第7話 『週明けの殺人者』その7

 竹刀といえば真っ先に剣道部をイメージするが、部員達は全員竹刀を部室に置いており、いちいち家に持ち帰りはしないという。たとえば家で素振りをしたいときは、家にあるもう一本を使うらしい。剣道部員が犯人だなんて、音無が悲しむ結末だし、これはないことにしておく。

 他に、竹刀を持って学校に出入りする……格技の授業で剣道を選択した男子生徒が思い浮かんだ。だが、彼らは常時携帯している訳ではない。万丈目先生に呼び出されたとき、たまたま凶器入り竹刀を携帯していた可能性もあるから、完全には除外できないが。

 それよりも僕が本命と考えたのは、普段から竹刀を持ち歩き、トレードマークにしている先生の存在だ。週明けの鬼こと鬼面万次郎まんじろう、数学教師である(なお、体育教師に竹刀を持ち歩く人はいない。鬼面先生にしても生徒に体罰を与えるためでなく、単なる差し棒代わりだ)。

 鬼面先生が犯人……信じがたい構図だ。小テストで難問奇問を出して喜ぶ様からして、研究者タイプに近いと思う。無差別殺人なんて無意味で割の合わない行為を行う柄じゃない。

「百田君、何をぐずぐずしている? 到着だ」

 音無の声で我に返る。女子二人はとっくに降りていた。学生鞄を音無は座席に置いたままにし、先輩は持って出ていた。

「事件の解明をまだ考えてたでしょう?」

 遅れて降りた僕に、五代先輩が鞄を振りつつ、非難がましい口調で話し掛けてきた。図星だけに顔を背けてしまう。

 それ以上の会話がないまま、病棟に入る。大型の総合病院で、受付のあるロビーもやたらと広い。学園長が素通りしたので、僕らも着いて行く。部屋番号は既に承知しているらしい。

