第2話 『週明けの殺人者』その2

放課後、コンピュータ室で我が物顔でワークステーションを触る一ノ瀬に、きちんと謝った方が後々の人間関係がスムーズだ、という極当たり前の忠告をすると、「えー、謝る気はあるけど、面倒っちいなあ。ヒャッキーが代わりにやっといてよー」と来た。人にやらせてどうする、なんていう常識が通用する相手ではない。通用する相手なら、そもそもこんな揉め事を引き起こすまい。

 僕は分かったと云ってその場で話を引っ込め、これっきり忘れるつもりでいた。僕は一ノ瀬の使い走りじゃないんだし、音無と会話できたからってだけで喜ぶ歳でもない。

 だが、コンピュータ室を出、自分一人の帰り途(と云っても校門を出て最初の角を折れた地点)で、音無と鉢合わせしかけたのをきっかけに、ふと気が変わった。よくあることさ。

「――失礼」

 ぶつかりそうになったことから来る狼狽を一瞬の内に隠し、そのまま去ろうとする音無に、僕は声を掛けた。

「一ノ瀬が、悪いことしたって云ってたよ」

 聞こえなかったのか、一ノ瀬の話なぞ聞きたくないのか、音無は立ち止まることなく、ずんずん行く。果たし合いに赴く剣士の如く。

「あ。あのさ」

 一ノ瀬の謝意(あるのか?)を伝える義務感はさらさらなく、音無に悪い印象を持たれたくない心理が、僕に彼女を追い掛けさせた。

 初め音無は僕の追跡に気付かぬ様子だったが、校舎を目の前にして、いきなり振り返った。夕刻という時間帯、鏡と化した生徒昇降口のドアの一枚ガラスに、僕の姿が映ったらしい。

「私に用でもあるのか?」

 足が止まった僕は、素直に答えるかどうか、迷った。さすがに一ノ瀬の名を出すのはまずい空気を感じて、やめておく。

「音無さんも忘れ物? 僕も忘れ物を思い出したんだけど」

 しれっとして応じる。咄嗟の思い付きであることを割り引いても、大してうまい返事じゃないな。

「勝手にすればいい」

 よほど急ぎの用事があるに違いない。僕の答を恐らく信じていない音無は、軽い身のこなしで数段のステップを一気に跳び、大きなガラスドアを引き開け、中に入った。ドアは危険防止の機能が故障しているのか、閉まるスピードが速い。僕は一旦、ドアが閉まるのを待たねばならなかった。

 上靴に履きかえるのももどかしく(履きかえたけど)、急いで追い掛ける。音無は入ってすぐのところにある階段を、一段か二段飛ばしで駆け昇っていた。三階には僕らの教室があるが、彼女は二階のフロアを選んだ。そこまでは認視できたが、音無の姿はじきに壁に遮られて見えなくなった。

 二階から行けるところというと……体育館の二階に直結した渡り廊下がある。体育館の二階には運動部の部室が固まっている。音無は当然、剣道部の部室を目指したに違いない。

 若干乱れた呼吸をコントロールしつつ、僕はそこまで考えた。どうやら勘は当たったようで、音無らしき女生徒の後ろ姿を体育館への渡り廊下で目撃した。が、すぐに陰に隠れて、見えなくなる。というのも、全速力で駆け抜けるのは危険との理由で、通路には段差がこしらえてあるためだ。通路に差し掛かる両端で一旦なだらかな丘を形成し、次に下り坂となって中程は平らになっている。

 二階以上の高さで各建物を結ぶ渡り廊下はいくつかあり、宙廊と総称される。それぞれ番号が振られ、第三宙廊などという風に呼称されるが、生徒間でそんな事細かな使い分けをする者はいない。

