第9話 『週明けの殺人者』その9

 しばらく余韻に浸ったあと、寝床の上で身体を起こし、夢の中で語った名推理とやらを思い出そうとしたが、無理だった。勿体ない。

 布団を抜け出し、何の気なしにカレンダーで日付を確認。

 木曜日。

「……そうだ」

 我ながら唐突に呟いたのは、カレンダーを眺める内に、疑問が浮かんだため。疑問ではなく、興味と言い換えてもいい。

 来週の月曜、辻斬り殺人は起きるのか? 起きたとしたら、その凶器は何?

 これまでは殺傷痕が同一であったから、模倣犯が出現しても容易く判定できた。だが、今や犯人は凶器を手放したのだ。週明けにまた犯行を重ねるとしたら、別の凶器を用いよう。模倣犯が出現しても、分からない。

 駆け足で部屋を出て、食卓に向かう。母が明らかに訝かりつつも朝食の用意をしてくれる中、僕は新聞を開いた。同時にテレビのニュースにも注目する。

 昨日の夕刊やテレビ報道で、辻斬り殺人との関連を匂わせる記事は皆無。それは今朝になっても変わっていなかった。警察は伏せ続けるつもりのようだ。

 伏せるのは結構だけど、「辻斬り殺人の凶器は未発見だが、その種類は特定されている」とでも発表するのが賢明じゃないかな。嘘の発表になる訳だけれども、模倣犯抑制のためには、許されると思う。

 あるいはそんな発表をすれば、辻斬り犯の新たな凶器による新たな犯行を誘発しかねないと見なしたか。だけど、最初の凶器が犯人の手を離れた今となっては、かまわないんじゃないか。

 五代先輩に頼んで、この意見を捜査本部に伝えてもらおうか。犯人探しの探偵ごっこじゃなく、事件を未然に防ぐための提言だから、先輩も聞いてくれると期待し、僕は家を出た。


 朝夕は練習で忙しいとのことで、五代先輩に会いに、昼休み、教室まで一人で出向いた。そこで、十文字先輩は今日退院して、明日から出て来ることが正式に決まったと聞き、まずは一安心。

「それで、君の方は何の話? 事件についてなら、お断り」

「事件の話なんです」

 先輩はため息をつき、にこりともせず、廊下の端へ右人差し指を向けた。

「じゃあ、行こうか」

「は?」

 つい、身構える。誰もいない隅っこに連れて行かれ、投げ飛ばされるんじゃないかと想像してしまう。

「人に聞かれちゃまずいでしょうが」

 廊下の片隅に移動し、一層声を潜めて、朝の思い付きを伝える。

「なるほどね」

 先輩がやっと笑った。その笑顔が、小学校の教師が児童をあやすときのそれに似ているのが、気に入らないけれど。

「犠牲者をこれ以上出さないために、ぜひ、先輩のお父さんに」

「私から進言しなくても、警察はその可能性に、とうに気付いていると思うわ」

「そうでしょうか。朝刊でも、全く触れられていなかったし」

「……君は、口は堅い方?」

「だと思いますけど」

「どうしようかな。当事者と呼べなくもない立場なんだし、云ってもいい気はするんだ。父ったら、娘の通う学校で起きた事件だからかしら、珍しくもちょっぴり情報を漏らしてくれたのよ。ほんと、稀なこと」

 先輩は周囲に目を配り、誰も近くにいないのを再確認する身振りのあと、口を開いた。

「竹刀から出て来た刀ね、万丈目先生を刺した凶器じゃないのよ」

「はあ?」

「辻斬りの凶器ではあるけれど、先生を殺した得物は別。分かった?」

 意外だった。意外さのあまり、僕の絶句はまだ続いていた。先輩に、顔の前で手を振られ、ようようのことで我に返る始末だ。

「に、俄には信じられませんよ」

「うん。捜査本部全体も軌道修正をせざるを得なくて、結構大変みたいだわ。万丈目先生を殺した凶器が未発見という事実は、犯人がそれを使って再び殺人をしでかす可能性が残ってるって訳ね」

