第8話 『週明けの殺人者』その8

 五代先輩はドアを開けるなり、「終わったなら、お見舞いらしく、授業のノートを」と学生鞄を胸元まで持ち上げ、中からコピー用紙数枚を取り出す。

「これは感謝感激。明日には退院だから、明日見せてもらえばいいと思っていたんだが、ありがたい」

「探偵ごっこをやめると誓うのなら渡す――と云ったら、どうする?」

 挑戦的な目つきで、五代先輩は問い掛けた。ベッド上の探偵志願者は、事も無げに即答した。

「僕は、ごっこなんてしていない。よって君の申し出は元々条件が不成立だ」

「また襲われて、今度は死んでも知らないからね」

「泣いてくれれば充分だ」

 おいおい。もしや、このお二方、実は男女の仲というやつですか?

 にやりとして答えた十文字先輩は、窮屈そうに肩をすくめると、

「心配してもらわなくても、もう襲われるようなどじは踏まない」

 と宣言した。なかなか力強い口調だった。


 学園長が十文字先輩の母親とどんな話をしたのかは知らない。

 車で病院をあとにした僕らは、近くの駅まで送ってもらった。通学に使う駅ではないので、風景が少しばかり新鮮だ。

「充分に気を付けて帰るように」

 学園長にくどいほど念を押され、僕らは車を降りた。音無とは帰る方角が一緒だと承知しているが、五代先輩はどうなのかなと訊ねると、同じだった。

 電車を待つ間、先輩から、先の学園長にも増して、無茶な真似はよしなさいよと繰り返し云われた僕は、ふとした好奇心を覚えた。

「五代先輩は、刑事事件絡みで何か嫌な思い出が? 身内に不幸があったとか」

 軽い逆襲のつもりもあって鎌をかけると、これが的中。先輩は目を逸らし、線路の方を向いた。

「君には関係ない」

 動揺が露だ。僕自身は何も分かっちゃいない。さっきの台詞だって、相当に含みを持たせた、どうとでも解釈できる言い回しにした。その幅広いストライクゾーンに、五代先輩にとっての絶好球(“好球”は違うか)があったようだ。

「話してください。僕だって、聞けば、探偵ごっこをやめるかもしれない」

「百田」

 音無に袖を引かれた。呼び捨ての上、ひどくきつい目をしている。明らかに非難だ。仮に竹刀を今携えていたら、一撃を食らわしてきそうな敵意さえ感じられる。どうやら僕はやりすぎたようだ。頭を冷やすまでもなく、五代先輩の身内話云々は学園での殺人と無関係であろう。

 ところが謝ろうとした僕を遮り、五代先輩は一気に喋った。

「物語を話す気はないわ。事実を伝えるだけ。五代の家系は代々警察勤めで、運がないのか、向いていないのか、三名の殉職者を出している。それに私自身、ちょっとした事件に巻き込まれたこともあってね」

 電車がプラットフォームに入ってきた。

 先輩はさっさと乗り込み、音無が静かに続く。

 僕は、同乗するのがはばかられて、一本あとの電車にしようと思った。

「ぐずぐずするな」

 音無にいきなり腕を強く引っ張られ、痛さのあまり、飛び乗る。背中のすぐ後ろでドアが音を立てて閉まった。

「百田君、そんなに鈍かったか?」

「いや……考え事を」

 音無に問われ、適当に返事する。まあ、考え事をしていたのは事実だ。

「しっかりしてくれなきゃ困るわね。男の君が、私達を守るんだから」

 五代先輩が笑いながら云った。柔道の達人と剣道の達人を僕が守るとは、分かり易い冗談だ。目に見えて落ち込んだ僕を、元気づけてくれたのだろうか。

「あの……十文字先輩って、どういう人なんですか」

 事件から遠い話題を選ぶ。

「どういうって、数学にかけては並ぶ者なしと称されるほどの数学おたく、そこに加えて、脳味噌のマゾヒストと囁かれるパズルおたくよ。有名でしょう?」

 有名人の五代先輩が答えた。それにしても、おたくでマゾヒスト扱いとは。

「それは僕も知っています。分からないのは、普段からというか以前から探偵志願なんでしょうか。五代先輩の口ぶりが、そう聞こえるんです」

「そうよ。一年生のときも同じクラスで、その頃から探偵ごっこをやっていた。勿論、学園内は平穏そのものだから、新聞に載るような事件を、あれこれ推理していたわ。転入してきた私に何かと親切にしてくれたので、感謝はするものの、彼のそんなところだけは好きになれない」