 つまり、だ。体育館への宙廊が第二であることを、僕はあとで知った。

 行き先の見当が付いた僕は、速度を若干落とした。第二宙廊を見通し、前に進む。と、視界の下方から黒い丸が覗いた。それも一つではなく、いっぱい。人の頭。黒は髪。体育館からこちら側――本館に向かう女子の集団だった。ほとんどがジャージ姿であるから、今部活スタートという訳か。あるいは体育の補講かもしれない。

 僕は右端に寄ってすれ違った。宙廊の段差を過ぎ、ふっと前を見ると、音無の姿は既になし。歩速を緩めた上、集団に気を取られたほんの一瞬の隙に、見失ってしまったようだ。

 まあいい、どうせ剣道部の部室だと思い直し、僕は再び駆け足になった。運動部どころかどの部にも入っていない僕にとって、体育館二階は縁の薄い領域ではあるが、入学時の案内で大凡の構造は分かる。どこに何の部室があるのかも把握できていたので、迷わずに剣道部の部屋を目指せた。落書き一つない、水色を更に淡くした色彩のきれいな壁が続く。角を二度折れて、その奥から二番目のドア。間違いない。張られたプレートに“剣道部(女子)”の文字が刻まれていた。部室前の廊下には、ロッカーが数個並ぶ。この隣、一番奥が男子剣道部の部屋だ。

 扉の前に人影はなかった(そもそも、今この通路には僕一人である)。音無は中だろう。ノブを握る。楽に回った。

 回したあとで、ノックが先だと思い直す。ノブを握りしめたまま、もう片方の手でドアを叩くが、中からの応答はない。

 次に声を掛けようとし……困った。剣道部に用事があって来たのではない。音無を追い掛けていたとも今さら云えぬ。

 ままよ(おお、こういうときに使うんだな)と、ドアを引いた。

「すみません。友達探してるんですが……」

 音無以外の人がいた場合に備え、出任せの口実。だが、これを聞く者は誰もいなかった。そう、誰も。

「音無さん?」

 呼ぶが、さして広くない部室、人一人を遮るほどの物陰となると限られてくる。足を踏み入れ、顔を左右に向けるだけで、粗方見渡せた。残るは左奥の壁に居並ぶロッカーの中ぐらいだが、音無に限らず、剣道部の関係者ならそんなところに隠れる理由がない。元来、勝手に開けるなんてできるはずもなく、調べずにおく。

「おかしいな。行き違いになるはずないんだけど」

 不可思議さのあまり、呟いた。合理的な解釈をするなら……剣道部部室に行くと決め付けたのがそもそも誤りで、どこか別の部屋に入ったとも考えられる。

「それにしては」

 ドアを振り返る。鍵を掛けていないとは、何とも不用心な。

 首を傾げた僕は、更に全く別の原因から、不審の念を抱いた。

 扉横の壁に立てかけられた竹刀。使い古した物らしいが、一本だけ出しっ放しとは不自然だ。剣道部にとって大事な道具の一つ。ましてや七日市学園の剣道部は男女とも礼儀に厳しいとの評判である。仮に廃棄予定の物としてもおかしい。

 僕は壁際まで歩いて戻ると、その竹刀を手に取った。

 瞬間、予想を遥かに越えた重みが伝わってきた。軽く持ち上げるつもりでいただけに、焦る。

 中に何か入っている。両手で持ち、目を細める。竹の隙間から、光沢のある物が見える。かなり細長い。ちょうど、竹刀を二回りほど小さくしたような形状ではないか。

「まさか」

 悪い予感がした。それでも確かめずにはいられない。僕は竹刀を分解した。結果、予感が当たったことを知る。

 中から刀が現れたのだ。鞘に収まっていない、剥き出しの形で。もしも心構えなしに取り出していたら、手首から先が血の海と化したに違いない。

「鍔がないけど、よく斬れそうな」

 やや曇った刃を見つめつつ、感想を漏らす。素人の僕が、これは美術品ではないかと思わされるほど、端整な造作の刀だった。柄の部分には、音符を裏返したような凝った紋様が施されていたが、意味は分からない。

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