「あの、血痕はどうでしたか? 竹刀から見つかった血痕は、先生のじゃなかったのか……」

「……これくらいまでなら話してもいっか。辻斬り殺人被害者の血ばかりだったそうよ。先生の血痕は、ロッカーの内側のみ」

「そうでしたか。もう一つだけ。捜査本部の見解では、万丈目先生を殺した犯人は、辻斬り殺人犯と同一なんでしょうか?」

 五代先輩は軽く目を瞑り、首を水平方向に振る。また目を開けると、云った。

「教えてもらえなかった。でも、辻斬り殺人の凶器が現場に転がっていたからには、そう考えるのが妥当じゃなくて?」

「ですよね」

「そういう訳で、百田君。第一発見者が狙われる危険は、まだ去っていないみたいだから、注意を怠らないこと。いいわね?」

 急にお姉さん口調で云われて、戸惑ってしまう。このときの僕は、目を白黒させていたかもしれない。

「探偵の真似事なんて、そろそろ本当にやめた方がいいわよ。十文字君の二の舞どころか、命を落としたって知らないからね」

 僕は、病院での十文字先輩の返答を思い起こした。「泣いてくれれば充分だ」と告げる相手が、僕にはいない。

「分かってます。いくら何でも、自重しますよ」

 この場凌ぎの答を言っておく。

 本心を明かせば、新たな情報を得て、推理を組み立て直そうと意識でいっぱいだった。


 翌金曜の放課後、僕は一ノ瀬とともにコンピュータ室にいた。他にも大勢の生徒がいるが、大半はヘッドホンを被り、映像資料(勉強用のもあれば、娯楽用のもある)を熱心に観ている。

「色々考えてるんだけど、面白くも不可思議な話だねっ」

 一ノ瀬が唱うように云った。

 僕は五代先輩から教わった新事実を、昨日の内に一ノ瀬に伝えた。すると彼女は調べ物があるとか云って、一人、コンピュータ室に篭もったのである。そして何らかの成果が上がったのだろう、今日になって、十文字先輩を交えて話をしてみたいと云い出したのだ。都合のよい時間帯として放課後が選ばれ、場所は一ノ瀬の希望でコンピュータ室になった。

 十文字先輩はホームルームが長引いているのか、それとも五代先輩につかまったのか、まだ姿を現さない。登校済みなのは人伝に耳に入っている。

 先輩が来るまでの間、僕らは事件についてディスカッションする。周りに他の利用者がそこそこいるので、声をなるべく出さずに済むよう、筆談ならぬパソコンのキーボード談によって。画面を第三者に見られそうになったら、すぐに隠せるように準備できている。

『先生殺害犯イコール辻斬り犯と仮定。何故、刀を置いていったのか』

『刀の他に刃物を持っていたのも不思議。やけに準備がいい』

『何故、刀を使わなかったのか』

『新たな凶器の行方』

 お互い、疑問点は数多く浮かぶが、それを打ち込むだけで、解決に向かう手応えは感じない。ただし、一ノ瀬が手の内を隠している様子は、ありありと窺えた。十文字先輩が来てから、ということなのだろう。

「もーふだあ」

 座ったまま伸びをしながら、一ノ瀬が呟く。だから、不毛だろっての。僕は集中力を保とうと、次なる疑問を打ち込んだ。

『万丈目先生が辻斬り犯に気付いたきっかけは何か』

『前の日に見たとか?』

 一ノ瀬の即答に、思わず唸らされた。万丈目先生が殺されたのは火曜日。その前日の月曜は、辻斬り犯第四の犠牲者が出た。たまたま目撃した結果、万丈目先生は命を落とす羽目に?