「口でも注意した?」

「いいえ。ニュースを基に推理を広げることは、程度の差こそあれ、世間の人大勢がやってるでしょ? 咎めはしなかった」

 つまり、十文字先輩はやがて物足りなくなり、自分の足を使って情報を集め、未解決事件の謎解きを始めたのか。五代先輩に確かめると、当たっていた。

「間の悪いことに去年の冬、連続放火の愉快犯が出たでしょう? 調子に乗って、次の放火場所を示す暗号を新聞社に送り付けてきた奴。知ってるかな」

 覚えている。ほんのいっとき、世間を騒がせた事件だった。

「あの暗号を一番に解いて、警察に情報提供をしたのが、十文字君なのよ。大して難しい暗号じゃなかったから、解けた人が他にもぽつぽつ出て、十文字君一人の手柄にはならなかったんだけど、これで彼、調子づいちゃったのね」

 なるほど。容易に想像できる構図だ。僕だって同じ立場なら、調子づく。

 やがてそれぞれの降りるべき駅に着き、五代先輩、音無の順番で別れの挨拶をした。さっきの守る云々の件はどこへやら、二人とも平気な体で改札口から出て行くのが見えた。

 車内に一人残った僕(無論、乗客は他にも大勢いる)は、事件について推理を働かせるのがまだ後ろめたく感じられ、残りの時間を頭の休憩に当てた。やっと自宅からの最寄り駅に着いて、足早に家路を行こうとしたが、待合いのコーナーで呼び止められた。

「シロイチ~。待ってたんだよ~」

 声の主は一ノ瀬だった。木目調のベンチに腰掛けたまま、人目をはばかることなく、大げさな動作で手を振っている。膝上で何やらモバイル機器を開いているとは云え、立ち上がってこちらに来る気はないらしい。

 それにしても、シロイチって何なんだ。明らかに僕のことを差しているようだが。駆け寄り、訊ねた。

「シロイチって、僕のことか」

「そうだよん。おニューのニックネームさっ」

「何でシロイチ?」

「へへん、漢字の勉強をした成果なのだ」

 分からん。詳しい説明を求める。

「百田の百から一を取ると、なーんだ?」

「……九十九? じゃないよな。九十九はつくもだ。えっと、ああ、漢字の勉強と云うぐらいだから、白か?」

「卓球~っ!」

 ……せめてピンポンと云ってくれ。いや、云わなくていいけど。

 ともかく、この場に留まっていても仕方がないので、僕らは外に出た。幼なじみではないが、家の方角が途中まで同じなのだ。

「一ノ瀬は何であんなところで待っていたのさ?」

「君を待っていたに決まってるジャマイカ。見舞いの顛末をおシエラレオネ」

 餌をねだるペット犬が芸をするのにも似て、手を出してきた一ノ瀬。愚にもつかない地口はいつものことだが、これを連発とは、彼女には珍しい照れ隠しなのかもしれないな。

「そんなに知りたかったのなら、端から着いてくればよかったのに」

「鼻からでも口からでも、面倒臭かったにゃー。剣豪も一緒だったんしょ? 精神疲労って堪えるし、後々まで尾を引くのさー」

 そういう訳か。分からなくもない。一ノ瀬にとって、数少ない苦手なタイプが音無であろう。尤も音無も、一ノ瀬を苦手に感じている気配、大いにあるが。

「で? で? どんな感じだった?」

 請われるままに、見舞いの模様を説明。と云っても、事件に対する十文字先輩の見方が半分以上を占め、症状に関してはほんの少しになったが。

「やっぱり、十文字さんは犯人を全然見てないのかー」

 がっかりと口で云いながらも、目はきらきらしている一ノ瀬。

「それにしても、十文字さんてさすがだねっ。血のことなんか、ミーは全然気にならなかったよ」

「同感だけど、先輩は疑問点を列挙しただけで、解決した訳じゃないんだ。血溜まりがなかったのは、死体移動を想定すれば片付くが、返り血の問題がある」

 刀を引き抜いたのも、恐らく犯人だ。その際、大量の返り血を浴びたのではないか? 学校関係者である可能性の強い犯人が、血を如何にして隠し、学内を動き回れたのか。犯行時刻とされる三時半から五時半までなら、まだまだ人は多い。

