、そうじゃないんだから。人の死を面白半分に話題にすることも、本来ならしないさ。ただ、ちょっと興味深い話を聞いた、いや、見たもので」
「話を見た、ですって?」
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