『月曜に見て火曜に行動を起こす? 急すぎない?』

『逆かも。辻斬り犯が先生を呼び出した』

『目撃されたと知り、先手打った?』

『にゃあ』

 入力文字で猫真似するなよ。それぐらい声に出せ。

「だとしたら」

 僕は呟いた。続きは画面で。

『昨日の今日で先生を殺したのも、刀とは別の凶器を用意したのも理解できる。辻斬りを続けるためだ』

 なのに、刀を現場に残して行った。謎だ。慣れぬ凶器での殺人に平静を失い、忘れたのか。

 いや、違う。万丈目先生を名乗る電話が、音無の携帯電話に掛かってきてる。刀が戻った、と。あれは犯人からのメッセージのはず。犯人の冷静さを感じさせる行動ではないか。

「分かんないな」

 またもや呟いてしまった。分からないことだらけなんだから、仕方がない。

 と、そのとき、机の上に影が差すと同時に、声が降ってきた。

「探偵たる者、分からないことがあるからと云って、それを莫迦正直に声に出してはならない。周囲の人間を徒に不安にさせるデメリットが大きいからだ」

 警句めいた気取った台詞。振り返るまでもなく、十文字先輩と知れた。

 現れたのは彼一人のみで、五代先輩の姿はない。

「あ、具合はもう?」

 立ち上がりながら反射的に聞き返す。

「十全とは云い難いが、事件を目の前にして、名探偵がそんなことで弱音を吐いていては話にならないからね」

 実際、快活に答える。安心して、次に五代先輩のことを訊ねると、「五代君は柔道に精を出している」との返事。

「お初にお目に掛かります。ミーが一ノ瀬和葉です」

 一ノ瀬が座ったまま、身体を折り曲げるようにしてお辞儀した。礼儀正しいかどうか微妙である。先輩は小さく笑い声を立て、「僕は十文字龍太郎。噂は聞いてるよ」と応じる。するとよせばいいのに、一ノ瀬のやつ、「どんにゃ?」と聞き返した。

「パソコンと数学に長け、天才的な柔軟思考の持ち主だと耳にしたが、違ってるかい?」

 先輩には、気を悪くした様子は微塵もない。自分に絶対の自信を持っている人は、こういうものなのかもしれない。

「うーん。当たらずも唐辛子」

「ははははっ。さて、噂の一ノ瀬君が、何を聞かせてくれるのかな?」

「では、早速」

 始めようとする一ノ瀬。僕は慌てて十文字先輩に座ってもらった。位置は、僕と一ノ瀬の間だ。

 せっかちな一ノ瀬を制し、先に、これまでに僕らが掴んだ手がかりを十文字先輩に伝えた。特に、伏せておいた凶器に関する情報が、先輩の興味を誘ったようだ。「五代君も第三者にばらすぐらいなら、僕を信用してくれればいいのに。意地が悪い」などと憤慨する様は、年上なのにどことなく微笑ましいなんて感じてしまった。

 いや、それよりも気にかかったのは。

「辻斬り殺人とつながりがあると分かっても、先輩は驚いてないみたいですね」

 折角伏せていたんだし、驚いてくれることを半ば期待していたのだが。

「意外ではある。が、予想の範囲内だから、驚きはしないさ。刀が盗まれて程なくして、世に云う辻斬り殺人が起き始めた。結び付けるのにさほど飛躍はいらない。可能性の一つとして、リストアップしておくべき説だよ」

 名探偵志願の先輩の頭脳には、どうやら、主だった犯罪のデータがインプットされているらしい。

 ともあれ、次は一ノ瀬の番だ。

「ミーは辻斬り犯の方に興味があって、調べてみたんだ」

 いきなり声高に始める。ひやっとしたが、よくよく考えてみれば、今の発言に、他人に聞かれてまずいところはない。完全なセーフだ。

「被害者は男女二人ずつ。共通点なしってことになってるけど、ミーは面白い発見をしたのです」

 マウスを操作し、地図ソフトを起ち上げる。僕と十文字先輩は身を乗り出した。やがて現れたのは、この辺りでは最も大きな市街地の地図。鉄道路線を中央の縦に配して、何箇所かにマークが入っていた。予め一ノ瀬が準備していたと見える。昨日やっていたのはこの作業だったのか。点在するマークを数えてみると八個あり、色は赤、青、黄、緑がそれぞれ二つずつが使われている。目を凝らすと、そのマークには黒字で、アルファベットが振られていた。赤がAとaで、以下、青にはB、黄はC、緑はDの大文字及び小文字が与えてある。

「これは?」

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