「なーんだ。そんなの、エクスクラメーションマーク」

 ……簡単だと云いたいらしい。一ノ瀬の言葉を、ほぼリアルタイムで理解できる僕って、凄いかも。

「凶器を抜くとき、傘を差してたのさ、きっと。キ~リング、インザレイン」

「往来で唱うなよ。君に聞いたのが間違いだったことが、よく分かった」

「ちょい。ミーは、いいアイディアと思ったんだけどな。刺すときに使うんだ。

開いた傘を万丈目先生に向け、傘のてっぺん辺りから刀の切っ先を突き出し、刺し殺す。この状態のまま引き抜けば、噴き出した血を浴びずに済む」

 説明されてみれば、悪くはないと思えてきた。

「でも、ここのところ晴天続きだよ。傘を持って来たら、不審がられる」

「置き傘、忘れ物の傘。校内にいくらでも転がってるよん」

 いくらでもはオーバーだが、一ノ瀬の指摘は事実だ。生徒昇降口を入ってすぐのところにある据付けの傘立てには、少なくとも二、三本の傘が常に入っていたように記憶している。

「綿密に調査すれば、置き傘の紛失が明らかになるかも。いや、違うにゃ。賢い犯人は予め、犯行用の傘を持ってきて傘立てに入れておいた。いかにも忘れ物めかしてさ」

「傘使用説は認めてもいいけど、行き着く先は、どこで刺したのかに尽きる」

「今のミーは、十文字さんから間接的に閃きをもらって冴えてるから、何でもお答えします。殺害現場は、シャワールームしかないっしょ」

 七日市学園には、主に運動部に供する目的で、更衣室に隣接してシャワールームがある。

「それが当たっているとしたら、容疑者を絞れるかもしれないな」

 僕は使った経験がないから分からないが、シャワールームへの出入りに何らかのチェックが行われているとすれば、容疑の枠を絞り込める。

「でもー、このくらいは警察もとっくに考え付いて、調べてるんじゃないかな。血をきれいに洗い流すなら、シャワールームを真っ先に思い浮かべるもんねえ」

 一ノ瀬が口元に人差し指を当て、上目遣いに天を見やる。学校がある間、目に見える範囲では警察の動きは活発でなかったが、秘密裏にシャワールームの調査を済ませたことは、充分にありそうだ。何しろ、事件のあった火曜日以降、体育館は周辺設備を含め、全面的に立入禁止にされている。

「おお、運命の別れ道!」

 突然、一ノ瀬が叫ぶ。はっとして景色を見渡すと、三叉路に差し掛かっていた。ここで一ノ瀬とは家路が異なる。

 独り暮らしの一ノ瀬が、電灯のスポットライトを浴びつつ、云った。

「よかったら、来てもいいよん。夕飯を作らせてあげるからさあ」

 僕の方にちっともメリットがないじゃないか。第一、僕の料理の腕を知っているのか。食えるのか?

「ミーは味にはうるさくないから、非常識な奴が作った料理を除いたら、何でも食べるよ」

「つまり、食えないほどまずい料理を作る奴は非常識だってことだろ」

「Ping-pong!」

 ……キングコングと聞き違えたよ、全く。gを発音するなって。

 余計な疲労感を背負い、一ノ瀬と別れた。


 夜。僕は夢を見た。

 音無が殺人容疑で捕まり、強面の刑事数名に取り囲まれ、追い詰められている。そこへ論理の剣を携え、颯爽と現れる百田充。警察も見落とした些細な手がかりから、名推理を構築し、真相を暴くと同時に、音無を窮地から救い出す。そしてミステリ調から一転、ハッピーエンドの恋愛漫画のラストシーンの如く、花びらの舞う原っぱを背景に、二人は抱き合うのだ。

 さすがに莫迦々々しくって、ここで目が覚めた。

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