 棟を移り、エレベーターを使い、都合五分余り掛けてその病室に着いた。個室だった。

 学園長がノック後に名乗って用件を告げると、ドアが開く。病院にしては派手な洋服を着た女性が現れた。美人だから許される、ぎりぎりのラインといったところ。

 十文字先輩の母親だった。学園長に対しては厳しい目を向けたが、僕ら生徒にはにこやかな笑みを浮かべて、挨拶を返してくれる。

「それで十文字君、龍太郎君の具合はいかがですか?」

 五代先輩が聞く。極めて事務的な口調だと僕には思えたが、これは多分、母親を前にしているから。

「ちょうどよかった。十分ほど前に目覚めたばかり」

 目覚めた? どういう意味だろう。

「龍太郎が、疲れた感じがするので少し眠りたいというから、お薬をもらって寝かせていたの。話はできるようだから、皆さん、相手になってあげて」

 僕らが何も云わない内に、おばさんはドアを開き、僕らが見舞いに来た事実を十文字先輩に伝えた。

「入ってもらってよ。僕なら大丈夫だから」

 案外元気そうな声に、ほっとする。

 おばさんは学園長と話があるということで、病室を離れ、このフロアの待合いスペースの方に二人で向かった。僕らにとっては余計な緊張をしなくて済む分、好都合だ。

 部屋に入ってドアを閉じ、ベッド上の先輩と向き合うと、首と右足首に巻かれた包帯に目が行く。さっき安心したのは早計だったかと思わずにいられない。

「こんな格好で失礼。母は心配性でね、大げさにされてしまった」

「十文字君らしくないわね、襲われて怪我をするなんて、間抜けな」

 いきなり、きつい言い種の五代先輩。生徒のみになり緊張から解放されたとはいえ、物腰自体、幾分ざっくばらんになっている。

「云わないでくれ、副委員長。不覚を取ったと海よりも深く反省している」

 ……洒落の意図があるのだろうか。一ノ瀬の駄洒落よりはましだが。

「これに懲りて、莫迦な真似はやめた方がいいわ。身のためにも」

 莫迦な真似とは、探偵行為を差すに違いない。僕は密かに首をすくめた。

「お初にお目に掛かります、十文字先輩」

 折を見計らっていた音無が口を開く。ベッドの足下の脇に立ち、頭をしっかり垂れた。

「私は、一年一組の音無亜有香といいます。この度は音無家の刀が元で、事件に巻き込んでしまい、申し訳なく――」

「申し訳なくなんかない。そうか、君が音無君か。噂はかねがね。よろしく」

 掛け布団の中から手を出した十文字先輩。気付いた音無が急いで駆け寄り、握手を交わした。先輩は右手だけ、音無は両手。

「僕は感謝しているくらいだ。こんなチャンスは滅多にない」

 十文字先輩は、五代先輩に睨まれたのを感づいていないか、無視の様子だ。

「不甲斐なさに打ち拉がれる僕を立ち直らせてくれる良薬は、君達の証言を聞くことだ。来てくれて大変ありがたいよ」

 話が聞けるものと決めて掛かっている。僕はそのつもりで来たからいいけれど、音無はどうなんだろう。もう一人の先輩の視線も気になる。と思っていたら、当の五代先輩が口を開いた。

「事件の話をするのなら、私は帰らせてもらうわ。関係ないことだし」

「そう云わず、いてくれたまえ。何分と経っていない。何に乗ってきたのか知らないが、足代だって莫迦にならないだろ」

「だったら席を外す。終わったら呼んで」

 会話を続ければだらだらと引き延ばされると考えたか、返事を待たず、廊下に出てしまった。ドアを閉めた拍子の風が、室内に渦を短い間生む。

 十文字先輩はドアから視線を外し、鼻で嘆息すると頚元をさすった。そして五代先輩の存在を忘れたかのように、「さあ、話してくれ」と持ち掛けてきた。

「僕からでいいですか」

「長居させては悪いし、君達を信頼しているから、二人まとめて聞くとしよう。そうだな、音無君が話し、百田君が補ってくれ」

 音無に軸を置いたのは恐らく、僕よりも彼女の方が事件と深い関わりを持っていると睨んだから。

 音無は、辻斬り殺人との関連性を除き、余すところなく説明した。僕の知る話と寸分違わぬ内容で、過不足がなく、簡潔にして要領を得た話ぶりは、口を挟む役目を僕から奪った。結局、補足したのは、僕一人で行動していた場面のみだった。

「話してくれて、だいぶ事件の様相が見えてきた。質問、確認しておきたい点が三つ――大まかに分けて三項目ある」

 眉間に皺を作った先輩は、難しい表情をしつつも、元気が出たように見える。やはり探偵志望の人には事件の話が良薬らしい。

「まず、音無君が受けた呼び出し電話だが、発信記録の調査はまだ終わってないのだろうか」

「私は何も知らされておらず、お答えのしようがありません。ただ、警察が調べているのは確実。刑事の方がそのような意味合いの言葉を口にしていたので」

「そうか、まだ早いか……。じゃあ、君の携帯電話の番号を知る人を教えて欲しい。あ、ひとまず、学校関係者の中でね」

「剣道部の全部員は互いに知っています。職員方の中では、顧問の万丈目先生と学園長、教頭先生がご存知のはずです」

「顧問は分かるが、学園長や教頭までも?」

「刀が盗まれた件に関して突発事に対応できるよう、番号をお伝えしました」

「納得。他には? クラス担任とかさ。親しくしている先生や生徒……」

「他の先生方には、私からは伝えていません。生徒……友達については、時間をください。いくら先輩の頼みでも、無闇にお話しできません」

 明確な意思表示に、十文字先輩も首を縦に振り、承諾。

「でも、これには答えてくれないか。番号を知るであろう人について、警察には伝えたのかな」

「携帯電話の提出を求められ、応じた際に」

「それならまあいいか。次。現場の描写だが、君達は見たままを話してくれたんだろ? だが、僕には腑に落ちない点がある。つまり、話を聞いた限りでは、剣道部の部室に犯行の痕跡がなかったとしか思えない」

「痕跡って、ロッカーに遺体が。凶器だって」

 ようやく口を出せる話になり、僕は急いで反応した。

 十文字先輩はゆるゆると首を横に振った。痛みがあるのか顔をしかめ、歯ぎしりと舌打ちを交える。

「僕が問題にしたいのは、血痕だ。心臓を一突きにされた肉体から、血が飛び散らないものだろうか。凶器が刺さったままならまだしも、抜いてあったんだ」

「云われてみれば確かに」

 音無が頷く。僕も同様だ。僕はあの部室で血痕を見ていない。小さなものならあったのかもしれないが、気付かなかった。第一、心臓からの出血となると、辺り一面が血の海と化すのが自然だろう。万丈目先生の服や肉体は血で染まっていたが、部室内やロッカーはそうではなかったと記憶している。

「なるほど。死体移動の可能性がある訳だ。万丈目先生は男性にしては小柄で体重も軽いはずだから、さほど困難ではあるまい。結構だね。剣道部の隣近所に、空き部屋若しくは人が自由に出入りできる部屋はあったかな?」

「……なかったと思います。全て他の運動部が入っているはずです」

 思い出す風に返答した音無に、言い足す僕。

「事件のときには、どの部室も無人みたいでしたけどね」

「ならば百田君は、人が潜んでいた可能性をゼロと云えるかい?」

 僕は少し考える時間をもらった。どこかの部屋のドアの向こう側に犯人が隠れていても、息をひそめられたら、まず気付かなかっただろう。ただ、だ。

「ただ、事件発生時前後に部室を使っていなかった部はどこも、部屋にはきちんと鍵を掛けていたと証言したみたいです。警察があとで確認していますし、それぞれの鍵も所定の位置に保管されていたようだから……」

「故に人は潜んでいなかった、かい? そいつは断定できまい。鍵なんて、その気になって手間を掛ければ、どうにでもなるさ」

「ええ。認めます」

 先輩は優越感に満ちた微笑で首肯すると、僕らを等分に眺め、重ねて聞いてきた。

「五時を過ぎて活動していた部があったのか、分かるかな」

「最大で午後七時まで活動可能なのはご存知と思いますが、火曜日は文化系のクラブが体育館を使用できる決まりになっており、運動部の多くは火曜を休みに当てています。火曜放課後に活動する運動部は確か、ソフトボール部、ラクロス部の二つのみかと。無論、水泳部はプールがありますから、そちらで活動していたかもしれません」

「活動のない日は、部員は部室に行かないものなのかい」

「それもお答えしかねる質問です。話を剣道部に限るなら、私は個人で練習をするとき、部室に立ち寄ります。他の者もそうでしょう」

 剣道の腕前を見込まれて入学した彼女だけに、日々の鍛錬は欠かさない。

 音無の的確な返事に、満足げに頷く先輩。メモを取らないのは、記憶力に自信があるのだろう。そして明日の退院後、探偵業に精を出すに違いない。

「次がとりあえず最後だ。刀の出て来た竹刀の持ち主は判明したのかな」

「私は聞いていません。また、少なくとも私は見覚えがなく、恐らく部員も同じでしょう」

「では、百田君は?」

 目だけを僕へ向けてきた先輩に、慌て気味に首を横に振る。

「音無さんが聞かされていないものを、僕が聞いてるはずないですよ」

「それもそうか。警察は当然、調べるに違いないんだがな。素手で握っていたとすれば、犯人の分泌物が柄の辺りから出る。校内で手袋をするのは、今の時季、不自然な行為だから、犯人は素手にせざるを得なかったと思う。有力な証拠になるだけに、検出できても、そう簡単には漏らしてくれないか」

 怪我で不自由な身体ながら、精一杯、慨嘆のポーズを取る先輩。

 それにしても、そんな有力な証拠が見つかれば、十文字先輩や僕らの出る幕がなくなる。先輩の嘆く素振りも、探偵活動ができなくことを危惧してのものだったりして。

「本日はここまでとしよう。落ち込んでいたが、君達が来てくれて助かった。有意義な時間だったよ」

 僕は、五代先輩を呼んできますと云って、病室を出た。胸の内では、自分の推理(途中だけれど)を十文字先輩に話してみたい欲求があるが、話すと辻斬り殺人にも触れない訳に行かず、今日のところは思い直した。

 エレベーターホールのある方向へ廊下を行くと、待合いスペースがあった。おばさんと学園長の姿は見掛けたが、五代先輩はいない。

 簡単に見つかるつもりでいただけに、焦る。違うフロアに行かれたとしたら、探すのは骨だ。

 参ったなと頭を掻いていると、エレベーターが到着し、中から当の五代先輩が現れる。僕の顔を見るなり、「あら、百田君。探してくれてたの」と来た。

「事件の話が終わったので……。どこにいたんですか」

「リハビリ施設を見に。充実してるわ。自分が柔道で負傷したときもここがいいかもしれない。そんなことを考えていたら、さっき、電話が鳴ってね。十文字君が話終わったと知らせてきた」

 タイミングよく現れたのは、そのおかげか。僕が先走って飛び出すことはなかったのだ。疑問の氷解と、少なくない恥ずかしさを覚えながらも、僕は先輩とともに病室に引き返した。

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